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 半壊したハーウェイの壺、その生き残った一室にトールは寝かされていた。

 床には足が沈み込むような絨毯と、壁には幾つもの装飾的な棚が並び、様々な本と酒類が整然と収められていた。

 天井には現代的な照明があり、壁を見れば大きな鹿の首が飾られている。

 大きな窓硝子は二重になっていて、アムレキア周辺の寒い空気を十分に遮断している。両側面を見れば分かるのだが、細かい穴が開いていて、そこから常に温風が吹き出しているのだ。故に内側から触れればガラス部分は仄かに暖かい。調整が完璧ではないのか時折曇ってしまうのが難点だったが、学校の黒板を二つ並べたような大きさの窓ガラスを剥き出しにしていて、部屋の中が冷えないという時点で相当なものだ。

 また何より、トールが眠るベッドはスプリングが内臓されており、度々訪れる地獄の番犬(ケルベロス)の少年少女らがこぞって飛び込み遊んでいた。

 部屋には個人用のトイレとシャワールームまであり、常にお湯が出る。


 ここがかつてハーウェイの壺を支配していた男の、隠し住居の一つというのだから様々な意味で納得出来る。


 この部屋はあらゆる意味でアムレキアから隔絶している。

 生活の水準はトールが暮らしていた世界でも十分裕福と呼べるものであり、技術的にも発達している。

 来訪者(ビジター)による手が入っているからだと他の者達は言うが、稀に現れるだけの、碌な準備も無い者がここまでのものを作れるのだろうか。


『あるんだから、作ったんだろうさ』


 そう、この部屋を訪れるロディは言っていた。


 彼はかなり忙しくしているようで、会えるのは二日に一度くらいだったが、必ず時間を作ってはトールの体調を診に来てくれる。


 異様に好待遇なことに怖気付くトールを、貰えるもんは貰っとけと笑い飛ばし、また何度か食事を共にした。


 他にはあの苦楽を共にしたミランダ、コジロー、グスタフにアイラは、暇を見付けては顔を出し、トールが退屈しないよう遊び道具を持ってきたり、遊び相手になってくれたりする。他の地獄の番犬(ケルベロス)の者も何度か顔を出し、ツバキを始めとした仲間を支えてくれたことに深々と礼を言った。


『ケタケタケタ。お暇ですカ、お暇ですネ、さあワタシに授業とワタシの授業を始めまショウ』


 ニールは不定期に現れて勉強を教えてくれた。こちらの文字や数字、アムレキアでの常識や物価や歴史など。代わりにトールは自分の分かる範囲でかつての世界の事を教え、小躍りし始める彼に苦笑いしつつも、それを楽しんでいた。


『ニールとトールで仲良くしまショウ。ワタシ達はきっと相性が良いデス。おっとアンディには内緒ですヨ』


 一緒にシャワーまで浴びて、背中を流し合いまでした。

 白衣を脱いだ彼の背中は、なんと言っていいのか分からなかった。


 日々、色んな人がやってくる。


 一度ははぐれたままになっていた、あの年上の少年も顔を出した。

 ロディに連れられ、銃を背負ったカムランと名乗った人物と一緒に。

 アラルド農園は現在大変な状況になっているらしく、少年は避難所内の様子を教えてくれた。彼はカムランの補佐として働いているようで、時折銃を触らせてもらい、幾らかの成果をあげているらしい。

 また、彼が持ってきてくれた豆菓子の味が懐かしくて、一緒に上へ放り投げては食べる遊びをした。


 アラルド農園と、ハーウェイの壺の交流が始まっているのは明らかだった。


 かつてニールに求められ、それを手伝えればと思ったトールだったが、結局は寝たきりで何もしていない。

 その事を本人へ話すと、大仰に首を振って否定された。


『貴方がここに居るだけデ、その面会という言い訳を使って農園の者がやってくるのですヨ。向こうでもこちらでモ、未だに良く思っていない人は居ますからネ。けれど病人の面会を断る理由モ、止めろと強要する理由モ、まあ大抵は無いのデス』


 一部では農園の少年を研究所が人質にしているなどという言い掛かりもあるが、ニールは敢えては話さなかった。

 実際に、好待遇を与え、本人や周りの同意も得ているが、その存在を利用する形で物事を進めている以上、完全に事実無根とも言い難い。


 腹の内の結晶を小さく鼓動させながら、虚蝋骸(ハートレス)はケタケタ笑う。


 時間だけが経っていった。

 間には様々なことはあったが、トールは目的を果たせずに居る自分を悔しく思っていた。


 目的とは、回復だ。


 トールはあの死闘から十日も経過した今となっても、未だに体調が回復し切っていない。


 立ち上がるのも困難で、一時間以上人と話していると疲れてしまう。着替えや食事は必ず誰かの手を借り、意地を張っていた排泄も一度やらかしてからは諦めてトイレへ行くのは止めた。


