15
崩れ行く過去の建造物の屋上で戦いが繰り広げられている。
深い霧の中、通常であれば己を徐々に見失い、視界を大いに塞ぐその中で、ロディ=ロー=エーソンの炎が春の芽吹きにも似た色を放ち広がっていく。
今まさに銀狼と呼ばれる鉱獣種のネームドに襲われていたトールには知る由も無かったが、直前の天井崩落によって僅かながらの猶予を得たのは、ロディと巨大な棍を持つ男が階下へ飛び込み、足場を崩したからだ。
真っ向から距離を詰めれば警戒される。不意打ちと時間稼ぎ、一歩間違えば成す術無く見殺しにしていたかも知れない行動を、二人はしっかりとやり遂げた。
死角から飛び出したロディに銀狼が気付いたのは、目の前に降り立ってからだ。
ましてや少年トールにとっては不意に現れたようにしか見えなかっただろう。
「火が苦手みたい。怖がって、距離を取る。他の獣も同じような行動を取るよ。それと、物凄い冷気を放って火を消したり、こっちを、っ、凍りつかせたりする」
呆気に取られている余裕は無かったが、トールの冷静極まりない助言にロディは唸る。
初めて会った時から妙に頭の働く子ではあった。しかし、と、考えかけた他所事を頭から追い出した。
表面的でしかないが、ここに至るまでの彼の近辺が、途方も無く過酷であったことは想像に容易い。
ロディはトールをただ守られる被害者であるという思考を打ち消し、この場での有用な判断が出来る戦友と見做した。
「怪我をしてるのか」
振り向かず問う。
トールは首を振った。
「致命傷じゃない」
全く以って納得の行かない返答だったが、今すぐ治療を行うには敵が近すぎる。
静かの炎と呼ばれる新緑を放つ力に身を引いてはいるが、意識は未だにトールを食い殺すことに向いているのは見れば分かる。
「でも、後ろの人にはすぐ治療が欲しい。他には誰か、来てるの?」
少年は自身の経験から救急隊のような部隊が存在すると考えていた。
ロディが現れたのであれば、その背後にはアラルド農園が居る筈だ。
組織だった行動を取るかの避難所の戦力が来たのであれば、助かる可能性はあると考えたのだが、どうにも騎兵隊の登場、という訳にも行かないことを察して視線を落とす。
「人手は俺を含めて四人だ。残りは後から来る。でもま、治療なら任せろ――――おやっさん!!」
「単独ではそう長く持たんぞ!!」
「任せる!!」
「チィッ……!! 任せろ!!」
横合いから襲い掛かった強面の男に気付き、銀狼が大きく飛び退る。引き際に放った冷気は地面を凍結させ、追従を阻むものだったが、男は棍を地面へ打ちつけ天井ごと砕いた。不安定な足場を軽々と踏んで、狼へと追い縋り、着地を狙った打ち払いを食らわせた。
如何な手段でか、強烈な打撃を受けながらも姿勢を崩さず降り立った巨狼が身を翻し、迂回しつつも勢いを乗せて男へ肉薄していく。
「まずはお前もだ」
激突する両者を背に、ロディはトールの腕を掴んだ。
冷気によって凍結し、感覚すら失いつつある青白い腕を、先ほどの新緑の炎が包み込む。じんわりと熱を溶かすような感覚があり、それが身体の奥底にまで浸透してきた。
腕だけではない。今日までに抱え込んだ細かな負傷、擦り傷までもが炎に焼かれて消えて行った。
僅か数秒後、トールは健康体を取り戻していた。
「……凄い」
「重傷者ってのは……そこか」
後ろで身をなんとか起こしているだけだった少年へロディが駆け寄り、同じように新緑の炎で包んだ。
傷が深い為か、トールのように数秒とは行かないらしい。
「息を吸え。腹ん中に燃料を注いで、自分の力で燃やすんだ」
語り掛けるロディの声は驚くほど優しい。
ぶっきらぼうではあるが、懐かしい記憶を語るように、温かなものだった。
「少しは回復したな? 気持ちは整ったか? なら、キツいの行くぜ」
少年の腹へ手を当て、途端、悲鳴があがった。
