17
アンディ=ボルガンは初手から手を抜かなかった。
正しくは、細々したことを気にしていられるほど冷静ではなかった。
しかし問題は無い。
「一切は任せた」
相棒、ニール=ハーウェイが任せろと言ってくれたのだ。
彼は仲間の下へ向かい、更には一切を何とかしてくれるだろう。
だから何も気にしない。
目の前に心底腹の立つ犬畜生が居る。そいつをぶっ飛ばす。十分過ぎる思考だ。
故に、
「塵よ積もって山を成せ」
言葉に反して、大地が激震し、周囲の何もかもが巻き込まれていく。
アンディの力は、ロディの炎やアークスの風のようなふわふわしたものではない。
敢えて言うならばこの大地全てがアンディの力であり、望みさえすれば山を崩すことも海を築くことも可能となる。
かつて、そう、六十年前に突如として現れた人々の行き来を阻む長城も、この魂の継承者が成したのだと彼は聞いている。巡り巡ってハーウェイの壺へ転がり込み、以降は延々と受け継がれてきた。
「よォ犬っころ、テメエも外装作ってハシャぐのが好きなんだろ?」
突如として現れた新手に銀狼は何を思っているのか、一歩、二歩を後ずさって空を見上げた。
「俺もなんだよ」
子狼が人を一掴みに出来る程の巨体を求めたのと同じく、アンディは巨狼の肉体を一摘みに出来る程の巨体を生み出し睥睨した。
相手のように身体を埋め込ませることまではしていないが、やっていることはそう変わらない。
地上五階の商業施設から更に見上げる空の果てに、土と瓦礫と木を無理矢理混ぜ合わせたような巨人が立っていた。
「テメエ……一発くらいは耐えてくれるんだろうなァ」
振り下ろされた拳はまさしく、天よりの鉄槌となった。
※ ※ ※
仲間の下へ馳せ参じたニールは、挨拶もほどほどに腹の内にある結晶を瞬かせた。
奴らの中でも特に高い侵食能力を持つ虚蝋骸種、それも十分な理性を保ち、人と交流が可能なほどの知性を備えた存在の侵食は、あまりにも呆気無く獣達の制御を奪い取った。
「この程度ですカ。ま、犬畜生にしては頑張った方ですネ」
生かしておく理由も無いので全てそのまま壊してしまうニールだったが、どうにも半数以上が敵本体と同じく氷によって作られた木偶であったらしく、霧になる前に砕けて散った。
ついでに周囲の叫び屋や脳無しにまで手を広げ、適宜処分していく傍ら、最優先である友の元へと飛び寄っていく。
「ニール!!」
「遅いよっ、遅いよぉっ」
「ああああ! があああ!!」
「ああ痛イ! 最後とっても痛い!」
屋上の縁から飛びついてきた為すべてを受け止めたが、流石に飛んでいるのが辛いのか徐々に高度を落としていく。
改めて地面へ降ろし、彼は伸ばした腕で逃げようとしたコレットごと抱き締めた。
「すみまセン!! こんなにも遅くなってしまっテ! アンディらと大急ぎで片付けたのですガ、あの腐れ排泄物男が中々処理出来ずにこんなニモ……残ったのはこの五人だけですカ……」
幾らかの応酬はあったが、互いに命を預け合い、役目を背負い合った仲。
死んだ者への悔しさ、己の不足への想いはあっても、今は再会を喜んだ。
ついでに一切構わず本気かました馬鹿によって、突如現れた喋る虚蝋骸を警戒しつつも状況についていけていないマッチョ二人諸共、全員が衝撃によって吹き飛ばされたが、空中で回収されて事無きを得た。
「コレット!? なんなんだソイツは!? 喋るぞ!?」
「あー、うん、喋るね。喋るよ」
「大丈夫だいじょーぶー。安全な喋る骸骨だからー、おちついてー、攻撃しナーイ」
「ハイ。ワタシ皆に愛される癒し系ですので細かい所はお気に為さらズ」
彼が噂のニール=ハーウェイです、と紹介を受けて尚も騒ぎは続いたが、ところで一切を引き受けた彼が見落としている人物が二人居ます。