 何かが大きく動いている気配を感じながら、ちっぽけな事情に一喜一憂する。


 もっぱら最近の悩みは、コレットだった。


    ※   ※   ※


 少女がおまるを持っていく。

 個人トイレへ持って行って捨てるだけなのだが、今のトールはそこまで歩くことさえ出来ないで居る。

 誰かに委ねるしかない。ベッド脇に置かれたおまるへ移動するだけならなんとか出来る。そこから汚れを拭いて、ベッドへ戻るまでならなんとかなった。しかしベッド脇に汚物があり、その臭いが漂ってくるのは非常に辛く、放置するのは伝染病的にもよろしくない。

 つまり、少女がおまるをトイレへ持っていくのは仕方の無いことなのだが、その少女であるコレットが嬉々として役目を請け負い、定期的に顔を出すのがトールの心に引っ掛かった。


 慣れてしまえば大抵のことは耐えられると思っているトールだが、淡々とされるならともかく、なぜか嬉しそうなのかが分からない。


 聞けば判明するのかも知れないが、知らないままで居た方がいいような気もする。


 そして貫はトールとなって行動的になったものの、根っこの気弱さや臆病さは残っており、ここでは過去の自分に軍配が上がった。


「いつも、ごめんね……」


 出来るだけ暗くならないように言ったのだが、コレットは心配そうに眉を下げて寄ってくる。

 綺麗に洗われたおまるをベッド脇に置いて、


「気にしないで。必要なことなんだから。それに私、トールのなら平気よ」

「うん、ごめん」

「トールはゆっくり休むの。ね?」


 言って彼女はトールの頬に口付けし、とろけるように笑った。


 どうにも、彼女が弱っていた時にしたことだからと最近は事ある毎にされるのだが、たまに中々離してくれないことがある。極限状態ならばともかく、平時でこれほどまで誰かと距離が近い経験など無かった為、どう対処して良いか分からないのだ。


 またコレットは他の誰かが居る時は一切触れるようなことはせず、物静かに近くに居るだけだった。


「前に寝たのはいつ?」


「ん、いつだろう。さっきまでニールの授業受けてたから、結構起きてると思う」


 言いつつ、あぁ来るか、と思った。


「ならちょっと寝よっか。ねえ、トール、添い寝してあげる」


「うん」


 戸惑いはあったが、不快感などは無い。


 あの日々があって以来、トールも彼女や、ミランダ達を受け入れている。

 生死を共にした間柄、と呼んでいいのかは分からなかったが、無条件で信じられる相手に思えている。ロディへの信頼も強かったが、あの中の誰かが顔を出せば、自然と楽しい気持ちが湧き上がってくるのだ。


 コレットにとってもそうなのだろう。兄と別れて暮らす彼女は、時折過去を思い出して寂しくなると言っていた。

 そういう些細で、けれど容易く人に話せない内面を漏らせる相手になれたのだと自覚している。


 ベッドの中で彼女に抱かれながら、ぬくもりに甘えようとする自分も居ると、トールも感じていた。


「トール……トールぅ……」


 ただ、寝入ろうとしている間も頬に口付けされたり、耳元で囁かれたりすると、どうにもむず痒くなって、落ち着かなくなるのだ。


    ※   ※   ※


 コジローとグスタフへ相談すると、二人は揃って微妙な顔をした。


「いや、分からないんじゃないんだ。ないんだけど、なあ?」


 コジロー、刀剣を腰に佩いた少年は顎に手をやり、上手い言葉が無いかと思案する。

 直接的にその事象を表現しても良いのだが、話を聞くにトールの側では明確になっておらず、やや流されている傾向も強い。コジロー自身、今年で十一になるトールより一つ上でしかない。男女のなんたるかを語るには知識も経験も乏しく、気恥ずかしくもある。妄想ばかり膨らんでいくが、具体性のない象徴的な何かに置き換わるのが常だった。彼も壺の住民の例に漏れずロックを愛する一人だが、常日頃叫んでいる単語が何を意味するのか、正直な所分かっていない。


