VSドラゴン
大きく咆哮した後、ドラゴンさんはすぐには動き出さなかった。
こちらの出方を伺っている、……警戒という意味ではなく、たぶん『何をしてくるのか』という期待の方だと思う。
強者の余裕というか、なんというか、もう。
少し距離をとり、後衛の魔法使いさん達のやや後方上空にいる僕は、この戦場全体がよく見える。歌っているし、戦いに関しては素人だから、別に指示を出したりする訳じゃないけど。それはラティオさん達のお仕事。
「皆、散開して予定通りに!」
セロさんよりもずっと大きな盾を持ったラティオさんは短くそう告げると、皆は頷いて当初の予定通りの配置に付く。
魔法使いさんが三人、ドラゴンさんや皆が暴れまわっても巻き込まれないように、この広場のぎりぎり端の辺りに。その足元には、僕とドラゴンさんが話している間にシオンさんが敷いた魔法陣がある。
尚、その魔法陣上にシオンさんは既にいないんだけど、それは予定通り。
魔法使いさん達のすぐ前に、セロさんとラティオさん。二人はか弱い魔法使いさん達のガード役、セロさんは回復役も兼ねている。
残る八名はアタッカー……というか、霍乱担当だ。
二人一組でそれぞれにドラゴンさんに対して別方向へと回りこむ。ちなみに、ルストさんはトリィと一緒。
ハーピィ達は、めいめい空に舞い上がり、こうして見れば完全に僕らがドラゴンさんを取り囲んでいるように見えた。
巨大な鰐を、子猫が取り囲んでいるようなものにしか、彼には感じられていないかもしれないけれどね。
「さあさあまいりましょう♪ たたかいましょう♪ こえをそろえて、いち・にい・さん・はい♪」
「「「アイスジャベリン!!」」」
僕の歌に合わせて、三人の魔法使いさんがそろって同じ氷の槍の魔法を放つ。
頭部に一本、右と左の翼に一本ずつ。人の大人くらいの大きさの氷の槍はドラゴンさんを狙うも、流石にこれを無抵抗には受けない。
頭を狙った一本はその牙で、右の一本は右の爪で砕いた。残る一本は翼を翻し回避をしたが、ほんのわずかにかすめる。
すると触れた部分の鱗から、ぴきぴきと凍り、それが広がっていく。
《ほう! 儂の鱗を凍てつかせるか、良い腕だ!》
それはもう嬉しそうに、自分の負傷を喜んでいるように、ドラゴンさんは言ってのける。
魔法は効く、特に氷は効くのではと思われたけれど、次の瞬間にはドラゴンさんは口から細く炎を吹き出し、凍てついた鱗をあっさりと溶かしてしまった。
やっぱり、炎の竜に対して氷ってのは安直過ぎるかしら。
それでもドラゴンなんて最強生物にかすめただけで鱗を凍りつかせるほどの威力を出すのは、その魔法使いのお姉さんの腕も去ることながら、足元に敷かれた魔法陣の効果が凄いってことだ。
あれは、効果内に居る人の魔力を引き上げるものらしい。
効果範囲内に居なければならないのが魔法陣の欠点で、敵に対して使うにも、動き回る味方に対してもなかなか難しいものなんだそうだけど、使いどころさえ正しければ絶大な効果がある。
ところで、それがなくとも強力な魔法使いであるシオンさんが、今そこに居らずに何処にいるのか?
……ま、それは後ほど。
「ふはははははは、待ち侘びたぞ此の時を! 深紅の鱗持つドラゴン、相手にとって不足なし! これが漆黒のソードナイト、常闇の聖戦が第三幕となろう!!」
一幕と二幕は何があったんだろうか。
じゃなくて、高らかに笑いを上げるルストさんに、ドラゴンさんは視線を向ける。
巨大なドラゴンに対し、臆するどころか自信満々に笑い、謎の口上を上げるルストさんに、嫌でも興味を引かれたようだった。
うん、なんていうか、彼の撹乱役としての性能、物凄く高いような気がする。終始あのノリをしていたらどうやったって目立つし、無視するのとかムリじゃない?
