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 野田のスマホを耳に当てる。

 コール音二回のあとに、プツッと回線が通った音。


『――県児童相談所です』


 男の人の声だ。

 わたしは息を吸った。

 誰もいない部屋。野田は気を遣ってくれたのか、出ていってくれていた。


「親に……売られようとしてるんです。助けてください」


 わたしは姉のことや、今日あったことを具体的に話した。


『なるほど、今あなたは十七歳で』


「はい」


『十八になったら、そういう仕事をしてくれといわれたわけですね』


「いえ、してくれというか、して当然というか」


 女の人に代わってくれたりはしないのかな、と思いながらわたしは話しつづけた。


「とにかく、強引にさせられようとしています」


『強引にというのはどんなふうにですか』


「多分、怖い人たちを呼んで、無理矢理……。姉が一度そういう目にあったのを見てるんで」


『はい、なるほど』


 ペンでなにかを書き取る音が聞こえてきた。


『今も強引に、なにか嫌なことをされているんですね』


「え……。いえ、それは」


『今はとくに何もない? お父さんから暴力的なことは? その杉山さんという人からは?』


「……暴力は、ありません。ただ、体を売る仕事をさせることが、わたしの意志と無関係に決められていて」


『暴力は、ない。今はない』


 あ、あれ、なんか……。

 思ってたのとちがう。

 声の感じが冷たい。

 わたしが受けてるのは虐待のはずだ。

 体を売ることを強制されようとしている。ネットで調べた結果では、それは性的虐待になるはずだ。


『今は、何も起きていないわけですね』


「……」


 起きてない?

 起きてないの?

 たしかに、起きてないけど……。


『そして何かが起きる予定だけれど、それはあなたが十八歳になってから……。阿左美さん、すみませんが、われわれ児童相談所が対応している【児童】というのはね、十八歳未満の人のことなんですよ。まず、このお話はわれわれの仕事の管轄外になってしまいます』


「は、はあ……」


『ほんとに、今暴力はふるわれていないんですか? ふるわれているのなら対応のしようがあるんですが』


「……ふるわれてません」


『これ、どうしましょうかね……』


 あきらかに、近くにいた上司か同僚に向けた声。

 それからしばらくして、


『阿左美さん、ここには、あなたよりもっと幼くてね』


 あ、もう、これって、


『今、親から、ひどいことをされている子。または、食べさせてもらえなかったり、監禁されてたりね、そういう子が助けを求めてくるんですよ』


 ……説教はいってるわ。

 マジかよ……。


『そういう子たちはまだ精神的に親を頼らなければならない年齢で、親のすることに疑いなんて持てないんです』


 わたしも、そうだったのに。


『あなた、昨日なに食べました?』


「え……。うなぎ……」


『はあ。贅沢ですね』


「……」


『お父さんとは日に何回会話をしますか』


「……五回くらい、してました。あ、あっちが話しかけてくるんで。天気の話とか……。返事、返さないと、泣くんです。だから、どうしても、会話は増えて……」


『お父さんはたとえば、悩み事をきいてくれたりしていましたか?』


「…………はい」


『いいお父さんじゃないですか』


「……」


『なんでも話せるじゃないですか。それなら、あなたのいう【身売り】ですか、そのことについても、はっきり嫌っていってみたらどうですか。あのね、あなたのケース、こちらにできることはないんです。【児童】というのは法律で守られていますが、あなたはもうすぐそれではなくなる。ある意味ね、あなたのお父さんはルールを守っておられる。だから第三者のわれわれにどうこういう筋合いはないんですよ。これはもはや個人の問題で……つまり、わかるかな、あなたがしっかりしなきゃいけないことなんですよ』


「で、でも、えっ? ひ、ひどくないですか?」


 ショックのあまり、子供っぽい言い方になってしまった。

 頬が熱くなった。


「親が子供を売り飛ばそうとしてるんですよ……?」


『それもね、あなた。十八歳になるあなたに、こんな職業はどうか、と案を出しているだけでしょう。あなた、一度でも断る態度を見せましたか』


「あいつらは嫌っていったって聞かないんです……! 嫌っていった瞬間に、電話をかけて、怖い人を呼んで」


『ええ。そうなれば、われわれも対応できますから』


「そっ…………」


 ……。


 わたしは愕然とした。


 この人たちは、手遅れになってからしか動けないんだ。


『あのー、理解してください。あなたよりも急を要するケースが山ほどあるんです。あなたのこの件では動けません。まだ誰も何も違法なことはしていないからです。こんなのに割く時間をね、われわれは本当に父親にいたずらをされている女の子たちのために使いたいんです。児相って難しい立ち位置でね、そういう子どもたちを、ほんとうに頑張らないと助けられないんです。だから、あのー、すこし冷静になってですね、お父さんのお顔、笑っていなかったか思い出してみてください。ちょっとした冗談で、そういうことをいうというのはあると思いますよ。それか、あなたがなにか言いつけを守らなかったりしたんじゃないですか。よく思い出してみてください』


 電話をきった。

 なんかよくわからないけど、「死ね」って言葉が口をついて出た。

 そして涙がこみあげてきて、ぐっとこらえた勢いで一一〇をタップして通話した。


『はい、どうされましたか』


「あの、わたし――」


 警察も、基本的にはさっきの相談所と同じだった。


『まだ何も起きていないのならなにもできませんね』


『本当に父親があなたをむりやり売ろうとしているとしても、やってきた警察に対して「はいそうです」とはいわないでしょうし』


『証拠がなければどうしようもないんですよ』


『というかこちらではなく児童相談所にかけていただけますか』



 ノックの音がして、野田が部屋に入ってきた。


「……ごめん。パソコンありがとう。帰るね」


 わたしは立ち上がった。

 すれ違うとき野田は何か言おうとしたけど、言葉にならない声しか聞こえなかった。

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