「なあ、と言われても……。まあ、すればいいんじゃないか?」

「す、するってなんだよ!? なにをするんだよ!? なにかをするものなのか!?」


 更に二つ年上のグスタフはやや躊躇いがちに言うが、彼もまた経験の数はコジローと相違無い。

 この場で最年長ということもあり、なんとか意見をひねり出してみるのだが、具体性を知る癖に気恥ずかしくて年下相手に言葉を濁し続けていた。


「なにかって別に、その、くっついたり、するわけだろ?」

「ほう……それで?」

「それでって……」

「そこはグスタフ先生のお力で一つ!」

「コジロー、グスタフが困ってる」

「だけどトール!?」


 などと今日も今日とて少年三人の膨らまない妄想を垂れ流す。


「よー、トールー、きーたぞー」


 話が一段落した所でまた来客があった。

 ピアスの少女、ミランダと、その後ろで隠れるようにしているのがアイラだ。


「なんだー、男三人でぇ。エロ話か」


「違ぇし! んなもん興味ねえよ!」


 過剰反応するコジローをけらけらと笑っていなし、ミランダがアイラの手を引いて寄ってくる。少年達がそうしているように絨毯へ腰を降ろし、胡坐を掻いた。アイラはおずおずと正座したかと思うと、少ししてお尻を直接床へ付けた。柔らか過ぎる絨毯に目を瞬いて手の平を当て、何度も何度も確認する。

 ここへ来る度に同じことをしているのだが、彼女にとって柔らかい床というのはいつまで経っても不可解なものであるらしい。


「でー、何話してたのー?」


 ミランダはどんな時でも輪の中ヘ割って入るのを躊躇しない。

 好きに入り込み、好きに出て行く。やんわりとした口調はあるが、猫みたいな所がある。


「コレットのことだよ」


 年下二人の視線を受けてグスタフが言うと、ミランダは笑って言った。


「なんだやっぱエロ話じゃん」

「違ぇって言ってんだろ……っ」


 お決まりのやりとりをしつつ、彼女は身を乗り出してくる。


「なぁにー、トールー、もしかしてコレットのこと気になっちゃったー? ラブなのー?」

「ううん」

「即答かーい」


 そもそも男女間の恋愛と言われてもなんらピンと来ていない為、トールの言に嘘はない。

 ラブ。愛。そんなものがこの世にあることさえ、彼はイマイチ分かっていないのだ。自分自身がその結果として産まれたのだとしても。


 確かに両親は愛し合っていたのだろう。

 仲も良かったと思う。

 けれど自分とコレットを同じように頭の中で並べた時、両親との年齢の違いもあって想像が及ばない。

 まるで宇宙人の話をされているみたいで、よく分からないのだ。


「コレット……前からトールのこと、大好きみたいだったよね」


 普段殆ど喋らないアイラの発言に全員の目が向いた。彼女は注目されたことでやや慌て、頬を染めて視線を彷徨わせた。


「まあ好きは好きだったと思うけどー、お人形さん遊びー?」

「でも、他の小さい子にはあんなことしてなかったよ」


 どうにも恋愛話とあって、アイラはいつも以上に前のめりになっているらしい。

 瞬きの数を増やしつつも話題から逃げるつもりも、逸らさせるつもりもない様子。


 結論ありきで話している部分はあるが、そこは少女としての本能がさせるものなのだ。


「しなかったよねー。私結構構ってたつもりだけどー、中々懐いてくれなくてさー。いやこないだピアス穴開けた時はなんというか、仲良くなれたーみたいな感じはあったけどさー」


「トールはっ、コレットのこと、きらい?」

「きらいじゃないよ」

「ならっ、すき?」

「わかんない。すきだけど、コジローとか、グスタフとかと同じだよ」

「えっ?」


 なぜそこで驚かれるのか。トールは勘違いがあってはいけないと思い、言葉を付け加えた。


「アイラも、ミランダも、すきだよ」

「そう……」


 好きと言って落ち込まれてしまうと物悲しさがあるのだが、敢えてトールは無視した。

 コジローがやや悪態を付きながら、


「女はすぐそういう話に結び付けるんだよ。ほっとけ、トール」


「うん、いや……うん」


 悪げに言うコジローを肯定出来ず、けれど話の内容には同意したくて、曖昧な反応が重なった。


「でもー、こうやって話が出てるってことはさー、トールなりに何かあるんでしょー? 恋とか愛とかはいいから、その何かをお姉さんは聞きたいなー」


「別に何かがある訳じゃ」


 言いつつ、人目の無い所で頬や耳に口付けされることを思い出す。

 せめて以前のように誰の前でもしてくるのなら、海外でのスキンシップ程度に考えられるのだが、隠れて行われるとそれが見られてはいけないことのように思えてしまう。また不安がるコレットを宥める為とはいえ、トールから始めたことだ、否定はし辛い。

