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「たむちゃん、いちいちお湯を沸かすのは面倒だな。ポットはないの」
徳重篤志、通称とくちゃんがヤカンを火にかけながら、田村に聞いてきた。
「ないよ。使わないからな。俺は氷があれば十分だから、なくても十分だけど。ははは」
焼酎のことだ。
とくちゃんはお湯割りにこだわる派だ。焼酎にお湯を注ぐのではなく、お湯に焼酎を注がないと怒られる。お湯が冷めていちいち沸かすのが面倒だったら、ストレートで飲めばいいのにと思うが、そうはいかないらしい。
「あ、外にポットが捨ててありましたよ。あれ、粗大ごみで出してあるんじゃないかな。中のガラスが割れてなければ使えるんじゃないですか。とってきましょうか?」
競馬新聞を広げながら、そう言ったのは、川田圭介。通称かわちゃん。焼酎はロックでちびちびと楽しむ方だ。
「ホント?いい。いい。俺、見てくる」
とくちゃんは外に出て、ポットを手にして戻ってきた。
「あった。あった。中も壊れてないよ。洗えば十分使えるわ。これ」
ポットというより、魔法瓶と呼んだ方がいいようなレトロな代物だった。クルクルと蓋を回して閉めるだけの簡単な構造で、白地に花柄というのも懐かしい。中野区の粗大ごみシールが貼ってあった。
その日は、焼酎の飲み比べ大会を田村のアパートで開催することになった。とくちゃんとかわちゃんがパチンコで珍しく揃って勝った。以前から、いろんな焼酎を買い揃えて、飲み比べをしてみたい。とみんなで話していたので、田村のアパートに集合した。
パチンコの勝ちで買い揃えた焼酎をテーブルに並べてみた。白波、黒霧島、富乃宝山、白岳しろ、二階堂等々。まるで、オールスター勢揃いのような迫力を醸し出していた。
「お待ちどうさまでした」
遅れてやってきたのが、好伸浩太。通称ヨッシー。手にポスターを丸めて持ってきた。
「じゃーん。見てください。櫻田みどりちゃんのポスター。貰って来ちゃった」
新人演歌歌手、櫻田みどりが着物を着て微笑みかけている、新曲のポスターだ。
「今日は、みどりちゃんと一緒に飲もうと思いましてね」
「お前、また、かっぱらってきたな。しょうがねえ奴だな」
「へへ、言いっこなし、言いっこなし。田村さん、セロテープか画びょうあります?ポスター貼りたいんで」
「ないよ。そんなもん。あ、絆創膏ならあるよ」
と、田村は財布から絆創膏を三枚取り出した。
「もう一枚ないんですか?田村さんち、ホント殺風景。なんにもないんですね」
「三か所止めればいいだろ。贅沢言うな」
ヨッシーが壁にポスターを張って、改めてみんなで乾杯となった。
とくちゃん。かわちゃん。ヨッシー。
三人は、ここ最近、飲み屋で知り合った飲み仲間だ。知り合ってまだ二か月ぐらいか。年齢はバラバラなのに、何故かこの三人とは妙に馬が合った。とくちゃんは田村と同い年で55だったが、かわちゃんは45、ヨッシーは37と一番若い。皆、無類の酒好きだ。だからと言って、それだけで馬が合うと言えたわけではない。人柄と相性だと思う。
ヨッシーは所謂お調子者。天然ボケも入っていてどこか憎めない。一番年下ということもあってか、みんなに可愛がられている。コイツがいると妙に場が明るくなる。
かわちゃんは競馬と小学生の一人娘をこよなく愛していた。娘にはあったかい父ちゃんでありたいと常々言っている。競馬でいくら負けても、娘に買って帰るお土産代には絶対に手を出さない。というのが信条だった。お土産と言ってもチョコレートのお菓子とかだが。
