施薬院
施薬院があるのは、首都ナーダから馬車で半日ほどかかるリピタ城と呼ばれている建物のなかだ。
重厚な石作りの城門入り口には二旒の旗が飾られている。
一旒はペガサスと森。
こちらは王弟セーレ公爵殿下の旗。ご自身も医学をおさめられたという殿下はこの、悪魔の薬のまん延に心を痛められ、施薬院の創設に乗り出されたそうである。
一旒はボレアス・リピタ。(北風神の扇)
この館は、もとはミダス6世陛下の側室であったエギュン公爵夫人に下賜されたもの。
当代のエギュン公爵様のご厚意で、こちらの建物を使わせていただいているとか。
いまでは百人ほどの患者とその家族、医師と看護人たちが暮らしていて、一つの町のようになっている。
ここが、これから暮らす場所。
ロザリンドは馬車から身を乗り出すように外を見ていたが、母の叱責が飛んできた。
「ロザリンド。そんなみっともない頭をさらすんじゃありません。中にいなさい」
母にたしなめられ、ロザリンドはしぶしぶ頭を引っ込めたが、母はなおもぶつぶつ文句を言った。
「なんてことをするのかしら。髪を切ってしまうなんて。しかもそんなに短く。なんてみっともない」
ロザリンドは首をすくめた。
施薬院までの馬車の費用と、予約金が必要だった。
家にお金があるとは思えなかったので、ロザリンドはその足で市場で頭髪を商うという店をさがして駆け込んだ。そして、膝の裏くらいにまで達していた髪を売った。
ジャキッジャキッっと音を立てて、髪が切られていくと、頭だけじゃなくて、心も軽くなっていた。
髪の毛を切られる間、ロザリンドはずっと微笑んでいたそうだ。
「あんた、変わってるねえ。こういう時は泣く子が多いのに」
髪買いのマダムは言っていたっけ。
夕方、家についてロザリンドの髪を見た母は怪鳥のような声でしばらく叫んでいた。
髪を切った後悔はみじんも感じなかった。
ただただ泣いて運命を嘆くよりも、自分にできることをした方がずっといい。
そう気づかせてくれたのは、あの時演説していた人だ。ヴァレフォールさん。
あのとき、あの人の声を聞いて、私は生まれ変わったのだとおもう。
だって、そうでもなければ、物心ついたころからずっと伸ばしてきた髪を切ってしまうなんて大胆なことができるわけがない。
あの日、ロザリンドが縋りついて助けを求めた老人こそ、ここ施薬院の院長であるストロス医師だった。次の日に颯爽と荷馬車2台を指揮して現れ、家族3人を施薬院に運んでくれた。そして、ロザリンドの髪を見て、すまながってくれた。
「出世払いでよかったのにのう」
だが、施薬院での治療や薬代、入院費などはとても高額で、ロザリンドの髪の毛ごときではひと月分すらも賄えなかった。出世払いでいいと言ってもらったので、その言葉に甘える予定である。
ロザリンドたちは施薬院の一室に住まわせてもらえることになった。




