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 トールはじっと戦場を観察していた。

 今も握り込む石の力をなんとか引き出して、戦う人々に加わりたい気持ちはあったけれど、それが我が儘でしかないことを彼は承知している。


 ロディの求めた間違いなのかとも考えたが、悩むまでもなく違うと思った。


 今すべきこと、出来ること、やりたいこと、それぞれを思考すれば最適な行動が見えてくる。

 自分の価値については考えなかった。

 誰かに言われるまま行動するだけの自分では居られない。

 ならば何をするのかと考えた時、己の能力で最も優れた部分を見出し、その感覚に従った。


 見ること。

 観察すること。


 経験が不足しており、戦う人々の手管を知らない為に、具体的にどうすればという思考は排除した。


 焦りを沈め、興奮を沈め、静かに戦場を見渡す。

 すると見えてくるものがある。


 おそらく銀狼(フィーリル)というネームドを相手取るに当たって最も厄介なのは、あの冷気だとトールは考えた。

 燃えていた炎からすら熱を奪い、沈火させる力。

 生物が動くには熱が必要だ。

 より強い力を発揮するのにも、高い熱量が無ければいけない。


 冷えれば強い力を発揮しきれず、動きが儘ならなくなって、強さという面で見れば弱体化する。


 実際にここまでの戦いで、地獄の番犬(ケルベロス)の少年少女らは寒さにこそ苦戦を強いられてきた。

 班回しで交代し、リビングへ戻ってきた時、皆が寒さに震えていた。手指が思うように動かず、温めるまでは食事もまともに摂れないという者も居た。


 低体温症、それに伴う凍傷、場合によっては体温を維持出来なくなり、凍結し死亡する。


 寒さとはそれだけで十分な脅威だ。


 今、ロディの参戦によって冷気による負荷は限り無く抑えられている。


 ネームドと呼ばれる()()が特段の評価を受ける理由はそれぞれだが、銀狼(フィーリル)の動きを見ていると、どうにもそれ以上の部分が見当たらない。


 巨体は確かに脅威と言える。トールが襲われれば一溜まりもないだろう。だがロディと共に現れた大人達は時にあの巨体を叩き飛ばしさえする。単純な力勝負なら十分拮抗か、圧倒出来るのではないかと考えていた。正確には狼自身が攻撃を受けつつ身を後ろへやっているのだが、下がらなければいけなかった、という点では敵の脅威となる打撃力を発揮出来るのだ。