先ほどまでの穏やかな火は消え去り、叫ぶ口や耳から、太陽にも似た強烈な光が噴出している。明らかに尋常ではない様子にトールも慌て、まさかロディが誘拐の一件を恨んでとまで考えた。
吐く息すら失って、少年は力無く横たわった。
火の粉が散る。
見た目には彼が焼き殺されたようにしか思えなかった。
「ロディ……?」
「心配すんな。中身が拙いことになってたから、荒療治だ。もう山は越えたから、後は自分の力でゆっくり治させる」
どうやら治療の一環であったらしいが、せめてもう少し説明が欲しかった、とトールは心から思った。
少年の近くに膝を付き、顔付きを確かめる。額にびっしりと脂汗が浮かんでいて、呼吸も荒いものではあった。が、荒い呼吸が出来る程に回復したのだと彼は気付いた。もうずっとか細い呼吸がやっとで、気を付けていなければ息も吸えなくなってしまう所だったのだ。
「っっ、かー! 中々キツいッ」
腰を落として息を付くロディもまた額に脂汗を浮かべ、疲労した様子で肩を揺らしていた。
どうにも不思議な炎による治療は彼に相当な負担を強いるものらしい。
「あと四人、大丈夫?」
「四人か……一人足りないな」
何故彼が脱出時の人数を知っているのかは分からなかったが、トールは身に付けていた石を取り出し、ロディへ見せた。
彼は少しだけ眉を下げて、指先だけ石へ触れさせて「ありがとな」と呟いて軽く押し返してきた。
「大切にしろ。そいつはきっとお前を守ってくれる」
「はい」
言って、勢いを付けて立ち上がると、彼は再びトールに触れた。
かつて別れた時と同じ炎が静かに身を包む。
「トール」
「はい」
「いや……」
小さく首を振り、ロディは笑った。
何の笑みだろうと少年が観察し始めるより早く、彼は拳を握って戦場へ歩を進めた。
「行って来る」
「はいっ、お願いします!」
言葉に背を押されるようにして、青年は火の玉の如く跳び出して行った。
※ ※ ※
コレットは銀狼へ襲われるトールを助けるべく駆け寄っていた。
結果として始まった一人と一匹の戦いに巻き込まれる形で転倒し、起き上がろうとした所で靴と地面が凍り付いていることに気付いた。脱げばいい。単純な方法が咄嗟に思い浮かばず、慌てて脚を引っ張り、引き剥がそうとした。
側面から寄ってくる獣が居ることには気付いている。
武器を使い尽くしていなければそのまま迎撃くらいは出来ただろう。
「っっ、お兄ちゃん……!!」
気弱な本性が顔を出し、身を縮めた。
「呼んだかい、コレット」
襲い来る獣を叩き飛ばし、颯爽と彼女の前に現れた男が名を呼んだ。
思わず瞑っていた目を開き、その相手を確認したコレットは、ついここが戦場であることを忘れて叫んだ。
「アンタはお兄ちゃんじゃない!!」
と、漲る筋肉を纏うスキンヘッドのマッチョを指差しナイフを投げた。一つ残っていた、しまった、などと思うがマッチョは鍛え上げられた反応速度でナイフを掴み取り、無意味に爽やかな笑顔を浮かべる。
「お兄ちゃんだよコレット!! 俺の事を忘れたのか!? でもさっき呼んでくれたよねっ!?」
「うるさいお前じゃない!! もっと痩せてて、細身でちょっと病弱だったけどキラキラしてた頃のお兄ちゃんじゃない!!」
「鍛え直したんだ!! あの人の元で俺は過去の弱かった自分を鍛え上げ、こんなにも逞しくなったんだよ!? もうあの頃みたいに薬代で困ることはないんだっ! 俺は素晴らしい筋肉を得たんじゃないか!?」
「うっさい黙れ筋肉妖怪!! 筋肉に押し潰されて死んじゃえ!! ばーか! ばかああああっか!!」
家出の切っ掛けである、最早変態と言ってよいほど変わり果ててしまった兄にコレットは全力で罵声を浴びせる。
病弱で、けれど優しくて、いつも儚げな雰囲気を纏っていた、何より誰もが美形と称する面貌の兄は死んだ。死んで日々自分の各所へ語り掛けながら卵ばかり食べて臭い汗を流す意味の分からない生物になった。
