事物の原因を認識し得た者は幸いである 3
「テレサ・パシトーエ嬢は本当に、王妃様に忠実な侍女なんだ。
国王陛下に対するよりも、優先順位が上。
それゆえに煙たがられていた。普通の侍女なら陛下の権力で宮廷追放ができるが、彼女は『エイラの侍女』だ。王妃様ご自身が命じない限り、付き従う権利がある。
彼女は、バルカ提督の婚約者としてカルタゴ使節団と共に行くこともできた。
だが、ベリアル王国にとどまった。
ご懐妊中の王妃様のおそばを離れるわけにはいかないと言ってね。ご出産を見届けたのち退出してカルタゴへ向かうという心づもりだったはずだ。だが王妃様は体調を崩されたため、そうはいかなくなった」
「王妃様は悪魔の薬のせいでお倒れになったのでしたな」
お子様は御無事とのことだったが、それからは何の発表もない。そういえば産み月はとうに過ぎているはずだ。
「そうだ。だが、実際に薬を盛ったのは、ビフロンス公爵夫人ではない。
本当の下手人は国王陛下だ」
「まさか、そんなことは」
「悪魔の薬裁判で調査した時に、誰一人口に出さなかったかい?宮廷では公然の秘密だよ。だが言ったら間違いなく自分の首が飛ぶから、誰一人言わなかっただけだ」
宮廷の闇は深い。オルランドは苦く思った。
「宮廷では『悪魔の薬』は媚薬として使われていた。陛下御自身もご愛用者。どうやら王妃様と久しぶりに夫婦の営みをこころみようとしたらしい。
あるいは、何かの余興のつもりだったのか。
陛下は、王妃様主催の「詩を読む会」の集まりの最中に、取り巻きを引き連れてやってきた。例のクローケルと親衛隊の面々だ。そいつらが王妃様のそばからパシトーエ嬢を引き離しているうちに、陛下は服の中から薬をとりだし、匙ですくって、王妃様の口に無理やり押し込んだ。
そのとたん王妃様は体調を崩し、その場にお倒れになった。
自分のしでかしたことに気が付いた、陛下はそそくさと、その場から逃げだそうとしたらしい。
それを引き留めたのはテレサ・パシトーエ嬢だ」
「勇気のある方ですな」
「ああ。その場の皆で忖度して何事も無かったようにもみ消して、王妃様が不注意で転んだだけという発表になる可能性もあった。だが、彼女が陛下を引き取めた。そして、原因は陛下がお持ちの薬であると主張した。
「取り巻きの奴らに「国王陛下に無礼だろう」「見間違いだろう」とすごまれても、一歩も引かなかった。そのあと、ビフロンス公爵夫人の仕業にしようと口裏を合わせるよう言われても、彼女は突っぱねた。
『悪魔の薬』裁判の供述証書に、彼女の名前はないはずだ」
「ええ、ありませんでした」
「勇気のある人だ」
ふとマルバス伯のほうを見たセーレ公が、何かに気が付いたように突然立ち上がったので、オルランドもあたふたしながら立ち上がった。
王族に対しての当然の礼儀である。
しかし話の途中なのだが、と戸惑っているオルランドに、セーレ公は手をひらひらさせた。
「座ったままでいいよ」
よくみると向かい側にいたマルバス伯は頬杖をついたまま眠っていた。道理で話に入ってこないはずだ。
セーレ公は隣の椅子の背もたれにかけてあった、ひざ掛け毛布を家臣の肩にかけると、何事もなかったかのように席にもどり話を続けた。
「というわけで、パシトーエ嬢は、バルカ提督を射止めたということで、ただでさえ宮廷中の妬みの的になって、ラグネルだのなんだの、ひどい綽名がつけられているところへ、「こちらの思い通りにならない、気に食わない」という逆恨みみたいな反感が加わった。
国王陛下と、その取り巻きどもの間では彼女を攻撃できるものなら、なんであれ大歓迎するような雰囲気が出来上がっていた。
そこにこのビレト公の事件だ。
すべてのいわれなき悪意が、パシトーエ嬢一人に集中するという事態になってしまった。
もともと僕の方に攻撃が来るように、あおってきた結果がこれだからね、策士、策におぼれる。僕としても、少なからぬ責任を感じているんだ。
あんないい人が、これ以上不当なつらい目に会うなんて、やりきれないよ」
セーレ公は顔をごしごしこすり、大きくため息をついたのち、オルランドに問いかけた。
「この事件の全体像は見えてきたかい」
「ええ。おぼろげではありますが」
オルランドは、おのれの理解したところを述べた。
「バルカ提督はジポング航海を計画していたため、ジポング海図に興味を持っていた。
パシトーエ嬢の後見人であるロノウェは東洋文学の研究をしていた。
その縁でパシトーエ嬢とバルカ提督は出会い、ごく短期間で恋に落ち、婚約に至った。
リチャード・ビレト公はこれらの散らばった事実を捻じ曲げて、自分に都合よく構成し直し、そのど真ん中に無かったはずの「ジポング海図」を紛れ込ませてストーリーを作り上げた。
そして、実によくできていたものだから、世間をだますことに成功してしまった」
「そのとおり。存在しないものは盗むわけにはいかない。完璧な濡れ衣なんだよ」