 力勝負で拮抗可能であれば、技術面が光ってくる。

 武芸を見る目は無いものの、コレット達やロディ達を見れば凄いと感じるものはあった。

 狼にそれはない。

 あるのは獣としての凄みだろうか。

 そして獣としての戦い方を、巨大な棍の男や、身体の大きな二人組はしっかり把握していて、上手く捌いているように感じるのだ。


 問題は敵防御を突破出来ていないこと。


 細かい理屈は分かっていなかったが、ロディが自在に炎を操るように、狼も自在に冷気・氷を操っているのだろうと結論付けた。

 炎が支えも無く空へ浮かぶのなら、氷の壁も空へ浮かぶのだろう。

 正面から炎をぶつけても突破は出来なかった。

 ならばどうすれば。


 そう考えた時、トールの頭に浮かんだのは、ロディが来る少し前の攻防だ。


 コレットが放ったナイフが、銀狼(フィーリル)の首を捉え、また弱点となる頭部の角、露出した結晶部分にまで命中しているのだ。

 首は分厚い筋肉を越えていくことが出来ず、結晶も破壊には至らなかった。

 とはいえ、傷は傷だ。

 ロディの途轍もない攻撃を防ぎ切っておきながら、どうして投擲されたナイフは防げなかったのか。

 敢えて傷を負う理由は無かった筈だ。


 難しく考えるのを諦めて、トールなりに憶測する。


 出た結論は、単純に気付かなかった、だ。


 不意を打てば攻撃は通る。


 安直な考えではあったが、確かに一つの指針には足りる。


 困ったことに敵はロディを強く警戒していて、不意打ち可能な状況を作り出すのが難しい。


 加えてもう一つ、作り出した氷の壁は、身振りによって位置を変える。

 まるで、身に付けた防具のように。

 だから衝撃を受けた時は狼も吹き飛ばされ、あるいは逃がして逸らしもする。


 これが何を意味するのか、トールは判断を自分以外に委ねた。


 最後に、と思考が戻ってくる。


 火を怖れる理由。


 獣だからとか、冷気を操るからとか、それらしい理由は思い浮かぶものの、安直でどうにも気に入らない。

 冷気で消せるのであれば仮に降りかかった所で大きな問題にはならない筈だ。

 今も戦場にはトールの投げ込んだ薪が転がっている。

 ここまでの戦いの中で既に全てが消化されているが、届かず明後日の方向にまで飛んでいったものまで消しているというのは過剰反応が過ぎる。


 火を怖れる、もっと致命的な理由があるのでは。


 考えすぎ、希望的観測であるという前提をまずは無視して、トールは考える。


 観察して、そして、ある可能性を思いついた。


    ※   ※   ※


 男が棍で銀狼(フィーリル)の側面から叩き付けたのと同時、ロディは反対側から退路を塞ぐようにして拳をぶつける。

 黄色の炎が氷の壁を包み込むようにして広がり、内側へと侵食しようとするが、強烈に吹き荒れた冷気がそれを阻んだ。


 巨狼はすぐさま後方へ飛び退り、苛立たしげに喉を鳴らす。


 この手も駄目。

 ロディもまた攻め切れない焦りから苛立ちを覚えるものの、ふと別の事に気付いて慌てた。

 気を散らしている時点で駄目だろうというのはさておき、トールがこちらへ向けて走ってきているのだ。

 小さい身体でとてとてと駆ける姿はあまりにも状況に似つかわしくない。


 幸いにも味方の猛攻が上手くいって、雑魚を押し込むことには成功しつつある。

 おかげで自由に動けると思ったのだろうが、あまりにも無防備過ぎる。


 あの少年など、この場の二人と一匹、誰かと何気無く接触しただけで即死しかねない。


「おやっさん……!」

「なんぞ考えがあるんだろう。行け!」


 あっさりと言われ、思わず呆けてしまった。


「どうしたっ、信用しておらんのか!」


 自分以上にトールという少年を買っていたらしい男に片眉をあげ、すぐさま背を向けた。


 信用。どうだろうかと考える。少年が人を良く見て、その望みに合わせた行動を取ろうとするのはロディも知っている。見違えるほど顔付きがしっかりしたこともあって、保護対象というより戦友と思ったことも確かだ。しかし、と巡る考えの途中で少年と合流した。


「何か分かったのか」


「あ、はいっ」


 躊躇し掛けた自分を呑みこんで、トールは頷く。

 気の弱い子だ。

 ムゥから引き渡される前、二人の間であった会話はロディも聞いている。

 かつての居場所で使っていた名前から、ロディが誤って呼んでいたらしい名前に己を書き替えた。

 そうすることで意識を変えたのだろう少年は、確かに行動力があり、ありすぎて呆気に取られたほどだ。

 けれど根本的に性根全てが変わる訳ではない。

 なにしろ根だ。

 根をすげ替えようとすれば、幹が先に枯れてしまうだろう。


「聞かせてくれ」


 言って、何故こんなにもこの少年に期待しているのかと思った。

 委ねるような気持ちはない。

 ただ、話を聞こうと思っている。


 本来なら戦う力も無く渦中へ入り込んだことを叱り付けているべきなのに、ロディは行ったのはまず問いかけだ。指示を仰いだと言い換えてもいい。


 行けと言った男の影響があることも考えられるが、妙な感覚を覚えているのも確か。


 少年、トールは一度頷き、手振りを始めようとし、自分でその手を見詰めて降ろした。なんだろう、思うロディには気付かず、簡潔に。


銀狼(フィーリル)は、身体全体、それか、毛皮全部が結晶なのかも」


 言われ、ロディは巨狼を確認した。

 霧でよく見えない。

 男と今も激しく交戦している為、観察出来るような状態ではなかった。


「いやでも、角生えてるよな?」


 頭部のそれは明らかに体毛とは違う青だ。

 結晶としての色は低位と扱われるものだが、その違いが明確に段階分けされているのでもない。


 研究所ではどうか知らないが、農園でも結晶についてはよく分かっていないのだ。


「死んだ人の結晶とかとは違って、氷の壁を作ったように、身体を作っているっていうのは?」


「…………それで、だとしたら、どうなる?」


 疑問や反論を呑みこんで、ロディは意見を求めた。

 トールは少し考え、おそらくは用意していたのだろう言葉を差し出してくる。


「溶かせます」


 出来ない、とは言わなかった。

 現にロディは氷の壁を突破出来ていない。

 それを越えた先にあるのが、さらに分厚い氷の肉体であったなら、状況はより絶望的に思えた。しかもそれは、肉体を破壊しても修復されるということと、本体はどこだという疑問へ繋がってしまう。


