ドキドキするだけが、恋じゃない
(……最近小林の返事遅くない?)
ふいに、智咲は気づいてしまった。
メッセージを送っても既読がつくのが遅くなったし、電話しても折り返しの代わりにメッセージが返ってくる。
前はそんなことなかった気がして……、でも、一方で、自分の気にしすぎにも思えた。
不安になって、その不安を自分で何とか抑えたくて、つい智咲は小林とのSNSのやり取りを遡ってしまった。
すると、
(――あ……。やばい。駄目だ。……やっぱりそうじゃん)
遡れば遡るほど、変化は歴然としていた。
あの頃、二人がセックスする前は数分おきにメッセージのやり取りがあって、内容も濃かった。
でも、気のせいでなく今はどんどん彼の反応は遅くなって、返信もあからさまに短く薄くなっている。
それでも小林を信じたかったし、下手に彼を責めて重い面倒な女だと思われたくない気持ちもあった。
いろんな相反する思いが交錯して……、内心はほとんどパニック状態だった。
何とか数週間ほど待つのが精いっぱいで、ついに我慢の限界が来て、智咲は小林に『大事な話がある』と言って電話をかけることにした。
約束した時間にコールしてみると――。
しばらく経って、小林が出た。
『……あ、もしもし? イノ?』
「……」
彼の声が、暗い。
不安だった。
でも、勇気を出して、智咲は何にも気づいていないような明るい声を出した。
「お疲れ。最近、どしたー? 何か、連絡ないなって」
『ごめん。ちょっと疲れてて』
「それって、仕事で?」
『も、あるかな……』
もにょもにょ言って、それから小林は黙ってしまった。
悪い予感がした。
けれど、ここで何も言わなかったら……、また我慢して苦しくなるだけだ。
そう思って、智咲は、二人の関係をきちんとはっきりさせようと小林に言った。
「……あのさ。話あるって、言ったじゃん?」
『うん』
「小林はさ、彼女とどうするの?」
『……』
「あたし、ずっと待ってたんだよ……」
すると、小林は、歯切れ悪く答えた。
『……俺もわかんなくて。イノのことは好きなんだけど、でも……』
「……」
『……』
「……」
……でも、何?
しかし、電話口でどれだけ待っても、彼はそれ以上何も言おうとはしなかった。
♢ 〇 ♢
それからも何度か彼と会いはしたのだけれど、セックスがないだけで、どう考えても智咲は、完全に浮気相手という立ち位置だった。
本当に驚いた。
小林は仕事振りも一生懸命で優しくて、見るからに真面目そうな男だったから。
ショックで動揺して、いつの間にか智咲の心は被害者意識塗れになっていた。
電話に出てくれない彼に送りつけるメッセージは、自分でも引くくらいに長文になっていた。
でも、自分でも自分を止められなかった。
『――電話の時は我慢したけど、あたし、やっぱり凄く傷ついたよ。一緒にいて楽しかったのも、全部嘘だったのかなって。小林にとっては、あたしの気持ちってどうでもいいの? あたしとのことって、その程度? あたしはずっと、この関係大事だなって思ってたんだよ』
……だけど、そんな風に彼の不誠実さを責めても、彼の気持ちがなくなってしまった以上、何にもならなかった。
感情的になって正論を叩きつけまくる智咲に、小林は潮が引くようにどんどん引いていった。
そして、やがて会社帰りに彼を待ち伏せしていた智咲に、彼は頭を下げて言った。
「……ごめんなさい。あの時のことは、なかったことにしてもらえませんか」
と。
智咲は絶句した。
それはつまり……、ヤリ捨てってこと?
(……嘘。あたし達、同じ会社の同期なんだよ? これからも、ずっと長い時間一緒の職場で働くんだよ? なのに……、そういう仲間に、こんなことするなんて……)
それ以上何も言えなくなって立ち尽くしている智咲を一人放り出して、逃げるように――怖がりでもするような態度で、彼は去っていった。
「じゃあ、ほんとごめん。じゃあね」
最後に聞いた彼の声は、消え入りそうに小さかった。
♢ 〇 ♢
職場の女達は皆智咲の味方だったから、小林の評判は地に落ちた。
……でも、男同士は違うみたいで、彼は別に普通に働いている。
智咲も平気な振りをして働いているが、職場で毎日顔を合わせるのだ。
せっかくのいい仕事を手放せるわけもなくて、もう、死にたくなるような毎日だった。
そのうちに――例のガルバの彼女と結婚話が進んでいるとかいう噂を聞いて、智咲は愕然とした。
(……は? だって、『別れたい』ってずっと言ってたじゃん)
だから、智咲もあらぬことを期待してしまったのだ。
(あの時言ってた彼女の愚痴って、何だったの……?)
