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尾花栗毛のアステリオス

 競馬好きは勿論、そうでない馬好きの皆、お待たせしました僕です。アステリオスです。オレンジがかった輝かしい馬体に麦色の鬣と尻尾をもつめちゃくちゃ美しくてカッコいい尾花栗毛のグッドルッキングホースですよ。もちろん、僕のことご存知ですよね? 昨年の菊花賞を危なげなく制して三冠馬になったときはニュースでもさんざん持て囃されて、全国からは男女問わず僕のファンが「キャァァァアス様ァァァァ!」って、たくさんファンレターを送ってくれましたからね。お茶の間のお年寄りはもちろん、普段は競馬なんてって眉を顰める奥様旦那様方、そして競馬って何なのかよく分からないようなよい子の皆も、僕の姿を一目見ただけでうっとりするくらいの見た目であることは、自負している次第ですので何も言わなくても大丈夫ですよ。

 三冠馬になって同世代の牡馬だんせい諸君との決着もついたということで、有馬記念では年上の諸先輩方にも挨拶を済ませ、”世代交代”の文字を叩きつけたときは本当に気持ちよかったな。まあ、その当日は長く競馬界を引っ張ってきたアイドルホースのお姉さまの引退式もあったから、余韻は持っていかれちゃった気もしたのですが、それはそれ。今年は僕の年になるのだという揺るぎない自信と期待と共に挑んだ阪神大賞典ではちょっとやらかしてしまいましたし、天皇賞(春)も何だかみんなの期待を裏切った気もしましたが、続く宝塚記念では好敵手って何だっけと言わんばかりの無双ぶりで勝利。おフランスに渡ったあとはフォワ賞で僕の素晴らしさを存分に見せつけてやれたと思います。

 まあ、そのあとの凱旋門賞では、ちょっと僕の悪い癖が出ちゃって同い年のフランス在住の牝馬おんなのこに負けちゃったんだけどね。まあ、でも皆、よく聞いてほしいのです。僕は訊ねたかったのです。強い牡馬だんせいは果たして本当に牝馬じょせいに対して強くぶつかってもいいのかということを。同年代、同世代の牡馬だんし諸君との決着はフォワ賞でついたし、凱旋門賞だって三位以下の皆のことは突き放してやったわけですよ。譲ったのはあの牝馬おんなのこだけ。そう、牝馬おんなのこだけなんです。そりゃあ文句は言われましたよ。レース後は調教師せんせいに「お前は日本の夢を何だと思っているんだ……」って本気で怒鳴られたわけではなく、目の前で泣かれました。あれはすごく堪えた。むしろ怒られる方がましだと思いました。でもね、僕は思うのです。あの馬場、あの重たい馬場で、同年代の牡馬だんせいを置いてきぼりに必死に上がってきた輝かしい牝馬じょせいの姿に見惚れぬ牡馬おとこがいるのかということを。きっと、力強さの秘訣でしょう。本当に彼女はいいお尻をしていたのですよ。……ええ、その美尻さんに見惚れていたらウイニングポストで――ってあああ、いえいえいえ、今は凱旋門賞の思い出に浸っているときではありませんね。

 はい、帰国後は体調次第でJCか有馬記念かというところでしたが、体調もいいということで、JCへと向かうことになったのは周知のとおりです。凱旋門賞二着だって立派な結果です。それに三着以下を突き放しての二着ですからね。だから、当然、僕は一番人気。他にも、今年の二冠馬アウマクア君や彼とダービーでは見ごたえのある勝負を見せてくれたという芦毛の桜花賞馬シラユリリーちゃん。そして秋華賞ではシラユリリーちゃんと名勝負の後、勝利を手にしたという青毛の二冠牝馬ルビーリリウムちゃん。特に牝馬おんなのこたちはエリザベス女王杯を蹴っての参戦ということで大いに盛り上がりましたね。クラシック、三歳限定戦が終わったばかりの後輩たちの未知の可能性に、全国の競馬ファンも期待を秘めたことでしょう。もちろん、二冠馬や牝馬おんなのこたちだけじゃなくて、菊花賞馬コックテール君に天皇賞春秋連覇を成し遂げたホロケウカムイ先輩などなど、この僕を除いても結構なメンツでしたね。また、外国からの招待馬のなかには、思わず僕がゴール板を譲ってしまった美尻――いや、美馬びじんの凱旋門賞馬も参戦するということで、注目されていました。美馬さんは日本の馬場があうのかとも問われてはおりましたが。

 ですが、誰が注目されていようと関係ありません。このレースだって主役は僕なのです。僕はこの中では唯一の三冠馬。今年もクラシック二冠馬が現れたことで大いに期待されましたが、残念ながら菊花賞を勝てたのは違う牡馬だんしでしたね。つまり、三冠馬とは運も実力も味方につけたものだけがなれるのです。今年の主役は誰ですか。そう、アステリオス。僕です。牝馬おんなのこにゴールを譲ったとしても、その誇りは譲ったりしていません。だから、久しぶりにこの耳で聞く関東のG1ファンファーレの盛り上がりと共に、僕の闘志も非常に高まっておりました。

