孵化
気が付いたら、そこは暗闇だった。
正確には、目を閉じているのだから、暗闇ではないのだとは思うけど。でも、瞼を開ける事ができないのだから、おんなじこと。
この場所はとても暗くて、狭くて。僕は手足を折り曲げた状態で、動くことは出来ない。
手足がある、という感覚はあるんだけど。どうやっても動かせない。
なんでだろう。わからない。全く体に力が入らない。
こうなる直前は、……あれ、どうしてたんだっけ?
身体が動かせない代わりに、頭を動かそうとしてみたのだけれど、それすらもままならない事実に愕然とする。
どうしてこうなったのかが、全く思い出せない。
これはまさか、僕は何か事故にあって、頭を強く打ったりとかで、記憶にも身体にも障害が出て、現在植物状態……とか言う、恐ろしい状況なんだろうか。
改めてよくよく考えてみると、こうして思考している自分、すらも誰か解らない。
名前も、家族も、住んでいた場所も、何も思い出せない。
自分が、男女どちらの性別だったのか、さえも。
なんとなく自分は人間で、暮らしていた場所にアスファルトで舗装された地面や、コンクリートで作られた巨大な建築物があるような、そんな感じであった事は解るのだけど。
というか、そういう漠然としたものが解って、何故自分のパーソナルは何もないのか。
こんなにも、思考はハッキリ行えるというのに、自己を証明する何もかもが無い、という事はあまりにもショックで、不安な事だった。
声を出せないまま混乱し焦燥に駆られる僕に、どこからともなく声が響いてきた。
「―――もうすぐ、――ら?」
「ええ―――、元気に――と良いのだけれ――」
それは、とても優しげな女性達の声だった。
喜びと、愛おしさと、慈しみと、少しの心配。そんな感情を乗せた声に、突然僕はすっと冷静になる。
なるほど、解った。不思議だけど、今のだけで解ってしまった。
僕は今、事故で全身ずたずたとか、植物状態でただ生きているだけとか、そういう恐ろしい状況な訳では無い。
単に、まだ生まれていないのだ。
赤ちゃん、というか、胎児の状態。そりゃあ身体が自由に動く筈もない、ここで大暴れしたら、お母さんの方が大変だ。
じゃあ何故こんなに思考が動くのか、こうなる前を、漠然ととはいえ覚えているのか……
謎は尽きないけど、そういえばほら、とても小さな子に生まれる前のことを聞くと、結構答えるとか言う話を聞いた事がある。きっと、今はその状態。
これから生まれて、世界から沢山の刺激をうけるうちに、忘れてしまう希少な時間。
なら、折角なのだから、この不思議を楽しむ事にしよう。
前の僕がどうやって生を終えたのかは全く覚えてないけど、これから生まれる僕には関係のない話だ。
混乱が落ち着いた後だと、ここはすこぶる居心地が良かった。
とても心地良い温度のお風呂に、全身の力を抜いて浮いているよう。呼吸はしてない気がするけど、息苦しくは無い。
確か、へその緒とかでお母さんと繋がってて、空気や栄養を貰ってるんだよね。
んん、そういう知識があるって事は、僕は女の子だっただろうか? あ、でもそれくらいは男の子でも知っている知識だった気もする。
この知識は、生まれた後どれくらい持っていられるのだろう?
日記として書ければいいんだけど、文字を書けるようになるころには忘れてしまうのかもしれない。勿体ないなあ、覚えていられたら僕は神童としてちやほやされるかもしれないのに。なんてね。
頭の中でふざけていたら、ころんと上下が逆になった気がして驚いた。
ちょっとちょっとお母さん、なにしてるの?
妊婦さんも適度な運動が必要とは聞くけど、あんまり激しいのは控えてほしい。生まれる前に死んじゃうなんて御免だ。
ここは居心地が良くてずっと居たい気もするけれど、新しいスタートを心待ちにする気持ちもあるのだから。
―――どれくらい、時間が経ったろう。
朝も夜も解らないから、測りようもないんだけど。
相変わらず僕はゆらゆらと暖かいここで揺られていて、どこからともなく優しい声が降り注いでくる。
…そういえば、お父さんらしき男性の声を、一度も聞かないんだけど。
女性の声は、何人分も聞こえるのに。まさか、お父さんはいないなんていう事は……
……いや、それでもこんなに優しい声のお母さんが居るのだ。不安に思う事は無い。きっと、僕はちゃんと愛して貰える。
そんな事を考えていたら、なんだか甲高い声が響いた。
それに続けて、わっと女性達の声が沸く。
「―――たわ!」
「まあ、とても―――な子!」
ああ、成程。近くで、他の子が生まれたんだ。
……え? 近くに他の妊婦さんも居るの? そこで生まれたの?
