“研究狂”
モナの居場所へと案内される道中、アーサーはきょろきょろと見渡したり、ふらふらと足元がおぼつかなかったりと落ち着きがなかった。
「大丈夫?」
「俺、ずっと独りで修行ばかりだったから、誰かの家に上がるって経験が久しぶりなんだ」
「そんな気負わなくていいよ、別にとって食べるとかそういうんじゃないんだし。多分」
「食われるのか俺」
アーサーの顔色がスっと悪くなるのがモナから見ても分かった。恐らく彼のトラウマに掠めてしまったのだろう、モナは慌てて話の訂正に入る。
「例えばの話。大丈夫だよ。多分」
「多分」
「少なくとも私は食べないって話! 他の人はわかんないけど……」
「他?」
しばらく歩いた先に着いたのは、セントラルから外れ、俗にいう『無法地帯』に位置する森林帯だった。『無法地帯』ゆえに自由に過ごすことが可能で、よく見れば大きな野営テントが点在している。中には曲芸や青空食堂を開き、日銭を稼いでいる様子がうかがえる。それを楽しむ人々の声がアーサーの期待を膨らませる。
「……あれが、『旅団』ってやつか? 噂では聞いたことがある」
「そう。私も『旅団』にお世話になってるの。家出だったり、トレジャーハントだったり、仕事だったり……、色んな事情があってじっとしていられない人たちで作った団体。私たち以外にも結構あるんだよ。旅費が浮いたり、何かあったら助け合えるしね。それに、アーサーのやりたいことに役立つ話が聞けるかもしれないよ?」
「……それは助かる」
*
「はい! ここが私の暮らしてる『旅団』のテントでーす!」
モナが意気揚々と紹介するテントは、アーサーが見てきた他のテントよりもずっと小ぶりな一人用テントだった。とても団体で入れるようなサイズではないが、モナはニコニコとしている。この光景をみたアーサーの頭に浮かぶ一抹の不安。
「なぁ、まさかお前一人しかいないとか…」
「……そんなわけないでしょ! いいから入って!!」
「うわっ」
不意に強く背中を押されたアーサーは、前のめりに三回転しテントに入った。
「いってぇ……。……なんだここ!」
頭をぶつけて起き上がると、そこには小さなテントに収まりきるはずのない衣食住が揃っていた。彼は当たりどころが悪くて幻覚でも見ているのではないか、と目を疑う。
しかしそこは変わらずおなじ景色があった。テントをくぐった向こう側は、嗅いだことのないような良い香り、華やかな装飾、白熱電球のあたたかな光で溢れていたのだ。それらはアーサーの鋭い感覚機能をびしびしと刺激した。部屋が幾つにも分かれ、床は固い石畳で出来ていた。奥の部屋からは火を使う音がしている。何かの料理を作っているんだろうか。
見た目からは想像できない内部の広さと充実さに、アーサーの機嫌は最高潮に達した。
「これ、テントだよな……? なんで床が石? 広い。天井高い。つーか何で天井?」
「アーサー、すっごく楽しそうだね」
舞い上がるアーサーの触覚がビリビリと震える。その中にはひどく肌がチクチクする感覚が混ざっていた。アーサーが痺れの中に違和感があることに気づいた矢先、
「やらねぇつってんだろ」
男がぽつりとつぶやいた声はしっかりとアーサーの耳には届いていた。辺りを見渡してみてもそれらしき人影は見当たらない。
「今誰か喋らなかったか?」
「ん? アーサー楽しそうだなぁって」
「じゃなくて……」
アーサーは、人より発達した自分の聴力がどこからか音を拾ってしまったのだろうか、と音源を探すことは後にすることにした。
「まぁいいか。どうなってるんだここ。普通のテントじゃねぇよな?」
「うん。ここはね、」
「私が作ったのよ」
「ヴィリーさん!」
モナの背後からブロンドヘアの白衣美女が現れた。ヴィリーと呼ばれるその女性は、すらりと長い脚で細いヒール靴を履きこなし、きっちりと切り揃えたブロンドヘアを携えた立ち姿は、如何にも大人な女性だ。
「何々―? 朝方出ていったと思ったら夕方には男連れて帰宅とか、モナちゃんやるねぇ。どこで捕まえてきたの?」
「何の話ですか! そんなんじゃないですから!」
