第4話「欠けていく日常」
戦場から帰還した直後は、まだ現実が現実の形をしていた。
基地の空気は乾いていて、金属の匂いがする。
それだけが確かだった。
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主人公は廊下を歩く。
足音は規則正しい。
なのに、自分の中だけが少し遅れている。
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「……?」
小さな違和感。
理由は分からない。
ただ、視界の端に“ノイズのような揺れ”がある。
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すれ違う人間の顔。
機体整備士。
通信兵。
誰も異常はない。
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それなのに。
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一瞬だけ、言葉が引っかかった。
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(あれ)
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何かを呼ぼうとした。
誰かの“識別情報”。
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だが、出てこない。
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忘れている、というより。
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“呼び出し方だけが分からない”。
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主人公は立ち止まる。
手のひらを見る。
何も変わっていない。
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(気のせいか)
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そう思おうとして、やめる。
この違和感は、気のせいで片付けるには“綺麗すぎる”。
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廊下の先。
彼女が歩いている。
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天使演算体。
白い装甲。
無駄のない歩行。
人間よりも“正しい動き”。
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彼女は振り返らない。
当然のように前へ進む。
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主人公は喉を開く。
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声を出そうとする。
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だが、その瞬間。
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一つだけ引っかかる。
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(……なんて呼ぶ?)
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名前は出る。
出るはずだ。
記憶はある。
確かにある。
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なのに。
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“発音する直前で止まる”。
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喉の奥で、言葉が崩れる。
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彼女はそのまま歩いていく。
距離は縮まらない。
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主人公は一歩踏み出す。
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その瞬間。
頭の奥で、小さな音がした。
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「──接続遅延」
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誰の声でもない。
自分の記憶でもない。
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ただの“ログ”。
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彼女が少しだけ振り返る。
視線が一瞬だけ合う。
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だがそこに意味はない。
観測でも、感情でもない。
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ただの処理。
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「最近、遅れてる」
彼女は言う。
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それは心配ではない。
評価でもない。
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“状態報告”。
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主人公は無理に笑う。
「……ちょっと疲れてるだけだ」
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彼女はそれ以上何も言わない。
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そのまま去っていく。
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主人公はその背中を見送る。
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そして、確信に近いものが胸に落ちる。
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(今の、誰だった?)
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すぐに否定する。
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違う。
彼女だ。
間違いない。
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なのに。
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“彼女だと呼ぶための鍵だけがない”。
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夜。
自室。
金属のベッド。
静かすぎる空気。
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水を飲む。
味はする。
でも、どこか“記憶と一致していない”。
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(こんなだったか?)
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疑問は小さい。
だが消えない。
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彼はふと、記録端末を見る。
戦闘ログ。
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そこには彼女のデータがある。
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天使演算体。
識別コード。
戦闘記録。
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問題ない。
すべて正常。
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なのに。
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その名前を見ても、しっくりこない。
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ただの文字列に見える。
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主人公は端末を閉じる。
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(俺は、何を気にしてる?)
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その問いに答えは出ない。
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ただ一つだけ。
胸の奥に小さな痛みが残る。
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理由のない違和感。
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それだけが、まだ“何かが繋がっている証拠”だった。