右手に長剣を、左手に逆手に持った大振りのナイフを持っていたルストさんは、ドラゴンさんが自分に意識を向けた事を認めると、にぃ、と大きく口元を引いて笑う。
次の瞬間、その姿はそこに無かった。
《ぬ……?!》
僕の目からもルストさんは消えたように見えて、それはドラゴンさんにとっても同じだったらしい。
一瞬虚を突かれた声を上げたドラゴンさんは、次いでがぎん、と硬い金属同士がぶつかったような音と、衝撃を後頭部に受けただろう。
いつの間にか。地上10mほどの高さにあるドラゴンさんの後頭部辺りに、ルストさんが居る。
えっ、ジャンプしてそこまで行った……? いや、普通の跳躍で後頭部側に行くのは無理がある。少なくとも、どこかを経由したと思うんだけど、さっぱり見えなかったんですけど?
なるほど、あんなスピードで動けるのなら、フレーヌやグリシナと鬼ごっこしても平気な訳です。
ていうかあれ普通じゃないよね? …やっぱりルストさんて、何かの神様の加護、持ってるんだろうな……
「ふははははは、どこを見ている! 我が暗黒奥義、加速斬裂・極に手も足も出ぬ様子だな!! ……めっちゃかてぇ…」
いい気になってるその傍から、ぼそっと本音出てますよ漆黒のソードナイト。
今は状況を見てられるように風の精霊さんに頼んで、周囲の音を僕まで届けて貰ってるから聞こえるんだけど、でも耳元に居るんだからドラゴンさんにも聞こえたと思う、今の。
《クカカ、言うだけはある。その手の剣が魔剣であれば、脅威となりえたであろうな!》
「うおっと!」
速さは物凄い。…けど、残念ながらああしてまともに当てたにもかかわらず、ルストさんの手の方が痛そうな状況では、火力足り得ない。
ドラゴンさんの言う事はもっともで、後頭部に土足で乗っている相手を振り落とす。その前にルストさんは鱗を蹴って飛び退いた。
慌てていたからか、さっきほどのスピードは無い。僕の目にも見える程度の速さで地上に落ちていくルストさんを、ドラゴンさんも捕らえている。凶悪な牙が並ぶ口を大きく開いた。いくらなんでも、空中で姿勢制御までは出来ない。
がちん、と牙と牙がぶつかり合う音。その間に、ルストさんの姿は無い。
寸前に、飛んできたシャンテがルストさんの腕を掴み、連れ去ったから。
「ヒヤっとした……、すまんな白き翼の民よ、感謝する」
「モウ。本当ニ忙シイ人ネ」
《ほう! 成る程、ハーピィどもがどうするかと思えば、足の役目であったか!!》
そうとも。
ハーピィの呪歌はこの状況では使えない。牙も爪も、ドラゴンの鱗には通じない。
だけど、空を飛ぶ早さと機動性なら、ドラゴンさんより僕らの方が優位だ。
同盟、連携、それらは互いの長所を生かすもの。
だから、人間さん一人につき、一羽のハーピィをバディと定めているのです。空から戦況を監視し、いざという時は即座に助け出し、体勢を立て直す。
《良い、良い! 父に聞いた、魔王軍のセイレーン隊のようではないか! もはや複数種を纏めるカリスマも居ない今、見ることはないと思っていたが、まさかここでとはな!》
そして、ますますドラゴンさんのテンションが上がる。
セイレーンって、海に住む僕らに似た半人半鳥の魔物だっけね。そうか、魔王軍はそんなこともしてたのか。当時の人達、大変だっただろうな……
ルストさんに続いて、他の皆さんも攻撃を開始する。
動きを封じることを狙って後ろ足を叩く人もいれば、攻撃にも使われるであろう尻尾に挑みかかる人、ハーピィに空へと連れて行ってもらい、翼を狙う人。4組それぞれ、バラバラだ。
大半は、ルストさんのように鱗ではじかれてしまう。いいとこ、わずかに跡が付く程度。
だからあまりそれらに気を配らず、ドラゴンさんはその合間に放たれる魔法への対処を優先していた。
でも、ただ一人。
「限定解放、一振り」
ぽそ、とトリィがつぶやく。
途端にトリィの剣が薄ぼんやりと白い光を纏い、振るわれた先の右前足からは、パっと赤い血が流れ出る。鱗を剥がしたのではなく、鱗を切り裂いた。その下の皮膚も。
振り抜いたそのすぐ後に、光は消えてしまったけれど。
《ぬ、儂の鱗を……!》
「まさかそれは……天魔剣、エクセリオンブレードか!!」
「いや、これは母さんが改造してくれたもので、特に銘はないんだが……」
「えっ魔女ってそんな魔剣作れるの?! いいなー、シオンさん依頼したら作ってくんないかな!」
「ふっかけられてもしらねーぞ、お前」
楽しそうだなあ、漆黒のソードナイト。真面目に答えるトリィもトリィだけど。
そして目を輝かせる黒髪の冒険者さん……1期2期共にハーピィの旦那さんになってくれたあの人。
しかし、シオンさんだけでなく、お母さんもすごいんだね! 後天的に、剣をこう、魔道具の剣に改造したり出来るんだー!
