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「アルストロメリアの雄しべ、落としてないわよ」

 時枝にポンッと肩を叩かれてかすみは気付いた。

「いけない、花粉で汚れちゃう」と、手早く処理した。仕上げねばならないアレンジメントはまだまだ残っている。時江と手分けして制作中だった。

「うちの父、お酒さえ飲まなければ・・・」

 思わず口を衝いて出た。が、すぐに思い直した。ダメダメ。今、順調に立ち直りつつあるんだからそれでいいのよ。昔の父と比較して愚痴を言ってもしょうがない。愚痴は、呪いの言葉に成りかねない。「危ない危ない」っと、かすみは首をすくめた。


「大丈夫よ!普通に歩けて、真面目に仕事に行ってるんだから」

 時枝が、力強く励ましてくれた。

「そうですよね」

「いつだったけ?アレ。お父さんが」

「もう、一年になりますね」


 約一年前の出来事だ。

 朝、開店前。仕入れから帰ってきたかすみと時枝は、店の前で死んでいる男を発見した。ぎゃあああっと、二人とも声をあげて驚いた。その直後、かすみは言葉を失った。

 よく見ると父だ。かろうじて生きていた。

 髭は伸び放題、げっそりと痩せ、異臭も漂っていた。かすみは動転してその時の記憶はあまり残っていない。ただ、時枝が父を介抱してくれたことは覚えていた。


「あの時は有難うございました。父のために、わざわざ、たまご雑炊まで作ってもらっちゃって・・・本当に感謝してます」

 かすみは手を合わせて言った。

「なに言ってんの、かすみちゃん。たまご雑炊なんて作ってないわよ」

「え?」

「大体どうやって作るのよ。お米もたまごも、お出汁だって置いてないのよ。ここは花屋なんだから。私はお水をあげただけよ・・・おとうさんが、水、水って、唸ってたから・・・あなたが、自分のバックからたまご雑炊のレトルトパックを出して、たまご雑炊だったらあるんですけど、たまご雑炊だったらあるんですけど。って、ウロウロしてただけでしょ。ほら、そのころダイエットするって言って、お昼はたまご雑炊だけで済ませてたじゃない・・・覚えてないの?」

「やだもう。そう言えば、ダイエットしてた。あの頃・・・あはは」

 かすみは笑いがこみ上げてきた。

「何回たまご雑炊って言わせるの。ふふふ」

 時枝も笑いが止まらくなったみたいだ。二人して笑った。


 そのときの父は、約一ヶ月間家に帰って来てなかった。母に追い出されたからだ。家では、もう何年も酒浸りで仕事もせず悪態をつき、母を困らせていた。さすがに温厚なあの母も我慢の限界だったと思う。

 もともと家は、母が建てたようなものだった。父の収入があてにできず、母が始めたアンティークショップが成功したお陰で家は購入できた。

 画家として売れない日々が続き、肩身のせまい思いが募り、父はプレッシャーに耐えられなくなったんだと思う。ある時からお酒が手放せなくなっていた。最終的に母から、出入り禁止、を宣告され出て行った。

 どこをどう彷徨ったのか。廃人寸前の様な姿でここに助けを求めにきた。娘の職場をかろうじて覚えていただけでも、褒めてあげるべきだ。当然、まともに歩けるはずもなく、女二人で担いで病院に連れて行き点滴をしてもらった。その父が、普通に歩けるようになっていたので、時枝は喜んでくれた。

 とまあ、今でこそ冷静に振り返ることが出来るけど、当時、一番動揺していたのがかすみだったことは自明の理である。たまご雑炊の件が物語っていた。

 ひとしきり笑ったあと、パチンと、時枝が茎にハサミを入れて言った。

「でも、あんな状態から立ち直ったなんて、お父さん、立派だと思う。今だから言えるけど、人間ああなったらお仕舞いだと思ったもん・・・お母さんも喜んでいるんでしょ?」

「いえ、母には何も言ってないんですよ。父の話は聞きたくないらしくって」

「えっ」

 と、時枝の手が止まった。


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