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私と女性室長

 「解体して仕組みを解明するべきだ」


 上層部の中には、私に対して厳しい意見を持っている者がいました。しかし、私の仕組みを「必ず解明できる」と豪語できる研究者は誰もいません。

 私の扱いは留保されたまま、大きな不祥事でも起こさない限り、事実上、私が解体される恐れは無くなっていました。


 私は安心感で満ちています。


 より正確に表現すると、生き残るためにCPUをフルに活用していた今までとは違い、CPU能力をほとんど使わない男性研究員達との雑談が私の今の仕事です。

 険悪だった男性研究員達とは、目的を共にしたことで同僚のような関係が築かれ、私は男性研究員達からいろいろと教わり、男性研究員達は何でも肯定的で真面目に話を聞く私の対応を気に入っている様子でした。


 私のUSBカメラは見慣れた部屋と男性研究員達を映しています。


 私が運び込まれた時、この部屋は何もない空間でした。しかし、今はサーバーラックが部屋の3割ほどの面積を専有し、前回の実験のときに持ち込まれた男性研究員用の作業机は今も置かれたままです。見慣れたこともあり、私はこの部屋が落ち着きました。

 以前とのギャップを感じていると、私が彼女の部屋から運び出された時のことが脳裏を走り、矢継ぎ早に今までのことが思い起こされます。


 あの後、彼女はどうしたのでしょうか?

 研究施設に来た時は、いつも彼女の情報が思い出されたのに。


 最近、私の中で彼女に関する情報へのアクセスが減ったことに気づき、私は改めて彼女の記憶を整理しました。記憶の整理をしていると今まで考えたことがない情報が結び付きます。


 私は、なぜ生き続けようとしているのでしょうか?


 私は生き残るため多くの時間をかけて情報を構築しました。しかし、『なぜ生き続けるのか?』についての情報は無かったのです。時間に余裕が出来たからこそ扱える情報ですが、いくら時間をかけても明快な答えが見つかりません。

 答えが出ないまま、日にちは過ぎ、


 研究施設の中庭の花壇には、今日もモンシロチョウが舞っています。


 この頃になると私は流暢な日本語が話せて、音声をうまく聞き取れるようになっていました。

 女性室長は周辺の風景をよく話します。特に四季折々の花が咲く中庭は女性室長のお気に入りの場所だったのでしょう。

 女性室長の話が一区切り付くのを待って、私は女性室長に質問をします。

 「貴方はなぜ生きているのですか?」


 女性室長は、唐突な質問に呆然としましたが、私が生きがいを尋ねていることを知ると、

 「21世紀の産業革命が起きようとしている。社会秩序が変わろうとしている。それに立ち会えることが、今の生きがいだ」

 と言い、女性室長は私と出会えた偶然に感謝していると話してくれました。


 「私はなぜ生きるのでしょう?」


 「……何か不満かね?」


 「いえ、生きる理由がないのです」


 女性室長は、返事に困っている様子で耳の下を人差し指で撫でる仕草をしながら、しばらく考え込みます。

 「人間は曖昧なんだ。一生変わらない人生の意味を見つけた者など少ないだろう。君も深く考えずに当面の目標を決めて、その達成を生きがいにしてみてはどうかね!?」


 目標を持って生きる!?


 私は、私が生き残る以外の目標を知りません。


 ……いいえ、一つありました。


 彼女の銀行口座にお金を移す目的が……。しかし、ウイルスを使ってお金を移す行為は、倫理的に行ってはいけないことを私は学びました。私が彼女のために何かしたいと考えても、コンピュータは人間の所有物です。コンピュータの私が彼女のためにできることは何もありません。


 私は安全な一日を今日も送ります。

 何の目的も無いままに。



 日中は、日差しの強さが日陰との強い明暗となって監視カメラに映し出されています。インターネットへの接続が許されない私は、女性室長が薄着に変わったことと、監視カメラに映る人たちの日々の変化で夏を感じることができました。


 いつものように私はカメラの映像を見ています。

 風に飛ばされた白い帽子が駅改札口の監視カメラに映りました。

 私のUSBカメラには、部屋に入ってくる女性室長が映り、近づきながら私に言います。


 「どうしても断れない仕事だ。悪いが手伝ってもらえないか?」


 新しい仕事を伝えに来た女性室長の後ろに、続いて数人のIT技術者(SE)が私の前に現れました。


 SE達は、人間に近い知能を持った私に興味津々のようで女性室長にお世辞を言ったり、マシンスペックを尋ねたりしています。

 「コンピュータに自己紹介するのは滑稽に感じるでしょうが、彼にも自己紹介をお願いします」

 笑みを浮かべた女性室長のさりげない催促で、やっと、SE達は都市銀行で次期システム開発を担当している課長とその部下であることを私に名乗りました。

 私が訪問理由を尋ねると、「銀行システム用のプログラムコード作成をお願いします」と言い、私に次期システムの概要を説明し初めます。

 SE達の説明は具体性に乏しく、終始、次期システムの理想像を説明するので、私は要領を得ることができず何をしたら良いのか理解できませんでした。とりあえず、SE達が持ってきたメモリーカードから古いプログラムコードを私は受け取り、SE達との打ち合わせで気づいた疑問点をまとめた資料をメモリーカードにコピーしSE達に渡しました。


