明星の間
扉の前で、ずいぶん待たされた。
中ではダンスの最中らしい。人々の笑いさざめく声。
笛の音にリュートの音。ピーヒャララ。チャンチャカチャン。
二曲目の舞曲が始まったときには、さすがにカチンときて中に入って文句を言いたくなった。
が、フィリパさんに止められたので、何とか耐えた。
やがて、扉が開き、濃厚な香水の香りをあたりに振りまきながら、迫力ある美女が出てきた。
宴の主催者カシモラル公爵夫人らしい。
ドレスの上には、凝った刺繍が一面に施された布を羽織っている。袖のついたマントのような、すそを引くトレーンのような、不思議な衣装だった。襟もとの切込みが深く、胸のふくらみの上半分くらいは見えている。胸がそれほどないロザリンドがこんな服を着たら、ずり落ちてしまうにちがいない。
カシモラル公爵夫人は出てくるなり、しばらく無言でふわふわした大きな扇をパタパタさせながらロザリンドを見おろしたが、やがて後ろに控えている自らの侍女に話しかけた。
「つまらない嘘で宴の邪魔をしようなんて、この方、一体どういう御つもりなのかしら」
「うっ嘘じゃありません」
「は?」
ロザリンドの後ろに目をやって初めて、後ろに立っておられる王妃様にきがついたらしい。カシモラル公爵夫人は驚いたと言いたげに目を丸くし、そそくさと扇をたたんだ。そして、きゅっと唇の両端をあげ、優雅に一礼した。
「まあ、王妃様。お運びいただけるなんて、望外の喜びでございますわ」
「いますぐに、陛下にお目通りを」
王妃様のお言葉に、カシモラル夫人は愛想よくうなづいて見せた。
「どうぞ」
王妃様は、カシモラル公爵夫人の案内で明星の間にお入りになった。とたん、ざわめいていた室内は静まり返った。
王妃様がお見えになったことに気が付いた人々は、皆、道を開け、畏まった様子で頭を垂れた。
王妃様はそのまま部屋の中でただ一人座っている男のもとに歩みよっていった。
まあ、あのかたが国王陛下?本当に?ロザリンドにはなんだか信じられなかった。
この国で一番偉いお方。サイン一つで人の運命をどうとでもできるお方。
紙切れ一枚で裁判をやめさせ、テレサさんの運命を決めてしまって、この方のご機嫌を損ねたために、オルランド様は牢屋に入れられてしまった。
でも、ロザリンドには、そんな強く恐ろしい方には見えなかった。お兄様と同じくらいの年の青年としか見えない。
正直いって、王妃様や昨日お会いした王弟殿下セーレ公の方がずっと尊い方の様に思える。
国王陛下の前に来ると、王妃様は深くひざを折ってお辞儀をなさった。
すぐ後ろでカフシエル嬢も同じようにしたので、慌ててロザリンドもそれにならった。
「陛下にお願いがあってまいりました。私の侍女テレサ・パシトーエのことで・・・・・」
「慈悲なら与えた。はねつけたのは、そちの侍女だ。すべてはアスターテの裁きにゆだねられる。決闘と決まった。順当な判決である」
陛下は顔を背けたまま早口でおっしゃった。どうやら気まずいらしい。拗ねた顔でこちらを見ないようになさっているあたり、子どもみたいだ。甘やかされて、わがまま放題で、すぐに不機嫌になる子ども。
静まり返った部屋の中で、王妃様の落ち着いた声が響いた。
「裁判とその判決については何も申し上げません。ただ明日、エイラ宮の私の部屋でパシトーエ嬢と晩餐を共にいたしとうございます。そのお許しを請いにまいりました」
「そんなことは許されぬ。決闘者はアスターテ神殿に留まる習いである」
「そこを何卒」
王妃様はロザリンドから紙ばさみを受け取ると、陛下の傍らにあったサイドテーブルに恭しく置いた。
「陛下のお慈悲におすがりいたしたく存じます」
陛下は嘆願書を見おろし、せせら笑った。