 嫌という感情も特に無く、受け入れてはいるのだが、とそこでいつも考えが止まる。


 最初はそこまで意識していなかった。


 ちょっと過保護に世話をされているとは思っていたけれど、行為そのものを自然と受け止めていて、心地良くもあった。


 いつからだろうか。

 考えていると、不意に何かが頭に浮かんできた。

「あ」

 と、迂闊にも声をあげ、それを少女二人は見逃さなかった。


「なにっ?」

「なになにー? 聞かせてトール君っ」


「ううん、何も無いよ」


「何があったの?」

「何かあったんだー」


 否定したのに喰らいついて離してくれなかった。

 困ってコジローへ目をやると、少年は身を乗り出したミランダの胸元に目を奪われており、気付いては貰えなかった。グスタフは気付いてくれたものの、女子二人の勢いに気圧されて降参を示している。


 退路無し、援軍無し、篭城は極めて困難である。


 押し寄せる圧力の前に、トールは陥落した。


「…………たまに、添い寝するんだけど」


 たまにではなく、最近では毎回だったが。


 二人の興奮した声があり、躊躇っていると催促が続いた。


「前にされた時より、大きくなってるなって……」


「何が!?」


 コジローだった。あんなにも強く否定していたのだから、こういう時でもちゃんと興味無いを貫いて欲しいとトールは思った。

 ミランダは何かを察した様子で、アイラはまだ少し理解し切れていない。グスタフも意味を理解したのか、照れて視線をそらしていた。コジローは雰囲気に興奮しているだけだろう。


「何が大きくなったんだトール!? 俺だけでいいからこっそり言ってみろ!?」

「だから……お」


 その時部屋の扉が開いた。


「なんだ、皆ここだったんだ」


 冷淡、とも言える声と表情でコレットが顔を出し、無言で部屋の椅子へ腰掛けた。

 トールからは最も遠い位置に彼女は座った。


    ※   ※   ※


 ミランダの視線が彷徨いながらコレットの一点へ注がれている。

 グスタフも同じようにしていたが、一度トールと目が合った途端にぐっと瞼を閉じて顔を背けた。顔が赤い。

 やがてアイラも二人の様子から何かに気付き、何故かトールへ強い視線を向けてくる。


「なあお前、トールと添い寝してるんだって?」


 コジローは何も気付いていなかった。

 いつもの調子で絡み、挑発するように言う。


「そうだけど」


 だから何か? とでも言うようにコレットは応じ、一瞬だけ全員の顔色を伺った。


「トールが困ってるんだってよー。看病するんだから、別に潜り込む事なくね?」

「嫌とかじゃないよ。僕も、よく分からなくて……」


 コレットは冷静だった。

 不自然なほど静かに、淡々と聞いてくる。


 何故か、トールの顔だけは決して見まいと正面だけを見据えて。


「トールは、困る?」

「分からなくて、でも」

「ならいいじゃない」

「うん……」


「いや困ってるんだって。そう言ってたもん」

「コジロー、あんたちょっと黙ってなー」


 ミランダに少年が捕まり、首を絞めに掛かられた。グスタフが心配して身を乗り出すが、薄着の少女へ掴み掛かることが出来ずあたふたとするだけだ。


 そう強く絞められてはいないのだが、何故かコジローは無言になり、ミランダとは逆方向を睨み付けた。その様子をアイラが何の感情も込められていない目で見下ろしている。


「困ってる?」


 脇の騒ぎに目もくれず、コレットが再度聞いてきた。

 トールはすぐに首を振る。


「困る、とは違うと思う。本当に分からなくて、それには困ってる。でも、嫌じゃないよ」

「そう」


 冷たく応じてはいるものの、彼女の口元がやや緩んでいるのが分かって、トールも少し落ち着く。

 コレットを傷付けるようなことはしたくなかった。未だ戸惑いはあるものの、その原因について辿り着いた今となってはより一層戸惑ってしまうのだが、彼女が欲するのならば続けようと考えている。


