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Urchin はりねずみ

仕事を終えたロザリンドは、病院の事務室から出た。

一日中書いていた請求書の文句が頭の中でぐるぐるする。


ロザリンドは、外に出て兄をさがした。

このごろは、兄ギャニミード・タープはストロス師の弟子になり、薬を作る仕事を手つだっている。担当は夜光茸の栽培である。

夜になると淡く光るため、この名がついたのだそうだ。

別名ペルセフォネの茸。生のまま食べると、そのまま数日間眠り込んでしまう。

セーレ地方では、昔から眠り薬や軟膏にも使われているのだそうだ。


これを乾かしてすりつぶしたものが、煙の薬の主成分となる。

ストロス師から与えられたテーマは、このきのこの色別の効能を調べること。

夜に緑色に光る株と白く光る株に分けて植え、それぞれの効能に違いがあるか調べているのだそうだ。


ギャニミードは畑の横で木箱に腰かけて、煙の薬をプカプカ吸っていた。


その膝に、栗のイガのような物を載せていた。


「お兄様。何なの、それ」


「ハリネズミだ。きのこを食べてしまったんだ」


ギャニミードはくすくす笑いながら説明した。


「人が食べても数日眠り込んでしまうからね。ハリネズミなんかひとたまりもない。来るたびに追い払っていたんだが。さっき見たら、とうとうかじられていた。そして、この悪食君は逃げきれずに、そのまま隣に倒れていた」


「触ってみてもいいかしら」


「多分ね」


ロザリンドはおそるおそるハリネズミの眉間のあたりを指でそっと撫でた。

背中の針のある部分は黒褐色だが顔のあたりは白っぽい。

なんだか栗のイガの中にいる、白ネズミみたいだ。


「というわけで、僕はさっき名前を付けた。アーチンだ。古語で「いたずらっ子」あるいは「ハリネズミ」のいみだ」


「ハリネズミの名前がハリネズミ?」


「そうさ。法曹界の人間がハリネズミを飼うなら、名前はアーチンで決まりだ。お前の恋するオルランド殿もそうするね」


「お兄様。からかうのはおやめになって。私はオルランド様のお仕事ぶりを尊敬し憬れているだけで、恋ではないの」


ロザリンドはくぎを刺した。


「それにオルランド様は絶対にハリネズミをペットにしないと思うわ。飼うなら大きな犬じゃないかしら。毛の長いやつ」


そして、オルランド様の遠乗りの時には、忠実に着いていくのだわ。

と言おうと思ったが、からかわれそうなので、やめておいた。


「でも、どうして名前がアーチンなの?」


ギャニミードはまだからかい足りないと言いたげにニヤニヤしていたが、そのエピソードを聞かせてくれた。


「頃はミダス6世陛下の御代。今上ミダス8世陛下のおじいさまにあたるお方だ。

今に至るまで「舌切り王」のあだ名で呼ばれてらっしゃるけど、この名の由来になったのがそのまんま、舌切り事件だ。


ミダス6世陛下は何人も愛人こさえていたけれども、とくにご寵愛が厚かったのが、ビフロンス公爵夫人。

この女がしたたかで、二番手のオセー公爵夫人を追い落とすため、何かを陛下に吹き込んだらしい。何を言ったかはわからないが、それに激怒した陛下は、その足でオセー公爵夫人の部屋に行き、ナイフで公爵夫人と侍女たちの舌を切った。下らん噂話をした報いを、御手づから受けさせたってことらしい」


舌を?ロザリンドは思わず口元を押えた。


「そのままオセー公爵夫人は宮廷から退出となった。だが、一族の怒りは収まらない。

だが、その怒りを陛下に向けてしまうと、反逆罪で一族郎党殺されてしまう。

そこで、ビフロンス公爵夫人とその一族を訴えることにした。

その依頼を受けたものの名はアーチボルト・コカトリス上級法務官」


上級法務官。たしか検事にも弁護士にもなれるアスターテ神官。

オルランド・ヴァレフォール様と同じだわ。

そう思うとロザリンドはドキドキした。


「だが、気に入りの公爵夫人とその一族が訴えられる事態を、ミダス6世陛下は喜ばなかった。まあ、自分の悪行をさらされることにもなるからね。

それで、いろいろと圧力をかけたらしい。家に石をなげこませるとか、上司に話をさせたり。出世の道が絶たれるぞと脅しの文書を送らせるとかね。

しまいには、起訴状をアスターテ神殿に持ち込めば謀反とみなす、という文書すら出された。だが、コカトリス検事は屈しなかった。そして、悲劇は起きた」


え?悲劇なの?ロザリンドは少し泣きたくなった。


「上意討ちってやつさ。起訴するために、訴状を持った検事が、アスターテ神殿の車寄せで馬車を降り、階段を上りかけたところで、建物の影から顔を隠した十数騎の弓騎兵が、この検事めがけて一斉射撃。

訴状を奪って、かけ去っていった。

体中に矢を浴びたコカトリス卿の姿は、まるでハリネズミみたいだったそうだ。

奇しくも彼のあだ名はアーチンと言ったそうだ」


アーチン。いたずらっ子、あるいはハリネズミ。

ロザリンドは兄の膝の上を見た。

だらしなく伸びている針山が、なんだか悲劇的に見えてきた。


「これは、法律関係者のあいだじゃあ伝説になってる。

権力に立ち向かう不屈の闘志を持った男、アーチボルト・コカトリス。

いつの世にも、そういう気骨のある男がいるんだよ。

この伝説を踏まえてさ、今の「悪魔の薬」裁判を考えると、もう、ドラマなわけだよ」


「そうよね。オルランド様はそのエピソードを御存じだったはずだもの」


「そうさ。それにオルランド・ヴァレフォールさんの亡き婚約者はコカトリス家のお嬢様だったそうだし、訴える相手の名前は同じくビフロンス公爵夫人。縁起が悪いったらない。

迷いもあったと思う。

誰だって命は惜しい。それに、命は助かっても、国王陛下ににらまれたとなれば一生出世の目はなくなる。誰もかれも、国王陛下に忖度して、彼等を冷遇するようになる。

今まで小さいころから必死に勉強してきたことが、無駄になるみたいなものだろ。

20代の若さで上級法務官になったエリートにとっちゃ大変な事さ。

でも、彼等は決意したんだ。

悪魔の薬を作るような奴らを許さないという正義の心が勝ったんだ」


ギャニミードは感に堪えぬと言いたげに、ため息をついた。


「本当に尊敬する。大事な妹が恋をしていても仕方ないと思えるくらい」


ロザリンドが「恋じゃないわ」という前に、ハリネズミが動いた。

予想外に俊敏な動きで、兄の膝の上から転がり落ちると、可愛らしい土埃を蹴立てて、森の中に走り去っていった。

ギャニミードは膝を払って立ち上がると、声をかけた。


「じゃあな。アーチン。もう来るなよ」

「元気でね。アーチン」


だが、そのあとも何度も茸をかじりに来たので、ギャニミードは「アーチン」を「悪食アーチン」と改名した。



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