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一方そのころ、
「ええーい、離せ。離さぬか」
「嫌じゃ嫌じゃ、嫌でござる」
二人はまだそんなことをやっていた。
オッサン達が、歩きながらじゃれ合っているかのようにも見えて、気持ち悪い。歩道を行き交う人たちの視線がトゲのように刺してくる。一つ目の信号のところで、大塚と田村は歩を止めた。
中野ブロードウェイを出て、早稲田通りを右に行く。街路樹のトウカエデは、盛夏の頃の濃密な緑をとっくに脱ぎ捨て、自らを黄葉に着飾っている。季節の移ろいを感じられずにはいられない。
新宿方面に50メートルも歩けば一つの目の信号がある。『薬師参道入口』と書いてある。早稲田通りをまたぐようにその信号を渡ると、『薬師あいロード商店街』の入口になっていて、庶民的な店舗が軒を連ねる。
元々、新井薬師の参道が商店街になったところだ。この商店街に入って、しばらく歩くと、かすみの勤める花屋『フラワーショップ・ミウラ』がある。もうすぐだ。
時間を稼ぐ必要がある。と田村は思った。大塚を一人で娘のところに行かせるわけにはいかない。行くなら自分が行かなければと覚悟はしている。しかし、酒を飲んでいる事が知られれば、さぞかし娘は悲しむだろう。酒臭い息のまま娘に会うことは出来ない。なんとか酔いを醒ます時間が欲しい。なにかいい手はないか。
信号が青になり、大塚が動き出そうとした瞬間、
「連帯保証人は私の妻です」
苦し紛れに、田村がそう言った。
「あのね、田村さん。あんたは飲んだくれて、奥さんに見捨てられたんだよ。そんなはずないだろ。だいたい、うちのアパート借りるときだって敷金・礼金出したのはあの娘じゃないか。あんたは知らないけど、この際だから言うよ」
と言って、大塚は一度嘆息した。
「その上で、あんたの娘は、二ヶ月分の家賃を前払いしていったんだ。父が仕事を見つけて軌道に乗るまで多少時間が掛かると思いますので。と言ってね。よくできた娘だよ。あんたには勿体ないね」
目頭が熱くなり、ツンと込みあげた。でも、必死でこらえた。
よくできた娘。だと、そんなことは俺が一番わかっているんだ。世界一の娘だよ。なにより大切な娘だよ。だから心配かけたくないんだ。酒を飲んでいる事がバレたらダメなんだ。お前なんかに言われたくないんだ。と、田村は歯ぎしりをして涙が溢れないよう踏ん張った。そして、絞り出すように言った。
「確認させてもらっていいですか?」
大塚は、この男まだ言うか。という顔をしたが、
「構わないよ」
と言って、ショルダーバックの中から賃貸契約書を出して渡してくれた。
よし。ひとまずはうまくいったぞ。問題はこれからだ。ここから、どうすれば引き延ばすことが出来るか。それが勝負だ。と、田村は賃貸契約書を開きながら考えた。連帯保証人が娘であることはわかっている。そんな事忘れるような親がどこにいるんだ。
チクショウ、老眼鏡を忘れたぁ。大塚をちらっと見て言った。
「ちょっと、メガネお借りしてもいいですか。中身も確認したいので」
「おお、確認して貰おうじゃないか・・・」
大塚が自分のメガネを外して渡してくれた。
メガネの柄の一本が根元から折れているらしい。ビニールテープでグルグル巻きにして固定してある。田村はメガネを受け取り、とりあえず掛けてみた。
「あ、これ結構きついですね。アレ?あれあれ?」
度のきつさに面食らった。
「こいつはたまげた」と「非常に驚いた」と、目をしばたたかせて、大きくリアクションをとった。これはいかん。自分の老眼鏡じゃないとよく見えないぞ。と難癖付けて、東中野のアパートに取りに帰って時間を稼ぐ。という作戦が頭をよぎった。
「早く見なよ。あんた、それでも、親かい!」
大塚に一蹴された。