 しばらくして四人が部屋を出て行って、コレットは看病があるからと言って残った。

 扉の向こうで聞き耳を立てていた女子二人を彼女は銀狼(フィーリル)もかくやという冷たい目で見詰め、無言で追い払っていた。


「トールが嫌なら、私、やめるよ?」


 二人になった途端、コレットの声には甘えるような色が混じる。

 この変化への戸惑いも今となっては慣れたものだ。


「さっきも言ったけど、本当に嫌じゃないんだよ。僕もよく分からなくて、変に考えすぎちゃってるんだと思う」

「嫌になったら、言ってね?」

「うん。コレットのことは好きだよ」

「私も。トールのことが好きよ」


 頬に受ける口付けも、特段の感慨はない。

 二人で同じベッドに入り、身を寄せ合って過ごす。

 抱き締められても、胸元には触れないよう気をつける、それだけで。


「ごめんね……ごめん……」


 そうして彼女はいつものように泣き、謝罪を繰り返す。


 あの戦いの日々で仲間を手に掛けたことを、そして多くの仲間を失ったことを、コレットはずっと悔やみ続けている。


 ミランダも、コジローも、グスタフも、アイラも、どこかでずっと思っている。

 何か大変な動きがあって、皆忙しくしているのに、ああして集まってくるのは同じ経験をした仲間で集まっていると落ち着くからだ。

 気遣うことも、気遣われることも必要ない。辛いのは皆同じだと分かり合えている。馬鹿みたいに騒いで、笑って、忘れようとしている。


 ここはトールが居た場所よりも死が近いのだろう。その死を受けた仲間を受け継いでいくことの出来る場所なのだろう。勇敢に戦った仲間を誇り、称賛するだろう。それでもどこかで思うのだろう。


 生きていて欲しかった。


 助けられる力が欲しかった。


 思うからこそ奮い立ち、奮い立てる理由を求め、誇りへと行き着くのかも知れない。


「トール」

「うん」

「死なないで」

「うん」

「居なくならないで」

「うん」


 苦しむコレットを宥め、抱かれながら背中を叩く。


「僕は、ここにいるよ」


    ※   ※   ※


 またしばらくして、トールの身体はゆっくりとだが回復しつつあった。

 ロディの言では除去し切れなかった悪いものが残っているかもしれない、ということであり、今でも貴重だろう薬を定期的に飲み、精の付くものを食べることで体力の回復を図っている。


 おまるから開放され、人間の尊厳を取り戻したトールは暖かい部屋の中を歩き回り、自分でも体力を取り戻そうとしながらも、時折気分が悪くなってへたりこんでを繰り返していた。眠っていた方が良いと言われても、横になり続けていると身体が固くなって、背中が痛くなる。簡単なストレッチは行っていたが、血行が良くなると疲れが早くやってきて、やはり気分が悪くなってしまう。


 思うように動かない身体に苛立ちを見せる場面もあったが、頻繁に顔を出すコレットや、他の四人との短い会話などで気持ちは随分と楽になっているようだった。


 入れ替わるように部屋を出たロディは、待ち構えていたらしいニールが現れたのを見て一度目を伏せた。

 二人は無言のまま歩き、広場へ出た。


 ハーウェイの壺は先だって行われたアンディ=ボルガンの反乱によって拠点が半壊し、勢力もバラバラになって各地へ散った。

 残ったのは根回しの終わっていた派閥や、彼に従うと決めた者達、どちらでも構わないと残った者達だ。

 死者の数は現在も計上中とのことだが、回収された石の数は二百を超えた。


「随分と人が戻ってきてるようだな」


 地獄の番犬(ケルベロス)が占有しているカフェのテラスへ身を落ち着け、眼下の景色を眺める。


 住居を破壊され、あるいは反発しつつも行き場が無く戻ってきた者達が広場の向こうに延々と掘っ立て小屋を作って暮らし始めている。

 些か寒期の厳しい時期に使う燃料が不安になるほど、周囲の木を切り倒しているのをロディも見た。


「無計画って訳でもないんだろうが、アンディも随分と思い切ったことをしたよ」


「壺の上層部は腐り切っていましたカラ。トールの部屋を見れば分かるでショウ。あれだけの財を抱え込んデ、その収入源が薬物とワタシ達にも向けられる銃器の販売……それを壁の向こう相手に行っていたのですヨ」