音は空気の振動。声は声帯を震わせて発しているというが、なんだかこの肉の塊は筋肉から声を発しているようにさえコレットには思えてくるのだった。
「ははは、コレットは随分とおてんばになったね。でもいいよ、泣きじゃくっていたあの頃より、今くらい元気な方がずっと良いさ」
「話し掛けないで気持ち悪い! 汗臭いの離れて!!」
実際には数日まともな生活も出来ていなかった彼女の方がアレな訳だが、そこを指摘すれば更なる怒りを買うことを爽やかマッチョは心得ている。
研究所へ行ってしまい、ずっと心配をしてきたのだが、予期せず再会できたこと、間に合ったことは彼にとっても僥倖だった。
「大丈夫。いつかきっとコレットも分かる日が来るよ。筋肉は裏切らない。筋肉はいつだって苦楽を共にしてくれる。筋肉があれば大体の問題は解決するってね」
投げるものが無かったので、凍結した靴を脱ぎ、残ったもう片方が邪魔なので投げ付けた。
マッチョは嬉しそうに受け止め、そーれと言って投げ返してくる。
腹が立ったのでその靴を遠くへ放り投げるが、その後のことについてコレットは何も考えていない。
「ではそろそろ始めようか。奴らの筋肉と俺の筋肉、どちらが優れているかを競い合う、戦いをね」
ぐるりとトンファーを回し、彼は床を揺らしながら駆けていった。
先に他の三人と合流し、援護を始めていたもう一人のマッチョと無駄に腕を組み合わせ、次々と敵を粉砕していく。
凄い、と思う一方で、疲弊していなければ自分達だって、と対抗意識を燃やす。
気付けば今のやりとりを経て、コレットは強気な仮面を取り戻していた。
「大丈夫?」
「ぁ、トール」
戦いの隙間を縫ってやってきていた愛らしくも逞しい少年を見て、彼女は頬が熱くなるのを感じた。
この数日、すっかり気が細ってしまっていた間、自分がどれほど彼に甘えていたのかを思い出したのだ。一部、薬物による記憶の混濁もあり、どこまで甘えてしまったのかと不安と焦りと羞恥で気がどうにかなってしまいそうだったが、そんな彼女を少年はそっと抱え上げた。
「きゃっ!?」
「治療をするから、一度皆を戻してって」
そんな話ではない、という少女の戸惑いと慌てぶりに気付いているのかいないのか、トールはコレットをお姫さま抱っこにし、早足で元の場所へと向かった。
おずおずと彼の首へ手を回したのは、無駄な労力を掛けない為の援護だ。それだけだと言い訳しながら彼女はより密着するよう頭を寄せて、小さいと思っていた少年の胸元へ頬を寄せ、俯いた。
ちらりと覗いたトールの顔つきは、この数日で一気に成長したように見え、どこか凛々しさを感じさせた。
「トールは……まだ、可愛いままで居て欲しいな」
男というのは成長すれば変わってしまう。
兄の変態を目の当たりにした為に彼女の中にはそういう不安が根付いている。
トールは呟きを聞きながらも、彼なりの男の沽券に掛けて、可愛いに頷くまいと決意し、流すことにした。
嬉しそうに喉を鳴らすコレットが悪戯で首筋へ口付けてきても、彼は熱くなる頬を無視して運搬を続けた。
※ ※ ※
戦闘の大半を預ける形になったが、ロディは生き残った五人、トールも含めれば六人全てを癒すことに成功した。
疲労は激しかった。治癒による消耗もそうだが、ここへ至るまでに幾つもの障害を越えてきたのだ。
トール達からすれば窮地へ飛び込んで来た、それだけの印象だろうが、むしろ到着までの道程は彼らが辿ってきたものよりも遥かに険しいものだった。
銀狼は鉱獣種と呼ばれる特殊なネームドだ。
露出した結晶によって奴らと呼ばれるものを操り、統率することが出来る。
波長を整えさえすれば、獣型のみならず様々な種を支配下におけるのだ。多大な苦労を負うことになる為滅多に使われないが、歴戦の狼はそれ故の経験によって極力負担を排した手段を心得ていた。
ずっと手綱を握っていなくとも、特定の場所へ誘導さえすれば、後は勝手に種それぞれの反応によって動く。