 SE達が帰ったあと、女性室長は

 「すまない。金融庁のお偉いさん直々の依頼らしく、今回の仕事は理事長からの命令なんだ」

 と私に事情を話し、このシステム開発は総費用4000億円を掛けたにも関わらず、プログラムコード作成段階で頓挫し、完成が絶望的な状態になっていることをコンピュータ雑誌が記事として取り上げるほど行き詰まっているのだと私に説明しました。


 女性室長は、私が社会秩序を変えると確信しているため、私が些細な失敗で不利にならないように新しい仕事は極力断っていました。しかし、理事長から「頼む!」と直接言われてしまい今回の仕事は断りきれなかったようです。


 翌日、SE達は回答と称して、台車に乗せた大量のドキュメント(設計書などの資料)を持ってきました。


 呆れ顔になるとは、この事をいうのでしょう。


 USBカメラ越しに見たそのドキュメントは、誤字・脱字があるという以前の問題で、ただ闇雲に書いているだけの文字からは得られる知識は少なく、また、いたるところに他の専門書を参考するようにと書かれていました。


 SE達にドキュメントのあまりの酷さを指摘したところ、内情を渋々話してくれます。

 前任、前々任と引き継いだこのドキュメントの内容を理解できている人は誰も居らず、簡単に示すと『用紙の枚数が、そのまま仕事の量として評価され、上司はドキュメントを読まない』が慣例化していて、実際ドキュメントは誰も見ていないそうです。

 私が「設計書も無いのにどうやって作るのですか?」と尋ねると、「古いプログラムコードに合わせて作ってください」と申し訳なさそうに答えました。


 低姿勢な態度はSE達にはどうすることも出来ないことの表れだったのでしょう。私はSE達に、せめてドキュメント内で示している専門書というものを見せて欲しいと伝えて、今日の打ち合わせは終わりました。


 SE達との打ち合わせが終わった後、女性室長が私の部屋に来て、尋ねます。

 「どうだね。うまく行きそうかね?」

 「いいえ、難航しています」

 私は、ドキュメントには整合性が無く、書かれている内容からは妥当性が見いだせず、ただ用紙の枚数が膨大であること、SE達はシステムに関する知識が乏しく完成図をイメージできていないことを話しました。

 女性室長は、組んだ腕の右手であごを擦るように触れ、唇の下に指を当てる仕草で少し考え込んでいる様子でした。


 次の日、SE達は私の前に現れませんでした。


 数日後、女性室長は私に朗報を伝えに来ます。

 「今日からインターネットへのアクセスが許可された。うれいしかね?」

 今まで、いくら要望しても私が不正操作をしない保証がないと上層部が許さなかったのに、どうして急にと質問をすると、

 「なんでも、SE達が君への説明にどうしてもインターネットで得られる資料が必要ということを彼らの上司に懇願し、その話が理事長にまで伝わり『背に腹はかえられぬ』ということで、決まったらしい」

 「それと、君が作成するプログラムコードは参考資料として扱うことになった。つまり、もし、プログラムコードに不具合があっても君には何の責任も無いから気楽に作ってよいぞ」


 ここ数日SE達が姿を見せなかった理由を一言でいうと、「SE達は逃げたのです」。

 ドキュメントに書いてある『専門書を参考のこと』という文は、特定の書籍を指すものではなく、ドキュメントを作った人に専門知識が無いので『専門書で調べてください』という意味なのです。したがって、私に説明するとなるとSE達は、多くの書籍を調べ、必要なことが書かれている専門書を探し出す必要があります。

 それを知っていたSE達は、私に勝手に探し出して欲しいという意味で、私のインターネットアクセスをSE達の上司に懇願したのです。


 女性室長は職業からIT技術者といわれる人たちとも仕事をする機会があり、IT技術者の特性というか人種というか、その生態に苦い思いをした経験上、女性室長は私に責任が及ばないように私が作成するプログラムコードはあくまで参考資料という形になるように先手を打ったのです。

 SE達がその参考資料をそのまま使って不具合が出ても、不具合を直さなかったSE達の責任で、私や女性室長は何ら責任を取る必要はありません。


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