智咲を騙すための嘘?
上手いこと口車に載せて、智咲を使い捨てするための?
あいつ、そこまで悪い奴だったの……?
……こんなになってもなお、智咲は、彼をそんな風には思いたくなかった。
頭の中で理屈をこねまわして、ぐちゃぐちゃな感情を捻り倒して――。
泣いて泣いて、……やっと智咲は気がついた。
……きっと、あの愚痴は、彼なりの惚気だったのだ。
そういえば、女友達で、恋人のことが凄く好きなのに、悪口ばかり言う子がいた。
その割にちっとも別れなくて、でも、よく見ると、彼女は恋人のことを愚痴る時、いつも嬉しそうで。
だから、仲間内では、彼女の愚痴は〈いつものやつ〉と流されるようになった。
惚気てるだけだから、と。
(小林も……、そうだったんかよ)
今さら気づいても、もう遅かった。
彼女と別れるまで……、動かずに様子見に徹するべきだった。
口先じゃなくて、行動にこそ、男の真意が現れるんだから。
(……史帆が言ってたこと、ちゃんと聞けばよかった……)
つまりはそう、あいつはただ、気の迷いか、あわよくばの下心で智咲に手を出しただけ……。
智咲は、泣きながら思った。
自分も悪かった。
奴に彼女がいることは、最初から知っていたんだから。
やっとのことで現実を直視して、自分がただ遊ばれただけだった――それもあんな小林ごときに――どこかで自分より下に見てた奴に――と認めると、智咲はわんわん泣いた。
気が狂ったようになって、激した感情に押し流されて、彼女がもう辞めたというガルバのサイトのアーカイブまで漁って、顔を見てやって……そしたら意外とブスで、それもまたムカついて。
その痛すぎる行動を史帆に白状すると、実は史帆も高校の時に好きだった、もうあの時の彼女と結婚してしまった彼の現状をいまだにネットで追いかけてしまう時があると教えてくれて……二人はまた笑い合って、泣きまくった。
「もうさ――あたし達もアラサー入るし、やばくね⁉ いい加減、落ち着きたい!」
「そうだよね……てかもう、付き合うとか飛ばして結婚しちゃいたい‼ 話早くいこう! 恋愛とかいいから、結婚したるわ‼」
そう言い合って、二人はノリと勢いで結婚相談所に登録した。
智咲はボーナスから入会金を払って、アルバイトから正社員としてスーパー勤めになったばかりでまだ懐が寂しい史帆は、親から金をせしめて。
結婚相談所では二人はかなり若い方に入るようで、申し込みがかなりあった。
智咲は、結婚相談所のアドバイザーに言われた通りに待ち合わせたお見合い相手を待って、祈った。
(今度こそ上手くいきますように――‼)
……はたして、結果は――。
♢ 〇 ♢
「えっ! で、どうだったの……⁉」
身を乗り出した朝奈に訊かれて、智咲は苦笑した。
「それが、ちょうど待ち合わせのタイミングでこのバーに来ちゃったんですよ。新しい人と会うってなったら、これまでのこと、急に思い出しちゃって……」
すると、朝奈は残念そうに唸った。
「うーっ、めっちゃ気になるところで終わるじゃんっ。でも、お見合いの相手、素敵な人だといいねえ。……あっ、智咲ちゃん、次は何いく⁉ うちのバー、お酒なら何でもあるよぉー」
「じゃあポン酒で! ……ってわけにはいかないですよぉー。これから初めてお見合いするのに!」
冗談めかして笑って、智咲は水を頼んだ。
状況を忘れて最初にカシスオレンジをうっかり飲んでしまったから、少しでも薄めないとならない。
……でも、ちょっとくらい酔っていた方が、緊張が解れていい感じに話せるかもしれない。
なんて思っていると、グラスに水を注いで出してくれた昼恵が、微笑んで言った。
「緊張したならしたで、そのままの智咲ちゃんを出せばいいのよ。最初から下手にお酒になんて頼らない方がいいわ」
「同感」
夜香も頷くので、智咲はこれまでのことを振り返って素直に口にした。
「……そうですね。お酒飲んでテンション上げなきゃ話せないくらいに緊張しちゃう相手となんて、最初から上手くいくわけないんですよね。あたし、今までそんなこともわかってなかったなぁ……」
