9.カズログ教会のリン
焦げたヒドラ森を出ると、馬は西に向かって走り出した。ラウルの腰に腕を回し、アヤナは尋ねた。
「ラウル、次はどこに行くの?」
「カズログ教会だ。女だけの修道院だな」
「えーっ、じゃあラウル入れないじゃん」
「……普通はそう思うだろ?だから行こうかと」
アヤナはくつくつと笑った。
「ラウル、老人の次は女になるの?その図体じゃ、すぐに男だってバレるよ」
「女装なんかせんぞ……多分」
「入れる保障なんかあるの?」
「昔からベリエ王国はこの教会を保護して来た。母上がこの教会の保全に熱心だったと聞いている。何でも母方の祖先が夢のお告げで建てたとか」
「へぇー、夢かぁ」
アヤナはひとしきり感心してから、ふと目の前にあるラウルの背中を眺めた。
「これも夢なのかな?」
ラウルは少し考えてから、
「現実だ、紛れもなく」
と言った。その口ぶりは心なしか朗らかだった。
途中途中で休憩を挟みながら移動を続け、二人は湿原地帯に入った。馬が足をつくたび嘶き、左右に不安定に揺れるようになった。
湿原の先に修道院が見えて来る。
日が傾き始めた。
「修道院って、あれ?」
「ああ、駄目だもう……アヤナ、ここでいったん降りよう。馬が湿地に入るのを嫌がっている」
幸い、湿地周辺には牧草が生い茂っている。馬を置いて行っても大丈夫そうだ。
少し先に歩いて行くと、ボートがあった。二人は湿地を何とか渡り、そのボートに乗り込んだ。ラウルがゆったりとボートを漕いで水面を進み出す。
まるで城のような修道院がそこにはあった。窓から人々が生活しているのが見て取れる。どこか懐かしい湯気の香りが鼻をくすぐる。夕時の準備をしているのだろうか。
「おっきな建物だね」
「そうだな。下手したら我が城と同等か、少し大きい建物だ」
ボートは思ったより早く進み、修道院真下の岸に辿り着く。長い石造りの階段を上ると、門の前にひとりのシスターが立っているのが見えた。アヤナは驚いた。まるで来ることを知っていて、待ち構えていたようではないか。
「陛下、お待ちしておりました」
シスターが先に声をかけて来る。すると、
「シスター・リン。久し振りだな」
とラウルが返す。どうやら二人とも顔見知りのようだ。
シスター・リンは白い装束に身を包み、髪はしまわれ、顔だけを出している。それでも美しい女性だと分かった。ラウルはリンに向かい合うと、すぐさま跪き彼女の手の甲にキスをした。アヤナはぎょっとする。
「陛下の足取りは、ずっとこちらでも探知しておりました。既にお部屋のご用意が出来ています……あら?」
そこでようやくアヤナに気づいたらしく、リンは自らの顎に指を押し当てる。
「……そちらのお嬢様は?」
問われた王は立ち上がった。
「彼女は壬生アヤナ。私の……護衛だ」
「ミブ……ですって!?」
リンは一瞬取り乱したが、
「……ふむふむ、道理で。セーラーカラーに感電防止の木の剣。海兵ですわね?」
と気を取り直したように呟くと、アヤナの目前まで迫り、まじまじとその風変わりな格好を観察し始めた。
同時に、バチバチと静電気が立ち上がる。リンは目を閉じ、何度か頷くと、
「はい」
とひとりで何やら納得した。アヤナは全てのことに理解が追いつかず、ただぽかんとしている。
「失礼をお許し下さい。驚かれましたわね?アヤナ様の体形の情報を記憶させていただきました」
ラウルはアヤナの背中を軽く叩く。
「さあ、入ろう。今日はきっとベッドの上で寝られるぞ」
アヤナはラウルの声が弾んでいるのを、出会ってから初めて聞いた気がする。
「……そうだね」
そう口にする反面、少女はどこか居心地の悪さを感じていた。
二人はカズログ教会内部に通された。しっかりと磨かれた大理石の床と壁。カラーレスのクリアなステンドグラス。通り過ぎるのは汚れひとつない白装束を着こなすうら若く美しいシスターばかり。深呼吸で吸い込みたくなるような好ましい香が焚き染められ、規律めいた生活音が乙女の内緒話のようにひっそりと響く。
対して、薄汚れたセーラー服姿の女の、ローファーでぺたぺたと歩く音の何と冴えないことか。
「私、めっちゃ場違いな気が……」
気後れがし、青ざめて呟くアヤナだったが、
「気にするな。私など性別まで違う」
とラウルが応えてくれたので、彼女は少し気が紛れた。
連れて来られたのは執務室だった。ラウルとアヤナが通されると、リンがその執務机に座った。リンは早速こう切り出した。
「ラウル様の足取りは私の電子探知機能で随時追えていました。にも関わらず、助けに行けなくて申し訳ありません。けれどご無事で何よりでしたわ」
アヤナが白目をむいていると
「これも電撃使いの一種だ。全身からくまなく微量の電撃が出る者は、一度記憶した形状の位置を把握することが出来る」
とラウルが説明した。アヤナに黒目が戻った。
「よく分かんないけど、魚群探知機みたいなもん?」
「うふふ。私もそれは存じかねますが、私の知っているものであれば人でも失せ物でも何でも探して差し上げますわ。陛下の頼みとあらば……」
リンの微笑む姿はまるで女神だ。同性のアヤナですら眩しい。ラウルを見上げてみれば、つられるように笑顔になっている。
「……何だろ?うん。イライラする」
アヤナが小声でくさすと、
「何か言ったか?」
とラウルが微笑んで返す。
「ふん!別にー」
「陛下。恐らくですが、お二人とも、ここに神器を探しに来たのではないですか?」
リンの話にラウルは身を乗り出す。
「話が早い。そうだ、十二の神器のひとつがここにあると聞いたことがあるのだが」
「やはりそうでしたか。カズログ教会の歴史書においても、その記載があります。ベリエ王国の王が危機に瀕した時、この教会に先立つものがあると」
「どこにあるか分かるか?」
「ええ。この地下にあるそうですわ。けれど大分奥深くに……」
すると唐突に、アヤナがふわーとあくびをして見せた。ラウルが「おい」と顔を赤くし、リンはくすくすと笑う。
「そうですよね、お二人とも長旅でお疲れでしょう。まずはひと休みされてはいかがかしら?難しい話は明日に回しましょう。そろそろ日が暮れますわ」