 空飛ぶ骸骨に世情を解説されると珍妙な気分にもなってくるのだが、いい加減ロディも慣れつつあった。


 トールの部屋、あれは明らかに壁の向こうの技術が取り込まれている。

 部屋の何気無い電化製品を分解すれば、こちらの技師が目を輝かせるようなものが詰まっていることだろう。

 実際、回収された上層部の私物を各所へ運び込み、解析をさせている。素材が手に入らない為に再現するのはほぼ無理、とのことだったが。


「薬と銃器、それだけならそう驚きゃしなかったんだがな」


 アラルド農園の住民にとって、研究所……ハーウェイの壺のやっていることは後ろ暗いものだという印象がある。

 薬物、銃器、それらの製造を続けられる原材料がどこから来ているかを考えれば、壁の向こうとの繋がりは自然と浮かび上がってくる。


 今回アンディの強硬姿勢に避難する声もあったが、取引の品目を聞いた者は総じて、その一点だけはかつての上層部を痛烈に非難した。


「彼らは死者の石を売り物にしてイタ。それも相当量ヲ。過去行方不明になった継承者すラ、彼らに殺サレ、売り渡された可能性があるのデス」


 ともすれば人身売買以上に許されない行為とも言えた。

 死者の尊厳を踏み躙る、人否人の行いだ。


 アムレキアの住民にとって死後に残る石は受け継がれるべきもので、敵に奪われるというのは最大の屈辱だ。ましてや売り渡すなど、ロディは今日までそんな可能性を考えたことすら無かった。


 しかし、と。


 受け継ぐべき魂を置き去りにしてしまったロディも、それと同じだけの責めを受けるべきなのだろう。


「結局、ギルフォードの野郎は見付からないままか」

「壁の向こうとただならぬ関係があったようですカラ、逃げたとするなら向こう側でしょうカ」


 そんなにも簡単に抜け出せるものなのだろうか。

 壁は、高く、分厚い。

 物理的な見た目だけでなく、心の中にそういうものとして聳え立っている。


 継承者であるなら、あの壁を吹き飛ばす程度のことは出来るだろう。アンディのあの巨人を使えば、丸ごとだって可能に思える。それでも行動を起こしてこなかったのは、壁のこちら側にばかり気が向いて、考えもしなかったのが原因か。


 六十年の歴史を紐解けば、過去幾度か挑んだ者は居たのだが、現状を見れば結果は明らかだ。


「案外、そこらの掘っ立て小屋に潜んでるんじゃないか」

「だとしても彼は継承者でもナク、最後に前線へ出たのは何十年も前とのことですヨ」


 手勢は壊滅し、最新鋭の銃器や弾薬は抑えてある。

 アンディが物理的に出入り口を塞いであるという話だから、奪い返される心配は殆ど無い。取り出し、使用する時には必ず彼が立ち会うのだという。何せこの大岩の三分の一を吹き飛ばしたのはアンディだが、残りは相手の仕業なのだ。凄腕の使い手も、継承者も居たが、一般歩兵の火力が凄まじかったと聞いている。


「農園の状況はどうですカ」


 ニールはカフェの者に珈琲を注文し、ロディは水を頼んだ。

 骨しかないのにどうやって飲むつもりかは不明だが、当人は浮いている癖に椅子へ腰掛ける様に己を落ち着け、肘をついた。


「まあ、意見は分かれてるよ。けどムゥさんが乗り気だから、問題無く進む筈だ」

「彼ハ……どうですカ」

「俺が定期的にやってた治癒も無いからな……トール程じゃないけど、辛そうにしてる。こっちのギルフォードって、昔ムゥさんの戦友だったんだろ? 石の話聞いた時は相当にヤバかったって話だ」


 結晶化事変を共に生き抜いた相手が性根から腐っていた。他の者からすれば最初からそういう相手だと思っていたということで流せても、彼の怒りと落胆は相当なものだっただろう。


 アンディとも幾度か会って、話をし、概ね思惑通りに動きつつある。


輝石獣(ビーモス)討伐、一応は気温があがってきたから、雨を待って動き始めるって話だけど、ホントに降るのかね」

「天候ばかりはなんトモ。来訪者(ビジター)の世界デハ、天から雲を眺めることで予測したという話ですガ」


 ロディは息を抜き、背凭れに身を預けた。


 珈琲と水がやってきて、骸骨が嬉々として飲み始める。

 口に入ったものは何故か出てこなかった。消化、されているのだろうか。


「どっちが早いか……」


 空を眺めながら零れた言葉に、ニールが息を落とした。


「やはりトールは長くありませんカ」


「取り除き損ねた分が身体の中に残ってる。通常の手段で取り除こうとしても、今の体力じゃ手術に耐えられず、そのままだ。あの時もっとしっかりやれていたら……っ」


 ロディは確かにトールを治したつもりだった。

 だが、底を突く力に気を取られて、隅々まで浄化することが出来なかったということだろう。


来訪者(ビジター)の肉体とこちらの者達の肉体は似ているようで異なりマス。過去にモ、些細な病から回復できず死んだ者ヤ、かすり傷が異様に悪化して手足を切り落とす事態になったといいマス」