じゃれあう二人をみていたアーサーは、徐々に鼻につくにおいに気づいた。本を辿れば、ヴィリーの白衣からだった。モナとヴィリーがじゃれる度、衣服が触れ合う度、そのにおいが鼻に届く。それに耐えられず、思わず本音が漏れた。
「……モナ」
「アーサー?」
「その人なんか、におうぞ」
「なに失礼なこと言ってるの?!」
「いや本気で。鼻潰れそうなんだが。」
モナは、何を言ってるんだこいつはとでも言わんばかりの顔でアーサーをにらみつける。肝心のアーサーは、鬼の形相のモナなぞ露知らず、耐え難い香りに期待の感触が消えていくことを惜しみつつただただ苦しんでいた。
「全然そんなにおいしないよ! ヴィリーさん本当ごめんなさい、もう後で言って聞かせるので……!」
「……貴方この香りがわかるの?」
「あぁ。何のにおいだよこれ……」
「ヴィリーさん…?」
「ぃやったぁぁーーーーーーーー!!!」
「「?!」」
アーサーのしかめ面の理由を聞いたヴィリーは、天に両拳を突き上げ歓喜の声をあげた。全身で喜びを表現したいのか、アーサーの周りを騒ぎながらぐるぐると走り回る。先ほどまでの大人な女性像のヴィリーとは思えないほどの喜びようだった。アーサーからすれば、耳と鼻へ刺激のダブルパンチで平静が保てそうにない。
「きたきたきたきたー! ついに来たー! この香りがわかるってことは貴方『そう』いうことよね?! そうよね?!」
「な、なんだ?」
「ちょーっと色々聞かせてもらえるかな!!!!」
「なんだ急に?! うあぁぁぁぁぁぁ?!」
「ヴィリーさん?!」
興奮冷めやらぬヴィリーはそのテンションを保ったままアーサーの首根っこをつかみズルズルと自室へと連れて行ってしまった。飽くなき探求心というものは、時にすごいパワーを発揮するのだ。モナの伸ばした右手がむなしく下ろされる。
「……行っちゃった。アーサー戻ってこれるかな……」
「おい」
「アスマ!」
「あの狂人はもう行ったか」
「もしかして、さっきまでヴィリーさんに捕まってた?」
「しつこく身体を調べさせろと言うからやらねぇって逃げてきた」
アーサーの連行された後、柱の陰から黒づくめの少年が現れた。先ほどアーサーの聞いた声の主はこのアスマと呼ばれる少年のものだった。アーサーを無邪気な青年とするならば、アスマはクールで立ち絵が映える少年に見える。
アスマは周囲の安全を確認すると、やや不機嫌な顔でモナに詰め寄った。
「今連れていかれた野郎はモナが連れてきたのか?」
「そう、街で色々助けてもらって。泊る所がないって言ってたので連れてきちゃった」
あっけらかんと話すモナに、アスマは体内の空気全部吐くような勢いでため息をついた。目の前の女は自分よりも年上のはずなのに、このように危機感がないのは如何なものかと説教を始める。
「そもそも無法地帯を会って一日の男と歩くのは危機感が足りないんじゃないか」
「極力テントの多い、明るい道を通ってきたから平気だったよ」
「部外者を簡単に連れ込むな」
「旅団なんて皆、元は部外者じゃない」
「いくらお前の『才』が優秀でも、隙を晒し過ぎだ」
『才』の話になった時、モナはアーサーとアスマの『才』について思い当たることがあった。本人の居ぬ間に話題にすることに躊躇いが無いわけではなかったが、アスマであれば問題ないだろうと耳打ちすることにした。
「……彼、アーサーっていうんだけど、『アラビト』なんだよ。アスマと同じ」
「あいつと俺を同じにするな」
「……ごめん。でも『アラビト』なのにセントラルの王様の好き嫌いに別に興味ないんだって」
「お前とは真逆だな」
「そうだね。アーサーみたいに、嫌いにならないで居れたらよかったんだけど」
やや気まずい空気が一瞬流れたあと、アスマは1つ気になる点を見つけた。
「……おい、あいつ『アラビト』だって言ったな」
「うん?」
「『アラビト』をヴィリーに突き出して大丈夫なのか。あの人、“研究狂”だろ」
「……アスマ」
「嫌だ。俺はまだ命が惜しい」
「一緒に来てください」
「聞いてんのかお前」