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「うっ、酒くさ」と、大塚が顔を背けた。
腕にしがみついている田村の息を、もろにくらったみたいだ。
ロッテリアの前は甘い匂いが漂っている。『コアラのマーチ焼き』というパンケーキを焼いて、店頭で販売している。ロッテのお菓子とコラボしたものだが、比較的最近の商品である。昔は普通のパンケーキしかメニューになかった。
田村の酒臭い息とパンケーキの甘い匂いが混ざって、大塚はムッとしたのか、怪訝そうな顔をして聞いてきた。
「あんた、今日、仕事休みだったのかい?」
手痛い質問を投げられたと思った。休みだったと答えるべきか。それとも正直に言うべきか。何はともあれ、この状況を打破するためには、これ以上噓を重ねることは得策ではないと判断した。
「仕事は辞めました。私には向いてないと思いました」
はっきりと言った。
が、正直に言うことにこだわって、偉そうな口ぶりになってしまったかもしれない。田村は言った瞬間後悔した。
「また辞めたの!」
大塚の目がカっと見開いた。明らかに怒っている。
「手を、はなせ」
腕を振られて強引にはがされた。
田村はふらふらっとよろけながら後ろに下がった。酔っているからか、足の踏ん張りが効かない。そもそも踏ん張ろうとしたのかどうかも定かではなかった。ボスっと、何やらクッションのようなモノに腰を落とした。見ると、黄色くて大きいコアラのぬいぐるみだった。
ロッテリアの店員さんが「それに座らないで下さい」と声を掛けてきたので、よっこらしょ。と立ち上がり「すいません」とコアラに頭を下げた。
大塚が眼光鋭く睨んでいる。
怒るのも無理はないと思った。大塚は田村の住むアパートの大家である。今日は自分が滞納している家賃の催促に来た。しかし、そんな金は持っている筈がない。
飲んで使っちゃったからだ。
その上、仕事を辞めたことも暴露してしまった。しかも、偉そうに。大塚に仕事を辞めたことがバレたのはこれで二度目だ。さぞかし怒号をあびせられるだろうと覚悟したが逆だった。大塚は深いため息をついて、ボソッと吐いた。
「・・・仕事辞めて、昼間っから酒かっ喰らって、どうしょもないな・・・」
と、諦めたかのようにいい、一人でまたすたすたと歩き出した。
――娘に言いつける気だ。
クソーそれだけはさせてなるものか。田村は走って大塚を追い抜いた。振り返って大きく手を広げ、通せんぼをする形で行く手を阻んだ。
「私に行かせてください」
「もういいよ」
大塚は田村をかわして足早に歩いていく。
田村も振り返ってまた走った。酒の残った体で走るのはきつい。どうしてもふらつく。だが、気力を振り絞って足を回し、大塚の前に立ちはだかった。両手を広げてまた止めた。
「はあはあはあ、娘が他人の大家さんから、話を聞いたら驚きます。下手したらショック死するかもしれません」
「するか」
大塚が田村をかわそうとする。
今度はそうはさせまいと、両手を広げたまま、反復横跳びをするような形で逃がさない。こんな動きをしたのは、高校の授業で下手くそなバスケットをやって以来だ。商店街の幅いっぱいを使って二人は右へ行ったり、左へ行ったり、抜いては立ちふさがり、抜いては立ちふさがりを繰り返した。もちろん華麗な攻防ではない。ドタバタと見苦しい足さばきだ。
買い物客が同じような視線のトゲを二人に刺している。往来の邪魔をしているから当然だった。だが二人は、そんなことも気にもせず、眼前の敵に集中した。
「この野郎」と吐き捨て、大塚は止まった。
ショルダーバックを胸にしっかりと抱え直して、体を右に一回振った。
合わせて田村が動く。
すぐさま、左に切り返して、かわした。フェイントだ。
「クソ!」
大塚の後を追う。知らず知らずにサンモール商店街の端まで来ている。その先は、ショッピングモール・中野ブロードウェイだ。大塚はブロードウェイを抜けて、早稲田通りに出ようとしている。
ええい、これ以上先に進ませてたまるか。と、田村はタックルするがごとく、大塚の腰に後ろからしがみつき、足を止めた。
「大家さん!お願いですから、私に行かせて下さい。私が言います」
「なにをする。離せ。離さんか」
「私に行かせて下さい。私に!」
振りほどこうとする大塚を、田村はうしろからがっしりと捕まえて離さなかった。
二人とも相当息が荒い。
「はあはあはあはあ・・・」
田村は酒が抜けない体で、思いっきり走った。大塚は見るからに運動不足な体をしている。腹回りからして見苦しい。55歳と60歳が全力疾走したり、反復横跳びしたり、フェイントかけたして、疲労困憊している。
それでも大塚が最後の力を振り絞って前に進もうとした。タプついた腹を揺らして強引に振りほどくつもりだ。田村も火事場の馬鹿力か、腰をグッと落として相撲の吊り出しのような恰好になった。『ぬおお』と力んで、ベルトを掴んで持ち上げた。