「ねえ、トールは? アンディ戦ってるけど、あの子は居なかった?」
「え? あの子生きてるんですカ?」
いってこーい! とコレットに殴られて、癒し系骸骨ニールはふよふよ飛んでいくのだが、すでに施設全体がアンディの力に取り込まれてぐっちゃぐっちゃになっていた。石の力を扱える、凄腕の者であればこの混乱を切り抜けて生還出来ようものだが、生憎と少年は力無い一般人だ。
「彼のご冥福を祈りましょう」
「いいから探してきて!!」
素直に戻って言ったら叱られてしまった。
因みに彼女の兄がロディと男の事も告げて、捜索対象の数が正確になった。
※ ※ ※
幸いにもと言うべきか、ロディは巨人の腰元に引っ掛かっていた。
アンディ=ボルガンの力によって出鱈目に周囲の物体が掻き集められ、生み出された巨大ゴーレムの一部に服が挟まれ落下を免れていたのだ。
意識を一度飛ばしていたおかげで状況がよく分かっていない。
ただ、高い場所に居て、今の状態で落ちれば危ないという感想があるだけだ。それも、今となってはどこまで気にすれば良いのか。
「トールは下だ」
「……おやっさん」
突き出した近くの瓦礫に腰掛けていた男に気付いて、ロディは辛うじて己を投げ捨てなかった。
一人だけでは楽に流れる。そういう感覚を残しながら、霧に沈んだ街並みを眺める。
分からない。
遠距離戦に特化されたアークスなどは遥か遠方を見通す力があるそうだが、ロディには出来ない。
「さっさと行かんか。ここがそう持つとは限らんぞ」
言いつつ彼は苦しそうに息を吐く。
あれほどの瀕死状態から回復したのだ、身体は思うように動かず、起きているのも辛い筈だった。
いやそもそも、そんな状態で何故からはああしてロディの近くに座っているのか。たまたま今の状態で引き寄せられ、たまたまロディの近くだったと言うのか。
「あんま無茶すんなよ、怪我人なんだからよ」
「無茶のし時だと思ったのでな。しかしその様では、無駄だったかもしれん」
見抜かれている。そう気付いても、粋がる気力は湧かなかった。
むしろ安心すらした。
もう立たなくいい。
結果がどうなるか以前に、ひたすらに疲れた。
託せる相手が居るのであれば、任せてしまいたかった。
従者であるロディが死ねば、継承の優先権は譲ってしまえる。ロディの石を持って誰かが彼女を回収してくれれば、それで力は受け継がれるのだ。
疲れは、昨日今日の話ではない。
恥晒しと蔑んでくる者達の矢面に立って戦うことも、窮地に駆けつけて助けた相手から悪態をつかれることも、あれだけ慕ってきていた弟分から嫌われそれを受け流すしか出来ない自分も、分かり難く遠回しな励まし未満の助言をしてくる老人達も、いい加減うんざりしていた。
元々内向的な性格だ。
暴れまわっているより木を掘ったり、切ったり、組み合わせている方が好きだ。
好んで戦場へ出る者の気が知れない。
おやっさん、そう呼んで慕ってもいた男は、この沈黙に何を思ったのか、そよ風にも似た息を落として、告げた。
「そうか、ならばいけ」
如何な手段か。
彼が手近な瓦礫を殴りつけると、辛うじて引っ掛かっていたロディの身が空中へ放り出された。
五階建ての施設を見下ろす高さから、今の状態で落下すれば危険と思える位置から、
「――――」
声も無く、ロディは落下した。
※ ※ ※
唯一己を叱咤してくれた男からも見放され、落下したロディはぼんやり霧を眺めていた。
アムレキアの霧は濃い。
ここ、外縁部から更に入り込んだ中層でも視界は大きく遮られる。
ロディは受け取った力によってそれらを払っていける為、さほど気にした事は無かったが、こんな霧の中では歩くのすら怖かったことだろうと思った。
