第一話「天使をみた日」
戦争は長い。
誰も「いつ始まったか」を覚えていない戦争が、今も続いている。
それはもはや歴史ではなく、環境だった。
空気のように、終わらないことが前提として存在している。
人類は通常兵器を捨てた。
銃も、戦車も、ミサイルも。
すべては過去の遺物として扱われた。
代わりに戦場に立つのは“人間”ではなかった。
—— 天使演算体。
生体と戦闘演算機構を融合させた存在。
それは兵士ではない。
戦場そのものを解くための、計算装置だった。
彼女たちは戦うために生まれたのではない。
戦争を“最適化”するために存在している。
その中でも、彼女は別格だった。
⸻
遠く、崩れた都市の外縁。
主人公はその光景を、半壊した観測ドームの影から見ていた。
戦場は静かだった。
静かすぎて、現実味がない。
地平線の向こうで、光が一瞬だけ歪む。
次の瞬間、敵部隊の編隊は崩れていた。
爆発はない。
銃声もない。
ただ、整っていたはずの“形”が崩れていく。
それだけだった。
「……あれが、天使か」
声は自然と漏れた。
憧れだった。
同時に、絶対に届かない存在だった。
彼女は戦場に立つだけで、戦況を終わらせる。
銃弾は逸れ、包囲は成立せず、
あらゆる“勝利の可能性”は開始前に潰される。
それは力ではなかった。
現象だった。
⸻
彼女が歩くたびに、世界は再計算されている。
戦場という不確定な空間の中で、
ただ一つだけ確定している未来へと収束していく。
「勝利」という結果ではない。
“彼女が存在するという事実”に、すべてが従属していく。
⸻
主人公は息を潜めたまま、その中心を見ていた。
怖さではなかった。
理解できないものを見ているときの、
あの感覚に近い。
人間の形をしているのに、
人間の理屈で存在していないもの。
そのときだった。
彼女が、こちらを向いた。
⸻
視線が合った、わけではない。
正確には、“認識された”。
世界が一瞬だけ止まったような錯覚。
音が消えた。
風が消えた。
距離という概念だけが残る。
「……っ」
主人公の呼吸が浅くなる。
あり得ない。
この距離。
この遮蔽。
この戦況。
見えるはずがない。
⸻
通信機が、唐突に起動した。
ノイズはない。
ただ、声だけがそこにあった。
「——観測対象を確認」
彼女の声だった。
冷たいのに、妙に整っている。
機械よりも機械的で、人間よりも人間的ではない。
「あなたは、戦場の外部変数ですか?」
⸻
主人公は言葉を失った。
外部変数。
その言葉の意味を理解するより先に、
自分の存在が“分類された”ことだけが分かった。
戦場の一部ではない。
敵でもない。
味方でもない。
ただ、“計算に入っていないもの”。
⸻
風が、戻ってくる。
だがそれは安心ではなかった。
むしろ逆だった。
今までは“見られていなかった”だけだと気づく。
そして今、
初めて“見つかった”。
⸻
彼女はそこに立っている。
白い装甲。
天使と呼ぶには無機質すぎる輪郭。
背部には光輪のような演算構造が回転している。
そのすべてが、
戦場という現実を静かに支配していた。
⸻
主人公は、喉の奥で小さく呟いた。
「……俺は、ここにいていいのか?」
答えは返らない。
ただ、世界だけが彼を見ていた。