なんかこう、赤ちゃんってお母さんを分娩室? だっけ? に連れて行って、お医者さんと看護師さん達にお手伝いして貰って生まれる、ってイメージなんだけど……
あ、でも昔ながらの、なんだっけ、助産婦さん?? が手伝ってくれる、みたいなところもあるんだよね。そういうとこなのかな?
凄く気になる。僕が生まれるのは、どういうところ?
僕の番って、いつになる?
早く早く、外が見たくて身体を揺さぶる。
すると、この間まで全く動かなかったのに、結構自分の意志で動かせるようになっている事に気付いた。
揺れる、揺れる。僕のゆりかごが、大きく。
「あらっ、―――も?」
「―――よ、頑張って!」
皆が応援してくれた。これで合ってるみたいだ。
生まれるのって、こうやってするんでいいんだっけ? 暴れたらお母さんが苦しいんじゃない? とか、そういう思考は全く働かなかった。
それらしい、困ってたり苦しんでたりする声が一切なかったから。
折り畳んでいた手足を、一生懸命伸ばして。狭くて暖かくて、居心地が良かったここと、惜しみながらもお別れする。
暗かったここに、光がさす。瞼も開けられそうな気がしたけど、差し込んだ光がまだ僕には眩し過ぎて、閉じたまま。
僕を包んでいた暖かい物が、無くなった。肌に外界の空気が触れるのが解る。
こんにちは! 初めまして! これからよろしく!!
やっと生まれられたのが嬉しくて、僕は口をあけ空気を吸い込み、挨拶代りの産声を大きく上げる。
「ぴぃ!!!」
・・・・・・・・・・・・・
ぴぃ??
自分で上げた産声に、自分が吃驚してしまって、二の句を繋げなかった。
ぱちぱち、とまばたきする。
生まれたばかりの赤ちゃんなんて、周囲が見えないものだと思うのだけど。眩しさに慣れてくると、思った以上にくっきりと周囲を見ることが出来た。
「まあ、二つ目も孵ったわ! とても可愛い子!」
「…あら、どうしたのかしら。鳴き止んだわよ?」
今までも、ずっと聞こえていた女性達の声が、鮮明に聞こえた。
見上げたそこには、2人の女性が居た。他にも、遠巻きに人影が見える。
…………僕の目に飛び込んできた状況に、あまりにも不可解が多かったものですから、自分を落ち着かせる為にも、ひとつひとつ理解していこうと思います。
先ず、ここは室内ではありません。
視界の殆どが、緑と茶色。緑は揺れている木の葉で、茶色はそれが生えている枝。
ゆらゆらと、さわさわと。風に揺れる様子と、隙間から見える青色で、恐らくここは木の上ではないかな、と推測される。
少し、視線を落として見ます。
僕の周囲には、白くて硬い、何かの殻のようなもの。
鶏の玉子の殻に似ています。ただ、大きさと硬度はそれ以上だと思われる。
ちょっと振り返ってみたら、半分ほど割れずにそのまま、ころんと大きな丸い殻が転がっていた。
それは僕の真後ろにあって、こちらに向けて口を開けていて。
まるで、今しがた僕がそこから出て来たかのよう。
再び、視線を前に戻します。
聞き覚えのある声の女性。生まれる前にも、ぼんやりと聞こえていた声のひと。
とても、綺麗な女性です。片方は金の髪で青い瞳の、もう片方は赤い髪で緑色の瞳の。
金の髪の女性の方はストレートでさらさらとした髪質で、垂れ目がちで優しそうな顔立ち。赤い髪の女性はくるりとした癖のある髪で、きりっとした印象。
どうしたのかなと僕を見つめるその二人は、上半身の服を着ていなかった。
下半身も着てないけど
なんで全裸なんだとか、思う事はなかった。
だって、それ以上に……
両腕が大きな鳥の翼で、下半身は完全に鳥だったから!!!
「ぴ? ぴぃ…??」
状況に戸惑って、とっさに僕の口から出る声も、まさに鳥の雛。
自分の手足も、よく見れば白い鳥の羽で、あんよも小さな爪を持った鳥のそれ。
えっ? え……っ??
でも、肩からこちら側、おへそのあたりから上には、すべすべしたお肌がある。
目の前のひとと同じなら、ちゃんと顔もあって、髪もある。
これ、は。
もしかして、半人半鳥の……
……ハーピィ。とか、そういう生き物、なのでは……
「なんだか、様子がおかしいわね」
「ちょっと、ババ様に見て貰いに行きましょうか」
「そうね、それがいいわ。さ、おいで」
「ぴ?!」
おいで、と言いながら、がしっと胴体をわしづかみされた。
どうやって?? そりゃあ、大人らしい大きな鳥の足で、むんずと。
ひいい、結構爪がするどい! 鳥の足大きい!! これ、完全に猛禽類とか、肉食系のがっしりした鳥の足だよね?!
