図書館 車寄せ
マモン神殿から図書館に行き、判例を写した。本当はこの判例をまとめるところまで教わりたかったが、時間がない。自分たちで何とかするしかない。
3人が外に出た時にはもう日が傾いていた。
施薬院行きの駅馬車は日暮れ前には出てしまう。
急いで図書館の駐車場に止めておいたアリトン君の馬車のところにいくと、突然に、見知らぬ子供が何人か駆け寄ってきてギャニミードをとり囲んだ。
「おにいさん。これプレゼント。お代は今度でいいってさ」
「黄色い鬚の青帽子からだって」
「またご贔屓にっていってた」
なれなれしい不気味な子供たちはギャニミードに小さな袋を押し付けた。
ロザリンドは割って入った。
「なんなの、あなたたち」
子供たちは、ロザリンドをバカにするように、舌を出したあと駆け去っていった。
「不気味な子たちだこと。その袋なにかしら」
袋に伸ばしたロザリンドの手は邪険に払いのけられた。
かすかに、腐った果物のような、甘ったるい臭いがした。
兄の部屋中に立ち込めていた煙の臭い。
これは、「悪魔の薬」の匂いだ。兄を破滅させた悪夢の匂い。
「お兄様」
ギャニミードは何も答えず、その袋をそそくさと服の中にしまい込もうとしている。
ロザリンドは、ギャニミードの手に飛びついた。
服から引き出すことはできたが、ギャニミードはしっかり握りしめたまま手を開こうとはしなかった。
ギャニミードの顔を見ると形相が変わっていた。
目をらんらんと輝かせ、口元はだらしなく歪んでいる。
「僕のだ僕のだ僕のだ」
ひたすらブツブツとなえたる兄の耳元で、ロザリンドは叫び続けた。
「手を放して。ギャニミード。これは悪魔の薬よ」
アリトン君もギャニミードの異様な様子に気が付き、腕をつかんで加勢してくれた。
「ギャニミード。それを渡したまえ」
「僕のだ僕のだ僕のだ僕の」
「お兄様、それを渡して。お願いだから」
たちなおりかけていたのに、今日一日頼り甲斐のあるお兄様だったのに、薬に触れたら一瞬で・・・・・・・。ロザリンドは悔しくて、涙がこぼれた。
ロザリンドは力の限り兄の頬を平手打ちした。
兄は初めてハッとしたように、ロザリンドを見て、握りしめていた袋から手を放した。
すかさずアリトン君が奪い取ると、馬に飛び乗った。
「これは衛兵詰所に届けてくる。二人は馬車のそばで待っていてくれ」
しばらく呆けたようにアリトン君を見送っていた兄は急にガタガタ震え始めた。
その場に持ってきた袋の中から、煙薬を吸うための筒を取り出した。
先のところに薬の粉を入れると、ふるえるてで火打石をうとうとしていたが、はたせず、見かねたロザリンドが数回やってみて、やっと薬に火が付いた。
ギャニミードは、もたれた壁に背中を滑らせながら、その場にしゃがみこんだ。
そして時折咳き込みながら煙を深く吸い込み、吐いた。
何と声をかけていいかわからず、ロザリンドはただその様子を見ていた。
何度かそうして煙を吐いた後、ギャニミードは言った。
「僕を軽蔑しているかい?そうだな。当たり前だ。さっき僕はあの薬を吸うこと以外何も考えられなくなった。お前が目の前にいるというのにね。自分でも嫌になる」
ギャニミードの目には涙があふれ、やがて頬をつたい、したたり落ちた。
「僕も、つらい。どうしようもないんだ。喉が渇いているのに、目の前で水を飲むのを邪魔されているような。眠りたいのにねむらせてもらえないような・・・・・・辛い。苦しい」
掠れた声でいいながら、しゃくりあげる。
ロザリンドはおずおずと兄に近づき、傍らに膝をつくと、その体に腕をまわした。
「軽蔑なんかしないわ。でも怖かった。ちょっと前のお兄様に戻ったみたいだった。私が耳元でいくら叫んでも、まったく話を聞いてくれなかったときのお兄様に」
兄は答えなかった。ひっきりなしに煙の筒を口に運んでいる。薬を吸わないではいられないのだ。
「もう大丈夫。お兄様はあの薬を断れたのだもの。だからもう大丈夫よ」
ロザリンドは兄を抱きしめながら、自らにいいきかせるように繰り返した。
アリトン君が戻ってきた。そのまま、馬を馬車につなぎかえ、施薬院行きの乗合馬車のつく辻まで送っていった。
幸い夕方の便に間に合った。
薬を売りつけようとする子供たちは現れなかった。
「ストロス師に次の休みには、行きますってお伝えしておいて。また、請求書を書くの手伝いますって」
「ああ、つたえておくよ」
ロザリンドはギャニミードの乗った馬車が小さくなるまで見送った