さておいて、鱗を易々と切り裂かれ、初めてドラゴンさんが顔色を変え……、というか、声色に真剣味が帯びた。
遊んでいては危険な存在がいる。それを認識したみたいだ。
断続的に飛んでくる魔法と、トリィの剣。これらは、積み重なれば大きな傷と成り得る。
ぎらりと戦意に気を引き締めた瞳をしたドラゴンさんの尻尾が、まるで鞭のようにしなり、トリィの居る辺りをなぎ払う。
ルストさんは当然のようにその場から姿が消えた。次いで今までいた場所から離れた場所でだむって音がしたからそっちを見ると、木の幹に着地? した姿が見えて、またふっと姿が消えた。
……あの人、その気になれば、残像で分身できるんじゃないかな……、漫画みたいなやつ……
トリィはルストさん程じゃないけど跳躍でそれを飛び越え、続く左の爪を回避すべくクラベルに横から浚われて行く。
ぶうん、と振り回される尻尾と爪に、否応無く前衛はドラゴンさんから距離を取らされた。
更に追撃を繰り出すべく右前足に力を込めるドラゴンさんの横顔に、再び氷の槍が飛ぶ。
視界は広いのだろう、真っ直ぐ飛んでくるそれに彼は気づいて、またも牙で噛み砕く。そのあと閉じた牙の隙間から炎が僅かにもれていて、口の中はしっかり守っているみたい。
それから、また彼は大きく口元を引き、牙をちらりと覗かせる。
《やはり、飛び交う弾は邪魔か》
ぐんと長い首をもたげ、その瞳の先はセロさんとラティオさんの方……即ち、魔法陣ブーストの関係で、その場からなかなか動くわけに行かない魔法使いさん達後衛。
短い時間で大量に息を吸い、それに応じてドラゴンさんの胸の辺りも大きく膨らむ。
へえ、そんな予備動作があるのか。
ひっそりと思ってほくそ笑みながら、後衛さんの後方辺りに居た僕は、巻き込まれないためにも高く上昇。
さて地上では短い準備時間の隙に、セロさんが盾を掲げて一歩前へ、その後ろにラティオさんが盾の裏から出した青い石を右手に握る。
「セロ君、お願いします!」
「はい! 正義と公正の神エーレよ! 我らを護る光を与えたまえ! ルミナスシールド!!」
セロさんが詠唱を終えるのと、ドラゴンさんの口から炎のブレスが吹き出すのは、ほぼ同時だった。
その前にハーピィ達が皆を連れて退避するのは可能だったんだけれど、そうすると魔法陣から出なきゃいけなくなる。素の魔法でドラゴンさんにどれだけ効くかは解らないんだけど、火力の維持のためにはそこから退くのはあまり得策ではない。
だから、極力メイン火力の皆様が動かず済むように、防御担当としてセロさん……とラティオさんも居たのです。
真正面から吹きかけられた業火は、セロさんが前方に構えた盾の僅か手前に展開された輝く膜? のようなものに防がれ、盾の後ろにいる皆が守られる。
でも、きっと完全にその温度から守られてはいないんだろう。じわっと金属製の盾は熱を帯びたことを示すように赤く変わり、それを持つセロさんはとても厳しい表情になる。
ブレスがどれだけ吹き出せるか解らないけど、たぶんあの守りは大した時間は持たない。
けれどセロさんの盾とドラゴンブレスの攻防はほんの数秒の事で、後方にいたラティオさんが何かを投げたのが、終わりの合図になる。
《?!》
目の前で展開された光景に、ドラゴンさんが息を飲んだ気配。
ラティオさんが投げたのは白い真珠で、それが炎に触れるや否や、溢れるように水が出現し、炎を包み込んで消し去ってしまった。
盾に防がれたことで両脇や後方に流れ、森を襲っていた飛び火にまで水は届き、全て消火してくれる。
あれこそ、対ドラゴンブレスの秘密兵器。
ずばり、エルフさん特製の魔道具です。
森で火事が起こったときや、水の加護を持つ代わりに炎や暑さに弱い、エルフさんの天敵である炎の力を持つ魔物に襲われたときのとっておき。それを、ドラゴンに挑むならばと提供してくれたのです。
戦闘に直接は関われないけど、僕らはハーピィと人間だけでなく、エルフさん達とも一緒に戦っているのですよ!
