オリジナルの価値
明け方に雪が降っていた。しかも、今朝は冷え込んでいた。だから外の、だれもかれも雪化粧した景色を見て、予想は当たったとほくそ笑んだ。だからなんだという話だが、少なくとも私は気持ちの良い朝を迎えられた。
上着を羽織って外に出る。朝早いためか、通りには誰もいない。ざくり、と雪を踏みしめた。誰も踏んでいない雪に足跡を残すのは、何とも気持ちがいい。
まだ雪は降り続いており、ちらちらと、というよりは湿り気を帯びてばすばすと、コートに頭に落ちてくる。この辺りは雪国ではないから、そう激しく降らないのだ。だから、この白さに珍しさとロマンを見いだすことができる。
私はざくざくと足跡を残し、店の裏口に回った。いつもならこの時間には搬入品が届いているのだが、今日はまだ何も置かれていない。この雪で、少々手間取っているのだろうか。
仕方なく、私は大きめのスコップを持ってきて雪かきをした。裏口の雪をどかし、それでも時間があるので店先の雪もどかす。湿った雪は重く、なかなかきつい作業だった。この店に雪かき用の機械がないのが残念だ。しかし、弱音を吐くわけにもいかない。何とかどかし終え、私は背筋を伸ばして汗を拭った。
雪かきが終わると、店先の石の色と雪の白さとが対照となって、くっきりと浮かび上がった。濡れた石に新たな雪が舞い降り、すぐにじわりと溶けて消える。雪も土を含んでしまえばただの泥だ。もとの、白さとはほど遠くなってしまう。それが少し残念でもあったが、これから来る客に踏みにじられるのを考えれば、少しはマシに思えた。
スコップを物置に片付け、やっと届いた搬入品を店の中に入れる。外と中とを何度か往復したとき、店のマスターと出くわした。マスターは黒い毛に覆われた、大柄なウサギの男性だ。マスターは運び途中の私を一瞥し、もごもごと口を動かした。
「それが済んだら、二階の押し入れにあるマットを敷いて、傘立てを出しておきな」
そう言って、着ぐるみのようにでっぷりとした体で自分の仕事に向かっていく。私は返事をしてから、言われたとおりのことをした。搬入を終えてから足を拭くためのマットを敷き、傘立てや袋なんかを店の入り口に置いておく。後はいつも通り、店の清掃をした。
この店は喫茶店に近い、軽い飲食店だ。近くまでやってきた人が、憩いを求めて訪れる。開店時間を過ぎれば、優雅な朝食を取ろうと考える客がやってくる。雪の日だというのに、客足はいつもとそう変わらなかった。近くにある宇宙ポートから宇宙船が発着するたび、よくもまあ物好きがいるものだと思ってしまう。
私はいつも通り仕事をしていた。注文を取り、料理や飲み物を運ぶ。いつもの通り、お客は犬や鷹、ネズミや魚、はたまた昆虫の姿のひと達ばかりだった。私と同じ姿をしている者は、マスター以外の従業員くらいだ。
犬顔の人も鳥顔の人も、聞こえてくる会話は雪のことだった。積もる雪にロマンを語る者、雪遊びの記憶を語る者、あるいは単に寒さについて喋る者――ともかく雪に関する話題ばかりだった。
けれど、雪は寒い外にあってこそ美しいものだ。温かい店内に持ち込まれれば、溶けてただの水となってしまう。泥と混じったそれは、仕事を増やす原因でしかなかった。泥水をモップで拭き取り、綺麗になったところで付けられる足跡をまた拭き取る。客の機嫌を損ねぬよう、細心の注意を払う必要があった。
カラランと来店を告げるベルが鳴った。食べ終わったお皿を片付けていた私は、いらっしゃいませと笑顔を向けた。入ってきたのは昆虫顔の二人組。口元には鋭い顎が生え、長い触角が背中まで伸びている。二人のうち、一人はよく見る顔だった。
「や、マスター。今日はすごい雪だねえ」
「まったくです。こうして積もったのは何年ぶりでしょうか」
マスターと昆虫顔の男は親しげに話し合う。彼はこの店の常連で、ほぼ毎日のように来店していた。
「ところで、そちらの方は?」
「ああ、こいつはオレの学生時代の友人で、こっちに来る用事があったからついでに連れてきたんだ」