アラルド農園の戦士ですら怯え、眠ることさえ出来なくなることもあるというのに、あの少年はほとんど生身でこの霧を越えてきたのだ。
凄いものだと素直に思う。
ああでも、などと思い、男の言葉を思い出した。
頭がぼんやりしていて、あの時は意味を理解していなかったが。
「下」
トールが居る。
視界は霧に覆われて見通せはしないが、そういえばと灯の気配を探った。
彼にも守護の力となる灯を与えていた。その気配を探れば見付かるはずだった。
「現金だな、俺も」
腐っていた癖に、誰かを助けようと思えば多少は気力が戻ってくる。
呟きに息を吸ったのもあるだろう。
直近の問題はこのまま落下すれば死ぬか、大怪我を負うことだ。しかし、僅かに熱が宿ったのならそう難しいことでもない。
ロディは巨人の脚を引き寄せ、足場を確保すると、そのまま坂を下っていった。なぜこんなものがとは思ったが、色々考えるのは面倒になっていたので考えなかった。降りて行く道があるのだからそれでいい。
降りて、トールを探そう。
※ ※ ※
アンディの巨人が放った拳は、唐突に足元が崩れたことで目標を直撃しなかった。
狙いは大きく外れ、打ちつける筈のものが払い除けるようになり、商業施設を横殴りに吹き飛ばしたのだ。
銀狼は素早く身を返して距離を取る、否、逃亡しようとするが、アンディは先回りして動いていた。巨人ではなく、生身で。
「つれねえなオイ!!」
張られた氷の壁ごと巨狼を蹴り飛ばし、浮いた所へ巨人の拳が突き刺さった。
更に一撃、飛び上がって上空へ蹴り放つと、巨人に両手を組ませ、振り下ろさせる。
まさしく天変地異。大地は激震し、一打毎に大気は張り裂け猛烈な風を生み出した。あまりの衝撃に周囲の霧が押しやられ、散っていく程だった。
空いた大穴へ飛び込んで、氷の肉体を砕かれた子狼が出鱈目に冷気を生み出すと彼は足元の地面を蹴って相手を土の壁で覆い尽くした。素早く二重の壁が外側から覆い、冷気を徹底的に遮断する。
こうなってしまえば銀狼もただの冷凍庫と変わらない。
普段のアンディであれば捕獲して氷室に繋ぐかくらいの冗談は口にしただろうが、その身が仲間の血に濡れているとなれば話は別だ。
密閉状態で冷気を撒き散らせば、影響を受けるのは自分だけだ。
結晶に犯された狼がどういう構造をしているのかは不明だが、絶対零度の環境下で動き回れるかとなれば、流石にかのネームドでも難しい。ミツバチが蜂球と呼ばれる手段でスズメバチを僅かな限界温度の差を頼りに撃退するように、銀狼も相手取る人間との寒さに対する耐性の違いを生かして戦っていたに過ぎない。特異能力によって耐性が向上していたことを加味したとして、あらゆる物質が動きを止める絶対零度下では、活動する為の熱を生み出せず停止するのみ。
犬畜生にそこまで出来る力があるかどうかも、本当に動けなくなるかも、アンディには興味も無かったが。
「あばよ」
ぐしゃり、と握った拳に合わせて銀狼を覆った土の壁が潰れた。
その際、内部からか細い犬の鳴き声が、聞こえた気がした。
※ ※ ※
家族の葬式の日、トール、久坂 貫は人形のように座に腰を降ろし、一言も喋る事無く、教えられた通りに焼香を沿える人々へお辞儀を続けていた。
周囲では面倒を誰が見るのだとか、施設がどうとか、それでは世間体がなどと言い合っていたのだが、なんら心は動かなかった。
最終的に父の弟が遺産の面倒を見ることになり、貫の面倒は誰一人見たがらなかったので、彼は施設へ送られた。
そこでの日々については、どうでもいい。
思えば貫は今まで一度も家族の死に涙を流したことがなかった。
昔から彼らだの奴らだの、狂言を吐いては駆け回り、周囲を困らせてきた子どもだと思えば、さぞ不気味に思えたことだろう。