「へいお待ち! 総員一歩下がってー!!」
自慢の炎のブレスが完全に無効化されたのがショックだったのか、ドラゴンさんは驚きに一度動きを止めた。
その時、ざざっと森からプリムラに抱きついた形で飛び出してくるシオンさん。
彼女は僕とドラゴンさんが話している間に魔法火力上乗せ用の魔法陣を敷いて、それからずっとプリムラと一緒に周辺の森の中を移動していたのです。
要所要所に、仕掛けを施しながら。
「ここに築くは黒鉄の牢獄! 繋がれるは咎持つ巨人! 汝の罪が灌がれる時まで、地に縛され贖罪せよ!! 巨牢の陣!!」
プリムラから離れ、着地と同時に杖を地面に突き立てる。
すると森のあちこちから光が溢れ、次の瞬間には魔法陣がこの場一帯に展開され完成する。いつもの、杖の辺りから広がる様子とはまた違った。
もちろんシオンさんがこっそりしていた仕掛けのおかげ。この広場を覆う魔法陣を展開しようとしたら、時間も魔力も大変かかる。
それを補う、補助用の魔石をあちこちに仕込んで来たのです。例えドラゴンさんの周囲の感知能力が高くても、戦闘が始まりそれが油断できないものであれば、見えない周囲に気づくことも対処も困難になるから、安全に仕込みができた。
そして、魔法陣から無数の黒光りのする細長い弦が生えてきて、ドラゴンさんめがけて襲いかかる。
名前の通り、一定以上の大きさの生き物を対象に捕縛する魔法であり、僕らには効果がない。
と言っても捕縛時に密着してたら巻き込まれる可能性があるので、一歩下がれって言ったんだけどね。
《良き術者だ! だが、儂の翼も飾りではないぞ!!》
このまま地に縛られれば、もう切られ放題の撃たれ放題。何より、がんじがらめにされて地面に頭をつけさせられるなど、ドラゴンさんには屈辱の極みだろう。
逃げ場は、空しかない。
当然、絡み付く弦から逃れるように、思いの外俊敏に彼は空へと舞い上がる。黒い弦はそれを追ったが、元々ドラゴンさんの頭があったくらいの高さまでで、追跡を諦めたようにゆらゆらしている。
今詠唱に入ってたけど、巨人とか居るのかな?
《しかし、儂の息を無効化したばかりか、翼まで使わせるとは。小さきものの同盟と、少しばかり侮っておったことを詫びよう》
どうやら、彼の予定では翼で空に舞い上がることは無いはずだったらしい。
たぶん、メイン攻撃役が人間さんだと考えて、合わせてくれてたんだろう。空を飛べない相手に対して、空を飛べると言うのは大変な利点だ。それは、ハーピィである僕らには良く分かる。
こうして飛ばれてしまうと、皆を連れて飛んで戦うのはとても難しい。まだ、そこまでの連携練度は僕らにはない。
ハーピィだけでは、ドラゴンさんに太刀打ちは難しい。
それを彼もわかっていて、手加減というか、してくれたわけで。
空へと捕縛を逃れた形だけど、同時に本気を出させる事にも繋がったわけだ。
《より練り上げれば、あのセイレーン隊をも上回る強者となろう。惜しくもあるが……一度向き合った以上、ここで屠るが我らドラゴンの掟ゆえ!!》
出会って剣を交えたからには最後まで、とばかりだね。ほんと、武人種族はカッコいいけど困った人たちだなあ。
空を飛びながら、ドラゴンさんは大きく息を吸う。さっきのブレスよりも、たぶん強いのが来る。
あの魔道具は、『炎に触れさせる』という発動条件がある。だから、最初から投げずに一度セロさんが受け止めなきゃいけなかった。
今地上にいる皆を、セロさんやラティオさんだけでカバーすることはできない。そうなると、あんな炎にあぶられる皆様はかなり不味いことになる。
