夢の中で
とろとろとした、心地良いまどろみの中にいた。
暖かくて、どこか懐かしい感覚。
いつの事だったかな……なんて、ぼんやり考える。
……ああ、そうだ。この世界に、産まれる前。
卵の中でゆらゆらと揺られていた、あの感覚に似ている。
もう薄ぼんやりな記憶になってしまったけれど、まだ覚えてる僕は、やっぱりまだまだ赤ちゃんなのかな。
雛って言う言葉には開き直りみたいなのを感じてるのに、赤ちゃんなんていわれるとちょっと反発心を生じるのは、これ元人間ゆえなんだろうなあ……
……って、僕はもう産まれていて、それを懐かしいなんて思うのだから、これは夢、だよね?
夢の中で夢って気づくなんて、珍しい。夢はよく見るけど、見ている間は夢だなんて気づかないし、起きて少しすれば忘れてしまうものだから。
あれだよね! 明晰夢ってやつ?!
夢だって気づいてるのなら、今なら好きな夢を好きに見れるんじゃ?!
そんな事を思いついて、夢が覚めちゃう前に! と、僕は瞳を開く。
《……呼ぶ前に目を覚ましてしまうのかあ…。本当、君は好奇心旺盛な子ね》
「ぴっ?」
閉じていた瞼を上げて、一番に飛び込んできたのは、知らない人のちょっとびっくりした顔だった。
それはすぐに、優しい微笑みに変わる。そこに敵意や悪意、害意なんてものは少しも感じなくて、知らない人が目の前にいるのに、僕もびっくりしたって以外は警戒心も何も感じない。
……人?
人間、じゃない。
きらきらと光を軟らかく反射する、さらりと長いピンクシルバーの髪。そのおでこの生え際あたりから、ぴょんと生えた白い羽。
視線を落とすと、肩から先は大きな白い鳥の翼。さらに下げると、がっしりとした爪の生えた、猛禽類系の鳥を思わせる足。
この人、ハーピィだ。
もう一度顔を上げてもう一度よく顔を見る。
黒い瞳の、とても優しげな印象のそのハーピィは、僕の知らない相手だった。
僕らが着てるような服は着ていないし。いや、服は着てるんだけど、僕らが人間さん達からもらったのとはずいぶん違う。
こう、古代ギリシャって感じの……、一枚の布をかぶって、脇や腰だけを止めてる、みたいな。あんな感じ。
ゆったりしているのに、それでも尚ハッキリと解る、スタイルの良さ。お胸もほどよく大きく腰はきゅっとくびれている。すごい。
《意識はハッキリしている?》
「う? うん」
《それじゃあ、挨拶からね。初めまして、ハーピィの新たな王子、私の後継者。私は、君の前にハーピィ達の王だった者》
「ぴゃっ?!」
にっこり笑っての挨拶に、声だけじゃなくて、実際に飛び上がって今度こそびっくりした。
僕の前のハーピィの王。
それ即ち、この迷いの森にかつて住んでいた、ハーピィキングって事になる。
崩御して長い時が経って尚、僕らハーピィ達だけでなく、人間さん達にまで存在が語り継がれているような、王様だ。
当然、僕は顔も何も知らないんだけど、僕の夢にひょっこり出てきたこのひとが、かつての王様なのだと言われて、びっくりはしたけれど、疑いの感情は出てこなかった。
それどころか、会えて嬉しいとか、そんな良い意味での興奮が生まれる。
これが、種族の王補正のカリスマなのかな。僕も王子だけど、王の影響力はそれに勝るのだろうから。
……って、あれっ、王ってことはオスなんだよね? なのにそのお胸は。
いや……いいや。突っ込まないどこ。そんな予感ちょっとしてたし。
「王さま、むかし死んじゃったんじゃないの?」
《勿論、もう生きてはいないよ。今ここに居る私は、今でも続くハーピィ達の私への崇拝が私を神の座に押し上げ、その末に出来上がった私だから》
「つまり、かみさま!」
《そう。ハーピィと迷いの森の神って事ね》
この森、神様居たの?!