紹介されて、もう一人の男は軽く会釈した。常連の人より黒い色合いの肌をしており、羽も硬質で輝いている。
「まさか雪が積もるとは思いませんでした。面白い偶然もあるものですな」
黒羽の男は面白がるようにそう言った。私は二人に温かいおしぼりとお茶を差し出す。ちらとこちらを向いたが、常連の男はマスターの方を向いて顎をかちかちと鳴らした。
「しかし雪はいいねえ。あの白さを見ているとこっちまで心が洗われるようだよ。自然の神秘って感じで」
「雪を自由に降らせることができるようになっても、みんな同じことを言うんですね」
私の言葉で、その場が一気に凍りついたように感じた。何を言っているのかわからない、という視線が私に向けられている。やっと、常連の男が乾いた笑みを漏らした。
「降らせるったって、この星じゃあ天候操作施設はないだろう?」
「この星はそうでも、あなた方が生まれ育ったのは自由に天気を変えられる環境なのでしょう?」
私がなおも言い返すと、常連は呆れたように肩をすくめた。
「なんで人工雪と一緒にするんだい。人間が調節したパターンの中で降ってくる雪と、偶然降ってきた雪とじゃ、後者の方が素晴らしいに決まってるだろう。なんたって、人間が一切手を加えていないんだから」
客の反論に、今度は私がため息を吐く番だった。
「あなた方の技術なら、人工でも自然とまったく同じ景色を作り出せるのに――それどころか、自然の弱点を全て克服したものを作り上げることだってできるのに、まだそんなことを言うのですね。いったい自然と人工との、何がそんなに違うんですか?」
常連客は言葉を詰まらせた。もごもごと顎が動き、長い触角が揺れる。それを見かね、マスターの顔つきがみるみる険しくなった。
「シオ、口を慎め!」
黒い毛を逆立てた状態で睨まれたが、今はさほど怖くもなかった。腹の奥でふつふつと湧き起こる苛立ちが、恐怖を打ち消しているのかもしれない。
「人工雪と自然雪の違い、か」
今まで黙っていた黒羽の男が、ぽつりと呟いた。考えるように、4本あるうちの一つの腕で喉の辺りをさする。
「やはり、不便さではなかろうか。人工ならばちょうど良いタイミングで、ちょうど良い質のものを降らせられるが、自然ではそうもいかぬからな」
「自然が不便だというのなら、そこに価値を見いだすのは何故です? 便利なのは悪ですか? でも自然が不便だから、人工的に便利を作り出してきたんでしょう?」
「ぬう、それもそうか」
黒羽の男はぴくりと触角の根元を立てた。彼が何か言いかけた以上のことは、私にはわからなかった。なぜなら黒い影がカウンターを乗り越えて私に覆い被さり、鋭く頬を張られたから。
「シオ、お客さんに迷惑だぞ!」
ぶたれたところをさすりながら見上げると、見たこともないほど恐ろしげな顔のマスターが私を睨んでいた。まだ殴り足らないのだという感情が、全身からあふれている。はあと大きく深呼吸して、マスターは二人の客に向き直った。
「申し訳ありません。アーソイドのくせに我の強い奴でして」
そう言って、無理矢理私の頭を下げさせる。マスターは別の店員に仕事を任せ、私を店の裏に引きずっていった。
「この大馬鹿者が!」
店の外、積もった雪の中に投げ出される。冷たさが私の肌を刺した。よろりと体を起こしかけると、強い力で長い尻尾を握りしめられる。
「がっ!?」
全身に激痛が走り、私はまた雪の中に倒れ込んだ。べちゃりと冷えた水が私を濡らす。風が吹いて、濡れたところから体温が奪われていくように思えた。
「アーソイドのくせに客に口答えするんじゃない! それもあのカタタ星人に――お前は言われたことだけきちんとやっていればいいんだ! 余計なことを考えている暇があったら仕事しろ!」
ひとしきり暴言を吐いた後、マスターはまた私の尻尾を握った。今度はさらに強く、長い時間。その間、私は全身の激痛にうめいた。あちこちから見えない大きなものに押しつぶされ、体がばらばらになってしまうように錯覚する。解放された後も、すぐには動けなかった。冷たい雪に体を埋めて、荒く息を繰り返す。
