大法廷にて 6
使うことになろうとは思わなかったな。
マルバス伯は大きな麻袋3つ分ものオレンジを廷吏に渡した。裁判官、および陪審員に配ってもらうためである。
法廷中に戸惑ったような。それでいて、期待に満ちたざわめきが大きくなる。
オルランドは傍聴席に向かって呼びかけた。
「傍聴席におられるみなさん
あの日の爆風のにおいを覚えておいでの方は、ぜひ、前の方に出て、臭いをかぎ、証言していただきたいと思います」
セーレ公は、臭い消しのセットを素直に受け取り、渡されたオレンジにかじりつくと、ハンカチで顔の前に括り付けた。
そして隣の席にすわるフルーレティ女伯爵の作業を手伝っている。
女伯の頬を染めて、はにかみながら、かすかにうつむいた様子は実に初々しく、ほほえましい。
オレンジにかじりついた状態でさるぐつわをかまされる、という間抜けなシチュエーションがお気の毒ではあるが。
陪審員のキマイリス卿は、配られたオレンジを断ると、ゼパル氏に親し気に語り掛けた。
「でもさ、おっさんさ、屁をこいて、臭いがおんなじだったら、俺は嘘つかないぜ。まじで犯人だと認定されちゃうぜ」
「かめへん。首ちょんぱがなんぼのもんじゃい。もってけや」
ゼパル氏が自分で頭を持ち上げ、短い首をぐいっと伸ばして見せる。
キマイリス卿はまた腹を抱えて笑った。
「おっさん命知らずのバカだな。もう、最高だぜ。なあ、そうだろ」
返事を求められた傍聴席では、拍手と口笛、大喝采である。
後で聞いたことだが、ヘリオス騎士団の中では「馬鹿」とか「命知らず」は最高の誉め言葉であった。
そして、ほかならぬ「みんなの兄貴」たるキマイリス卿にそれを言わせたことで、傍聴席にいる騎士団のハートをわしづかみにしていたのだった。
ゼパル氏への好感度は爆上げだった。
どこからか、「へこきコール」と手拍子が沸き起こる
「屁、こ、き」「屁、こ、き」
裁判官がガンガン木槌の音をならしたが、それをかき消すほどの大合唱である。
ゼパル氏が、懐から派手な扇子を取り出し振り回し始めた。ぴょんぴょんと跳ねたり、卑猥に腰を動かしたりで、あおるものだから、さらに盛り上がった。
ビレト公爵側の弁護団は全員オレンジを拒否した。
準備が終わると、オルランド卿はゼパル氏に、どうぞ。手で促した。
重々しくうなづくと、ゼパルは踏ん張った。
ぷぉおおおおおおおおーん
断末魔の牛の悲鳴を思わせる面妖な音が響き渡った。
ゼパル氏の真っ赤なマントがはためき、砂嵐のような茶色の霧が広がった。
書記官の手元の蝋燭が勢い良く燃え上がった。
肥溜めに頭から突っ込まれたら、多分こんな感じだろうな。
マルバス伯は思いながら、鼻先のオレンジを強く握りしめた。オレンジの香りだけがしていたハンカチの中も、息を吸うのが嫌になるほどの不快な悪臭に満ちている。
だが、鼻先のオレンジを取ったら更なる地獄が待っているのは、目の前の原告側の惨状を見れば一目瞭然である。
全員、オレンジを拒否していたため、身もだえしながらげえげえ吐いている。
特に気の毒なのはホレイシオ卿である。
たかが屁など、なにほどのことも無いことを立証すべく、ゼパル氏のほぼ真後ろに立っていたため、直撃を受けたのだ。
オルランド卿がオレンジをホレイシオ卿の顔の前に置いた。ホレイシオ卿は弱弱しくそれを掴み、鼻に押し当てることはしたのだが、倒れたまま起き上がることができず、皮肉にも、その威力を立証してしまうことになった。
傍聴席では、その屁の音にどっと笑いが起きたが、臭いが広がるにつれ、その異様なまでの臭さにカオスになった。
臭いをかぐために前のほうにきていた面々は、鼻をつまみながら我先に後ろの席へ逃げ出し、そこにも臭いが迫ってくると、今度は出口へ殺到した。
あっと言う間に傍聴席には人がほとんどいなくなり、残った人たちの間でも、あちこちで臭い消しオレンジの奪い合いや、ゲロをしただのもらいゲロだのの小競り合いが起きていた。
ゼパル氏は、「ほいっほいっ」と掛け声をかけながら、両手に持った扇子を振り振り、くるくる回り踊っている。
何やってんだ、てめえ。くそ。無駄に扇いで空気を動かすんじゃねえよ。
と言いたかったが、マルバス伯は耐えた。
ティティヴィラス君もタープ君も、苦悶の表情で何とか耐えている。アリトン君は、さきほどからしゃくりあげ涙を流していた。
渋い顔でオルランド卿は、席から立ち上がると証言台の前に立った。
そして、息吸いたくねえといいたげな顔で、そろそろと顔の前のオレンジをずらし、宣言した。
「証人の最初の放屁により、ビレト公は身動きもままならず、そののちロウソクに引火して大爆発を起こした。このことでパシトーエ嬢の関与はなかったものとし、争点から外していただけますようお願いいたします」
マルバス伯は込み上げる吐き気に耐えつつ、周りを見た。
どこからも「異議あり」の声は上がらなかった。
えずく声。うめき声ばかりである。
現在内陣にいるホレイシオ卿が、発声すべきなのだが、あまりの臭さに倒れ伏している。
オルランド卿は口元にオレンジを押し当て、悪臭に耐えつつ、そろそろと息を吸い込んだ後、一息で言った。
「アスターテ慣習法第11条に基づき、錫杖をうたれたし」
本来、アスターテ慣習法11条は、片方が有効な反論をしないまま黙り込んでしまったときのためのものである。
錫杖が3かい打ち鳴らされる間に、相手方の神官のだれかが「異議あり」をとなえなくてはならない。でないと、この案件について申請した側の主張が通る。
ビレト公弁護団は全員、えずくばかりで、それどころではない様子だった。
錫杖係の廷吏が、顔をしかめながらそろそろと息を吸うと、オレンジを外し、叫んだ。
「異議無きときは沈黙をもって答えよ」
金属の輪がシャラーんとなった。
錫杖を鳴らし始めた時点においても、裁判官が止めることができたらしい。
だが、3人の裁判官たちはそれを知らなかったか、あるいは、全員そろって一刻も早くここから離れたかったのか、制止する声は上がらなかった。
錫杖は3回打ち鳴らされた。