 あるいは薬を投与した際、別の症状が発生して効果が出なかった、などということもあるらしい。


「言葉は通じるのに、薬は効かないなんてな」

「オヤ、言葉は異なりますヨ?」


 は? とロディは眉を寄せた。

 ニールは珈琲を飲み干し、両手を広げる。


「彼は当初ワタシ達と同じ言語を使用していませんでしタ。けれど意味は伝ワル。貴方がたが普段やっているよう二、結晶化の症状の一つとして共振し合っテ、意思疎通を行っているのですヨ。今ではこちらの言語に馴染んだのカ、普通に喋っていますけどネ」


「どういう意味だ」


 理解が追いつかなかった。


 トールについてもそうだが、貴方がた、と彼は言ったのだ。


「死後に石とナル。貴方がたが結晶に侵食されているのは明らかでショウ。()()と呼ばれるモノ達ガ、ワタシが侵食した対象を操るよう二、貴方がたもある程度はそういうことが出来るのですヨ。そもそも貴方は主の力を受けることデ、影響を受けているではありませんカ」


 言葉を次げないロディに対し、ニールは事も無げに言ってみせた。


「人が巨人を生み出シ、炎を生み出シ、瀕死の人間すら救ってみせル。そういった在り得ざる力があるからコソ、壁の向こうは石を求めるのかもしれませんネ」


    ※   ※   ※


 ロディがアラルド農園へ戻ったのは夜になってからだった。


 検問を受け、護衛をしていた農園の者達と別れる。護衛とはいっても、ロディに出来るのは石の使い手にも劣る格闘戦が関の山で、しっかり別の戦士団が守りを固めている。あくまで方便だ。力が尽きていることを喧伝する訳にもいかず、表向きはこれまで通り振舞うことをロディは司令部に求められている。


 しかし噂はどこからか漏れ出すもので、これまで普通に接してきた者たちも、なんとも言えない顔でロディを見て、積極的に話しかけてくることは無かった。


 まるで囚人にでもなったような気分で身を縮め、彼は薄暗い道を歩いていく。

 いや、囚人以下なのだと、彼自身思っていた。


 先日、農園にある発電機の一部が機能を停止した。

 修理は続けられているけれど、夜間はすっかり灯りを落とし、防衛や病院など本当に必要な所にのみ配給されるようになっている。

 食料の大半が保存食として加工され、その為の人手に動員されもした。

 偶然会った食堂の親父からは、雇った少年の代わりを入れたとの話を聞かされた。働き始めで休み続け、いつ回復するかも分からないのだから、仕方の無いことだろう。


 家には戻らず、丘へ昇った。


 踏み固められた坂道を歩き、アラルド農園を眺める。


 アムレキア市街と旧工業地帯の境目、三重の金網が張り巡らされた防御陣地だけが今も光を湛え、敵の侵入を警戒し続けていた。後は見張り台や、指揮所、中央司令部のある塔と主だった通路くらいだ。

 あまり、具体的に街並みが思い出せない。

 思えばロディはこの数年、家と市場と食堂と、戦場ばかりを行き来していた。

 先代が居た頃からそうだ。外で遊ぶより部屋で何かを作っているのが好きだった。


 頃合いなのかも知れなかった。


 性に合わない戦いばかりの日々よりも、改めて物作りを覚えてみるのも悪くない。技師職はキツいという話だが、いつも人を募集している。しばらくは恥晒しと呼ばれ続けて辛いだろうが、あまり表へ出ない仕事だから忘れられていくだろう。あるいは、新しく作られ始めたハーウェイの壺へ身を寄せてもいい。あそこにはもうトールを受け入れる下地がある。農園で働いているよりずっと楽しそうに見えた。ニールかアンディに頼んで、何でもいいから仕事をして、トールが一人立ちするまでなんとか稼ぎを得ていければ十分だ。