「本体は中だと思う。最初出てきた時に連れていた獣は全部倒してるし、今みたいに操れるなら、もっと沢山あの巨体を作って、戦わせると思う」


「あれ一匹だけでいいなら大助かりだが、どうしたもんか」


「暑くできますか?」


「ん?」


 言われたことが繋がらずただ疑問を返した。


「冷気で凍らされることは石の力で少し防げていたけど、周りのものが冷たくなるととても寒くなりました。同じように、炎で周りを熱くして、溶かしたりとか……難しい、ですか?」


「いや、出来るんじゃ、ないか?」


 試したことは無いが、幾つかある炎の中には相手を単純に焼き焦がすものもある。

 直接的に治癒を行う炎があるのでやらないが、焚き火代わりにして温める手もなくはない。


「問題は相手がゆっくり温まっていってはくれないことだが、そいつはこっちでなんとかするか。温める。熱く。動きをなぁ……」


「追いかけて温めようとしても逃げられるなら、逃げようと思った時には手遅れになっていればいいと思う」


 トールの策を聞き、改めてロディは呆れた。

 多少消耗は激しくなるが、一帯を炎で包むよりはずっと楽だ。


 思うところはある。


「おやっさんにも言われたしな」


 呟き一つでそれを呑み込み、拳を握った。


    ※   ※   ※


 五階建て商業施設の屋上で尚も戦いは続いていた。

 六十年も放置されてきた建造物は、内部を植物に侵食され、各所で崩落が発生している。

 過去何らかの集団が拠点として使用していたらしく、出入り口にはバリケードが張り巡らされ、食料などは使い物にならなかったが、木材などの燃料は多分に残されていた。トール達が潤沢に火を起こしていられたのもそのおかげだ。

 更に各階層ごとに侵入路を崩したり、瓦礫を詰めたり、木材を詰めたりして塞いでいる。

 罠の類も幾らか設置したが、気休め程度なのは全員が把握している。

 現在は銀狼(フィーリル)と呼ばれているネームドに一角を崩され、急ながらも地上から屋上まで駆け上がっていける程度の坂道が出来上がっていた。そこから今も大量の獣達が昇ってきているのだが、地獄の番犬(ケルベロス)を名乗るハーウェイの壺の戦士達四人と、鍛え上げた肉体を持つ二人が縦横無尽に駆け回り、撃退を続けている。時に駆け下り、時に足場を崩し、上から瓦礫を投げ付け、高位の有利を生かして戦い続けていた。

 皆疲労は濃い。

 瓦礫を持ち上げる時に一息の間を入れそうになる己を叱咤し、駆け出す直前に力の抜ける脚を踏ん張って前へ身を投じる。当初は掛け合う声もあったが、次第に無言となって黙々と戦い続けた。

 それらの背後では銀狼(フィーリル)と、ロディと、革ジャケットの男が交戦を続けており、激しさ故か各所の床が抜け、施設の崩壊を助長していた。

 時折猛烈に水蒸気が吹き荒れるのは、強烈な冷気と熱がぶつかり合った結果だ。


 何度目かになる水蒸気爆発に巻かれて距離を取った一匹と一人、力は拮抗しているが、力の残量を考えれば狼に軍配があがる。


 崩れた坂道以外からも道を見出したのか、時折数匹の獣達が襲い掛かってくるも、男が的確に叩き潰し、追い払う。


 再び両者が激突した。

 力勝負には分があると踏んだのか、銀狼(フィーリル)は馬鹿正直に正面からぶつかるばかりなロディに応じ続ける。


「っ、ぁ……!!」


 数を重ねる毎にロディは押されていった。


 額に脂汗を浮かべ、時に己を支え切れず姿勢を崩す場面もあった。


 繰り返される激突を徐々に狼が余裕の素振りで受けるようになり、離れるロディを引かず追いかける時さえ出た。素早く躍り出た男が巨大な棍を向け、ロディが身を返すと素直に下がる。


「確認したっ!」

「話の通りか!」


 幾度も肉薄した結果、ロディはトールの推測が当たっていたと確信した。


 銀狼(フィーリル)の肉体、少なくとも表皮にある毛皮は全て氷だ。冷気と霧で視界が遮られ、また激突の際には水蒸気が発生する為にはっきりと視認して来れなかったが、どうにも毛皮自体が伸びて、その先に氷の壁を作り出しているらしかった。

