始まりの大食堂
愛すべき、第二の故郷{マウスリィ}。
俺たちが守るべくして旅立ったその地で、西に聳える神聖な塔から、はたまた東に聳える城壁のてっぺんから、愛すべき街の市民達が何人も何人も、カルト的に飛び降り自殺をしたのである。
理由は明確だった。……英雄が凱旋した為である。
ファンタジーでは良くある話だ。忌むべき敵が世界に降り立ち、強き英雄がそいつを倒す。俺はそいつに妹を殺され、そいつを殺すために旅に出た。稀有であったのは、そいつを殺したことで、崩壊してしまう世界が有ったこと。つまり理由の如何に寄らず、そいつは紛れも無い神だった。宗教団体キリエ。崇拝対象ガレス。彼の崇拝者が宙を舞い、無慈悲にも落下死し続けたあの惨状を今でも覚えている。一人、一人とまた落ちていく。自らの主張を天に捧げながら、或いは英雄への罵詈雑言を叫びながら、恨みつらみを叫びながら。
そして時が経ち、現在その英雄は全くもって関係ない場所で、イジメられている。
―――――――
{ウェスティリア魔術学院・大食堂}
――カーン、カーン。とチャイムの音が鳴った。紙に書かれた内容を長ったらしく説明する退屈な時間が、やっと終わったのである。ウェスティリア魔術学院3回生{ナナシ}。生まれた歳が分からず、留年しているのか飛び級しているのか分からない俺だが、遂にこの学院を卒業することになった。専攻は{騎士課程}である。選びたくて選んだ訳では無い。
元来。この学院には、
『探索士』
『騎士』
『魔導士』
『交易士』
『技巧士』
を基軸とした五つの組み分けが存在し、俺には単純な戦闘技術での卒業を狙える{騎士課程}しか選択肢が残されていなかった。しかし、この{騎士課程}を選んだのが運のツキで、まぁ選んだというか残されていたと言うのが相応しいのだろうが、とにかく、優秀な人材を数多輩出してきたこの"ウェスティリア魔術学院"の騎士課程に進む人間というのは、どうにも家の出だとか、血筋だとかを自慢したがるお高い奴が多いようで、そういった奴らは往々にして遺伝的な固有魔法を得意としている訳で、何が言いたいかといえばつまり、実力も有り正確にも難が有るといったクソッタレばかりであった。
そして往々にして奴らは騎士課程に残り、近衛騎士課程の1回生から始め直す。その後は家でも継ぐんだろう。対して、俺は悪神を倒した後に魔法を失い落ちこぼれと成った。加えてこの学院に入る前より定められていた、成すべき目標が有り進学するには至らない。それ故に奴らを見返すことなく、今日日この学校を卒業しなければ成らないのだ。悔しいという感情は無い。有るのは強い安堵と、清々しさ。そして次なる宿命への不安。
「何を伏せている。晴れ日だと言うのにまた一人か。」
……死ね。
心の中でそう唱えると、長髪の少女は俺を殴った。
「死ね、と言われたような気がした。」
ふてぶてしいこの少女の名前はエルノア。アイギス城の地下から見つかった"黒い世界樹"の守り人である。一見すれば魅力的な魔女なのだろう。凛とした瞳と眉に魅惑的な口元、顔のパーツには非の打ち所がなく、清楚という言葉の似合う天衣無縫な少女といった感じ。飾り気のない真っ黒なローブを着こなし、大きすぎる魔女帽もさまに成っているから凄いと思う。しかしその性格には難が有り、人の傷を簡単に抉るような、利己的で傲慢で高飛車で、可愛げなど微塵も無い性悪な心を持っている。加えて、俺の心を少し読むことが出来る。
「……卒業するのは俺だけなんだ。まぁ、魔法も使えず卒業出来ただけでも大金星なんだろうな。」
「――そうか、憐れだな。」
エルノアは当たり前のようにそう言って、俺の背中を叩いた。
「ワールドクエスト討伐対象。世界を敵に回した"悪神ガレス"を倒したはずの君が、祝福されし英傑である君が、今やこんな食堂の端っこで一人、卒業証書を眺めて伏せる落ちこぼれに成るとはな。全く世界とは愉快なものだな。最高だ。」
「……そうだな。」
悪神ガレスを倒したのは確かに俺だ。だから今でも{マウスリィの大自殺}を思い出しては、脳みそが狂いそうになるほど疲弊する。心も身体も。しかし、魔法史に残った英雄はサテラ=カミサキと言う大魔導士の名前だけだった。その彼女はこの世界で最強とされており、同時にガレスを倒した功績から、命を狙われる身となった。つまりは身代わりとなった。何処かの魔法を失った落ちこぼれ学徒の為に。
「――だが、旅が始まってからもウジウジされては堪らない。ボクはこの話を何度も君にしているとは思うが、改めてこの晴れの日にも伝えておきたい。君の記憶に刻まれるようにな。要は"おまじない"だ。」
そうしてエルノアは、いつも通りのセリフを俺に言った。「――君は、正しかった。」と。分かっている。そんなことは分かっている。だからこそ旅に出るのだ。ガレスによって沢山の命が奪われた。カルトはそれを死ぬべきだった悪魔と評するが、その中には俺の妹も居た。俺の妹は悪魔じゃない。
それに、発令されたワールドクエストは世界の意志だ。完遂され、確かに一つの悲劇が終わった。誰もがそう思っている。だからこそ俺は、ガレスがもたらしたあの悲劇を繰り返さない為に、もう一度剣を握らなくてはならない。奴を倒すために培った魔法は失った。それでもである。
「さぁ、行こうか。」
無力な俺に無慈悲にも、可憐な魔女はそう告げた。俺は静かに立ち上がる。絶望している訳では無い。全くもって無謀では無いだろう。ガレスは確かに強かったのだ。この世界で一番強かった。奴を倒した経験は、きっとこの腕に残っている。だからきっと無謀では無い。だからきっと無力では無い。そう、例えばそれはラスボス撃破後の凱旋世界で、レベル0から裏ボス四人を倒すような、そんな所業の譚なのである。
ウェスティリア魔術学院及びその五大寮については、小説『ノアの旅人』に詳細があります。
本作品はスピンオフですがストーリーの根幹に関わるタイトルであり前日譚なので、『ノアの旅人』から来た方もそうで無い方も差異はありません。気楽にお楽しみ下さい。
――西井シノ