あ、でも居る方が自然だ。ハーピィ以外はエルフさんだって迷う、方向確認の魔道具も狂わせる森とか、ちょっと普通じゃない。
まるでハーピィの為にあるような森で、それはかつての僕らの王国だったって関係なのかと思ってたけど、それ以降に神様が生まれて、この森を神様がそうしたって言う方が、なんとなくわかる。
……あっ。
「そーだ! あのねかみさま! …ううん、王さま? ……おなまえはー?」
《さすがに生きていた頃が昔過ぎて、忘れてしまったから、適当に呼んで》
「じゃあかみさま! あのね、大変なの! ボクらの森に、ドラゴンが来てね! ボクらに出てけって、アーラにひどいことしてね!」
《うん。今日は、その事で君に話があるの》
これが夢だって気づいた瞬間のふわふわな感じと、眠りに落ちる前のひとまずアーラが助かったっていう安堵で気が抜けてたけど、全然余裕な状況じゃないことを思い出した。
慌ててまくしたてたら、こうして僕らが会っているのはそれに関する事だ、と。落ち着いて、と翼で僕をなでなでしてくれた。
うう、この落ち着きと包容力。見習いたい。
《確かに、この森に今、他所から来たドラゴンが居る。ここは私の聖域で、ハーピィが認めた者ならば少しくらい入ったって良い、…って君が決めたからいいんだけど、流石に侵略されるのは私としても許せない》
「あっ、ボク決めたの、いいの?」
《いいのよ、本来森は、そこで生きている者達のものなんだから。まして、私の愛するハーピィ達が暮らしてくれるなら、私としては願っても無い。しかも後継者まで産まれてくれて、本当に嬉しいから》
この森が、神様のおうちだなんて知らなかった。
知らずと勝手に色々ルールを決めて人間さんやエルフさんを招きいれてしまったんだけど、神様的にはOKらしい。
迷いの森と、ハーピィの神様なんだもんね。
今まで、そのハーピィ達にさえその存在を知らせず、静かに見守ってくれていたのは、生きている僕らにこそ悩み選ぶ権利があるのであって、神様とはいえ死んでしまった彼が口出しすることじゃない、って思ってたのかな。
まあ実際、僕らが神様を信仰するかといえば、そんなこともないし……野生動物ですから……
あ、元ハーピィキングだって言ったら、普通に信仰始まりそうではある。
ともあれ、そんな大らかな神様でも、今回のドラゴンの領地侵犯は許されざる行為であるみたいだ。
《普通の侵入者なら、迷い殺してしまうところなんだけれど。相手がドラゴンとなると、困ったことに飛べてしまうし、行動範囲が広すぎて、縄張り内の実りを減らせば森全体が酷い事になるし。彼らはそもそも神を尊ばないから、たとえ直接声を届けたところで、意にも介さない》
「ドラゴンは、どんなかみさまもしんじてない、の?」
《そうよ。だから、どんな神も彼らに加護を与えない。それでいて、とても強い生物だからね。平気で他種族のねぐらを奪いに来るし、神の神殿や聖域を破壊する事もあるから、神々にとっても厄介な存在なのよ》
ドラゴンつっよいな!