一度分かってしまえば極めて有用な手段に化ける。なにせ一定の間隔で叫び屋を配置しているだけで、脳無しを始めとした下位の奴らを次々呼び寄せることが出来るのだから。
狼は得物に執着する。
一度定めれば、例え対象よりも容易な得物が現れても見過ごすことさえある。
ましてや久方ぶりの狩りにある種の陶酔を以って挑んでおり、完璧な結果を求めても居た。
故に周囲から接近してくる脅威を尽く襲い、追い払い、侵入を徹底的に阻んだ。
進むほど苛烈になる攻撃を抜けてきたロディ達が、鼻歌交じりで居られるほど容易な状況である筈もない。
「って言って、あのクソ狼を説得出来たらなァ」
「何を下らんことを言っとる」
銀狼を殴りつけ、叩き飛ばすことには成功したが、どうにも手応えがない。手応えが違う、と言ったほうが正しいが。
距離の開いたネームドの代わりに獣達が襲い掛かってくる。
それらに対処しながらロディは拳の感覚を確かめた。
血肉や骨や筋肉を持った生体を殴った感触と、今のものは随分と違う。
板か壁、硬質で純度の高い物体を殴った固さが手に残っている。破壊すら出来なかった為に、衝撃はそのまま拳へ戻ってきていた。
「トールは、アレが火を嫌うって言ってたけど、俺のはあの青い冷気で払い除けてくるんだよな」
つまり、などと確認するまでもなく、敵の冷気はロディの炎と同質のものなのだろう。
人が魂を受け継がせていった果てに獲得した力、地獄の番犬の少年少女らが使う光子を伴った力と本質的にも同じもの。
「根競べってなるとこっちは不利だ。残量が少ない」
「その分はこっちで支える!」
言いつつ小型の獣を叩き潰し、霧散させる。
外縁部ならばともかく、霧の深いこの場所で、この状況で手心を加えているほどの余裕は彼にも無かった。
「とはいえ数が多いなァ……! 二百などとうに越えているんじゃないのか!」
傷を負い、霧の中へ引き篭もって四十年。おそらくはその間に多くの個体を従えたのだろう。
冷気やその扱いはともかく、肉体が獣である以上、そこまで技術的に優れた動きは取れない。噛み付き、ぶつかり、爪で切り裂き、叩き飛ばし、踏み潰す。巨体そのものも脅威だが、石の力によって尋常ならざる膂力を発揮する者達にとって物理的な面で致命的とは言い切れなかった。
突破しきれていないとはいえ、ロディが居ることで特異能力も大きく減衰し、負傷者も時間を掛ければ復活していける。
それでも勝利へ手が届かないのだ。
数という戦略は何よりも強い。
ロディは後方を振り返り、確認する。
トールを、ではない。彼には負傷者を任せてある。脅威の接近は防ぐが、その行動まで手取り足取り支えるつもりも、余裕も無かった。
問題なのは数。
些細な違いではあるが、現状の四人で強行するよりは遥かに良い。
視線を切り、巡らせる。
銀狼が今の行動を隙と見たのか襲い掛かってきていた。
冷気を撒き散らし、極低温下へ置く事で相手の動きを鈍らせる。本来ならそうなる筈の戦い。
「消させるかよ……!!」
静かの炎は周囲を包んでいる。
互いに圧倒は出来ていない為、極端な変化はないが、アムレキアの住民からすれば平温と呼べる気温だ。
ロディは踏み込む脚を後ろへ、地面ごと蹴り付けるようにして己を支え、眼前へ迫る巨大な狼を見据えて炎を燃え上がらせた。新緑を持つ静かの炎とは違う。黄色を纏い、閃光のように燃え上がる炎を拳へ纏わせ、激突に合わせて殴りつける。
見て取った。
銀狼は衝突に際し、強烈な冷気で氷の壁を作っていた。
より緻密で、より強く結合する純粋な氷の塊は、極めて高い強度を持つ。ましてや特級ネームドが至近で力を注ぎ込み続け、破壊されるその場で結合させているのだ。
両者の間で水蒸気が爆発したみたいに撒き散らされた。
ロディはふっとばされ、地面へ脚を掛けるも踏み止まれず、そのまま屋上の外側へ。
視線は敵を見据えつつも自身の周辺を視野に納め、振り上げた腕を勢いのまま後ろへ伸ばす。
