事物の原因を認識し得た者は幸いである
マルバス伯が咳払いをした。
「いけませんよ。殿下。そういう軽々しい仰りようは、せっかく加勢してくださる人に対して・・・・・・」
このマルバス伯という人は、おそらく守役として長年仕えているのだろう。
オルランドより少し年上だろうから30歳かそこらだと思うが、何となく老成した雰囲気で説教口調が板についている。
対するセーレ公は、生意気盛りの息子といった感じで、また叱られたと言いたげに、ひょいと肩をすくめただけだった。
「それで、僕のところにある書類だけど」
オルランドにそう話しかけながら、セーレ公爵は無造作に仮面を外した。
オルランドは一瞬、その下から自分には見てはならぬ禍々しいものが現れるような気がして、身を固くした。
ロウソクの明かりの中に晒されたのは、あたりまえだが人の顔だった。
セーレ公はオルランドの一瞬の動揺を面白がるように、くすっと笑った。
オルランドのためにコカトリス卿が描いて見せたセーレ公の像は、騎士道精神にあふれた清廉潔白で高貴な青年王族の姿だった。
数か月前まで居城に閉じこもりきりだったという情報も合わせて、内気で繊細な青年像をイメージしていたのだが、そんなイメージに収まる男ではない。
そうとうの曲者だ。
今、セーレ公爵は仮面を外し、オルランドに親し気な笑顔をむけている。
だが、これで素顔が見えたという感じはしなかった。それは、仮面があってもなくても、見せたいものしか見せない自信の表れのように感じられた。
たとえ殺してやりたいほど憎んでいる男に対しても、同じように無邪気な笑顔を作って向けることができるだろう。明るい緑の瞳の奥にあるものを誰にも見せることはない。
喜怒哀楽をすべて封じ込めた権力者の瞳だ。
オルランドの思いを知ってか知らずにか、セーレ公は淡々と説明を続けた。
「資料は3種類ある。これらはあとで渡すから、自分で確認してほしい。これらを総合すると、浮かび上がってくる事実がある。それは」
セーレ公につられて、オルランドも身を乗り出した。
「ビレト公爵はジポングへ行っていない、ということだ」
「それは一体」
「言った通りの意味さ。ビレト公爵のジポング航海は単なる与太話。ジポングの海図は存在しない。フォカロル神殿に奉納されて、ジポング王の称号のもとになっている海図はでっち上げだ。いくつかの丸が書かれただけの杜撰なものだった。君も見れるとよかったのだが、どうやら燃えたらしい。というか、そのためにあの爆発を起こしたのではないかな。あの場に本物のジポング海図が存在しなかったことを証明することは不可能だからね」
オルランドは意外な話に目を丸くしたまま、額に手を当てた。
それは予測したことがなかった。
テレサ・パシトーエ嬢がジポング海図を盗んだという噂は、あちこちがアラだらけで気になったものの、それは盗んだ犯人や動機についての事実と違うところがあるだろうとかんがえただけだ。
ジポング海図の存在そのものに疑問を持ったことなど一度もなかった。
事物の原因を認識し得た者は幸いである
Felix qui potuit rerum cognoscere causas.