 トール。


 日に日に痩せ細っていく少年の姿を思い浮かべながら、ロディは墓場に立った。

 積まれた無数の石を眺めつつ、どうしてここへ来たのか分からず、しばらく呆けた。


 トールはいつまで生きられるのか分からない。


 壺で聞いた話だと、来訪者(ビジター)は総じて短命なのだという。


 些細な病や傷が致命傷になってしまうのなら、長生きできないのも仕方ない。


 元から将来など無い身だったのだ。


 ロディにとってその事実が、どうしようもなく悔しかった。

 あの日、生きるつもりもなかった、諦めたロディがこうして生き永らえたというのに、あんなにも懸命に生きようとしている少年の道が閉ざされてしまうのか。


 ふと思い出した。


 彼女が死に、その魂が煌々と光を湛えているのを目にした時に落ちてきた男。

 ロディが助け、後に自決して果てた男。

 でもあの時、彼の目は生きようとしていた。

 死にたくないと、告げていた。


 生きようとしている者を生かす。

 生きるつもりもない者をも、生かす。


 ニールはロディが先代の従者になった時点で、魂の型が変わっているのだと言っていた。

 その先代も、そのまた先代から受け継ぎ、今日まで続いてきた。


 人を助ける。

 人を生かす。


 それがこの魂の持つ根源的な願いなのだろう。


 トールを救いたい。


 強く思った。


 そして、


「…………ぁ」


 ドクン、と鼓動が強く胸の奥で響いて、熱は全身へ広がっていった。


「姉貴……どうして、いや……っ」


 力が戻っている。無くなったと思っていた炎が、再びロディの内に宿った。

 すぐに思い当たった。

 彼女がこちらを指差し、次はお前の番だと示したあの時、ロディのずっとずっと奥深くに力を隠したのだ。彼女はいつも勢い任せで、後先なんて考えてくれない困った人だったけれど、遺されるロディのことは何よりも大切に、ロディが思っていた以上に真剣に考えてくれていた。

 何がどうこうなるか、までは分かっていなかっただろうけど、後先考えず力を使い果たした時、ほんの少しだけ機会を得られるように。


 残り火は僅か。


 銀狼(フィーリル)戦を始めた時よりもずっと少ない。

 けれど抗う力は得た。

 彼女が伝えてくれた、諦めず、生き続ける力だ。


 そして、


 目元を拭っていたロディが目を開けると、周囲に光子が集まってきていた。

 それらは数多積まれた石から生まれ、ロディの周囲へと集まってくる。


「なんだ、これ」


 従者は石の力を使えない。

 ましてや使おうとすらしていない。


 しかも、集まってくる光子の発生源は墓地の最も古い場所からだ。


「皆、君を応援しているんだよ」


 不意に掛けられた声へ振り向けば、光子に照らされた老人がそこに立っていた。


「ムゥ……さん」


 記憶にある顔付きよりも、相当にやつれている。

 トールと同じか、それ以上に衰弱しているようだった。


「死んで、石となって、それでも魂はそこにある」


 心配の言葉を打ち消すように彼は言葉を重ねた。


「彼らはまだ、ここに居る。人の肉体を失って、同じ手段では触れ合うことも出来ないけれど、時折こうして光子を放って干渉してくることがある」

「初めて聞いた」

「若い者は墓場になど近寄らないからね。公言して回るようなことでもない。知っている者ならば、誰でも知っている」


 これだから最近の若い者は、なとどぼやきつつ、ムゥは進み出て、ロディの肩へ手を置いた。


 表情には少し、懐かしむような色がある。


「君が受け継ぐ魂は、かつてここにいる者たちと共に戦い、救ってきた者だ」


 あぁそうか、とようやくロディは気付いた。


 アムレキアで延々と受け継がれてきた魂。その最初の持ち主が生まれたのは、結晶化事変当初だという。ならば、その時から戦い続けてきたムゥが当人を知らない筈も無い。


 最初の人物。

 この、人を生かし、救うという精神をまっすぐに貫いてきた者を、彼はずっとロディに重ねて見ていた。


 不甲斐無さに厳しくもなろう。

 期待の大きさに求めることも増えるだろう。

 押し潰されそうになる様を見て、悩みもしたかもしれない。


「その人の名は」


 聞いておきたかった。

 今、こうして胸の内に一つの決意が宿った以上、己の魂へ刻み込めておきたい。


 ムゥ=アラルドは遥か昔に失くしたものを見つけたように目を細め、告げた。



「カイト=ロランツ。彼は当時、研修中の医者をしていたよ」



 人を救う医者。なるほどとロディは思った。

 ならもう、なにも怖じることはない。


 救う為に全てを懸ける。


 うじうじ悩んでいたことなど蹴っ飛ばし、明日を笑って進んでいこう。


    ※   ※   ※


 「ところでムゥさん、どうしてこんな時間にこんな所に」


「酒と摘みを隠しているんだよ。ここは人があまり来ないし、景色が良いからね」


「夜中に病院抜け出して墓場で酒盛りかよ」


「死を間近にすると、身体に良い物より、美味しいものを食べたいと思うものだよ。それにここには戦友が一杯だ、はははは」


「笑えねえ。ほんと、笑えねえ」


「ところでロディ」


「ん」


「これから一杯、付き合ってくれるんだろうね?」


「…………まじかよ」





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