後方に炎を。
起爆の勢いで慣性を殺し、同時に己を新緑の炎で焼いて傷を癒した。
「っとと!?」
柵に掴まることでなんとか落下を免れたが、その柵が根元から外れて崩れ始めたので、慌てて内側へ飛びついて事なきを得た。
状況を確認すると、ロディを吹っ飛ばした直後に筋肉二人が左右から襲い掛かり、別の混戦を生み出していた。
周囲には無数の獣。どうやら敵は得物と見ていた子ども達を食べる前に、ロディ達四人を始末することに決めたらしい。守りやすくて助かるのだが、今も屋上へ登って来る数が減らないのは何の冗談かと言いたくなる。
一気に焼き払う、それも出来無くはないが、相当な広域に炎を広げることになるだろう。中途半端にやっては消耗の方が大きくなる。
しかし、とロディは胸元を握る。
呼吸をし、熱を持つ己を感じた。
残量は僅か。
かつて先代より受け取った力は、もう殆ど残っていない。
死者の石を使う者達がその内に宿る力を消費していくように、従者は主となる者から分け与えられた力を消費する。
通常であれば近くに居るだけで受け取ることが出来、そうそう空になることはないのだが、ロディの場合は事情がやや特殊だ。
実際に炎を広げてみても足りるかどうかは不明だ。下手をすればそのまま使い果たし、広げた炎を制御出来なくなって自らを仲間ごと焼き尽くすかも知れない。
ふと、研究所の子どもらを集めるトールを探した。
「なにやってんだか」
しゃがみ込んで自嘲する。
彼はもう十分以上やってくれている。これ以上何を求めるのかとロディは立ち上がって身を伸ばし、足先の感触を確かめた。
敵を見据え、先ほどの交叉を思い出しながら思案する。
生み出された氷の壁を突破するには熱量が必要だ。
雑魚が厄介ではあるが、全てを始末するよりあのネームドを撃破した方が余程早い。
問題は相手の身持ちが固すぎて、口説き落とすのも容易では無い点だ。先ほどの一撃はロディなりに全力で放ったつもりなのだが、突破するには至っていない。ガス欠寸前のロディに対し、相手はじっくり引き篭もっていたおかげか大盤振る舞いで今も静かの炎を侵食してきている。
熱は必要だが、浮かされてただ突っ込むだけでは駄目な状況がある。
先代、姉貴と呼んでいた彼女は何よりも勢いを重んじていた。勢い任せ、とも言い換えられるが、とにかく周囲を鼓舞し、いの一番に戦場へ突っ込んでいくのだ。だからロディの従者としての役目は、彼女が突っ込みすぎないよう制御することだった。
思考、思案は嫌いではない。
一日中木彫りを続け、形になっていくのを愉しむ所があるロディは見た目や行動の印象よりも気が長い。
時間を掛けて考え、じっくり準備をしておく。咄嗟の判断や行動が優れているように見える時は、必ず前以っての熟考があり、手札を用意している。
各種炎の扱いも先代から上手い上手いと褒められていた。
大雑把な使い方しかしない彼女の言だから、どこまで信用していいのかは分からないが。
彼女が死んでもう一年、その間を戦い続けてこれたのは、無駄無く的確な運用が出来ていたからでもある。
「焦んな……」
思考する今も仲間それぞれへの援護は続けている。
幸いにも炎それ自体が銀狼やその手勢にとって脅威となるようで、援護相手を間違える心配が無い。
本来、ロディの位置は今の状態が最善だ。
トール相手に見栄を張って敵大将へ肉薄したものの、武芸というのなら三人のそれはロディを上回っている。
彼の優れた部分は各種の炎による味方の援護。今のように敵の力から味方を守ることもそうだが、負傷者の治癒を最前線で行えるというのは驚異的と呼べるほどの価値がある。肉体を修復し、精神面での安定化も可能なものだ。流石にコレット達のように極限まで消耗していた者達を即時戦線復帰させるほどではないが、致命傷を受けて尚も生存が可能だとなれば十分過ぎる。
だとしても現状は上手くなかった。
