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「ほら、ここに娘さんの名前が書いてある。大きな字だから、メガネなくても見えるよね」
連帯保証人の欄には『田村かすみ』とはっきり書いてある。
かといって驚きはしない。田村にはわかっている。
「田村さんあんた、自分の娘が連帯保証人になったことも忘れたの。酒の飲みすぎでイカレちまったのかい。ひどい父親だ。考えられないわ。メガネ返してくれよ。まったく」
と口調も激しく、大塚はメガネと賃貸契約書を引っ手繰った。
「大家さん、娘に会いに行くのは明日に延ばしてもらえませんか。それまで待ってもらえませんか。このまま行ったら飲んでいる事がばれてしまいます。明日になって酒が抜けてから、娘にちゃんと話します。どうかお願いします」
「知ったこっちゃないよ」
今度は冷たい口調だった。
もうすぐ信号が青に変わってしまう。早稲田通りを渡り、その先の商店街を進むと、花屋があり、娘がいる。田村はまるで、ルビコン河を渡るような心境だった。
「お・お・つ・か・さん――。」
大塚の腕に、誰かが、後ろから絡みついてきた。
――メーテルだ。
黒いワンピース。黒いケープ。黒い帽子。そして金色の長い髪。よく見ると、ツケまつ毛までつけている。
「おや、誰かと思えば」
「じゃ~ん。どう? 似合う?」
メーテルが手を広げてクルっと回った。金髪ロングヘアーをサラッとなびかせ、全身を見せてくれた。可愛いぞ。よく似合っている。年の頃は40前後。長身とまではいかないがすらっとした背丈、肌が白く、ほっそりとしたスタイル。鼻筋がスッと通っていて、顎もキュッとしまっている。「メーテル!」と喉元まで出掛かった。何もんなんだ、この人は。
「どなたなんですか?」
大塚に聞いた。
「すぐそこの、スナック美由紀のママ。いや~、よく似合っているよ。やっぱり俺の目に狂いはなかった」
「昨日、大塚さんにプレゼントして貰ったから、早速着てみたの。今日はこれでお店に出てるわ。さっき、まんだらけでお値段確認しちゃった。衣装にウィッグにツケまつ毛。セットで1万5千円はするのね。こんなお高いもの頂いちゃって、すいません」
「いいって。いいって。嬉しいよ。美由紀ママにはメーテルがハマると思ってたんだ」
「こちらはお連れさん?じゃあ、ご一緒にどうぞ」
メーテルが店のドアを開け、手招きして、誘ってくれた。
「いや、ママ。まだ、仕事中なんだ。今日は仕事が立て込んでいるから、無理なんだよ。明日また行くから。せっかくだけど・・・」
「あらそう。じゃあ、明日もこれ着てくるから。待ってるわね」
メーテルはそう言って手を振ってから、店のドアを閉めた。
あれ? おかしいな。
「大家さん。メーテル、ご存じなんですか?」
「ご存じもなにも、あーた、昔から大ファンですよ。ヤマトの森雪も、勿論のこつ」
大塚は淡々と言う。
「なんだ、そうだったんですか。いやー、気が合いますな。森雪もですか。やはりそうですよね。なんと言ってもあの、ピタッとした黄色いユニフォームがいいですよね」
やった!心が通じ合った。一縷の望みが出て来たぞ。お望みとあらば、メーテルと森雪を松本零士以上に可愛く描いて差し上げましょう。と言うつもりで、大塚の手を無理やり取って、大きく振った。
が、すぐに振りほどかれた。
「やめなさい!今日は、あんたとこうやって馴れ合いたくないんだよ。だから黙ってたんだ。調子にのるんじゃないよ」
くそ。隙がねーぜ。
「大塚さん。昨日、メガネ忘れてない?」
美由紀ママが店のドアを半分開けて顔を出した。
「あ、そこにあった?助かったよ。探していたんだ。あのメガネ、女房に買って貰ったばかりだから、失くしたなんて言ったら、地獄を見るどころじゃすまないんだよ」
「やっぱり。ちょっと待ってて、持ってくる」
美由紀ママが引っ込んだ。
「美由紀ママ。美人だろ。おまけに歌がうまい。元演歌歌手だから当然だけどな。俺が必ずリクエストするのが、大橋純子のシルエットロマンス。いいんだ、これが」
それでか。店の前に何枚か、若い演歌歌手のポスターが貼ってある。
「ああ、そうですか」と、力なく返事をした。
美由紀ママはメガネを持ってきて、大塚に甘ったるく嘆いた。
「見て、みどりちゃんのポスター盗まれちゃった~。ひどいわ」
田村は、「ん?」と思った。
あ、もしかして昨日のあれ。――ここのポスターだったのか。あいつ。




