先生
☆オスハピ子視点ではありません。
「最悪だ……」
意識せずとも、そんな言葉が口から漏れた。
そして、両手で頭を抱える。
生まれてこの方、17年。嫌って程『最悪の日』を更新してきたが、今日と言う日はそれらを遥かに越えて、燦然と一位に輝くだろう事が明白だった。
一言では説明できない、至極面倒くさい役目を押し付けら……、託されて、広大な迷いの森に足を踏み入れ、野営をする事となった初日。
旅慣れなんてしてる筈もない俺は、護衛役をかって出てくれた、数少ない友人である三人の冒険者に見張りを任せて、早々に眠りに落ちた。
目覚めのきっかけとなったのは、ぴぃぴぃ、ちぃちぃという鳥の鳴き声。
さすがは森の中。王宮とはかけ離れた、爽やかな目覚めの合図である。
まあ、硬い場所で寝たのだから、身体が痛いのだけは頂けないが……
目を開き、霞む視界が鮮明になると同時に、あんぐりと口を開ける事となった。
聞こえていた鳥の声は、愛らしい小鳥とかそういうものではなかった。
俺の目に飛び込んできたのは、茶色と黒緑色の雑な作りの壁。そして、その隙間から見えるのは、知らない女の後姿。
5秒程思考が停止し、ガバっと飛び起きる。
木と鉄木茨で作られたその壁は、前方だけではなく、左右にも後方にも存在している。即ち、閉じ込められている。
一緒に居た筈の3人は、影も形も無い。
……これは、下手に痕跡が無い、という意味ではホッとした。
壁には隙間が沢山あって、この囲いの外を見ることが出来る。
ちらりと見えた女の背中だが、女であるのは上半身だけだった。
下半身は大きな肉食の鳥。両腕は翼。
疑うまでもなく、この森に棲みついているという、ハーピィだろう。
「おい! これはいったいどういう事だ?!」
すぐ近くに居た、赤い髪のハーピィに声をかける。
ハーピィはこちらを振り向くと、のしのしと近寄ってきた。
……服を着る、という文化を持っていないから、その上半身は女性の裸身で微妙に視界に困るのだが、今はそういう事を言っている場合ではない。
「オキタカ」
「起きたか、じゃあない! いったい何のつもりだ?!」
「……? モット、ユックリ、ハナセ」
「ああ…、ええとだな。どうして、俺を、ここに、とじこめてる?」
どうやら、人間語を理解するハーピィのようだが、あまり得手ではないようだ。
怒りも交えて早口で言うと、上手く聞き取れないらしい。怒りと動揺を極力抑え、俺はゆっくりとしたスピードで問いかける。
「ワレラ、タマゴ、ウム。チカイ」
「は?! お前らの繁殖期って冬の終わり…っ、と。繁殖期、まだ先、だろ?」
「ソウ。ダカラ、ココ、イロ」
「……いや待て、はいそうですかとか言うと思うのか?!!」
「??」
「あああああめんどくせええええええええ!!! いいから出せ! こっから!! いますぐ!! 出せ!!!」
「ダメダ」
「こちとら元々お前らに会いに来ているんだよ!! 突然フライングされても困るんだよ!! お前らが欲しがりそうな物なら持ってきてるし、やるから出せ!!」
「……」
「あー…、お前たち、欲しそうなもの、持ってる。それ、渡すから。出せ」
「ダメダ。ワレワレ、ホシイ、オス。オマエ、ヒツヨウ」
だめだこりゃ……
沸々と湧き上がる怒りを抑えて交渉してみたものの、却下である。
今は冬の真っただ中。と言ってもこの森の近辺は温暖であるので、北の方に比べれば暖かいが、ともかく現在は真冬。
ハーピィ達の繁殖期は、春の訪れを告げる、桃の花の一輪目が咲く頃。
まだ2か月は先だ。…もう2か月前、とも言えるけども。
とはいえ、繁殖期に先んじてオスを捕えてキープしておく、なんてことをするとは聞いた事が無い。ここの森でも、他の地域に住むハーピィの話でも。
赤髪のハーピィは話は終わりだ、とばかりに背を向け、離れていく。
交渉決裂、というか交渉する気もないのだろう。どすんと地べたに座り、怒りを込めてあの赤髪ハーピィを睨みつけた。
いっそフレイムでもぶつけてやろうか……と思ったが、発動場所が自分の傍で、敵まで飛んでいくという性質上、この檻にぶつかるという事になる。
崩れれば、大量に這わされた鉄木茨で俺はズタズタ。引火すれば、最悪丸焼き。
腹いせにやるには、ちょっとリスクが高すぎる。