中衛としての立ち回りに慣れたロディが、早目に決着を付けなければ拙いなと焦るほどに。
アラルド農園からの援軍は、おそらくここまでにロディ達が強引に突破してきた奴らの大軍に時間を取られるだろう。少数なら抜けてこれるかも知れないが、主戦力がクロスボウ部隊である以上、強引な進攻は被害が増すだけだ。指揮官は安全策を取ると考えられる。
時間稼ぎは微妙。
かといって決着への道筋は未だ見えない。
ならば逃亡か、と考える。
それも難しかった。
突破してきた敵包囲の分厚さを考えると、回復後の脱力状態で動けない五人と一人を抱えては困難だ。
袋小路と呼ぶのは少々違うが、打開する以外に好転させる方法はない。
「となればやっぱ、やるしかねえよな」
敵の防御を突破する。
手段についてはまだ思い付いていないが、仕掛けるなら早い方がいい。
問題はやはり数だ。
銀狼相手に真っ向勝負を挑みたくとも、周囲の獣達が邪魔をする。
立ち回り次第で数秒、あるいは十数秒の猶予を得たとして、十分とは言い難い。
これ以上考えても仕方が無いと区切りを付け、ロディは戦いの場へ身を投じた。踏み込んだ途端、明らかに敵の動きが変わる。冷気による攻撃を防いでいるのが彼であることは敵も把握したのだろう。
「何ぞ策が浮かんだか!」
「いや何も。けどアレを倒す以外、まともな結果になる気がしない。問題は周りの雑魚だ――――っと!!」
言ってる傍から襲い掛かられ、殴り飛ばして後続に叩き付ける。
他にも二匹、姿勢を低くつめてくる。ロディが半歩引くと、巨大な棍が奔って結晶を二匹分纏めて打ち砕いた。
「流石」
「雑魚を抑えればいいのか!」
やれと言われればやる、そういう覚悟を思わせる響きだった。
「いや、多分俺だけだとあの守りを突破出来ない。おやっさんにも手伝って欲しい」
「となれば二人に踏ん張ってもらうしかあるまいが……」
不安が残る。
二人は優秀な戦士ではあったが、先だって一人が欠けて、万全の連携が崩れている状態だ。単独で、百を越える数を抑え切れるほどの化け物じみた腕前とは流石に言えない。数十からのクロスボウ部隊による援護を受けられるのであれば、対処可能と言えるものではあるのだが。
「雑魚処理だけなら私達もやる」
二人揃って視線を流す。
その先に居るのはコレットを始めとした地獄の番犬の者達だ。
近付いてきているのは気付いていたが、扱いかねて放置していた。
「動けるのか」
途中食いつかれた数匹の獣相手にも四苦八苦していたのをロディは確認している。
使い慣れていない武器を無理に扱い、損傷を早めている印象もあった。
治癒の副作用として、極度の脱力でそのまま眠っていてもおかしくない状態を加味したとしても、荒削りが過ぎる有り様だ。
心配するロディにピアスの少女ミランダが首筋をトントンと指先で叩いた。
眉を寄せて不快感を示す二人に対し、少年少女らは平然と笑う。
五人の首筋には注射痕があった。
徐々に効き始めているのだろう薬物による効果で、目には異様な程の力が入り始めていた。
「治したその場で馬鹿やってんじゃねえよクソガキ共」
「そいつは動くだけで、戦えるとは呼ばんぞ」
「でも必要だって言ってくれた! トールがッ、私達で周りの小さい奴らを抑え込めればッ、貴方が何とかしてくれるって!」
コレットの訴えにロディは背骨を掴まれた様な焦りを感じた。
あの少年が、頭が回り、周囲を良く観察するトールが必要と投じてきたという事実に、驚くほど動揺していたのだ。彼女らが当然のようにその指示か、頼みを引き受けてここに居るという事実も、経緯を知らないロディからすれば異様に思えた。
姿を探すのを堪え、息を整えた。
呼吸の乱れは炎を揺らがせる。
今はただ、彼に見られているということを自覚すればそれでいい。
先に諦めをつけたのは並び立つ男の方だった。彼は肩を竦め、後は任せるとばかりに棍を振り上げ敵へ肉薄していく。
