東姫(1)
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「あんたね、身の程知らずにも弧之善様をかどわかしているっていう小娘は」
光月は神社からの帰り道に突然目の前に現れた、十四、五の女の子にそう言われて立ち止まった。吊り気味の目、通った鼻梁、小さな小鼻につんとした唇。間違いなく美少女だけど、弧之善を『様』つきで呼んでる当たり、瑛や煌のにおいがする。
「小娘……、とは……。あなたの方が年下に見えるけど……」
光月が正直な気持ちを述べると、女の子――葉子――は目を吊り上げて、瞬間湯沸かし器みたいに激怒した。
「馬鹿にしないで! 私はあんたよりうんと長く生きてる妖狐なの! なんの術も使えないあんたと違って、弧之善様のお役に立てるのよ! あんたなんか比べ物にならないくらい優秀なんだから!」
あー、さいですか。瑛や煌といい、弧之善にはシンパが揃ってるなあ。
などとのんきに思ってたら、鬼の形相で、あんた聞いてる!? と怒鳴られた。
「あー、はい。聞いてるけど。でも、私がかどわかしたわけじゃないよ。弧之善様の方から……」
「あんたが稚児の振りして純粋な弧之善様に取り入ったことは、分かってんのよ!」
あー、それか。それもそもそも、光月はコンちゃんとどうかなろうと思っていたわけじゃないんだけどな。っていうか、この子……。
「そんなに弧之善様の事好きなら、私に当たらずに本人にそう言えばいいのに」
「はっ!?」
光月が葉子に逆に問うと、彼女は面白いくらいに顔を真っ赤に染めて、挙動不審になった。
「あっ、あんたたち低能な人間には分からないくらいの崇高さを感じて、私は弧之善様をお慕いしているの! 下賤な人間と一緒にしないで頂戴っ!」
あー、さいですか。弧之善の周りには面倒なのがいっぱいいるなあ。
「あなたが私を相応しくないと思うなら、弧之善様をそう説得したらいいのに」
「それが出来れば苦労しないわ! だから小娘、あなたから弧之善様にお断りしなさいっ! 大体、神さまと人間なんて、結ばれても哀れな事ばかりよ! あんたはすぐ死ぬし、自分一人のことで手いっぱいなんでしょう!? それと比べたら、神さまははかなくなることはないし、祀ってくれた人々すべからくにお心を砕かれるわ! 慈愛の気持ちが理解できないあんたなんか、弧之善様に相応しくないのよ!」
慈愛なあ……。弧之善たちと一緒にシューを作った時は、みんなで仲良くなれて良かったと思っていた。特に光月としては弧之善に対してマイナスのイメージからの出発だったから、仲良くなれたことは光月の感情がそれだけプラスに動いたという事なのだが、それは違うんだろうなあ。
「弧之善様は今でも月湧の人たちに慈愛の心を持っているの?」
「当り前じゃない。月湧が平和な村であることがその証拠だわ。平和って人間が当たり前に享受して、とくだん意識しないから、弧之善様もお心の砕き甲斐がなくていらっしゃると思うけど」
むう、と葉子は口を尖らせて、月湧村の人々に不満を漏らす。
「作物の為とはいえ、土地をお守りされている弧之善様を見向きもしないでミズサワさまにばかりお祈りしてるのは、木を見て森を見ずとしか言えないわね。弧之善様がおやさしくて村を見捨てないから良いようなものの、神さまのお怒りを買ったら村が消滅することだってあるのに、人間は全く勝手だわ」
「ミズサワさまって?」
初めて聞く名前が出たので葉子に聞いてみる。
「この村に住んでいながら、そんなことも知らないの。ミズサワさまはあんたたちが祀ってる水路の神さまよ。村の人が水の神さまばっかりに祈るから、弧之善様が弱ってしまわれたのよ。弧之善様から聞いているんでしょう?」
「聞いてる……」
水の神さまに信心が集まっていることを寂しそうに語っていたっけ。葉子の怒りは続く。
「かつての村の人たちが弧之善様にどんなに失礼と不遜を働いたのか知らないくせに、弧之善様と隣並ぼうなんておこがましいこと考えないで頂戴。あんたは弧之善様のお悲しみを癒して差し上げられないし、残して逝くなら弧之善様をミズサワさまみたいにしてしまうだけだわ」
「水路の神さまみたいにって、どういうこと?」
光月が問うと、葉子が蔑視の目を向けた。
「ミズサワさまは人間の娘に恋をして、その娘を亡くして、それ以来娘の生まれ変わりをずっと待ち続けているのよ。その娘が生まれ変わる可能性が確かなものでもないのに、ずっと娘の再来を待っているの。人間はいつか死んで、愛する人を失った悲しみから解き放たれるけど、神さまははかなくならないから、お悲しみをずっと抱えて過ごさなければならないわ。そんなことを、あんた弧之善様に強いるつもり? 身の程知らずと言ったのは、そういう意味よ。自分の分をわきまえなさいって言ってるの」
衝撃的な事実を知らされてしまって、光月は思いに耽ってしまった。単純に、光月を好いてくれている弧之善と、普通に恋が出来るだろうかと考えていた。でもそれがやさしい弧之善の心に激しく傷を残す結果となるなら、彼に親しみを持ったこの気持ちを、この先どうしたら良いのだろう?
