prologue3
「よかった。雨、あがったようですね」
少女の言葉に窓を見ると、確かに空が明るくなっていた。寄り道もしたし、早く帰らないと母が心配しているかもしれない。
タオルの礼をもう一度言うと、少女に見送られつつ店を後にした。
黄昏時。夕闇に紛れ、世界の滲む誰そ彼時。
そんな中にあった不思議なお店に、なんだかまだ夢を見ているような心地で足取りが軽くなる。
「ただいま」
「お帰り。随分遅かったじゃない。もうご飯できてるわよ」
「うん、後で食べるから!」
「ちょっと、紗代?」
家に帰った私は、挨拶もそこそこに自室に駆け戻り、押し入れから段ボール箱を取り出した。
ずしりと重量感のあるそれを開けると、大量の絵が溢れ出る。懐かしい私の世界。
絵を一枚捲る度に、部屋は春の草原となり、栗鼠が走ったかと思えば鮮やかな梅雨の匂いを醸し出す。
ああ、そうか。私の世界は小さなキャンバスの上だけじゃなかったことにようやく気がついた。描いていくほど積み重なり、世界は知らぬ間に面積を増していっていた。
同年代の子達とは違っていたとしても、私の世界は他にない厚みがある。
なんだ。すっと肩から荷が降りたように感じたことで、今まで悩んでいたのが馬鹿らしくなってきた。
制服のまま床に寝転ぶと部屋のなかに紙が舞い、手元に一枚の絵が落ちてくる。
母の妹、夏樹叔母さん。外連が無い物言いの彼女は母と折り合いが悪く、次第に家に来ることもなくなってしまった。母とはうまくいかない彼女だが、私にとっては大好きな人。
しばらく会っていない彼女からは、時折私宛にポストカードが届く。確か最後に送られてきたのはアメリカからだっただろうか。
叔母さんを描いた絵を見ていると、ふと部室を思い出す。そう言えばあの顧問は叔母さんに雰囲気がよく似ている。どちらも他人に流されず、自分を誤魔化さない人だ。
母の呼び声が聞こえる。いつもの夕飯より随分と遅い時間になってしまったことに気がつき、時間を認識した途端急かすように腹の虫がないた。
今行くから、と母と腹に返事をし、紙の渦から立ち上がる。
食事を済ませたらまた絵を描こう。なんだか無性にうずうずした。
今度の世界はどんな色になるだろうか?
「ソフィー。もういい?」
制服姿の少女を見送って寸刻。扉を閉め少女が振り替えると、セルリアンブルーと視線が合う。
「ええ、もうお帰りになったので大丈夫ですよ」
「一見さんが来るなんて久しぶりだったから驚いちゃったよ。……いやいや、それより」
少年はもたれかかっている少女の肩を揺する。少女の小さな身体はかくかくと揺れ反対側に倒れこみそうになり、少年は慌てて抱えなおす羽目になった。
「まいったな。全然起きないぞ」
「本当ですね。お寝坊さんなアメリアちゃん」
「……それ、やめた方がいいんじゃない?」
「それって?」
「客がいる時にも言ってたでしょ。ちゃんと人形らしく扱わないと変な子だって思われちゃうよ」
「らしくも何も、実際に人形なわけだし」
そういう意味じゃないだろ、と少年は溜息をつく。これ以上言っても仕方がない。ソフィーとは何度もこういうやり取りをしてきたけれど、一向に変わらないないのだから。
……まあ、人当たりのいいためか、ソフィーが誰かに悪意を向けられるところは見た事がないし このままでいいのかもしれないけれど。