 故に衝撃は確実に大元へ伝わっている筈なのだが、それで砕けないのは壁同様に強く結合させ、修復し続けているのだろう。


 通常であれば絶望的とも言える状況。相手の防御を突破も出来ず、出来たとしても更に固い守りが待っている。


「なら始めるぞ!」

「応!」


 悠然と向かってくる銀狼(フィーリル)を見る。

 これまでならば即座にロディが駆けて、ぶつかり合うだけの状況。


 しかしここで、二人は入れ替わった。


 ロディが後ろ、男は前。

 本来の立ち位置だ。


 腰溜めに棍を構え、敵へ向けて先端を向ける男の背後で、ロディは手の平に炎を発生させる。


 今までとは違う流れに巨狼は警戒し、身を返そうとしたが、


「遅ぇよ」


 暗色の炎が燃え盛り、ロディと狼、両者の間にある距離を燃やす。

 急激に縮まる距離に誤解されがちだが、この現象は対象を縄で引き寄せる行為に近い。空間から空間へ転移するのではなく、しっかり移動しているのだ。


 では、それでどうなるかと言うと。


 男の構えた棍へ銀狼(フィーリル)が叩き付けられ、この戦闘が始まって初めて巨狼から悲鳴があがった。


 氷の壁は展開されたが、反応が間に合わずめり込んでいる。

 突き抜けた先端部は狼の体表、氷の結晶によって模倣された毛皮を砕き、内部へ深く身を沈みこんでいる。

 通常であればこの時点で致命傷。

 この相手が作り出した肉体で戦っていなければ、だが。


「おやっさん!!」

「しっかりやれぃ!!」


 心配の声を叱り飛ばされ、ロディは悔しそうに歯噛みしてその背を見詰めた。

 銀狼(フィーリル)の冷気は至近に居る男を侵食し、既にその両腕が氷で覆われている。内部がどうなっているかは分からないが、それでも尚揺るがず、どっしりと構えて棍を支える男の周囲で幾つもの氷が砕けて散っていく。ロディによる補助が無いのだ。男は一切を拒否して敵と向き合っていた。今を支えているのは鍛え上げてきた肉体と、身体の芯から凍り付いていくような恐怖と痛みに揺るがぬ精神力。


 串刺しにし、今も肉体を抉られていく狼を一寸の狂いも無く捉え続け、逃亡を許さない。


「行くぜェ……!!」


 暗きの炎で敵を捕捉しながら、ロディはもう片腕を全力で床へ叩き付けた。


 屋上の床が、抜ける。


 途端、階下から炎が噴き出した。


「おやっさん!」

「まだだ! まだっ、ここに留め置けぃ!!」


 崩落する床に巻き込まれ、自ら炎に包まれながらも、彼はロディの手にある暗きの炎、それによって引き寄せられる狼へ向けて棍を垂直に保ち続けた。

 衣服が、髪が、肌が焼け焦げていくが、その変化には大きく猶予があった。冷気によって肉体の各所が凍結し、氷に覆われていたことでの結果だろう。

 急激な温度変化によって彼の内側がどうなっているのかはロディにすら分からない。

 しかし男は耐え、敵を射抜き、揺るがぬ覚悟を以って状況を支え続けた。


 ロディがやったのは、この施設全体を巨大な石釜に見立て、各所へ火を放つことだった。


 元より出入り口にはバリケード、内部にも瓦礫の山、侵食してきた植物は薪と呼ぶには水気が強かったものの、一度火が付いてしまえば煽る必要も無く燃え続けてくれる。施設内には可燃物が山ほどある。打ち捨てられた商品類は過去の略奪で浚われているが、燃料となる木材を余す事無く持ち去るほど暇ではなかった。あるいは積もった埃、建材内部の素材なども、時として火災を助長する。