「しばらくそこで反省していろ。今日の分の働きはゼロだ。当然、飯抜きだな」
バン、と乱暴にドアが閉まった。起き上がると、溶けた雪が体を伝う。閉められた扉に向かって、私は何故と問いかけたくなった。何故私は、普通の人間より立場が低いのだろうか。作られた存在だから、ただそれだけの理由で、奴隷として蔑まれるのは何故だろうか、と。
かつて、様々な宇宙人達がこの星にやってきた。環境がいいから、ただの移住候補になった。制圧するつもりはなかったらしいが、原住民――彼らは自分たちを地球人と呼ぶ――は反対派が多かった。戦争にもなりかけたが、実力差がありすぎて、今の形に落ち着いている。
元々の地球人はかなり数が減ってしまい、今もなお異星人達に反感を持っている。けれどこの星にやってくる人は、この星の環境を見たかったりするのだ。当然、地球人が働く店も見に来る。反感を持った彼らでは都合が悪いからと、地球人の記憶を定着させた人工生命体が作り出された。それが私たち“アーソイド”だ。
地球人に尻尾はない。アーソイドの尻尾は、私たちに苦痛を与え、従えやすくする“改良”の一つだ。自然より便利で都合良くするために作られたモノ。それが私たち。利便性の面ではより優れているというのに、決してオリジナルと同等の価値は与えられない。それどころか、位置づけは低くされている。そのジレンマが、雪と重なって見えた。
私は雪をすくい上げた。土にまみれたそれは黒く、肌に触れるとすぐに溶けて小さくなる。私の手に泥を残し、濡らしただけで、雪そのものは消えてしまった。自然の雪はかくもはかなく、不都合ばかり残していくというのに、何故これを褒めるのだろうか。人工ならば溶けず濡れず、泥も巻き上げない雪が作り出せるのに、何故そちらは趣があるとは言わないのだろうか。
溶けない雪はもう雪じゃないから? 作られた命は命じゃないから? 作りかえたのは自分たちだということも忘れて、なんて贅沢な物言いだろうか。否定するのなら、初めから作らなければいい話なのに。
「こんなところにいたのか」
ざくりと雪を踏む音に、私は顔を上げた。そこには先ほどの、黒い昆虫顔の人が立っていた。常連でない、初顔の方だ。
「君が言っていたことを、私なりに考えてみたのだが」
ぽつりと、男は考えながら言った。
「便利になりすぎると、人はかえって恐れを抱くからではないか? 心が技術についていかない、とでも言おうか。だから不便さに価値を見いだすのだろう」
君が満足する答えじゃないだろうがね、と付け加えて、男は真っ直ぐに私を見つめた。彼の答えを聞いた私は、思わず嗤う。
「不便だと文句を言うくせに、便利になりすぎても駄目なんですか? 欲張りにもほどがありますね」
「はっは、これは厳しい。そう考えると、我々はなんと業のあることか」
男は可笑しそうに顎をぎちぎちと鳴らした。私には彼が何故そんなに楽しそうにしているのかがわからなかった。意見を否定されるのが、そんなに面白いだろうか。そう思っていると、黒羽の男はすっと真顔に戻った。
「ところで、やはり君は、人工の雪に自分を重ねていたのか?」
「!」
私は彼の問いに答えられなかった。というより、答えてしまっていいのかがわからなかった。頷くことも首を振ることもできず、まじまじと相手の顔を見上げてしまう。それをどう思ったのか、男はふっと触角を下げた。
「今日は面白い日になった。考えさせられもした。君にはお礼をせねばならぬな」
そう言って、男はズボンのポケットを漁った。そこから何かを取りだし、私の手に載せて握らせる。開いてみると、数枚の硬貨だった。私のような下働きにはまずお目にかかれない、最上級の硬貨だ。驚いて見上げると、男はすでに帰るところだった。
「あの!」
「ああ、それは私からの礼だ。今日という日に出逢えた奇跡、それから切り替わった人生列車の乗車賃。気にせず取っておきなさい」
お礼を言いかけた私は、ひらひらと手を振る男を見て口をつぐんだ。代わりに、じっとその姿を見送る。もらった硬貨は重く、じんわりと温かかった。




