第1章 氷の記憶
前作 新時代グレゴリアン第壱部の続編となります。相変わらず駄文ではありますが、どうぞお付き合いください。
(…なぜ、この世界はこんなにつまらないモノになってしまったんだ…)
その青年は、岩でできた薄暗い牢屋のような部屋の中にある、唯一の木製のドアをチラッと見てため息をついた。するとすぐに視線を目の前に戻し、みすぼらしく伸びた前髪を右手で掻き上げながらベッドの上で”それ”を再び眺め始めた。
(…どうせ、この部屋を出て行ったって何もないし、誰もいない。この部屋以上の世界はもうどこにもない…)
今のこの青年にとって、”それ”を見ることは人生の全てであった。
”それ”を見ていると、夢見心地のような気持ちになり、”それ”以外のモノに関心を惹くどころか信じることさえも忘れてしまっていた。
青年がいつの間にか”それ”を手にしたその日から、青年はドアの向こう側にも興味を失くし、自らこの牢屋にこもることを選んだのだ。
実際、この部屋にこもっていて青年が不自由することはなかった。部屋の隅には地下に続く石の階段があり、その先には以前から大量の食糧が保存されている小部屋―言わば天然の冷蔵庫があるのだ。なぜ都合よくそのような空間があるのか疑問を持ったこともあったが、今の青年にとってはそれすらもどうでもよいことであった。
(さて…、少し小腹が減ったかな…)
本当は食事をする時間すらも億劫に感じている青年は、”それ”を一旦手放し、しぶしぶベッドの上から降りた。みすぼらしく垂れた前髪をごまかすように束ねて結い、肩まで伸びた後ろ髪はそのままの状態で部屋の隅にある階段に向かう。
青年の顔は悪くないが、まともに栄養をとっていない為に身体はやせ細っていた。少し衝撃を与えれば折れてしまいそうなその両足が階段の1段目に差し掛かった時―。
―ドーーーン!!!
「うぉわっ!?」
その異常な衝突音は、青年のいる部屋のドアを外側から蹴破って入ってきた。ドアを構成していた木片がバラバラにされ、部屋のあちこちに散布する。青年はその様子を確認しようと振り返ることもできず、足を踏み外して無様に下へ転がり落ちてしまった。
「いっつつ…、な、何なんだよ…!?」
尻餅をついた青年は階段の下から入口の方を見上げた。すると、そこには青年がこの世で最も苦手とするモノが倒れていた。
「………こ、子供…?」
長らく自分以外のヒトの存在に会わなかった為、それがヒトであることを認識するのに数秒かかった。そしてそれがわかった瞬間、青年は小部屋の奥に身を潜めようと床を這いずり始める。
(―な、な、何なんだあれは!?…よりによって、僕が一番関わりたくないモノが…!)
小部屋の奥に着くと、食糧を詰め込んだ幾つかのタルを壁代わりにし、そこへ身を隠す青年。上の部屋の状態も気になるが、それ以上にあの子供が目覚めた時に少しでも関わってしまうことの方が余程苦痛であった。
(…いや、待てよ。もしかしたら―。)
既に息をしていないかもしれない。あの轟音だ、きっと無事では済まされないだろう―そう感じた青年が自己の中でしばらく葛藤をした後、おそるおそる階段の上へと細い足を向ける。
(ま、まぁ…、どのみち放っておくのはゴメンだしな…。)
青年は子供の全貌をその両目でしっかりと確認する。褐色でいかにも外を走り回っていそうな肌、左側だけのぞかせた八重歯、頭はターバンのように布をぐるぐる巻きにしていて、巨大な帽子のようにも見える。ダボダボのモンペのようなズボン?を履いているが、靴は履いていないようだった。青年とはまさに対極のイメージを持つ存在がそこにいた。
そして何よりも不思議なのは、あれほどの轟音の中で飛び込んできたというのに、身体のどこを見ても傷らしい傷が1つも見当たらないことだ。そして青年にとっては残念なことに、その子供はまだしっかりと息があった。
「んにゃ…。―あ、あれ?ここどこだろ…。」
子供はハッと眼を覚まし、キョロキョロと辺りを見回す。
「…げ。」
「…あ。」
両者は目を合わせてしまった。片方は面倒なことになったと眼をひそめ、もう片方は
探し物を見つけたかのように眼を輝かせながら。
「うわぁい!やっっっと見つけたぁ~!!」
「ちょ…、おま、えぇぇ!?」
その子供は初対面の青年に突然抱き着き、喜びを表す。青年は子供の頭部を右手で鷲掴みにし、左手で抱き着かれている腕を離そうとすることで抵抗した。
「は、離せ離せコイツ!」
「うにゃ~!絶対離さないモ~ン!!」
自分のやりたいことを譲らない両者。先に我慢の限界を超えたのは青年の方であった。
「…離せって言ってるだろ!!このクソガキ!!!」
強い口調で子供を怒鳴りつけた青年だったが、その途端にキョトンとしてしまった子供を見てすぐに反省の表情を見せる。
「…も、も、も―。」
(う…、流石に言いすぎたか…?)