雷の魔法でも同じ。氷の魔法は、専門外。風魔法は……ハーピィは風の加護を持つというから、効きが良くないかもしれない。
そしてどれにしても、下手にこの檻に当てれば、檻そのものが崩れて大惨事確定間違いなし。
「…くそ、どうするか……」
地べたに胡坐をかいたまま、一人ごちる。
ハーピィは、繁殖期には他種族のオスを浚う。それはハーピィという種族を知っていれば、誰でも知っている有名な話だ。
だが、そこで使われたオスが、無事に帰ってきた、という話はついぞ聞かない。
あいつらはあんな美しい女の姿をしておいて、れっきとした肉食獣。であるからには、つまりはそういう事なのだろう。
となれば、ここでキープされている俺は、2か月後にはあいつらに美味しく頂かれる事になる。二重の意味で。
「ふざけんな、全く…」
ああ、イライラする。どうして俺がこんな目に合ってるんだ。
そもそもにおいて、あのクソ大臣が俺に無茶振りしたからいけない。
この森のハーピィが、どうやら人間に友好的なようだとか! 今はまだ、繁殖期には遠いし、夜は鳥目だから安全に休めるだとか!! この森の資源を確保する為にも、ハーピィを味方に引き入れれば万々歳だとか!!!
最後には多少同意するが、何処が友好的で、何が繁殖期前だから安全だ!!
しかも眠っている間に連れてこられたって事は、こいつら別に夜でも活動できるんじゃないか!! とんだガセネタだ!!
仮にも一種族の支配地域に足を踏み入れ、交渉するのだからそれなりの者でなければいけないと、王子達の中でも最も魔力に優れ、知性溢れる俺ならば最適などと、思ってもいない美辞麗句で王や他の大臣の前で勧めやがったから!!
しかも、他の奴らも兄弟達も、挙句の果てには王まで賛同しやがって!!
王宮では『出来の良い素直な良い子』をしている俺には、最早断れなかった。
……まあ、解ってはいるんだ。あれは完全に、9割方の人間は悪意と共に発案して、同意していた。
側室どころか、王の妻ですらない、ただ気に入られていただけの踊り子の子供。母親が死んで、知らぬ存ぜぬで放置されなかったのは、それなりに愛情か愛着はあったのだろうが、いっそ放っておいて欲しかった気がする。
取り入って利用するだけの価値もない。王位継承権は低いクセに、出来だけは良い。そんな、王宮内では面倒な存在。
それでもせいぜい暗殺されないように、兄達に取り入りおべっかを使って、将来適当な役職に収まれるようにしてきた結果がコレだ。
ていうか、これ最早遠回しな暗殺だよな?
腐っても王家の血を引く人間。外に放り出し、いつかクーデターの火種となっても困る。だが、内に入れておくのも面倒くさい。
故に体のいい大義名分をつけて、こんな危険な場所に派遣し、あわよくば野垂れ死んでくれればゴミ掃除も出来て、スッキリ万々歳……
……こんなところか。
「……っっざけんなマジこらあああぁぁぁぁぁ!!!! 全員顔も名前も解ってんだからな、死んだら速攻で呪い殺して末代まで祟ってやるから覚えてやがれ今畜生おおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
「ウルサイ! オマエ、ウルサイ!!」
「うるさいのはそっちだ鳥女!! お前らの繁殖を手伝わされるんだぞ、少しは敬意って物見せて、ストレス発散の絶叫くらい大目に見やがれ!!! この横暴!! 赤毛!! 貧乳!! 鳥の癖に猫目!!!」
「ウ、ウ……??」
さっきの赤髪が駆け寄ってきて怒り出したが、それ以上のテンションで悪口雑言叩きつけたら、怯んだのか一歩後ずさった。
恐らく、自分達が捕まえて優位に立ってる筈なのに、全く怯えず更に何言ってるのか解らない言葉をまくしたてたので、驚いたのだろう。
ふん、ちょっとだけスッキリした。
王宮では、腹に溜めるだけで口には死んでも出せなかったからな…。それが良かったとはカケラも思わないけど。
……まあ、俺の事情はさておいてだ。
真面目に、脱出する方法を模索しないといけないだろう。寝てる間に捕まりました、もう諦めましょう。などと思うつもりはない。
一か月の猶予はある。なんとかしなければ。
国からの救助は? ……ある訳ない。それは考えるだけ無駄。
一緒に来た3人は?
