ただラーメン食べただけ
「いやー! 眩しい!」
渡会さんが悲鳴のような声を上げる。
「こんな山の中にいきなり大きなソーラー発電所があるんですねえ」
吉木さんは呑気に感想を述べる。
「嫌やー。山の情緒が台無し~」
渡会さんはボヤく。山を広範囲に切り取ってできているソーラー発電所は確かに山の景観を損なっていた。
「山の中に巨大な人工物を見かけるとワクワクするんですけどねえ。ダムとか。ソーラーはあんまりそういう気分にならないなぁ」
「簡単に作ってあるからやろー。災害来たら一発でお陀仏よー」
「どこかで問題になってましたねえー」
渡会さんと吉木さんは重い話題をのほほんと話している。
僕たちはラジオ局のイベントのために県の北部まで来ていた。そこからの帰り道である。
「なんかお腹空かへん? どっかでご飯食べて帰ろうやー。おごるからー」
「この辺、食べるとこありますー?」
県の真ん中は結構な過疎地で山と田園風景が広がるようなところだ。
「前川君、よろしくー」
ラジオパーソナリティーの渡会さんと吉木さんをADの僕が車で送っている。
「あれ、ラーメン屋さんですか?」
「ラーメンて書いてあるね」
「ええやーん!」
小さな看板の店を見つけた。看板は小さくて手作り感がある。店の人が自分で書いたのだろうか、そんなに達筆でもない字で『美味しいラーメン』と書いてある。
大丈夫かな……と僕は思うが、彼らは気にせず店に入ろうと提案する。
渡会さんも吉木さんも余計なものを引き付けるタイプなのだ。それは人でも人じゃなくてもだ。
この間も、渡会さんが局にいる幽霊を話題に出して、吉木さんがその幽霊に好かれていた。
その幽霊はしばらく吉木さんに付きまとっていたが、今では元の定位置に戻っている。吉木さんは元ミュージシャンである。落ち着いた声音でおっとりとしゃべるのだが、吉木さんが愛するジャンルの音楽はメタルである。隙あらばメタルを流してヘドバンをしている。
多分、そのヘドバンを目撃して、幽霊は離れたんだろう。僕は勝手にヘドバン除霊と名付けている。
そんな感じで吉木さんは致命的なダメージを受けずに済んでいる。渡会さんもどういうわけかいつの間にか無事でいる。
この二人は痛い目に遭わないせいで、余計なことに首を突っ込むことを止めない。そして、面倒な人や物を引き寄せる。
「いらっしゃいませー」
店に入った瞬間、うわっと言いそうになった。店の壁に謎のオブジェが所狭しと飾ってある。そのオブジェそれぞれが何か宗教的な意味を持ってそうだ。さらに世界平和や愛をうたった標語が貼ってある。
怖い。この店に長居したくない。すぐにでも出たい。でも、もう逃げられない気分になった。
「いらっしゃいませー。ご注文は何にしますかー?」
「ラーメン3つ!」
渡会さんが元気よく注文した。
「はーい! ○○健康ラーメン3つですね!」
○○の部分は何かの固有名詞だ。聞き慣れない響きすぎてまったく聞き取れなかった。シンプルにラーメンだと言ってるのに、勝手に風変わりな名前のラーメンにされた。この店のラーメンがその名前なんだろう。
こんな辺鄙なところにポツンとあるラーメン屋なのに、店員が多すぎる。狭い店内にいったい何人いるのか……
厨房の奥から謎の呪文的なものが聞こえてきた。美味しくなる呪文なんだろうか。
「吉木君、最近なんか困ったことないー?」
渡会さんが突然そんなことを言い出した。こんな宗教じみたところでそんなことを言い出して、そこに付け入られかねない。
「悩んでることがあるんですよ」
「なになにー?」
吉木さんも話を合わせだす。
「息子が犬を飼いたがってるんです」
「犬! ええやん!」
「アラスカンマラミュートが飼いたいって言ってるんです」
「え。まって、それどんな犬やっけ」
「これ画像です」
「わああ~~かわいい~~丸いふわふわ!」
二人は犬の話に盛り上がっている。
「この足見てください」
「太い通り越して丸い!」
「立派なおみ足でしょー。絶対大きくなる犬ですよ」
「成犬の画像は?」
「これです」
「でっっっっかいわー。これ、シベリアンハスキーよりでかいんちゃうん」
「はい。ハスキーよりでかいんですよ。SNSとかで画像検索すると成人女性より大きいか同じくらいなんですよ」
「でかいわーーー」
「このサイズの犬を飼うには覚悟がかなりいります」
二人はひたすら犬の話をしている。
その間も、厨房の奥から何かが聞こえている。
「息子さん小学生やったっけ」