ましてや家族の死因がその狂言を真に受けて車を暴走させた為だ。
何故泣かなかったのかとトールは思う。
久坂 貫という人間は確かに特異ではあったものの、家族愛という点では周囲とそう変わらなかった自覚がある。父も、母も、姉も、大好きだった。反抗期と呼ばれる時期を迎える前に死別したことで、その気持ちはきっと生涯変わらないのだろう。死者への想いは、相手が死んだ時に概ね固定される。年を経る毎に美化されていくとはいえ、未だ一年も経過していないのだ。
同時に泣きたいのかとも考えた。
泣いてどうにかなるのなら泣いただろう。
泣いて家族が生き返るなら、プールを涙で埋め尽くすことだってしただろう。
けれど、何にもならないのだ。
いっそ心が壊れたのなら良かった。
こんな醜い自分を知らずに済んだかも知れない。
貫は、泣いても意味が無いと思って泣かずに居たのではなかった。
今分かった。
意味のあるなしで感情を止められるならどんなに楽だろうか。
だから、事はもっと単純なのだ。
鉄骨が車のフロントガラスを突き破り、姉の頭を潰した。
貫はそれを見た。
人が、人では無くなる瞬間。
以前にも思ったではないか。
あんなにも怖ろしいものになるくらいなら、石の方がずっと良い。
貫は、頭を潰されて血を流す姉が、怖かったのだ。
同じように原型も留めず死亡した両親も、事実かどうかも分からない、頭を潰された後で姉が自分の頭をほんの僅か撫でてきたという記憶も、堪らなく怖かった。
死の事実は恐怖で埋め尽くされ、貫は普段より恐怖には無反応と無関心を貫くことで対処してきた。
物心付いた頃から見聞きしてきた奴らの存在を前に、泣き叫んだ所で意味は無く、慣れて行く以外に方法は無かったのだ。そうして極度の慣れによって反応は鈍化し、自動的に処理されるようになっていった。
虚蝋骸ニールをあれほど怖がったのは、お化け屋敷を怖がる感覚に近かった。
慣れた奴らではなく、実体を伴って近寄ってくる骸骨だ。怪談や幽霊が平気でも、蛙の解剖が駄目な者が居るように、あるいは破壊された人体や、身近に居る小動物がそうなれば、と恐怖の種類が異なれば何か一つへの慣れなど通用しない。偶々適合することはあるだろうが、すべてがとはいかないものだ。
貫は、トールは、死んだ家族を怖がっている。
思い出だけはいつも綺麗で、幸せで優しい物語を思い起こさせてくれるが、いざ実体を伴った家族を思おうとした時、悲惨な姿が頭に浮かび、どうしても涙が出なかった。
それでも、泣きたいと思った。
ぼんやりと過ごしただけの葬式。
結局家族をちゃんと弔ってあげていない。
あんなにも大好きだった家族、その大切な式を誰かに委ねて、任せてしまっていた。
ちゃんと、自分の手で。
最早遺骨はここには無く、戻る手段も分からない。
自己満足でしかないのかも知れなかった。
けれど家族のお墓を作り、手を合わせて、言いたかった。
「ありがとう」
口にした時、初めて涙が流れた。
※ ※ ※
突然トールが感謝を口にした為、ロディは驚いて顔を見た。
少年の負傷は全て癒した。
幾らか予定外の事があり、一歩間違えれば死んでいたかもしれない状態だったのだが、トールは全力で治癒へ取り組み成功した。
問題は彼の体力だ。
幼く、環境に慣れてもいない少年がこの寒さ厳しいアムレキアで元の体力を回復出来るのか、ロディにも分からない。
治癒は相手の生命力を燃やし、肉体を再生させる。気力や根性などという精神論もあながち無意味ではない。同時に気力などは時と共に減衰し、体力を回復させるには結局、休む以上の手段はないのだ。
肉体が再生されるからといって無茶を続ければ、最悪肉体が無事でも心が耐え切れず、壊れてしまう。