月の神様の加護を持ってるトリィがすごく強いみたいだし、神様の加護ってあるとすごいんだと思うけど、そういうのに頼らず素で強くて、それで最強生物って呼ばれちゃうのか……
なにそれこわい。
《そもそも、神があまり直接手を出すのは、あまり良くない事なの》
「そーなの?」
《世界の危機レベルであれば別だけれど、基本的に私たちは世界を見守るものだからね。自分に信仰心という活力をくれる信者に力を与えたり、気に入った相手に祝福を与えたりはする。でも、直接手は出さないし、出せない》
「かみさまが、つよすぎるーから?」
《それもあるね。神同士の戦争を起こさないために、善神も邪神も、そういうルールをお互いに作って縛ってある、って思って》
なるほど、悪い神様が直接世界征服に乗り出してきたら、そりゃあ大変だ。
それを阻止しようと良い神様が直接対したら、もう世界を巻き込む大戦争。下手すれば、世界滅亡ありうる。
どんな邪神だって、世界を破壊し尽くしたい訳ではないと思うし、破壊し尽くした世界を手に入れたって何も面白くはない。
もしも破壊そのものを尊ぶ神が居たとしても、全て壊してしまったらそれ以上壊せなくなる、つまり自身の存在意味自体がなくなる。
さーすがにそこまで倒錯した神様いない、と、思うし。そう考えたら、妥当な取り決めなんだろう。
《今回は私の聖域に侵攻されているから、例外的に手を下す事は認められるけど、それでもペナルティが無い訳じゃないの》
「例えば、どんなー?」
《他の神の干渉が無いから、余所に迷惑がかかる事はないけれど……。少なくとも私は暫く眠ってしまう事になると思う。そうなるとね、迷いの森が、普通の迷いやすい森、になってしまうのね》
「あっ、それちょっと、こまっちゃう」
《でしょう?》
今のドラゴンが来てる件については、聖域は神様にとって大切なおうち。だから直接力を振るっても、どこかで邪神が出てきたりはしない例外ケースなんだけど、やっぱり神様が直々に表立って出てくるのには制限があるってことね。
神様も、なかなか不自由なルールの元で存在してるんだなー。
まあ、ほいほい出てこられても、ほんと大変なことになっちゃうんだろうね。
さておき、ペナルティとしてはしばらく休眠するくらいみたいなんだけど、それはそれで森としては困っちゃう。
神様が迷いの森にしていなくても、そもそも迷いやすい森ではあるみたい。
でも、そうなると僕らハーピィだけが迷わない、っていうアドバンテージが薄まる事になる。
たぶん、方向確認魔道具も効果が出てくる訳で。
それを知られたら、ここぞと突っ込んでくる輩も出て来てもおかしくなくて。
休眠がどれほどの期間かは解らないけれど、ホントこまるねそれ!
……果たして、休眠中の神様の聖域に土足で踏み込んでくる事が、どれだけのリスクなのか、ちょっとティリノ先生に後で聞いてみたくはある。
それ、起きた後の天罰怖くない?
まあそれとは別に、更なる侵攻が怖いか。
《だから、こういう時は普通、自分の信者たちに先ずは撃退をお願いするものなんだけど、私の信者たちというかハーピィ達は、私を知らないから》
「ボクも、今はじめてしった」
《君以外に、私とこうして話せるほどつながりが持てそうな子も居ないの。素質がある相手なら、一時的に声を届けるくらいは、まあ出来るんだけど》
ふうん…?
僕にもそれ出来るんだろうけど、確かに起きてる時にいきなり神様です! って声が響いてきても、それまで無意識な信仰してた状態じゃあ、吃驚するし信じられないと思うなあ。
こうして夢ででも会っておかないと、って思うの解る。
《そういう訳で、君にあのドラゴンを追い返す事を、お願いしたいの。もちろん、その為の力は君に授けるよ》
「それは、うん、この森を出ていく気なんてないから! がんばる!」
《ありがとう。方法は、お任せする……というか、人間達やエルフ達がどうするかにもよってしまうからね。その相談をした後で、必要がありそうなら、今度は起きている時に声をかけるよ》
「うん」
そうだね、今は僕らだけが住んでいる訳じゃないから、僕の一存でこの森の一大事は決められない。
ハーピィ達だけでなんとかしろと言われるかもしれない、……言われない気がするけど、かもしれないし。
この森の存在は大事だから、撃退を手伝ってくれるかもしれない。
物知りなエルフさん達に知恵を借りれれば助かるし、トリィやセロさん達も強い冒険者さんだから、力を借りられれば本当に嬉しい。
その辺りは、皆と相談してからだ。
「んっと、どんな力をくれるの?」
《元々、君には私の加護を強く授けているんだけど、それを更に、今の君で大丈夫なくらいまで強めるよ。具体的には……この森に居る間、あらゆる力が強くなる。飛ぶ力も、魔法を使う力も、なんでも》
「なんでも!」
《それから、君が使用したぶんの魔力を、通常よりもずっと早く回復してあげる。これには、君の魔力の上限があるから、一度に多く使い過ぎれば枯渇する事もあり得るから、気を付けて》
「ん!」
常時能力ブーストと、魔力の自然回復上昇かな?
