その慕わしき人の名は
施薬院の中では、よるとさわるとその「悪魔の薬裁判」の話題で持ち切りだった。
何しろ、ここに滞在しているのは被害者とその家族である。
それを見込んでか公判の日には、施薬院まで弁士がやってくる。
大食堂の一角のテーブルの上に立ち、おひねり頂戴の箱を前におき、終わったばかりの裁判の様子を事細かに伝えてくれる。
それを十重二十重に取り囲んで、皆で聞き入る。
施薬院長であるストロス師も、証人として出廷していたときの話を聞かせてくれたりするのだが、やはり話のプロである弁士の方が勢いがあって面白かった。
「さあ、今日の公判の舞台となるのはアスターテ神殿で一番広い大法廷。
知ってるかな?法廷は劇場みたいなものなんだ。
筋書きのない演劇が上演されるって意味でもさ。
だからさ、法廷も劇場みたいなすり鉢型になってて、真ん中が法廷で、あっち側に審判官とか陪審官とか、そういう偉い人が座るんだよ。
それで法廷をぐるっと取り囲むように傍聴席がある。馬の蹄みたいな形だよ。
こっちは俺らみたいな庶民でも入れるんだ。
しかし、今回は国中が注目の裁判だから、並ぶこと並ぶこと。
なにしろさ、ただでさえビフロンス公爵夫人がらみだよ。
公爵夫人って言えば、国王陛下のかわいこちゃん。ベリアル宮廷には国中から美女が集まってくるが、その中から選ばれた絶世の美女。しかも最高位の公爵夫人の称号をもらったってんだから、どんだけ別嬪かわかろうってもんだ。
そんな女がかかわってるんだから、毎回毎回、前代未聞の大行列。
今回はとうとう、あの大悪党アンドラズが来るってんで、大盛り上がり。
先頭の奴は三日前から泊まり込んでたって言うからね。すごいよ、ほんと。大行列。
裁判所の前から、後ろの方が西の市まで、ずらーっと列ができてたって言うからね。
たまげたね。いつもは気楽にさ、暇だから裁判でも聞きに行くかって感じなんだけど、今回は違う。おれっちみたいなガチなやつばかり。これが飯の種だから。必死で潜り込むわけよ。
食い物や飲み物売るやつが、稼ぎまくったらしいよ。ビスケットにクレープ、パンにワインにエール。オレンジなんかも売ってた。でも割高だよ。
皆さんも見に行くときは、弁当を持っていった方がいいよ。
俺なんか前の日の晩から並び始めたけれど、それでも立見席だからね。
弁士生活長いけれども、こんなの初めてっすよ。マジで。
「そして、おまちかね。今日の法廷が始まった。
まずは弁護側。ガミジン卿が登場。
対するは検察側、我らが正義の騎士ヴァレフォール家の二人組のお出ましだ。
「ロバの顔に獅子の心」の家訓を胸に刻んだオスカーとオルランド。
おとぼけ顔で心は熱いぜ。誰が呼んだかダブル・オー。
正義の女神アスターテの使徒。天秤の守り手だ」
聴衆から、拍手と歓声が上がる。
「いよっ待ってました」
「よしいけヴァレフォール」
目の前にその光景が見えるような気がする。
みんな話を聞くうちに、すっかりダブルOのファンになっている。
人気はオスカーさんが上だ。その容姿もさることながら、華麗な演説ぶりから『即興詩人』の異名を持っていて、彼を目当てに傍聴に来る熱心な女性ファンもいるらしい。
でも、私はオルランドさんファンだわ。ロザリンドは決めている。
あの日、ロザリンドに語り掛けて、運命を変えてくれた人の名は、
オルランド・ヴァレフォール。
ちょっとぼさぼさの黒い髪に黒い目。そして背が高くて、素敵な声で。
あだ名は『石頭』なのだそうだ。
「そして引っ張り出されて出てきたアンドラズ。
こいつがにやけた優男でね。
宮廷で御婦人方を次々に毒牙にかけて、薬を売りさばいて金をまき上げていた、とんでもないクソ野郎なんだ。
今日の担当はオルランド。烈火のごとく激しい質問を浴びせかける。
手下どもは洗いざらいはいているんだ。お前も素直にはいたらどうだ
さあ、薬作りの道具は何処に隠したんだ?今までに作った薬は何処へ隠した」
ところが、ところが。アンドラズはふてえやろうで、一向に悪事を白状いたしません。
何を聞かれても、ずっと呆けたニヤニヤ笑いでね。バカにしてやがるんだよ。
今まで作った大量の薬の在処も白状しません。
しかし状況を考えるに犯人はこいつしかありえません。
オリアクス衛兵隊長や、捕まえた隊員さんや、次々と証言する。
こいつが首班です。
売りさばいていたやつらも、次々証言する。
こいつが売れって言いました。
被害を受けた方々も、次々証言する。
こいつがすすめてきました。
特に、オルランドさんは婚約者を薬がもとで亡くしてる。
愛らしいオフェリア嬢は、グラシャ公爵夫人の侍女をしていた。
しかし悪女ビフロンス公爵夫人と知り合ったがために、人生を転げ落ちてしまったのだ。
そろそろ宮廷を退いて結婚式をしようって時に、この悲劇だ。
そうなんだ。弔い合戦というやつさ。
聞くも涙、語るも涙。愛した乙女の敵討ちだ。
オルランドさんは辛抱強く質問を続けるが、このアンドラズ、ふてえ野郎で口を割らねえんだよ。
ずーっとニヤニヤしてさ。なにも答えねえ。
それまで、何にも聞き漏らすまいと静かにしていた傍聴席でも、だんだんざわざわしてきて、
しまいにゃあ怒号の嵐だ。バカにしやがって。なめんじゃねえ。殴れ、蹴れ。
俺もいらいらしてきてさ、思わず叫んだね。
おい、そいつをこっちによこせ。
ぼこぼこにして洗いざらい吐かせてやる。ってな」
それで?それでどうなったの?
ロザリンドは泣きそうになりながら、隣にいる兄の手を握りしめた。
話を聞き終えて、ロザリンドは兄と連れ立って食堂を出た。
ロザリンドは涙が止まらなかった。
「泣いているのか」
「ええ。だって、オルランドさん、おかわいそうなんですもの」
「おやおや。恋する乙女だね」
「そんなんじゃないわ。だって、私たちのために戦ってくださっているのだもの。応援したくなるのは当然だわ」
「だが、恋敵は多いぞ。ヴァレフォールといえば名門だからね」
「恋じゃありません」
「そうか。じゃあヴァレフォール家について聞きたくないんだな」
「どうして、兄さまは、どうしてそう意地悪なの」
軽くたたくと、ギャニミードは笑いながら壁にもたれ、そのまま座り込んだ。
まだまだ体力が戻ってきていない兄は、すこし長い距離をあるいたり階段を上っただけで息が切れてしまう。
「少し休ませてくれ。そうしたら、ヴァレフォール家について話してやるよ」
ロザリンドは兄の隣にしゃがみこんだ。