そりゃあ両腕が羽なんだから、抱っこするなんて出来ないんだろうけども……
赤い髪のお姉さんは、僕をわしづかんだまま、ばさあと翼を広げて飛び立つ。
「ぴい! ぴぃぃ?!」
「暴れちゃだめよ。大丈夫、落っことしたりしないからね」
金髪のお姉さんも、一緒に飛び立って慌てる僕を宥めてくれた。
怖い! 怖いよ! あっという間に、今居たらしい場所が視界から遠ざかる。
どうやら、僕は木の枝と草を敷き詰めてつくられた、超巨大鳥の巣の中にいたらしい。僕が出てきた卵の他にも、あと二つまだ割れていない卵がある。
さっきは気付かなかったけど、もう一つ割れた卵があって、そこから出てきたらしい小さなハーピィが、緑の髪のハーピィに抱っこされている……抱っこ出来るんじゃないか!
僕らが離れると、すぐに違うハーピィが二人、…二羽? ついて卵の様子を見始めた。
あ、ああ、群れで卵と雛の世話をするんだ……
てことは、この二人のどちらかが僕のお母さん、という訳ではないのかな。
僕を持ち運ぶ赤髪さんと金髪さんはぐんぐん高度を上げる。待って、この木ものすごく大きくない? 何の木??
少しして上昇が止まる。もう、ほぼ木のてっぺん近くについていた。
そして、枝の合間にある大きな鳥の巣に着地。そのまま着地すると僕を潰しちゃうからか、先に金髪さんが降りて、わしづかみされていた僕を両腕、というか両羽根で受け取ってくれた。
ふわっとした感覚だけど、しっかりホールドされてる安心感もある。ほっとした。
「ババ様、失礼いたします」
「おや……どうしたい。そろそろ、今年の雛が孵る頃だろう?」
「はい。孵りはじめましたが、二羽目のこの子の様子がどこかおかしくて」
その巣の奥は、枝や葉っぱの他にふわふわした羽毛が敷き詰められていて、そこに座っている黒髪の女性には、何やら貫録があった。
ババ様、というからおばあちゃんなのかと思ったけど、見た目はやっぱり綺麗な女の人。僕を連れてきた二人と、大差ない年齢に見える。
金髪のお姉さんが僕をババ様に渡すと、もふもふ羽毛のお膝に座らせてくれた。
わあ、座り心地良い。
「ぴぃ♪」
「おや、ご機嫌だね」
「あら…? さっきまでは、おろおろしているというか、驚いているというか…そんな感じだったのですが」
「うん? …この雛は、いつ生まれたんだい?」
「つい先程です。本当に、たった今」
もふもふ、ふかふかした感触を身体を揺らして楽しんでいたら、ババ様と二人のお姉さん、どちらも困惑しているというか、怪訝そうな感じになった。
ん? あれ? やっぱ僕、おかしいの?
と思ったけど、考えてみたら僕の常識でもおかしい。
生まれた瞬間から首が据わって……いやそれはいいや、こんな風に明らかに感情を見せる赤ちゃんなんて、居ないんじゃない?
赤ちゃんが笑ったり、怒ったりするのは、生後それなりに経ってからだった気がする。
それというのも、卵から出る前から僕は普通に思考が出来ていたし、なんだかんだで今現在も前の僕の知識と感覚を少々持っているからなんだけど……
これは、人間でもハーピィでも、なんかおかしい、よね?
「ぴ……??」
しまった、いきなりファーストコンタクトから失敗したか、と不安になる。
おかしな子として、育児放棄されでもしたらどうしよう。人間の赤ちゃんよりはしっかりしたつくりみたいだけど、だからって生まれたてで放置されたらどうしようもない。
どきどきしながら、じいっと見つめてくるババ様の、黒い瞳を見返す。
「この子……確かに妙だね。普通の雛ではなさそうだ」
変? 変なの? 生まれる前を覚えているのって、結構あるみたいな気持ちでいたけど、別にそんな事は無かった??
そうだよね、そうだとしても生まれたばかりの赤ちゃんて、こうじゃないよね!