ああ、まただ。光月の想いはどうしても実らない。弧之善から好意を向けられているというのに、それに応えちゃいけないだなんて。
「……手放しで楽しかったのは私だけだったのかな……。スイーツ巡りも、揚げシューの試作も……。弧之善様、楽しそうに作ってらして、美味しいって言ってくれたのに、それもこれも全部、ひとりで寂しさを抱えていくつもりでのことだったのかな……」
「そうに決まってるじゃない。大体神さまとあんたたち人間が共有できるものなんて何もないんだからね。弧之善様を巻き込んでなにやら月湧の名物を作ろうとしてるらしいけど、それだって弧之善様が美味しく召し上がられたというのは間違いだわ。そもそも人ならざるものは、己を成す気持ちを食べて己を保つんだもの。己を保つ味こそが、至高の味。供物だって食べ物そのものを食べるわけじゃないわ。それに込められた祈りの気持ちを食べるのよ。そんな神さまが、人間の食べ物の味が分かる訳ないでしょ。つまり、神さまと人間であるあんたは、何もかもが違うの。だからあんたからお断りしなさいって言ってんのよ」
決定的に違う、と言い跳ねる葉子に、光月は何も言えなかった。
(美味しそうに食べて、楽しそう……、だったのに……、違ったの……?)
楽しそうな顔の下で、光月がいなくなった月湧のことを考えてたのだろうか? 光月がいなくなっても平気なのだろうか? 光月が弧之善の人生を負えない事実は変わらないけど、でもだったら、どうして辛い人生を選んだんだろう? 葉子が言うくらいなんだから、弧之善がそれを分かってないはずがない。それなのに、光月に求婚したのだろうか? もしかして、忘れても良いから? いっときの遊びとして?
(それは、嫌だ)
同志として、理解し合えたと思った。実らぬ恋をし続けた、あるいは月湧を思う、同志として。それなのに、弧之善に忘れられるという事実に、愕然としている。
光月の傍には、仲睦まじい祖父母や、病死した母を今でも愛している父がいた。理想は彼らに重なり、自然と自分も、一生涯愛し通せる人と結ばれたいと思うようになっていた。それが弧之善は違ったのだろうか? 忘れてしまえる恋なのだろうか?
(忘れられたくない)
そうだ。光月は、弧之善に忘れられたくないのだ。初めて光月を見てくれた人に、忘れられたくない。それはもしかしたら、やっとつかみかけた、恋へつながる細い糸を必死で掴んでいるようなものだったかもしれない。自分が弧之善に恋をしているかなんてわからない。だけど弧之善との間にちゃんと友情をはぐくんでいる。それを鼻から忘れるつもりだったなんて言われたら、悲しい。
「……、……」
黙りこくった光月をどう思ったのか、身に染みて分かった? と葉子が確認してくる。
「……てみる」
「え?」
小さな呟きだったからか、聞き取れなかった葉子が耳を傾ける。
「弧之善様に、聞いてみる。弧之善様の考えを聞いてからでも、遅くはないでしょ」
はっきりと葉子の目を見た光月に、葉子が絶句する。
「ば……、ばっかいうんじゃないわよ! おやさしい弧之善様があんたに迫られてあんたを捨てられるわけないでしょ! だからあんたからお断りしなさいって言ってんのよ!! あんた私の話のなに聞いてたのよ!!」
葉子の絶句は激昂に変わったが、光月は弧之善の気持ちを確かめるべきだと、自分の気持ちを信じていた。