……森から無事に、近くの村まで帰る事は可能だろう。ただ、俺が居るここまで辿りつけるだろうか?
ここが何処なのか……たぶん、迷いの森の中心部にあるという、長老木。
頭上を仰ぎ見れば、分厚い木の葉の層で覆われている。おかげで、囲いだけで屋根の無いこの粗末な檻の中でも雨の心配はなさそうだ。
木に登れば、その存在くらいは確認できる。実際、ハーピィがねぐらにしているとしたらここだろうと、それを目指して歩いていた……つもりだった。
2時間おきに、木に登って方向を確認していた。
にも関わらず、まっすぐ歩いている筈なのに、長老木に近づける気がしなかったのだ。気が付いたら、全く見当違いの方向を向いている。
これが、迷いの森の特性なのだろう。
自然的な物ではなく、魔法的な何か。一緒に居た魔女の少女も、俺も何かが働きかけてきている感覚はあれど、抵抗というものを試みる事さえ出来ない。
……そう考えれば、彼らがここまで辿りついてくれる可能性は低い。辿りついた所で、俺を助けようとすれば群れ中のハーピィを敵に回す事になる。
森の中のハーピィは、開けた場所で戦う時の何倍もの危険度に跳ね上がる。しかも、あいつらが使う呪歌は抵抗がとても難しい。魔法に長けた者で、抵抗に全ての感覚を使えばなんとか、という強力なものだ。
……助けが来ることは、望まない方がいい。むしろ、あいつらには無事に帰って貰いたい。彼らには、多くの友人や家族が居るのだから。…俺と違って。
助けを望めないという事は、自分で脱出するしかない。
この檻を壊す事は可能だ。一辺を破壊したら三辺が崩れて、頑丈さと鋭さでは折紙つきの鉄木茨で全身ずたずたになるだろうけど、ならば全方位を吹っ飛ばせばいい。それは、無理なく可能だと言える。
ただ、その後は?
逃がすまいと追ってくるだろう、ハーピィを撒けるか? あいつらのなわばりである、この森で?
いっそ、徹底交戦をするか? …何匹居るかも解らないハーピィ相手に? 食料も水も無い状態で、長期戦が出来るか?
そもそも逃げ切れたとして、この森を抜けられるか……?
「……詰んでるな」
がくり、とうなだれた。
他力でも自力でも、脱出は不可能だ。ハーピィはかつて森の覇者とも言われた魔物。全盛期には、ドラゴンすらハーピィの住まう森では息を潜めたと言う。
今はその栄光も遠い昔だが、今でも森の中のハーピィに手を出そうなんて酔狂な輩は居ない。
ここに居るのは、人間の俺一人。あいつらを敵に回して、勝てる筈が無い。
となれば、なんとか交渉して自主的に解放して貰う他は無い訳だが……
「詰んだ……」
繁殖期のハーピィのオスへの執念、というか卵への執念。それを覆して解放して貰えるほどの交渉材料がない。
というか、何を以てすれば覆せるのか、見当もつかない。
知性があり、時には人の言葉すらあやつるほど賢いが、魔物は魔物。大自然に生きる、野生生物に変わりは無い訳だ。
……何も、悪い事をしているって事ではない。あいつらにとっては、生命を繋ぐための唯一の手段。真っ当な命の営み。悪気なんぞ、これっぽちもない。
そこに、土足で踏み込んだこっちの落ち度と言っても良い。
…せめて、生かして帰してくれれば、喜んで協力す……、……喜べはしないか、うん、ちょっと。
ああ……。俺の人生初めての経験がハーピィで、しかもそれが最後になって、あまつさえ喰われるのか……
「最悪だ……」
思えば、面白みなんてない人生だった。
特に望まれず生まれて、周囲に散々叩かれ、頑張っても褒められもせず、最終的に鳥に囲まれて二重の意味で喰われる……
俺が何をしたって言うんだ。なんの業を負ってるんだ、俺は。
こんな事なら、王の血を引いてるなんて知らないまま、スラム街でアウトローをしていた方が、まだマシだったんじゃないだろうか。
「オ、マエ、…コッチ、ミロ」
「……ん?」
全く希望が持てず、深く俯いていたら、さっきの赤髪ハーピィとは違う声が聞こえた。
顔を上げると、今度俺を見ていたのは、うっすらと水色がかった銀の髪の、小さなハーピィだった。赤髪のやつは、いつの間にかどこかへ行ったらしい。
その後方で、金髪のハーピィが見守っている。…こっちは胸がでかいな。
「…コトバ、ワカル、カ?」
「……ああ、まあ」
あの赤髪もカタコトだったが、こっちは更にたどたどしい。
それはそうか、見た所まだまだ小さな子供だ。ハーピィの成長速度は人間よりは早い筈だから、7・8歳前後の子供程度に見えるが、これでも1歳か2歳の雛なのかもしれないな。
反射的に質問に応え、頷くと、小さなハーピィは嬉しそうな顔をした。
……成程、まだ人間語勉強中の子供か。言葉が通じたのが嬉しいんだな。
続けて、ぴぃぴぃ、ぴゃるるっと鳥の鳴き声で金髪と話をしている。
どんな種族でも、子供って言うのは無邪気なものだな……。何年か後には、こいつも二重の意味で肉食になる訳だ。時の流れとは恐ろしい。
「ハナ、シ、スル」
「うん?」
「…コトバ、…クレ」
振り返って、再び俺に話しかけてきたが、ようするに、なんだ?