「農園に私達がしてきたことは分かってる。そっちの手心で今日まで好き勝手やってこれたことも」
ミランダが前に出てロディへ訴えた。感情的になっているコレットの肩を抑え、更に何かを言おうとするが、ロディは手を挙げて止めさせた。
「そういうのは、まあ、どうでもいいとは言えないんだが、まあいいじゃねえか。お前達に聞きたいことは一つだ。生き残るつもりはあるんだろうな?」
コレットが何かを言い掛けたのを肩に置かれた手が阻んだ。
不満そうにする者が他にも居るのを感じながら、ミランダは答える。
「戦いの中で死ぬのは仕方ないと覚悟してる。けど、死にたいと思って戦ったことはない。それと、やっぱり死ぬのは怖い。あれだけ追い詰められた後だから、治るとは思っていなかった身体が治ったからこそ、強く思うよ。死にたくは無い。でも生き残る手段が勝つしかないのなら、どんな手を使ってでも立ち上がって、勝ちに行きたい」
強い風が吹いた。
北方から吹く風を受けて、五人の身が僅か、縮こまる。
平然としているのはロディだけだ。
未だ激しい風の中、押しやられていくアムレキアの霧の中でロディは言った。
「ガキが、気張りやがって」
皮肉げに言って掌を向けた。
五人へ受け渡された青の炎はすぐに消えた。が、全員が表情を変えて吸い込まれていった胸元に触れ、息を呑んでいる。
「なけなしの力だ。上手く使え。それと、こいつをもう一度掛けとくよ」
新緑の炎が包み込み、薬物によって過剰に興奮した心を落ち着けていった。
効き過ぎてはまた動けなくなってしまう為、ほんの僅かではあったが。
「デカブツとの戦闘が始まったら流石にそっち援護してる余裕は無くなる。奴の力には十分注意しろ」
言って背を向けると、まずミランダが、続けて刀剣の少年が、そしてコレットと重症だった少年が横に並んできた。
「てゆーかー、私とロディさんそんな歳離れてないんですけどー。ガキ扱いってちょっち傷付くなぁー」
噛み付いてくるのでロディは視線をやや下げ、
「乳が小さい」
「オイこらテメエぶっとばすぞ」
「ぁぁぁああアアア!! っっ、がアアア!!! あああああああああああああああああ!!!」
二人が馬鹿な話に興じていたら、後ろで俯いていた少女が狂ったように叫びながら突っ走っていった。
しばし無言でその姿を確認し、ミランダが少し見上げるとロディは視線を逸らした。
「……なんで効いてねえんだ」
「アイラちゃん、昔居た派閥でエグいのやらされてたことあるからー、トビやすいみたいなんだよねー」
そこまでは責任持てねえ、ロディが言うと小さな嘆息が重なった。
やれやれと刀剣を持った少年が歩き出し、肩越しに言葉を放つ。
「俺、面倒見てくるわ」
「あー任せるー、コジロー」
「コレット、武器が無いならコレを使え。俺は素手でも行ける」
「ありがとうございます、グスタフさん」
長身の少年から短槍を受け取り、コレットは何度か握りを確かめた。
「投げるなよ」
「わ、分かってます!」
ともあれ準備も整ったようなので、ロディは周囲に張っていた炎をやわらげた。遠巻きに狙っていた獣達が距離を詰め、得物を狙って目を輝かせていた。どうにもロディ達は排除する敵、五人は餌という認識らしい。
既に一人が大暴れし、もう一人が斬り込んではいるのだが、
「雑魚は任せる。大物は俺が貰う。それでいいな」
「そういうこと言っちゃうー?」
「いいな?」
声は自然と重なった。
『やれるならご自由に』
あくまで敵同士。
皮肉をぶつけ合い、対抗する。
共通するのは口元の笑みと、戦いへの覚悟だけでいい。
炎が消える。
全員が一斉に跳び出し、敵を蹴散らしながら散っていく。
ロディは一目散に目標へ、銀狼へと駆けて行った。
一時的に追従してきたミランダの耳打ちに彼は嘆息し、同時に感心する。いっそ呆れるほどではあったが。
「トールの奴、ホントにいろいろ見てんだな」
得た情報を元に、戦局は次の段階へ移行する。