決して魔力の最大量が上がる訳じゃ、…いや前者の影響で上がってるかもしれないけれど、それでも最大値はあるから。一気にその分使ってしまえばやっぱり使い過ぎで危険領域になるって事なんでしょう。
それでも、使った分が急速に回復するって事は、かなり思い切って魔法を使いまくれるって事じゃないか。
……それくらい、ドラゴンと戦うのって、厳しいんだろうなあ。
《注意点としては、私はあくまでも、この森の神だから。森から出たら、私の加護は効果が発揮されないからね。それから……》
「それから?」
《君は、成長が遅いのを気にしていたけれど。たぶんこの加護の効果で魔力量が上がって、更にそれが遅くなると思う…かな》
「ぴゃっ。…は、ハーピィって、ホントはどれくらいの、じゅみょーなの?」
《だいたい50年、長くても60年かなあ…。君は元々プリンスでその倍くらいだったから、…これで、更に、その倍…くらい…?》
200年くらいって事ですか?!
ちょっと歯切れが悪くなったのは、多分彼自身寿命で亡くなった訳じゃないからとか、当時は勿論まだハーピィの神様はいなかった訳で、こんな手厚い加護を与える神様もいなくて、僕が初めてになるから解らないんだろう。
い、いったい、僕はいつまで、雛をしていればいいの……!!
「ん、んー、…でも、いいよ。森をまもるのが、いちばんだいじだもん」
《うん、ありがとう》
一瞬ためらったけど、その分長く森を守れるって事だもんね!
遅いってだけで、成長が止まる訳じゃないし! いつかは大人になれるから大丈夫大丈夫! そう、いつかは!
「ほかのハーピィたちには?」
《んん……普通のハーピィには、どんなに加護を与えても、ドラゴンと直接戦えるレベルに出来るかは、解らないから。そもそも、君にあげるほどの強い加護を、彼女達には受け止め切れないと思うし》
「そっかー…」
《もちろん、ハーピィ達だけでドラゴンと戦うって事になったら、その時は全員に出来る限りの加護をあげる。そこは、流れを見てね》
加護って言っても、いい事ばっかりじゃないんだね。
本人の素質というか、許容量みたいなのもあるんだ。そうだよね、ハーピィとか人間とか一言で言っても、それぞれの個性や素質ってものがある。
人間がどんなに鍛えても、エルフ並の魔力を手に入れられないのと同じ。
たまたま、僕がプリンス種の特別性だから、強い加護を付与されても大丈夫なだけで。
…さらに言えば、これ以上僕のハーピィ達をあんなズタボロにされるの、イヤだから。可能なら僕一羽でドラゴンさんボコメキョにしたいくらい。
危ないし、怒られるだろうから、出来たとしてもしないけど。
「だいじょぶ! ティリノセンセたちも、シオンさんたちも、サフィールさんたちも、やさしくってたのもしいから! みんなで、この森をまもるよ!」
《うん。君には、私には無い、『種族を越えて、皆で協力し合おう』って気持ちがあるからね。きっと私以上に、立派に森を守れると信じているわ》
なでなで、とまた頭を撫でられた。
先代である彼にも、やっぱりあんまりハーピィ以外と交流するって感覚はなかったのかな?
いったいかつてのハーピィ王国がどんなもので、他種族とどんなふうに関わってたのか、ちょっと気になるけど……
それは、またいつかの機会に聞く事にしよう。
別に、彼の後をついていきたい訳じゃ無い。僕は僕で、少しでも良い方向に行くように、これからも頑張るだけなんだから。
《それじゃあ、そろそろお行き。森とハーピィ達を、どうか宜しくね》
「うん! ……あ、かみさまの事は、だまってた方がいい?」
《それも任せるよ。君達が自由に飛べるように、静かにしていただけだから。君が必要だと思うなら話しても、話さなくても》
やっぱり、神様がいる! 神様のために! みたいな感じにならないように、黙って見守ってくれてたんだ。
そもそもハーピィにとってはかつての王、というのをずっと忘れず語り継いで、今でも尊敬や憧憬を感じているだけで、神様的には信仰心としてちゃんと糧になっているから、それでよかったんだろう。
うん、まあ話すか話さないかは、流れでいっか。
……あ、僕に急に加護がついた理由としては、普通に話す事になりそうかな。
がんばる! と気合を入れて頷き、ぱたぱたと翼を振ると、神様も振り返してくれて……それから、視界が白く靄がかかる様に霞んでいった。