「なにをする。下ろせ。下ろせ」バタバタと大塚の足が空を切る。
暴れる大塚を落ち着かせようと、田村はしずかに地面におろした。――つもりだった。
おっとととと。
大塚がバランスを崩した。前につんのめって、よろけながら斜め前に流れた。田村も腰にしがみついたまま踏ん張りが効かず、後追いする形になった。その先はショーウィンドーがある。ガラス張りだ。危ないっと思った瞬間に、大塚が黒い服を着た女性にしがみついてなんとか止まった。その人がいなかったら二人ともガラスに突っ込んで大怪我をしていたに違いない。お礼を言おうと顔を上げたら、『メーテル』だった。
サンモール商店街から中野ブロードウェイに入ると、入り口で銀河鉄道999のメーテルが迎えてくれる。マネキンだ。黒いワンピースに黒いケープ、黒い帽子にキラキラと輝く金髪のロングヘアー。顔もメーテルそっくりにつくってある。
メーテルは、『まんだらけ』が用意したマネキンだ。コスプレ用に衣装やカツラをディスプレイしてある。
田村は感激してしまった。子供の頃、銀河鉄道999に大ハマりした世代だ。メーテルが助けてくれたなんて、鉄郎になった気分だったのか、「メーテル!」と、野沢雅子の声が耳の奥でこだました。鼻の穴を膨らませて言った。
「大家さん。メーテルがいてよかったですね。危なかったあ」
「メーテル?」
「大家さんが抱きしめてる人。アニメのキャラですよ」
「あ、そう」
「美人ですよね。僕ら世代は子供の頃、メーテルを見て大人の女性に憧れましたよね」
「あんたね。そんなこと言ってるから、いつまでたっても大人になれないんだよ」
田村はペコっと頭を下げた。
「抱きつかないでくさいね~」
まんだらけの店員さんは軽く注意しただけだった。慣れた様子だ。
「どうもすいません」
大塚はマネキンを元の位置に戻して、メーテルの衣装の乱れをささっと整えた。
メーテルと写真を撮る人は多い。衣装やカツラの手触りを確認するため、触るのも許されている。たまに、辛抱たまらず「メーテル!」と叫んで、抱き着く輩がいるのだろう。大塚もその類だと思われたらしい。
店員さんは何食わぬ顔をしてパソコンを叩いて仕事を続けた。
両手で水を受け、バシャバシャと顔を洗う。
ブロードウェイ一階の北側にある男子トイレ。田村と大塚は二つ並んだ洗面台で揃って顔を洗っている。一旦身なりを整えることにした。
大塚はベルトを緩め、飛び出したシャツをズボンの中に入れ直した。顔から水が滴り落ちている。
田村は意外と几帳面な性格で、真っ白なハンカチをピシッと四つ折りにして尻ポケットにしまっている。ハンカチを取り出し、差し出した。
「大家さん。家賃を払えばいいんですよね」
「ああ、そうだよ」
大塚はハンカチを奪い取り、広げて、顔をぬぐった。
「娘は関係ないですよね」
「はあ?」
大塚の手が止まった。顔にハンカチをあてたまま。そのまま、ハンカチをグシャグシャと丸めて、「よく言えるな。そんなことッ」と投げつけてきた。
ビクッとして、胸に当たったハンカチを手で押さえた。眼力圧を強くして、大塚が睨んでいる。視線から逃れるように、おっかなびっくりハンカチで顔を拭き、そのまま丸めてポケットにねじ込んだ。
大塚は、べっこう色のコームをジャケットの胸ポケットから取り出し、
「今のあんたを知ったら、娘は泣くよ。私は見たかないけどね」
そう言って、鏡に向かいオールバックの白髪頭をとかして整えた。
「じゃあ、娘に言うのは勘弁して貰えませんか?一週間頂ければ他で工面しますので」
「けッ。信用できないね。あんた、家賃どんだけ溜まっていると思ってるの」
「確か、5・6か月・・・」
と、田村が言った矢先、怒号が響いた。
「10ヶ月だよ。10ヶ月分!」
アレ?そんなにいってたっけ。と、田村は思った。
いつから払ってないのか本当に記憶が曖昧だった。ゆっくりと指折り数えて思い出そうとした。指を5、6、7と折って伸ばしたところで、あれ?っと首を傾げた。それがまた大塚の逆鱗に触れたらしい。
「なんだいその態度は。気に食わないね。もういい。あんたが払えないなら、娘に言うしかないだろ。連帯保証人なんだから!」
そう怒鳴って、大塚は男子トイレを出ていった。
北側一階のトイレの近くには、ブロードウェイの出口がある。ガラスの向こうは早稲田通りだ。
足早に歩いていく大塚を追いかけ、田村がもう一度腰にしがみついた。またもや、後ろから羽交い絞めにしたのだ。大塚も負けじと振りほどこうとする。第二ラウンドが始まった。
「なにをする。離せ。離さんか」
「私に行かせて下さい。私に!」
オッサンたちが、見苦しくもがく姿は見るに耐えない代物だった。
ブロードウェイの出口には、『中野大好きナカノさん』のポスターが貼ってある。
いつもは可愛いナカノさん。だが、今日の表情はくもって見えた。