 何より今日は風が強い。

 一度勢いがついた炎にとって問題なのは、燃焼を続ける為の酸素が不足することだ。

 強烈な風に煽られ、炎は一層勢いを増していく。


 多階層の建築物で上階の者が下の火災に気付かないというのは珍しくも無い。

 だからこそトールの居た場所では火災報知機などが設置され、避難誘導のアナウンスがされていた。


 今、地獄の釜の蓋が打ち砕かれた。

 地上五階層が、屋上の足場となる床ごと粉砕されて内側から崩れていく。


 逃げることの出来ない狼が、男と共に落下していった。

 予定ではこの時点で彼は身を引いているはずだった。

 しかし予め覚悟を決めていたのか、あるいは眼前の狼に何か不安があるのか、一部の隙も無く敵を捉え、炎に呑まれていく。


「っっくそが!!」


 悪態を付きながらも暗きの炎はそのままだ。

 今それを消してしまえば、彼の覚悟が無駄になる。


 思いながらも、無茶をする男にふざけるなと叫びたかった。


「ォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――!!」


 地獄の底から声がする。


 身を焦がし、尚も敵と向き合い戦い続ける男の声が、崩れる瓦礫の物音を貫き響いてくる。


「チッ、もう十分だろ!!」


 ロディは暗きの炎を一度消し、再び灯らせた。対象は男だ。落下していった相手も捕捉さえ出来れば引き寄せられる。

 荒れ狂う炎と熱に目を細めながら、確かに感触を得た。


「っと……おやっさん!」


 黒コゲの塊を掴み取り、すぐに治癒を施す。

 少年が悲鳴をあげた焼かれる苦しみも、既に身体の各所が炭化している男は無言で受け入れ、倒れ伏した。

 肉体は再生出来たが服は無い。燃え残った部分部分も皮膚と癒着していて再生時に燃やしてしまった。へたりこんだロディは上着を掛けてやり、しかし周辺が一緒に崩れ始めていると知るや慌てて男を抱えて距離を置こうとした。


 青い冷気が階下より噴き出してくる。


 炎は、既に無い。


 ロディは一瞬呆気に取られ、自分で開けた大穴から飛び出してきたものへの対処が遅れた。それでなくとも、治癒後は使い手自身も極度の脱力で動きが鈍る。炭化していたような者を相手にしていたのだから、消耗の程は計り知れない。


 結果としてロディは飛び出してきた何かに肩口の肉を食い取られ、悶絶することとなった。


「っっ――――ぁああああ!?」


 常からの癖付けで即時治癒を施すが、相手の動きが早い。


 防ぎに入った右腕へ食いつかれ、そこでようやく相手の姿を認識する。


「狼!?」


 小型の、子犬程度の大きさの狼だ。

 毛皮は銀色をしており、今し方戦っていた銀狼(フィーリル)をそのまま縮めればこうなるだろうというような。


 食い千切り、跳び退った子狼が肉を吐き捨てる。


 最早捕食ですらなく、殺すためにきているのだと肌で感じた。


 肩口と右腕を炎に包ませながら、ロディはなんとか立ち上がる。神経や腱をやられたのだろう、右手は握りこむことも出来ず、左も肩口の治癒が終わるまでは素早く反応出来そうに無い。


「そうか……それが中身って訳か」


 銀狼(フィーリル)は肉体を冷気の力によって形作り、操っていた。以前からそうだったのか、あるいは四十年前の個体は既に死んでおり、目の前に居る子狼が力を受け継いだのか。なんにせよ、作り物の身体を扱うより余程動きが良い。傷を負った今の状態でどれだけ相手取れるか。