その子供が泣き出すことを予想した青年が改めてその顔を見ると、そこにはなぜか
恍惚とした表情で青年を見つめる大きな両眼があった。
「―もっと言ッテ!!!」
それを聴いた青年は盛大に後方へひっくり返った。
―
「そういえば…、にーやんはダレ?」
子供は仰向けの青年の上に馬乗りをしながら、当初の目的を思い出したかのように、青年に問うた。
「…い、伊集院ダイ。」
(って何を僕はフツーに自己紹介してんだよ!?)
ダイと名乗った青年は自分のふがいなさに雄叫びを上げそうになるのを堪えながら、待てよ?と踏みとどまる。
「つか、お前こそ誰だよ!?その前にヒトか!?そしてとりあえず降りろ!」
確かにその子供の頭は、本来のヒトの後頭部には見えない程大きく見える。子供はダイの言葉に頷くと同時に立ち上がり、その頭部を支えているターバンをシュルシュルとほどいていく。
するとその中から巨大な尻尾のような群青色の髪が姿を現した。
「え…、お、女…の子…!?」
ダイの驚く表情を見下ろしつつ、子供は左八重歯をのぞかせながらにんまりと笑う。
「そだヨ!アタイの名前はビャク!孫君ビャク!!」
「…か、噛みそうな名前だな。」
そう言いながら、ダイがビャクと名乗る少女を見上げると、今度はなぜか身体をモジモジとさせていた。
「…ん?どうした?腹でも痛いのか?」
「えっと…、ダイにーやんとその…、位置が逆だったらいいナって思って…。」
つまり今の状態は、床に仰向けになったままのダイの身体をビャクがいつでも踏みつけられるような構図であった。
(………ホントに何なのコイツは!?)
ダイはしばらく開いた口がふさがらなかった。
―
しばらくしてダイはもう1つ気になっていたことを思い出し、立ち上がって部屋の中を見直す。すると破壊されたドアの破片の1つがベッドに突き刺さっているのを見つけた。
「つか、なんでこんなことになってんだよもぉ~!!」
「うにゃ…、ヒト探しに夢中で外を走っていたら止まらなくなっちゃって…。テヘ☆」
「テヘ☆じゃねー!つかお前の身体は一体どんな構造してんだ!?」
ベッドに突き刺さっていた破片が、ダイが大事にしている”それ”をギリギリ貫かない位置にあることを確認すると、ダイは1つ安堵の息をもらす。
「…ふぅ、良かった。これさえ無事ならもう何でもいっか…。」
ダイがベッドへ近づき大事に”それ”を抱え、そのままビャクの方を振り返ると、頭を右に傾けながらビャクは言った。
「うにゃ?ダイにーやん、その”古本”はな~に?」
「…え?」
”それ”は青年のダイにとっても少し持ちづらそうにするほどの巨大な古本であった。厚みも重量も並みの辞書とは比較にならないが、細身でひ弱な印象のダイがそれをなんだかんだ抱えている姿には違和感すらあった。
「…この部屋の奥で、ずっと眠っていたモノみたいなんだ。僕はこれを見つけてから、今の外の世界には―。」
そう言いながらダイは破壊されたドアの方へ眼を向けた。するとそこには、ダイが今まで否定していた外の世界の現状があった。
(…あれ、雪がない…?僕の記憶では、最後に外を見た時まではずっと雪が積もったままで―というより、暑い!?)
ダイはドアがあった部分の1歩手前まで駆け寄り、外の様子を再認識した。その姿を見ながら、後ろからビャクが身体を両手でパタパタはたきながら声をかける。
「それよりダイにーや~ん!この砂洗い落としたいヨ~!」
その言葉を聴いたダイは違和感の正体を完全に捉え、一気に血の気が引いた。
この地の名は“ヘイシュウ”。
そこは辺り一面、炎天下でカラカラに乾いた砂漠のみが延々と広がっていた。
続きます。