「あァ、探しましたヨ。ロディ=ロー=エーソンですネ。ワタシはニール、ニール=ハーウェイでス」
真剣に考えていた所で上空から白衣を着た骸骨が話しかけてきたのでロディは眉を寄せた。
不機嫌さを隠そうともしない彼に、ニールは笑った。
「オヤ、襲い掛かってこられないとは珍しいですネ。アンディ以来かもしれまセン」
「細々したことを考えるのが面倒になってるだけだ。ニール……研究所のニールか。顔を見るのは初めてなんだが、顔が無いのは予想外だった」
「顔ならありますトモ。ほらここニ、骨格だって個性があるんですヨ。よく見てくだサイ。ささずいっと」
「おやっさん、なんでこんなのに掴まってるんだ」
「上で寝てたら攫われた」
とりあえず面倒だったので無視して、脚を掴まれぶらさがっている男に尋ねてみたが、どうにも彼も理解を放り投げているらしい。
加えて、何故か白衣を着ている。ロディが情けで掛けておいた上着はどうなったのだろうか。
逆さ吊りでは結局丸見えな訳だが、男は地上が近付いてきたのを見て手を振り解き、綺麗に着地した。
裾を千切って紐代わりに腰巻きとし、とりあえずの体裁を整えた上で問うてくる。
「無事か」
「後は本人次第。そこが一番苦しい所だけどな」
「アノ……お二人は理解できないものを居ないもの扱いする系ですカ?」
理解できないではなく、面倒だからなのだが、ずいっと、の恰好のまま固まる空飛ぶ骸骨に二人は一度目をやり、やはり反応を投げ捨てた。
「いや、そうだ。薬が要る。おいニール、研究所のせいでこうなった。トールに使う薬を寄越せ」
「彼は生きているようですガ」
「アンディが暴れたのに巻き込まれて負傷した。傷自体深かったのもあるが、拙いことに汚染された水に浸かってたんだ。拙い部分は除去したが、治癒する以外にも体力付ける薬とか、そういうのあんだろ、寄越せ」
ロディもいい加減事態を把握していた。
実際にアンディが原因かは分かっていないが、言ったことは事実だ。
施設内にあった薬品か、当時から廃棄されないまま残っていた腐敗した食料品か、とにかく悪臭と一目で拙いと分かる色の水に意識の無いトールが浮かんでいたのだ。水は先日の雨か、今までの分か、破壊されたことで露出した地下から溢れ出したか。凍っていたものをロディの炎が溶かしてしまったのかもしれない。
傷だけならばなんとかなるが、毒としか言いようの無いモノに傷口ごと浸かっていたのだ。
「こっちはすかんぴんだ。迷惑量くらいは払って貰うぜ」
「すかんピン……ちょっと失礼」
コォン、ニールの結晶が鼓動し、侵食の波が放たれた。
咄嗟に二人は反応しようとするが、共に疲労困憊とあって動きは鈍く、対処も出来なかった。
「貴方…………」
ニールはじっとロディを見詰め、ロディもまた無言で見返した。
やがて彼は息と肩と頭を落として、全身で残念さを示しつつ背を向けた。
「多少計画を練り直す必要があるようですネ。これは困りまシタ。どうしたものカ」
「待て、薬だ。なんなら力尽くでぶん取っても――――」
ふよふよと離れていこうとするニールへロディが追い縋ろうとするが、それよりも早くアンディが降ってきた。
「っははー! わん公は潰しといたぜっ! それでニール、例の話は進んでるか?」
「想定外デス、アンディ。どうしたものヤラ」
「オイ!!」
話し込もうとした二人にロディは構わず詰め寄っていき、事情を話した。薬を寄越せ、トールの回復を助けろ、一方的な要求だったが、アンディは不思議そうに彼を見て、ニールへ説明を求めた。
「彼は力を使い果たしていマス。最早、一般の戦士ほどの力も発揮できないでショウ」