「そう。小学生ですよ。がんばって自分でお世話するからって言われるんですけど、いくら子供がお世話するっていっても、親が世話するタイミングはどこかでありますよね」
「修学旅行とかあるよねー」
「来年林間学校ありますよ」
「お泊りの間、お世話せなあかんねー」
「あんな大きい犬の散歩するだけの体力がある自信がないです」
「お子さんも引きずられそう」
「どっちかと言うと、僕は和犬派なんですよね」
「和犬もいいねー」
「秋田犬ならまだ……」
「秋田犬もたいがいでかいよー」
「お待たせしましたー。○○健康美味しいラーメンですー」
ラーメンが来た。○○の部分は相変わらず聞き取れない。健康の後に美味しいを足された。
「ほー。美味しそうやん」
「きれいなスープですねえ」
出されたラーメンは澄んだスープのシンプルなラーメンだった。見た目はあっさりしてそうで、確かに美味しそうだ。匂いも食欲をそそる。
食べるのにためらうような見た目でなくて良かったと心から思う。
一口すする。予想よりずっと味は美味しかった。思わず目を見開いた。
すっきりとしたスープが細めの麺によくなじんでいて、箸が進む。それまで感じていた不安など、吹っ飛んだ。
さっきまで、調子よくしゃべっていた二人もほぼ無言になってラーメンを夢中で食べている。
麺だけではなく、スープも飲む。あっさりしている分、どんどん飲める。
存外、いい思いができた。と安堵していた時、外から大きな衝撃音が聞こえた。
重機で何かを壊しているような音である。怒声も聞こえる。複数人が争っているような感じだ。
「こういうあっさりしたスープいいよねえ。最近、濃いラーメンは食べたい思ってても体が受け付けへんくてー」
「わかります。食欲は若い頃と同じなのに、消化する能力が落ちてるんですよね」
二人がまた喋り出した。
僕は外が気になってしょうがない。そっと、横の窓を小さく開けてみた。ユンボか何かが見える。狭い範囲ではそれ以上何かわからない。
見ていると、そっと閉められた。閉めた本人はごく普通の顔して喋っている。
「さっきの犬、結局飼うの?」
「息子が毎日タブレットの画面に大きく映し出してムサシって名付けて呼んでるんですよ」
「完全に飼う気やん」
「さりげなく秋田犬を見せたりもしてるんですけど」
「無駄な抵抗」
渡会さんはけらけら笑っている。
「この犬、日本の夏の暑さにどう対処させたらいいんでしょう」
「そら、飼ってる人に聞くのが一番速いわー。散歩のこともあわせて聞いたら?」
普通の会話をしている間にも、外からは激しく言い争う音と衝撃音が続いている。
味がわからなくなった。早くここから出たい。ひたすら箸を進める。しゃべってる二人の丼の中は結構減っている。
食べ終わった。二人もほぼ同じくらいのタイミングで食べ終わった。
「ほな、出よか!」
渡会さんの一声で、席を立つ。
「ごちそうさん! 美味しかったわ」
渡会さんが機嫌よく会計をする。店員の表情が心なしか硬い笑顔に見えた。
店の外に出た。さっさと車に乗りたかったが、すぐそこに人がいた。電動の丸ノコを持った体格のいい男だ。
ぎくり、としたが相手は一礼して送り出してくれた。攻撃されるのではと怯えたので、何も起こらなくて心底安心した。
車を走らせる。店が遠のいてようやく人心地がついた。
「なんだったんでしょう」
思わずつぶやいた。
「土地で揉めとんのかな」
「宗教団体に寄贈したのを知らずに遺族が売ったとかでしょうかね?」
「土地で揉めるのはしんどいよー。不法に占拠してても、長年使い続けると占有権ができてしまうから」
「20年くらいでしたっけ?」
「そうそう。だから、さっさと対処せなあかんわけ」
「そういうことなんですか……」
何の紛争だったのかわかっただけで、大分心は落ち着いた。
「ソーラーあったよね。あれやろか?」
「案外、公的な強制執行かもしれませんよ」
ばくばくとうるさい心臓がようやく元に戻ってきた。二人は平然といつも通りに話し続けている。修羅場に動じないのは、年の功か。
「ラーメン、美味しかったですね」
「ねー。意外やわ」
「宗教は人件費がかからない分、材料にお金をかけれるらしいですよ」
「ああ~」
渡会さんは普通に感心しているが、僕は変な声が出そうになった。搾取の上に成り立っている美食だったのか、と思うと素直に美味しいと感動できなくなる。
「変な肉とか使ってないといいね」
「昭和か平成か忘れましたけど、実際そんな事件ありましたね」
本当勘弁してほしい。
非日常は日常の壁一枚隔てたすぐ横にある。