向かいに座るマルバス伯が深くうなづいた。
「信じられないって顔ですね。ヴァレフォール卿。わかりますよ。私もそうでした。バルカ提督に直々にお話を伺うまでは、とても信じられなかった」
セーレ公がぐるっと首をまわした。
「聞いたかい?ヴァレフォール卿。僕が話したときは信じようとはしなかったんだよ。主君のいうことを信じないなんて、ひどいと思わないか?家臣失格だよ」
マルバス伯もすかさず応戦した。
「信用の問題です。殿下には何度騙されてきたことか。本当にもう・・・・」
マルバス伯は眉間のしわをつまんだ。
見るからに人のよさそうなマルバス伯が、年若な主君に散々振り回されてきたことが察せられる。オルランドは思わず笑いをこらえた。
「書類の内二つは、バルカ提督からお預かりしたものだ。どちらも写しだ。
セーレ公は人差し指を立てた。
「一つはジョアン・ハーゲンティ伯爵の航海日誌。
地中海をめぐっていたという、その日付は、リチャード・ビレト公爵の艦隊がジポングへ行っていたはずの期間とぴったり一致する。バルカ提督は寄港したところすべてに確認のための書類を請求なさっている。それが届けば、事態はさらにはっきりするだろう」
「なるほど」
「二つ目はラダマントの国際海事裁判所の訴状だ。
原告はカルタゴ海軍のヴァス=シェロー提督。
リチャード・ビレト公爵を『自らの乗客ジョアン・ハッセから商品を盗んだ』として訴え出ている。
このジョアン・ハッセというのは貿易商人で、東洋の品々を買い付けていたらしい。そのときはジポングゆかりのものを大量に仕入れていたのだそうだ。君はたしか、この裁判所に勤めていたんだっけ」
「そうです。しかしそんな書類が存在するなど、思いもしませんでした。それで、裁判はどうなったのです」
「行われなかった。ちょうど第12次ポエニ戦争が起きたから、原告のヴァス=シェロー提督は戦地へ赴かねばならなかったため保留。
そして、そのまま戦死なさった。
その後、ジョアン・ハッセは、もう一度この裁判を始めようとした。
後見人となったのがラダマンドの貴族ロデー伯爵ジョアン・コルネリウス・パシトーエ。
テレサ嬢の父上だ。彼は東洋の書物や品物のコレクターだった。所有権はすでにロデー伯爵に移っているので、品物すべてを引き渡すことを求めていた。
が、一月ほど後に取り下げている。どうも、圧力がかかったらしい。
ビレト公爵本人か、あるいはラダマンド王室からかもしれない。
ちょうどラダマンド王女のお輿入れが近かったからね。王太子の伯父にあたる人のスキャンダルは歓迎されなかったろうし、ベリアルでは「冒険者」だの「英雄」だのと持ち上げられている人間を訴えて、ベリアルの国民感情を逆なでしたくはなかったのだろう。」
「ははあ」
「まあ、資料を読んだ限りで推理すると、どうやらビレト公爵は一年ほど地中海で遊びまわっていたらしい。
そしてハーゲンティ伯爵の船で帰国の途についていた。
帰りに立ち寄ったカルタゴ領の島ヴァスシェローで、商人とであう。
ビレト公は彼の荷物をすべて盗み、ついでにジポングに行ったことにしようと、ハッタリかました。
ところが、予想以上にことがうまく運んだ。
かくして、ジポング到達の英雄ビレト公爵閣下の誕生だ」
「当時の宮廷の人たちは疑問にもたなかったのでしょうかね」
「それでなくとも宮廷では、強者の利益が、すなわち正義ってやつだ。皆がトラシュマコスになってしまう」
「その手の正義はソクラテスに一番に論駁されたはずですがね」
「ところがどっこい。今も昔も大人気だ。
「ビレト公爵閣下といえば、ただでさえ、王妃の兄にして、王太子の伯父だ。
わざわざ機嫌を損ねるような真似は誰もしない。おべっか使いたちが勝手に話を補強していき、争って武勇伝をでっちあげる。
それでなくとも、ビレト公は口から先に生まれてきたような男で宮廷の駆け引きに異様に長けている。まあ目先の利益しか見えていないというのもあるだろうがね。
「それだけじゃない。ビレト公は、ごたごたの間に自分のついた嘘を本当にするために、ありとあらゆる手を打った」
「例えば?」
「まず領有の証としてジポングの海図を作成し、門外不出とした。フォカロル神殿に奉納はするが、決して見せてはいけない」
「そしてミダスの立太子式の宴の際に、先国王ミダス7世陛下にジポングを献上した。
もちろん先王陛下ミダス7世は受け取る。
ベリアル王の王号にジポングの王というものが付け加えられた。
そして、その功によりビレト公爵には筆頭公爵家の名誉と海軍大臣の位を授けられる。宮廷の一大勢力の筆頭に躍り出たわけだ。
この弊害は計り知れない。これにより事実の確認が困難になった。
ジポングに行ったかどうかの確認をしたいだけなのに、国王陛下の称号に疑いを持つことにつながってしまう、不遜なこととなってしまった。
そして、ジポングに行こうとする冒険者たちの話を聞きつけては、計画をつぶして回っていたらしい。
そうして、いつまでもごまかし続けるつもりだったんだろうな。