「トールを巻き込んだのが俺だっていうなら、というか、そんなの無くたって協力する。上で仲間に聞いた。何が何でも、生き残ってもらいたい。元から帰りたがってたから、様子見て返すつもりだったんだ。目的の為に引き止めたのは確かだけどな」
「お前達が良くとも、研究所の上の方は、その子を容易く渡そうとはしないのではないか」
男が問うと、ロディもまた頷いた。
誘拐した本人が返すから大丈夫と言った所で、どれだけ信用出来るというのか。
「問題無い」
しかしアンディはあっさりと答えて見せた。
根拠も無く、あるいは嘘をついているとも思えない振る舞いに問い掛ける言葉を失う。
彼は、本物の英雄だ。その魂を受け継いでいる。
「ハーウェイの壺、アンタらが研究所と未だに呼んでる集落の一番上は、今日から俺になったからな」
銀狼追跡を始める以前より、研究所で騒ぎが起きているとの報がロディ達にも齎されていた。
権力闘争は常の話だが、今回は長期に渡ってそれが続き、また農園側でも強い警戒が続けられていた。
現在、ハーウェイの壺とよばれる集落は、それを内側に納めていた巨大大岩の半分が崩落し、吹き飛ばされている。
「約束する。俺は壺の全部を使ってでもトールを助ける。仲間を支えてくれた恩人……利用しようとした責任もある、そいつをむざむざ死なせるつもりはねえよ」
「利用……?」
問いにはニールが答えた。
「一つはアンディと同じく奴らと意思疎通が可能であると思われるトールヘ、輝石獣討伐への助力を願うコト。次に、彼の身を奪い返しにやってきたロディ=ロー=エーソンを囮に壺の上層部を強襲するコト……これはアテが外れましたガ。マタ、その際に彼を介して貴方との協力関係を築けるよう打診することでシタ。ただ普通に返しては直接交渉することも難しいと、ツバキ達に守らせ一時的に遠ざけていましたガ」
彼は一息を置いて、アンディを見る。
協力関係と言っても、既にロディが力を使い果たしているのであれば、利用価値は無いに等しい。
従者は石の力を使えない。従者となった時点で、主となる継承者の途方も無い力を受けれるよう、魂の型が変化している。生身でアムレキア深層へ挑むというのは自殺行為にしかならず、また霧の中での生存力という極め付けに貴重な力を失っている。死んだ継承者の魂は従者が居た場合、その魂を介してしか受け継ぐことが出来ない。また、魂を持ち出すことが出来るのは力を受け継げる者だけだ。
状況は詰んでいる。
他の者が運んでくることは出来ず、ロディが取りに行くのも困難になった。
こんな状況で引き込む意味があるのかとニールは問うているのだ。
「ロディ=ロー=エーソン」
英雄アンディ=ボルガンが見据えている。
従者が何よりも大切にするべき、主の魂を受け継げなくなったという事態に周囲の空気は張り詰め、重く沈み込もうとしている。
しかし、とアンディは息を抜いた。
この場で誰よりもその大切さを知る筈の男は、ただ小さく苦笑する。
「この子、助けたかったんだろ?」
「……あぁ」
か細い声をしかと聞き届け、
「ならいいじゃねえか。まず命は助かった。回復するか、衰弱するかはここからだが、一先ずの目的は果たしたんだからな」
それ以上の言葉を、アンディの背中が封じた。
話はここで終わる。
状況は終了し、次へ。
やがて合流してきたアラルド農園の大部隊に事情を話し、ロディはアンディに連れられ、ハーウェイの壺へと向かった。
貴重な従者が、などと言う者は最早誰一人もおらず、ただ、蔑みの視線だけが彼を撫でていた。
※ ※ ※
道中、あまりにも軽い少年を背負いながら、ロディは呟く。
「ありがとうじゃ、ねえよ……」
保護者を名乗っておきながら、勝手にへし折れて守ることさえ考えなかった。
「すまねぇ……絶対に助けてやるからな」
その声を、アンディ=ボルガンは満足そうに聞いていた。