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かすみが大学三年の時だった。お付き合いしていた小林祐樹君を両親に紹介した。小林は同じ美大のデザイン科に通う同級生だった。友達の紹介で知り合い、お付き合いが始まった。物腰が柔らかく、人の悪口など滅多に言わない人だった。
ところが、かすみの作品が講評で先生に酷くけなされ、落ち込んでいたときだった。初めて小林のそれを耳にした。
「僕は好きだよ、この作品。あの先生はわかってないんだよ。センスが古いんだよ」
お世辞かもしれないと思っていても、嬉しかった。
母親に、一度食事に招待したいから家に連れてきなさい。としつこくせがまれ、かすみは小林を説得した。なかなか「うん」とは言わなかったが、結局渋々了承してくれた。
その日、母親は張り切って料理の腕を振るった。当然かすみも手伝って食卓の準備に勤しんだ。テーブルにはすでに沢山の料理が並んでいる。
唐揚げ、天婦羅、肉じゃが、手包み餃子、茶わん蒸し、海鮮サラダ、きんぴらごぼう。
田舎から出てきて、独り暮らしをしている小林君に、家庭の味を楽しんで貰えるように。というお母さんの気配りメニューがかすみは嬉しかった。
「ふふ、お父さん。あまり飲み過ぎないでくださいよ」
お母さんはニコニコしながら、お父さんの緊張をほぐす様に言った。
「わかってますよ」
ビールをコップに注ぎながら、父は口を尖らせていい、表情は明らかに硬かった。
その頃の父はまだ、お酒に溺れるほどではなかった。
――ピンポン。玄関のチャイムが鳴った。
小林祐樹です。かすみさんとお付き合いさせてもらっています。本日はお招き有難う御座います。といい、小林君が手に提げて来たものが、『酔心』という日本酒だった。
「お父さんが、お酒が好きだと伺ったものですから・・・」
『お!』という父の顔を、かすみは見逃さなかった。
「かすみ。これは、横山大観先生が生涯愛した、広島のお酒なんだ。大観先生はほとんど米を食べずに、これを主食とするほどの酒豪だったんだぞ。小林君もお酒はいけるほうか?」
「すいません。自分はほとんど飲めなくて。お酒の種類もよくわからなかったんですが、横山大観の好きなお酒なら間違いないかな。と思って・・・」
「そうかそうか。じゃあ、少しだけいこう。大観先生も初めは下戸だったんだぞ。師匠の岡倉天心が一日二升も飲むほどの豪傑で、それで絵も酒も鍛えられたという話だ。だから、あれだけの巨匠になったんだからな」
父親と彼氏のファーストコンタクトは案外うまくいって、かすみはほっとしていた。正直言って、父が小林君を認めてくれないんじゃないかと、不安に思っていたからだ。
かすみはほとんど父親に育てられたみたいなもんだった。
母は仕事が忙しく、家に帰ってくるのがいつも遅い。普段は父が、保育園の送り迎えから、お弁当づくり、お掃除・お洗濯と家事をこなし、小さい頃から自分の面倒を見てくれていた。
絵の話も聞かされたが、一緒になってマンガやアニメもよく見た。もう、親子というよりお友達感覚に近い関係だった。
かすみが大学に入ってから、少し状況が変わった。大学での友達が増え、おまけに彼氏まで出来た。少しずつ父との距離が離れていった。
四年生に上がってから、小林君から相談を受けた。
彼は、その頃から本気で漫画家を目指しはじめていた。初めて描いた漫画を、お父さんに見て貰って、感想を貰いたい。と。父の造詣は絵画に限らず、漫画・アニメにも精通していたからだ。
父と小林君は、何度か家で食事を共にし、父が「コバちゃん」と呼ぶほどになっていたので、二人の親交は深まっている。と、かすみは思い込んでいた。
父が快諾して、小林君が漫画を見せにやってきた。
「コバちゃん。この漫画のどこに君がいるんだ?」
父の第一声は辛辣だった。
小林君は父が読み終えるまで、緊張した面持ちでじっと下を向いて待っていた。そして、浴びせかけられるように、その言葉が上から降ってきた。顔を上げられなくなったのがかすみには一目でわかった。
「君のデッサン力があるのはそこそこ認めよう。だが、技術じゃないだろ!」
そこそこではない。とかすみは言いたかった。小林君のデッサン力は大学でもトップグループに入るほど高い。自分なんかは、陰影のつけ方など随分教えて貰った方だ。
「君は漫画をなめてないか。どこかで見たような話だし。少しも響かないよ」
ちょっと待って。そんな言い方ないでしょ。初めて描いた作品だし、何事も模倣から始まるんだ。ってお父さんも自分で言ってたじゃない。
「うわべだけ整えても、そんなものはすぐバレる。本質を見抜く力が君には無さすぎる。人を感動させるってのは、そんな生易しいものじゃない。ってことぐらいわかっているだろう。美大生なんだから。本気で勉強しているのか。たるんでいるんじゃないのか。そもそも、生活態度から考え直した方がいいぞ!」
話がズレてる。漫画の良し悪しを聞いているのに、なによそれ?っと思った。
「お父さん、ちょっと待って。小林君は漫画を見せにきたのよ」
「お前は黙ってなさい。作品とは如実に本人を表すものなんだ。これが、今の彼なんだ。かすみはこの漫画を面白いと評価できるのか。どうなんだ?」
言葉に詰まった。「小林君らしくていいんじゃない」と評してはいたが、確かに、それほどでもなかった。
「ほら見ろ。面白いとはっきり言い切れないだろ。これが答えなんだよ。コバちゃん。つまんないよ。この漫画、面白くないよ。読めたもんじゃないよ!」
父は立ち上がって、さらに頭の上から罵った。目が血走っていた。
「そうですか。お手間を取らせました・・・」
小林君が、声を絞り出して言った。
「君がチャラチャラしているから、こんなものしか描けないんだ。学生だろ。もっと自分を磨け。努力が足りない。一日中考えて、一日中描きまくる。君には覚悟がないんだよ。絵を描く覚悟。漫画を描く覚悟。すべてがなってない。君は本当になってない。何もかも!」
父の激高が止まらない。
かすみは反発して、つい口に出してしまった。
「お父さんが、そんな偉そうなこと言える画家なの!」
父親は、かすみをキッと睨み。しばらく動かなかった。
かすみも言ってしまった手前、目を離すことが出来なかった。父はそのまま、家を出て行ってしまい、その夜、遅くなって今まで見たことないぐらいに、泥酔して帰ってきた。
あの出来事が、父がお酒に溺れていくきっかけになったのではないか。と、かすみの頭の中のどこかにいつも媚びりついていて、はなれない。
その後、小林君とは自然消滅して、別れた。




