1998年
小平が顔を上げるとそこには砂場で遊んでいる男児と少女が目に入った。
男児の年齢は4歳程度、少女の年齢は12歳くらい、といったところだろうか。
安物の腕時計に目をやると、時刻はもう17時を回っていた。
もうこの時間でも暗くなるような季節が来たらしい。
小平は貧乏ゆすりをやめ、その男児と少女を凝視した。
遠くてよく見えないが、その二人は姉弟や知り合いという関係ではなさそうだった。
少女は男児に何か問いかけ、男児は少女に答えている。
ーキミのお母さん、まだ迎えにこないの?
遅いね。一緒に待っててあげようか。
何をして遊ぼう?ー
小平には少女がそんな言葉を投げかけているようにも見えた。
小平はあの子どもの親が迎えにくるのを見ていたかった。
ありえない願望であることはわかっているが、どうしても希望を捨てられない。
ノイローゼなのかもしれない。きっとあの件について、考えすぎている。
…俺の子供だって、産まれていたらあれくらいの年齢のはずだ。
だからあの子の母親が彼女である可能性だってなくはない。
少年の顔立ちは目元と鼻筋が少し彼女に似ていた。
彼女ー秋山マリは小平の恋人だった。
「妊娠した。実家へ戻る」
マリはそれだけ伝えると小平の前から居なくなってしまった。
もう5年は経とうとしている。
小平はマリの実家はおろか、職場しか知らなかった。
その頼みの綱である職場も、妊娠と同時に辞めてしまった。
それだけにどうしようもない不甲斐なさを感じた。
彼女と子どものことを想うと張り裂けそうなほど胸が痛む。
血のつながった子どもが、生涯愛したいと感じた女性がー。
それでも彼女の存在が小平の生きる原動力となっているのは確かだった。
小平があの小さな古アパートから引っ越せないのもそのせいだ。
彼女が訪問するかもしれない。電話がかかってくるかもしれない。
彼女と連絡がつくまで、住所や電話番号を変えるわけにはいかない…
ありもしない着信履歴を見て落胆する毎日。
小平は祈るように手を組み、意を決して自宅へ帰るべくベンチから立ち上がった。
FAXでも、手紙でもいい。彼女から何か連絡が来ているかもしれないという淡い期待を今日も抱いていた。
いつものように失望することなど、心のどこかでわかっているというのに。
気がつくと少女は男児の手を引き、どこかへ去って行ってしまった。