自覚はあるけど、今更訂正しようもない……
ババ様は僕の顔をしばしじいっと見ると、まだしっとりしている羽や、髪を丹念に撫でる。その際におでこに繋がっている部分をつんつんと引っ張られた。なんだろう。
それから、もふもふした下半身もなでなで。うわあん、くすぐったい。
いい出汁がとれそうな鳥脚と、まだまだちっちゃい爪。
そして、くるんとひっくり返して。
「うん、この子は……!!」
え、なになに?
ひとまとめになってた尾羽をぱっと広げた所で驚愕の声が上がった。
気になるんだけど、自分のおしりは良く見えない。ただでさえ、ババ様のおむねの下あたりに顔がくっついちゃってるし。
「お前たち、見てごらん。この子の尾羽を」
「はい? ……初めて見る形ですね」
「そうね、なんだか私達とは違います」
「私も見るのは初めてだが、口伝で聞いた事がある……。…この子は、オスなんだよ」
え?
重々しく告げられた言葉に、お姉さんたちが息を飲み、言葉を失った事が解る。
な、なに? オスってことは、僕は男の子なの? それがどうしたの??
あっ、でも僕が知ってるハーピィなら、女性しか居ないんじゃなかったっけ? それで、別の種族の男性を誘って繁殖する、みたいなイメージがあるんだけど、オスって居たの?
っていうか、ハーピィの雌雄の見分けって、尾羽なんだ?
……あ、いやまあ鳥だから、その、ついてるかついてないかで見分けられないか…。僕にもあるかわかんないし。
「ほ、本当なのですか、ババ様。この子は、いえ、この方は、本当に…??」
震える声の金髪のお姉さん。ど、どうして途中で呼称が丁寧になったの?
くるん、と再び返されて、きちんとババ様のお膝に乗せられる。
再び視界に入ったお姉さんたちは、信じられないと言いたげに目を丸くしていた。
「ああ、間違いない……。まさか、私が生きているうちに、生まれる事があるとはねえ…」
感慨深そうに息を吐くババ様。
え、あの、なになに?? どういうことなの??
全く事態が呑み込めない僕をよそに、赤い髪のお姉さんが突然、翼を広げてバっと飛び立った。
かなり上の方にある筈のこの巣よりも、更に上空へ。
そして。
「聞いてくれ、皆ーー!!! この群れに、ハーピィの王子が誕生したぞーーーー!!!」
物凄く、どこまでも響きそうな声で、そう告げた。
さ、流石は鳥さん、声を出す事に関しては一級品なんだね!!
彼女の声からワンテンポおいて、この大きな木のそこかしこから、きゃーーー…というか、ぴーというかぴゃーというか、ほぼ鳥の声の歓声が湧き上がる。
いや、あの、お、王子?? どういうことなの、オスってだけで王子なの??
ハーピィが王政だったという話は、ついぞ聞かないんだけど。王政どころか、めっちゃ野生動物的な感じしてるんだけど。言葉は話してるけどさ。
顔に疑問符いっぱいくっつけてる僕を、ババ様は抱き上げて愛おしそうにほおずりする。
「伝承の通りなら、いったい何をもたらしてくれるのだろうね」
「ぴ…?」
「ああ、すまないね。いいんだよ、好きなように在りなさい。それがきっと、私らハーピィを導いてくれるのだろうから」
ほんとどういうことなの?
…まあとりあえず、歓声の後にわっと集まってきたハーピィ達の嬉しそうな声と笑顔、祝福の歌の大合唱で、僕は生まれた事を歓迎されてる事だけはよく解った。
それで充分だよね。例え人間に生まれなかったとしても。そもそも、人間が生まれ変わって人間である保証なんて、考えてみればある筈ないんだから。
生まれただけでラッキーだとも言うし。頑張って、生きる事にしよう。
転生したらオスハーピィでした。
という、確実に検索したら先駆者がいらっしゃるであろう、何の物珍しさも感じない転生ものを、なんか思いついたのでやってみようの精神でございます(
生まれる前のことは、自分が人間であったことや、多少の人間知識程度しか覚えてないです。
もう転生ものである必要ないのでは、と思ったんですが、転生ものの利点は「積極的に人間に友好的に接しやすい」というものがあるんですよね。
だから転生系増えるんだな……と理解した昨今でございます。
でも別に、現代知識である必要は無かったな(だが書き直さない)
そんな訳で、気まぐれに思いついたら更新するようなていたらくになると思いますが、もしも興味をお持ちいただけましたら、お楽しみ下さいませ。
ちなみに、執事さんの方よりは、ちょっと流血とかそういう表現が多いかもしれません。ハーピィなので。
尚、主人公はオスですが、ハーピィの上半身自体がオスを誘う為の擬態という意味で女性の姿なので、彼の姿も可愛い少女にしか見えません(笑)




