未定
「何を失っても大したことはないのだけれど、命と希望を失ってはダメだ」
先生の心に響かない言葉にはうんざりさせられるのだが、しかし先生を思い出すたびにこの言葉がよみがえってくる。
弁護士。この言葉にも心底うんざりさせられる。どうしてぼくは京都の大学で一日16時間も試験対策をして司法試験を受けたのだろう。努力というものは信用ができない。どんなに努力をして被告人を弁護したところで、日本の刑事訴訟制度においては起訴された段階で有罪が確定しているようなものだし、仮に無罪を勝ち取ったところで控訴審で覆されることもざらだ。正義感に燃えていた時代はとうに過ぎ去って普通のサラリーマンと変わらない日常が今日も繰り返される。うんざり。うんざり。
ぼくは昔から大の鉄道好きで、JRに就職するのが夢だった。小学5年生から一年くらい時刻表が愛読書だったし、中学校、授業にはほぼ全く出席せずに図書館と保健室に通っては鉄道旅行の計画ばかりたてていた。勾留されている容疑者の量刑について検事と話し合うことが人生のオプションにあるとは全く思いもしなかった。
「失って困るものは多々ある。お金。信用。友人。恋人。家族。」
「それは形あるものだ」
「しかし希望はともかく命には形があるんじゃないんですか」
「命には形がない」
命には形がない?
人間は勿論物理的に存在しているのだから、物理的に死ぬことによって命を失う。命には形がない??