 視野の端で今も倒れ伏す男を確認した。

 動ける筈もない。薬物で無理矢理覚醒状態となった子どもらよりも遥かに彼の傷は深かった。引き寄せるのがあと少し遅ければそのまま焼け死んでいただろう。


 けれど、半ばで彼が居なくなった為に、この子狼が抜け出す余地が生まれたのだ。


 男が向き合っていたなら命を懸けてでも動きを封じ、力の使用すら抑え込んで見せたかもしれない。


「……すまねぇ、おやっさん」


 覚悟が足りていなかったのはロディだ。

 一人を見捨てて結果を取っていれば、今の不意打ちで勝てていたかもしれないのに。


「でもな、見殺しは嫌だよ」


 あの日ロディの目の前に降ってきた男を思い出す。

 無視して走れば彼女の魂は回収出来た筈だった。

 ロディは瀕死の男を助け、彼女を置き去りにし、助けた男は自殺した。


 無力感に苛まれ、判断を誤ったのだと周囲から詰られ、納得出来ないと思いながらも抗う言葉を持てなかった。


 恥晒しのロディ。


 結局はその通り。


 従者になったこと事態が間違いだったのかもしれない。

 昔から臆病で、人の意見に左右されがちだった。英雄だなどと、そう振舞う自分が一度も想像出来たことがない。


「嫌なんだよ……」


 子狼が再び冷気を纏い、肉体を構築していく。


 無為に過ごしてきた日々から目を背けるようにして強く目を瞑った。

 喉が震え、けれどそれだけは堪えながら目を開けると、氷の肉体持つ銀狼(フィーリル)が再び姿を現していた。


 終わりだ。本気でそう思った。


 打てる手は打ち切り、全力を出し尽くした。

 不完全な結果に終わってしまった己の不甲斐無さもあるが、ここへ来て十分な余力を見せる相手に勝ち切るなどと最初から不可能だったのだ。


 特級ネームド、四十年前に猛威を振るった真正の化け物を相手にこんな少数で挑みかかったことが間違いだった。


 前脚を振り被る相手を見ても、ロディは動き出す気力が湧かなかった。


 弾かれ、ごみの様に転がり、ただ伏した。


    ※   ※   ※


 その僅か十数秒前、トールは葛藤の只中にあった。


 叫びだしたい思いが胸の中で暴れ、けれどそうしていいのかと悩み、口を引き結んでいた。


 何も特別なことではなかった。

 まさに今のような、デパートの屋上でよく行われていることだ。

 トールも高学年に入ってからは卒業したが、低学年の頃はよく一緒になって叫んでいた。

 母と姉の買い物は長く、父と一緒に屋上で暇を潰すことが多かった。そういう時は決まって、舞台の上で戦う者たちを見て言ったものだった。


 けれど、寸前になって思う。


 なんと一方的で、押し付けがましく、惨い言葉だろうか。


 ロディ達は十分以上に戦った。

 コレットや、ミランダや、コジローや、グスタフや、アイラは、それこそ限界を超えて尚も戦い続けている。

 戦い尽くしている。

 なのにその上尚もやれなどと、どうして言えるのだろうか。


 その先の結果がどうかではないのだ。


 トールにも経験がある。

 今ここで繰り広げられる死闘に比べればなんとお遊戯じみたものだとうかと思えるものだったが、確かに力を振り絞って抗い、力尽きたことがある。家族が死に、居場所も無くなり、何かをやる気力も無いまま塞ぎこんで、一度は死のうとさえ思った。立ち上がるのは何よりも困難だった。抗った先に結果が伴うとも限らない。むしろ、更に苦しみを広げるだけかも知れない。

 言い訳だ。止める理由、動かない理由を連ねて、可哀想な自分を演出し、周囲に納得させる材料を探している。


 だとしても、辛いのだ。


 激しい痛みなど無くとも、その辛さはじわじわと己を焦がし、気力を喰らっていく。


「ぁ…………」


 けれどその先で、ロディ=ロー=エーソンが敗北した。


「ろでぃ」


 言えば良かったのか。

 それとも、どちらにせよ変わらなかったのか。

 たった一言で変わると思えていた時代はもう遠い過去の話だ。


 なのに、どうしようもなく胸を裂いた。


 意味があるとか、ないとかは関係が無かった。


 ただ伝えたかったのだと、ようやく少年は気付いた。


 気付いて、後悔を抱えながら、座りこんだ。


 狼が、勝利の雄叫びを上げていた。


    ※   ※   ※










































 カラン――――コロン――――独特な靴音が静けさを叩く。



「いやいや、早ぇだろそいつはよ」



 白のワイシャツに黒のベスト、首元にはドレスタイを結び、羽織るのは分厚い革のジャケット。

 スラックスを膝下まで巻き上げ、この寒さの中でも平然と素足を晒して下駄を履く。


「これはこれは……ワタシの愛する仲間に随分なことをしてくれたようですネ」


 並び立つのは白衣を纏った骸骨だ。

 背骨の付け根から下は喪失しており、身はいかな手段でか宙に浮かんでいた。

 露出した肋骨のややした、人間であれば丹田と呼ぶ位置には青い結晶が怪しい輝きを湛えている。


「舐めた真似の礼は存分にさせて貰うぜ、犬っころよォ……!」

 アンディ=ボルガンが、


「その程度の侵食力でワタシに敵うとは思わないで下サイ、三下サン」

 ニール=ハーウェイが、


「行くぜ、雑魚は任せる」

「ハイ。貴方は一切に構わず敵を討って下サイ」


 憤怒を滾らせ現れた。


 ハーウェイの壺、地獄の番犬(ケルベロス)が誇る最強戦力が戦場に降り立ったのだ。













非常に多くの誤字報告を頂いており、とても助かっています。

この場にて御礼をさせていただきます。

ありがとうございます。

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