それに、あの魔道具はあと一個しかない。なかなかの貴重品なのです。それだけの効果もあるもんね。しかも使い捨て。
ハーピィ達に皆を連れて待避してもらう事は出来るけど、そこからはもう逃げの一手だ。ブレスがどれだけの最大持続時間かつクールタイムで出せるのか解らないけど、掻い潜って攻撃に転じるのは難しくなる。
しかし。
「まってまーした♪」
《なに?》
大きなドラゴンさんの目の前に、小さな僕が飛び込んだ。
息を吸ってても念話だからなのか、声が聞こえた。僕が至近距離に来たことに、驚いて目を見開く。
群れを率いる王子とはいえ、小さな僕に鱗を引き裂く力はないし、人間さんを抱えて飛ぶこともできない。
だからずっと後方で凱歌を歌い、皆を鼓舞するサポート役に徹していた。それに対して、ドラゴンさんは当然だろうなと言う目で見ていて、疑問にも思っていない様子だった。
でもね、僕らが狙っていたのは、魔法使いさんの魔法でも、トリィの剣でも、シオンさんの捕縛からのフルボッコでもなく。
あなたが地面を離れて空を飛び、地上の皆に避けきれないほどの特大ブレスを吹き掛ける、この時なのです。
『かれを卵にかえしてあげて。中から出られず外から入れず。けっしてわれない、風の卵をかれの回りに』
地上に居られると、地面は僕の管轄外だから。全方位、大気に晒されて欲しかったのだ。
手早く風魔法でドラゴンさんの回りに風の膜を作り上げてすぐ、その大きな口から炎が吹き出された。
それは風の卵の流れに沿って、ぐるりとドラゴンさんを巻き込み、彼の周囲は炎で満たされる。
《愚かなり! 炎のドラゴンである儂が、儂自身の炎で焼かれるようなことが、……、?!》
その炎が驚異ならば、それを武器として返せばいい……みたいな考えだと思ったみたい。
けど、すぐに彼は異変に気づいた。
風の卵の中に充満した炎はあっという間に消えた。それはつまり、中の燃やすことが出来るもの、即ち空気を燃やし尽くしたから。
ほんの少しだけ心配だったんだけど、ブレスを吐くときの動作で、ドラゴンさんもまた、呼吸が必要な生き物だと確信できたので、助かったよ。
そう。彼もまた、空気がなければ生きられない。
自分の炎で卵の中の空気を燃やしきった以上、彼が呼吸するための空気はなく、当然そのあとは窒息が待っている。
僕を笑う念話の途中で、口を開け閉めし、喉や胸を押さえる仕草。
苦しみに歪む顔で、彼は僕を睨み付けた。
「ぴっ?!」
そして、次に驚いたのは僕だった。
もう半ば勝利を確信していたのだけど、急に魔法の行使をお願いしていた風の精霊さんたちが、なんて言えばいいんだろう。僕の周囲から、散らばりかけた。
慌てて魔力を渡して引き留めたけど、尚も引き剥がそうとするように何かの干渉が働いている。
これは、……たぶん、ドラゴンさんだよね?
そうだ、彼がどんな魔法を使えるのかは解らないけど、それが精霊魔法である可能性は充分あるし。炎のドラゴンだからって、風魔法を使えないなんて保証はない。
精霊魔法が精霊さんという、ある意味他者を介して使っている以上、同じ精霊さんを使おうとして奪い合いが起こっても不思議じゃないし、相手の魔法に干渉出来てもおかしくない。
「ぴ、いー……」
今まで、魔法の維持や制御に神経使うなんてやったことがなくて、こんなに集中力を使うものだなんて知らなかった。
シオンさんや、人間の魔法使いの皆って凄いなあ……!