「そちの侍女を信じてやったらどうだ?決闘は女神アスターテの加護がある方が勝つ。獲物は斧で決まったそうだ。食事なら神明裁判ののちで良いではないか」
「その前に力づけてやりとうぞんじます」
王妃様は陛下の足元に膝まづき、さらに懇願した。
「わたくしのことをお疑いですか。わたくしが陛下の意に逆らい自分の侍女を逃がすとでも?わたくしがつねに陛下に忠実にして従順な妻であることはご存じのはず。お疑いであれば、部屋の外に何人でも見張りのものを待たせてくださいませ」
フリル一杯の服を着た少女が、泣きそうな顔で走り出て、王妃のそばにぺたんと座った。
「まあ、おやめくださいませ、お姉さま・・・・・ああ、こんなにお窶れになって」
後で聞いたことだが、このアン・クローケル嬢は美しい女の人が大好きで、大変な王妃様ファンであるらしい。
「あんな侍女ごときのために、膝まづいたりなさらないで。お姉様がこんなことなさると、アンは悲しくて悲しくて、胸が張り裂けてしまいそうですわ」
アン嬢は王妃様の手を取ると、自分の胸当てに押し当てた。そのドレスには首元から胸元にかけて、ものすごく凝った模様のビーズ刺繍が施されていて、あんなふうに押し当てられたら王妃様は手が痛いのではないかしら、とロザリンドは心配になった。
そのままアン嬢は、王妃様に立ち上がってくださるように言い続けたが、王妃は静かにかぶりを振ってその場にとどまり続けた。
「陛下、私からも、お願い申し上げますわ」
そばにいたカシモラル公爵夫人が陛下に口添えしてくれた。
「王妃様は侍女とお食事がなさりたいだけですわ。ささいなことではございませんか」
陛下はしばらくフシューフシューと荒い息をするばかりで答えはなかった。
あたりは静まり返った。
ペンとインクを持っていたカフシエル嬢が、おずおずと近づこうとしたが、陛下の一睨みで凍り付いた。
やがて、陛下は忌々しいと言わんばかりに、嘆願書をにらみつけたのち、拳を打ち付けた。
バシッという音に、ロザリンドは思わず首をすくめた。
陛下はそのまま、うっとおしい害虫を押しつぶしているかのように力を込めたのち、手を放した。
「陛下のお慈悲に感謝申し上げます」
王妃様は動じることなく、頭をたれたまま嘆願書をテーブルからさげたのち、よろめきながら立ち上がった。
王妃様から嘆願書を受け取り、ロザリンドは慌てて確認した。
指輪の印章を打ち付けてあった。
サインはいただけないのかしら。だが、とてもじゃないけれどお願いできる雰囲気ではなかった。無理強いして無かったことにされたら、それこそ大変なことになる。
王妃様の後に従い、ロザリンドもそそくさと部屋を出た。
カシモラル公爵夫人が、派手な男の人二人を従えて、あわてて後を追ってきた。
「お待ちくださいませ」
まさか、私何かやっちゃった?ロザリンドはドキドキしたが、3人はロザリンドには目もくれず、王妃様の前にきて恭しく一礼した。
「私たち、『明星の間』が王妃様のものだということは、もちろん忘れてはおりませんのよ。ただ、誰かがいつの間にか、この部屋に宴の支度をしつらえてくれたものですから、それでつい・・・・・・」
公爵夫人はしなを作ると上目遣いで言った。
「王妃様のお部屋だということはわかっておりますけど、・・・・でも、そのお・・・・・・今夜はこのまま使っていても・・・・・」
王妃様は薄く微笑んだ。
「ええ。かまいません」
「まあ、なあんてご親切なのでしょう」
派手な3人組は大仰に礼をすると、楽し気に囁きかわしながら明星の間に戻っていった。
ロザリンドたちが、それほど離れないうちに、明星の間の中からにぎやかな音楽が聞こえ始めた。