とくちゃんが不思議な人物だった。やたらと物知りなのだ。我々には暗黙のルールがあり、余程のことがないと仕事の話はしない。というものだ。とくちゃんの職業は未だにわからない。他のみんなもよくは知らないが。この人はもしかしたら、先生でもやっていたのか?と思うほどだった。
「ほう。これは加賀友禅だね」
とくちゃんが、櫻田みどりの着物を見て言った。
はじまった。と田村は思った。
「かがゆうぜんってどんな字?」
ヨッシーがしょうもないことを聞くと、そこからかい。と声が上がった。
「たむちゃん、紙とペンある?」
「あ、ごめん。うち、紙もペンもない」
かわちゃんが、これどうぞ。と赤鉛筆と競馬新聞を差し出した。
「加賀友禅とはこう書く。着物の種類さ。友禅染めには京友禅と加賀友禅と二種類あって、京友禅は金銀箔や金糸なんかを使って、絢爛豪華なものが多い。公家や大名が好んだ。加賀友禅は鳥や草花など、自然をモチーフにした絵柄が多くシックで落ち着いた雰囲気なんだ。武家に好まれた。俺はどっちかというと、加賀友禅が好きだから、つい目がいったよ」
「やっぱり加賀友禅でしょ。みどりちゃんの白い肌によく似合ってると思ったんだよね」
ヨッシーがお調子者を発揮したあとに、必ず、かわちゃんが質問を繰り出す。お決まりのパターンだ。何故か、これを見てるのが楽しい。
「これって何の花ですか?」
「これは薔薇だよ。美しい薔薇にはトゲがあるぞ」
「みどりちゃんにもトゲがあるのかな?へへ、どんなトゲだ・・・」
ヨッシーの顔が崩れた。
「俺は、薔薇よりカスミソウのような素朴な花が好きだな」
とくちゃん、その通り。あんたはえらい!
「ここ見て。葉っぱが千切れてますよ」
「かわちゃん。いいところに気付いたね。これは葉っぱが枯れかけているんだ。緑から黄色に変色しているから、黄色が後ろの色に馴染んで千切れている様に見えたんだね。ほら、葉っぱの先には虫食いまで始まっているよ。黒い点は虫食いを表現しているんだ。これが加賀友禅の大きな特色なんだ」
「わびさびってやつですね。芸術的だな~」
かわちゃんが、顎をさすって関心する。
田村は黙ってほのぼのと見ていた。
ちなみに、友禅染めにはもう一種類あり、江戸友禅という。江戸友禅は渋い色合いだけど、都会的なセンスのお洒落な作風で町民に好まれた。だが、そんなことはどうでもい。絵を描いていたことも彼らには話していない。
そんなことより、三人がワイワイやっている姿を見ていると、心地よくて、どんどん酒がすすんでしまう。こいつら、悪気がないのはわかっているが、俺を酒漬けにする天使か、はたまた――悪魔か。
お前らのお陰で、また酒に溺れてしまったじゃないか。と人のせいにして、田村は気持ちが荒んだ。アホか俺は。と焼酎をゴクゴク飲み干して、一旦洗い流した。
みんなが帰った後も、一人で飲んでいた記憶がうっすらある。心地いい余韻はとうに消えていた。またしても酒に手を出し、その量と頻度が増したのは、三人との出会いがきっかけになったことは間違いがなかった。警備会社の仕事も、ようやく慣れてきたところだったのに、二日酔いから無断欠勤を続け、やめることになってしまった。情けない自分を責め立てる思いと同時に、三人に対する恨みがましい思いがどうしても突き上げてくる。「ふざけんな!」と頭を振って振り払うが、排煙のような宿怨が次から次へと沸き、黒煙のような悔恨と共に体中を燻していった。荒んだ気持ちを洗い流そうと、焼酎を流し込んだが、一向に消えず、そのまま泣き崩れてもがき苦しんだ。いつの間にか落ちていた。
次の日、昼もとっくに過ぎたころにむっくりと起き上がった。残った焼酎で迎え酒をやっていたら、大塚が家賃の催促にやってきた。
そして今に至る。