 そして、JCは始まったのです。

 ゲートが開き、各馬かくじまずまずのスタート。大方の予想通り、はなをきったのは芦毛の桜花賞馬シラユリリーちゃんでした。それを追いかけるように天皇賞馬ホロケウカムイ先輩がついていき、場内はどっと歓声が上がったと聞いております。他、二冠馬アウマクア君や菊花賞馬コックテール君など後輩君たちもそこそこの位置。僕は中断からやや後ろ。そのさらに後ろには不気味なほど静かに青毛の二冠牝馬ルビーリリウムちゃんが息をひそめていました。何にせよ、僕は僕のレースをするまでです。大欅おおけやき(本当はえのきらしいですね)を越えたら、いよいよ仕掛けどころ。魔の第3コーナー。ここで一人脱落しましたね。ええ、外国から参戦された方だったと記憶しています。レース後になって僕も心配しましたが、どうやら無事なようでよかったです。ですが、レース中は他馬たにんの心配をする暇もありません、第4コーナーを曲がればすぐにでも「だんだら坂」です。長い直線。非常にタフな場面。皆が皆、懸命に前を走るシラユリリーちゃんを捕まえに行きます。ですが、遅い。アウマクア君やコックテール君、ホロケウカムイ先輩の上がりさえも遅く感じました。まだ三歳なのにもう白い天使のような馬体をしているシラユリリーちゃんを捕まえるのはこの僕。美しいだけでは駄目なのです。競馬の世界では、美しく、そして強くなくてはならないのです。

 それにしても、シラユリリーちゃん。逃げ馬として活躍しているだけあって、スタミナのありそうな見事な尻をしていました。気が早いけれど、引退した後はいいお母さんになりそうです。そういえば、彼女の血統は僕と比べてみても無理のないインブリードが発生する程度だった気がするので、もしかしたらもしかして、勝負事とはまた違った再会をするかもしれませんね。……ふふ。あ、すみません、何でもありません。

 脚色あしいろの衰えないシラユリリーちゃんを捕まえることは容易ではないですが、府中の直線はとても長く、絶好の場所です。なので凱旋門賞での失敗を忘れずに、僕は自分の力をいっぱいに出して走ったのです。――はい、内にささるのが僕の悪い癖です。鞍上の相棒もそれを分かってはいるのですが、人間の力で僕の動きを完全に制御するなんて不可能らしくて。それに、僕の頭には前を走るシラユリリーちゃんを捕まえるということしかありません。だからですね、直前まで気づきませんでした。ライオンか何かの唸り声かと間違うような「道を開けろぉぉぉ!!」って怒声を聞くまでは。ドンっと衝突して僕の内側を突破していったのは、漆黒の馬体を輝かせた牝馬二冠のルビーリリウムちゃん。電撃のような末脚で「シラユリリー覚悟ぉぉぉ」と猛獣のように追いかける彼女の姿に、僕はちょっとだけ怯えました。はっと我に返り、すぐに追いかけ、そして、一、二、三着と写真判定の接戦。以下は大きく離れて入線。確かに僕は三冠馬だし、牡馬おとこです。でも、牝馬おんなのこに先を譲るのは余裕のあるときだけです。呆気に取られればレディーファーストなんて忘れて追いかけるわけです。そうなれば、元から実力のある僕ならば勝利をもぎ取れる……はずだったのですが、やはり一瞬の気の緩みは大きかったようです。

 勝者は芦毛のシラユリリーちゃ――女史。桜花賞から日本ダービー二着、秋華賞二着と悔しい二着が続いたのちのJC制覇でした。あっと言わせる逃げ戦法に目立つ芦毛ということで、ファンも多い彼女の勝利に歓声をあげるお客さんも多かったよう。そしてハナ差二着は僕……と、青毛のルビーリリウムちゃん。なんと、同着でした。この結果に多くの馬券が飛び交い、嘆きやら歓声やらが広がっていたようです、僕はまた牝馬おんなのこに負けたと揶揄されながら帰っていきました。後悔はありません。僕はあの時に出来るレースをしたまでです。さすがに有馬記念は出ません。冬休みをいただきます。

 それにしても、シラユリリー女史を追いかけるルビーリリウムちゃ――さん、普段は綺麗なのに、あの時はすごくおっかない顔をしていてびっくりしました。なるほど、あれが牝馬おんなの怖さというやつなのですね。この二頭ふたりに対してはレディーファーストなんて失礼ですね。また走ることがあったら、次こそは僕の本気を見せつけてやりたいです。あ……でも今度はちょっとだけ離れて走りたいなって、そう思いました。

 ……それにしても、二頭ふたりとも、いいお尻だったなあ。

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