「たしかに、私自身、ビレト公のストーリーに大筋では納得しておりました。ジポング海図の存在を疑おうとは思いませんでした」
「そうだろう。忌々しいことに、リチャード・ビレトは自らの死によって、この与太話を完成させてしまった。
葬儀は盛大に行われ、ジポング到達の英雄として葬られた。
どこまでも悪運の強い男だ。まったくもって忌々しい」
セーレ公爵は怒りが収まらない、とばかりに、しばらく口の中で罵倒語をつぶやき、肩をまわし、大きくため息をついたのち言った。
「このまま裁判が始まったら、どうなる?」
「難しいですな。ご夫君のバルカ提督に出廷して証言していただければ、少しは」
「残念ながら、軍務により遠方におられる。他国の軍務情報だから、はっきりとはしていないが、どうやらハチリア王国で継承争いが起きていて、カルタゴは仲裁に乗り出したらしい。その使節団の護衛だから、決着がつくまで離れられない。すくなくとも、この冬はあちらで冬越しになるだろう」
「となると、すくなくとも3か月はかかる。なるほど」
オルランドは慎重に答えた。
「延々と水掛け論に泥仕合が続くことになりましょう」
「これだけ証拠があってもかい」
「ええ。何かが無かったことを証明するのは、大変困難です。
probatio diabolica悪魔の証明というやつですね」
本来はEi incumbit probation qua dicit, non qui negat
証明は主張する者にあり、否定する者になし。
しかし、彼らはパシトーエ嬢がバルカ提督と婚約した理由こそが、ジポング海図が存在した証拠であると主張しています。残念ながら、これは分かりやすい構図です。
裁判というのは、陪審員を納得させた側が勝つ。
海図は燃えてしまったから証拠は出せないが、多くの証言者が存在したと断言するでしょう」
「ああ。口裏合わせてくるだろうな」
「対して、パシトーエ嬢の方は、バルカ提督を引き付けた彼女の魅力を証明しなくてはならない。その美貌?知性?気立ての良さ?何を証明しようと相手が認めるとは思えない」
「海図か魅力か」
「ええ。韻を踏んでいますな」
「そうだな。人が人に引き付けられる理由というのは、説明も証明もしにくい」
セーレ公の言葉には実感がこもっていた。コカトリス卿に聞いていた王妃様への恋について、聞いてみたい誘惑にかられたが、オルランドは自重した。
「ただでさえ裁判はつらいものです。個人的な事情を見知らぬ大勢の前に晒さなくてはならない。
法廷では古語で話すしきたりで、それ以外のことは記録に残りませんが、裏を返せば、どんなヤジもありです。
そのうえ世間はビレト公爵の言い分を信じている。そして父の弔い合戦というのは、同情を集めるものです。
パシトーエ嬢はいわれなき中傷に晒されることになるでしょう。とくに、一夜を共にしながら結婚の完成がなかったという事実について、あれこれと」
セーレ公はうんざりした顔でうなづき、先を促した。
「それに、「ジポング海図」が存在しなかったことを証明せねばなりませんが、それを主張することは、国号を否定することにつながります。王室不敬罪や、国家反逆罪に問われる可能性も否定できない」
「それで?」
「私見ですが、パシトーエ嬢の身の安全確保を最優先に。できれば裁判をしない方が望ましいと思います。
相手にある程度の譲歩をする。パシトーエ嬢の名誉を一部犠牲にする、というのも選択肢に入れておいていただきたい」
セーレ公は仕方ないと言いたげにうなづいた。
「なんとかパシトーエ嬢の負担が少ないように取り計らって欲しい。
ジポング海図をもっていたと勘違いをしていても、バルカ提督は怒らないと思うよ。彼女を大切に思っているからね」
「それはよかった」
「そこらへんのことは君が判断してくれ。
そちらのエルンスト・マルバス伯は正直すぎて、駆け引きができない。
なにしろ、真実を明らかにすれば、正義は必ず勝つと信じている幸せな男なんだ。
このあいだも、なんかのセリフを引用していた。
『潔白な心ほど堅固な胸当てはない』とか、『正義を奉じて戦うものは三重のよろいを身につけているも同然』とかさ」
「殿下は信じておられないわけですか」
「ああ。正義は人の数だけある。現状を見ていればわかるだろう。人は見たいものしか見ないし、信じたいことしか信じない。セバスチャン・ビレト公爵は父の偉業を信じて疑わないし、おのれこそ正義だと思っている」
「たしかに」
「こちらの思う常識は通用しない。ルール無用の奴らに勝利するためには、それなりの対抗策を講じないとね」
「その辺はご心配なく。私は面の皮も心臓もなかなか頑丈にできております」
「ロバの顔、獅子の心、だね。期待しているよ」
いまだ頬杖をついたまま眠っているマルバス伯に目をやって、セーレ公は茶目っ気たっぷりに付け加えた。
「ただ、マルバス伯には気をつけろ。悪巧みをしていると、すぐに察して実に恨めし気な目でこちらを見てくるんだ。やりにくくて仕方がないよ」