自然体で接することができる――というのが、どれだけ大事か、教えてくれたのは……腹立たしいけれど、小林だった。
小林は、智咲が背伸びしなくても気兼ねなく遊んだり連絡したりできる相手で、だからこそ凄く仲良くなれて……好きにもなれた。
今までは、自分から〈格好いい!〉と思えない相手とは、恋愛できないと思っていた。……恋できないと思っていた。
でも、違った。
ドキドキする関係だけが、恋愛じゃないのだ。
「まあ、そうわかったって、お礼なんか言うつもりはないですけど。やっぱり、酷い扱いされたと思うし……」
「うん。それでいいよ」
夜香が、淡々とした声で答える。
朝奈は少し複雑そうで、でも、最後には、『智咲ちゃんがそう思うなら……』と頷いた。
昼恵は優しく智咲の頭を撫でてくれた。
「世の中にはいろんな恋があるわ。素敵な恋もあるし、そうでない恋もある。けど、だからこそ、素敵な恋と出会えた時には、それを大事にしようと思えるのよ、きっと」
昼恵が呟いた、その普通過ぎる一般論が――今はなぜだか、ひどく耳に心地よかった。
一般論だとか正論は、時に力がないとか、綺麗事だと馬鹿にされることもあるけれど……、やっぱり、そうでない時もあるようだ。
めいっぱいに捻くれていた心がゆっくりと解れていく気がして……、過去に納得して、智咲は言った。
「彼女いるくせに別れる気もなくあたしと寝て、あいつはなんて悪い奴なんだろうってばっかりで、滅茶苦茶な被害者意識で押し潰されそうになってたけど……。……やっぱり、あたしだって、最初からあいつが彼女持ちって知ってたんだもん。共犯ですよね。彼女の気持ちを考えたら、こんなことすべきじゃありませんでした。それも、結婚しちゃうなんて、申し訳なさ過ぎて……。……もう二度と、こんなことはしません」
自分自身に誓って、智咲は席を立った。
「じゃあ、あたし、行きますね。次はもっといい話を報告できるように……、頑張ります」
++ ♢ ++
智咲を乗せたエレベーターが去ると、朝奈はカウンターに突っ伏した。
「……あーっ、地上に行きたいっ。それで、悪いことした奴全部全部ぶった斬りたいっ‼」
「……その路線で行くと、智咲ちゃんもやっつけなきゃね。ていうか、相手にがっつりスルーされてんのに一方的に片思い続けてるあんたも、判断ラインによってはどうかって話になりかねないわよ?」
夜香に冷静に突っ込まれ、朝奈は唇を尖らせた。
「でもさっ! だってさ……っ!」
子供みたいに言って、でも、それ以上反論を続けられずにいると、昼恵が朝奈にコーヒーを淹れてくれた。
「結局、人って間違っちゃうのよねえ。人と接しないでいると、〈自分は大丈夫〉って忘れがちだけど……」
「……昼恵ちゃん、それ、あたしのこと言ってる?」
「ええ? 違うわよう。朝奈ちゃんったら、気にし過ぎよ」
言いながらも、昼恵が淹れてくれたコーヒーは舌が痺れるほどに苦くて……すべてを物語っている気がした。
「そりゃあ、あたしは全然片思いしてる人と会えてないけどさっ。……って、もしかしてこれ、万が一そのうち久しぶりに会えたら、大失敗するフラグ?」
「かもねえ」
くすくす笑う夜香に言われ、朝奈の背筋にぞくっと悪寒が走った。
「え、マジ無理! やばっ! 夜香ちゃん、昼恵ちゃん、練習付き合って! 万が一偶然彼と再会した時のシミュレーションするから……!」
わたわたと大騒ぎを始めた朝奈に呆れ、でも要望には付き合ってやったりして――……三姉妹の夜は、また更けていったのだった。
完結です!
ここまで読んでくださってありがとうございました!
もしよろしければ、本シリーズ別短編や、本編「本命彼女はモテすぎ注意! ~高嶺に咲いてる僕のキミ~」も読んでいただけたら嬉しいです。
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次作の女性向けR18小説の試し読み連載を、今月中か、遅くとも来月くらいから始める予定です。
内容は、新人女教師×御曹司高校生のダブルヒーロー物です。
そちらも読んでいただけたら嬉しいです。