制御権を奪われまいとする僕の体は、羽ばたきがおざなりになって、ふらりと傾ぐ。
ああ、飛びながら集中するとか難しい。充分修行を積んでたらそんなことなかったのだろうけど、予想外の攻防に、正直なかなかピンチです。
魔法制御だけなら飛んでる必要ないんだけど、ここで止まったら落っこちちゃうし……
「シス!!」
心底困る僕を、誰かが呼んだ。
そちらに視線を向けると、ちょうど僕の真下辺りに来たトリィが僕を見つめて、大きく両腕を広げていた。
まるで、いつものおいで、と言って抱き締めてくれるときみたいに。
それを見て、僕はその場で羽ばたくのをやめた。
当然、かなりの上空から地面へと落下することになるけど、大丈夫。
トリィなら。彼女になら、僕は安心して僕を任せられる。
飛ぶことに意識を使わなくなったぶん、全てを風の精霊さんを僕側に止めておくことに向ける。
じきにぽすんと小さな僕の体はトリィの腕の中に収まった。抱き締められると暖かくて、より気持ちが落ち着く。
気を抜いているのとは違う、他の事は気にせず集中できると言う意味の安心感。
ドラゴンさんがどれだけ魔法の妨害を試みても、今の僕の安定感は揺るぎ無い。風の卵はますます強固に、もがく手足の爪もものともしない。
実際には切り裂かれないように、随時形を変動させてるんだけどね。
長くなる制御時間に比例して魔力もガンガン使ってるんだけど、底をつきそうな感じが全く無い。ていうか、減った気がしない。
いつも強めに魔法を使ったときは僅かなりとも虚脱感があるものなのに……、神様に貰った魔力回復のスピード、相当だね。
《…………が……》
そして、ドラゴンさんに限界が来た。
ぐるんと目玉がひっくり返り、窒息に意識を手放したのを確認した瞬間、僕は魔法を解除した。
そのまま落下したドラゴンさんは、ずずんと大きな音を立てて、地面に横たわる。
その衝撃で意識を取り戻したのか、びくっと体が震えた。
でも、頭を上げることはなかった。空から叩き落とされ、体に土を付けられたことに、呆然としているのかもしれない。
「ふふふ♪ ボクらのかち、でーす♪」
トリィの腕から下ろして貰い、僕が勝利宣言し、皆が沸き上がる声も、聞こえていると思うんだけど、反応を返さない。
ドラゴンさんだし、体も丈夫に出来てるだろうからあんな事したけど、人間だったらなんか後遺症残りそうな事したもんね。ちょっと体がきついのかもしれない。
とてとてと足音立てて近づく僕を誰も止めない。
この状況で、不意打ちして逆転勝利ーとかする性格じゃないから。ドラゴンは不意打ちを好まない、されるのはともかく自分がする事はない、とトリィとサフィールさんから聞いているし。実際しそうな性格じゃなかったし。
真正面から正々堂々が好みなんだよねー。
でも、そんな事したら僕ら勝てないから、こっちは策を巡らせて貰ったよ。
これはこれで戦い方のひとつ。別に卑怯な手は使ってないし、認めてくれるよね?
「けっかとはいえ、あなたはボクの森の民をころしていませんので♪ ボクらの森をねらったあなたのごうまんも、いちどだけはみのがしましょう♪ あなたのいのち、いちどだけみのがしましょう♪」
あのまま殺してしまう事は出来たけど。
結局、僕の大事なハーピィは傷つけられたとはいえ、命は助かった。
だから、それに免じて一度だけ、彼の命を見逃す事にした。
トリィや皆に感謝してよね!
もしかしたら、戦って敗北した事を死よりも屈辱として自殺するかもしれないけーどー、まあそれは僕の知ったこっちゃないって言うか。
強くなりたい精神で生きてるみたいだし、命を拾ったなら別の場所でまた鍛錬するんじゃないかなあ。
「にどと、ボクにすがたを見せないでくださーいな♪ ……次は、ころしますよ♪」
二度目はないぞ。
いや、二度目が無いのは、僕らも同じかもしれないけど。次に、最初から本気で挑みかかられたら、危ないのはこっちだ。
それでもあえて、彼に勝利した以上は勝利者として振舞わせてもらおう。
彼も負けた相手がへりくだるようなことは望まないでしょう。そうなったら、更に負けた自分が惨めになるのだから。
力に対し誠実と言う種族の特徴を思えば、決してこの僕らの勝利を汚すようなことはしないはず。
言うだけ言ったけど、ドラゴンさんはうんともすんとも言わない。
……また気絶しちゃったかな。
「ではみなさま♪ おうちにかーえりーましょ♪」
「ええ。全員、帰還の準備は良いですか?」
僕の言葉に、まとめ役のラティオさんは皆に帰還準備を促す。
と言っても、回収するのはシオンさんが使った補助用魔石くらいだから、たいした準備もいらない。その場から、ハーピィに連れられてパっと飛び立てばいいのだもの。
一応しばらく風の精霊さんに見ててもらったんだけど、僕らがここを離れて少ししてから起き上がったドラゴンさんは、静かにどこかへ向かい、僕もそれ以上彼の動向を追わなかった。
……ほんと、悪いひとではないし。もうちょっと友好的に接してくれたら、頼もしい森の仲間になったと思うのにな。その点は、少し残念。