言葉をくれ? ……人間の言葉を、教えてほしいって事か。
…なんだって、人を誘拐して色んな物を奪おうって奴らに、そんな事してやらなきゃならないのか…
ハーピィの本能と命の営みと解ってはいても、殺されるのがほぼ確定しているのに大らかになんぞなれるか。
知るか、他所を当たれ……と言おうかと思ったが、少し考える。
……まだ、繁殖期云々には早い子供だ。
上手くてなづけて、脱出を手伝わせるのもアリか? …いや、雛一匹に群れの大人達を説得するのは流石に難しいな。
なら、人質にするか?
……うん、命は惜しいが、流石にゲスいな。そもそも、野生動物というのはなかなかシビアだ。群れの存続の為なら、子を捨てる事は珍しくない。
きらきらと、穢れない期待の瞳で俺を見る、小さなハーピィ。
…そんな物を向けられたのは、初めてかもしれない。周囲から向けられるのは、少しの同情と、多くの蔑み。友人と呼べるのは、ここに一緒に来た三人だけ。
「……まあ、どうせ詰んでるしな…」
「ぴぃ?」
あの赤髪ハーピィとは、お話にならない。
一縷の希望の糸があるとしたら、俺に話をする事を求めている、この雛くらいなものか。
蜘蛛の糸も真っ青の細くて脆い糸だが、それに縋ってみるのも一興か。
…ついでに、少しでも恩を売っておいて、こいつが大きくなった時に人間に友好的なハーピィとして、ここに入る冒険者を助けてくれれば、まあ何も為せずに死んだと思わなくていいかもしれない。
だとしても、王宮の奴らは呪うがな。
「おい、チビ」
「ぴ?」
「教えて欲しいって言うなら、言い方ってものがあるな?」
「…ぴぃ?」
「『教えてください、お願いします』、だ。言えたら先生になってやる」
現時点で、こいつがどこまで理解しているか解らないが。
意地悪な笑顔で持ちかけたら、チビハーピィは一瞬首を傾げ、考え込んだ。
「…オシ、…エ、……オネ?」
「ああ、長かったか。じゃあもう一回な、教えてください」
「オシ、エ、テ、…クダ、サイ」
「お願いします」
「オネガ、…イ、シマス」
「それを、つなげて?」
「オ、シエテ、クダサイ、オネガ、…シマス」
「うん、まあいいだろ」
よしよし、おうむ返しにしてるとしても、覚えは良さそうじゃないか。
偉そうに大きくうなずくと、チビハーピィはパアアァっと輝かんばかりに、とても嬉しそうな笑顔になった。
ん、…なんだ。純粋さって、ある種の暴力かな?
あわよくば脱出の手がかりに……とか思ってる、俺の良心がちょっとだけ痛んでしまった。存外、お人好しなのかもしれない。
スレてるけれど、根はいい子な方です。
というわけで、王子様でし……名前が出せなかったっ?!(がびん)
次回多分出ます。
尚、第7王子くらいであり、更に母親の身分のおかげで、下の王子王女よりも王位継承権は下、という本当に散々な人です。




