それでも父になる
俺は木こりだ、今年で53歳になる。
明日息子が村の娘と結婚し、この小屋を出て行く。
このノートに俺と嫁さんのことを少し書いておこうと思う。
流石に50年以上生きているといろいろなことがあった、辛いこと楽しいこと。
俺の父親も祖父さんもその祖父さんも、ずっと木こりをして生きて来た。
親父は寡黙だが村の連中に頼まれると、いつも嫌な顔一つせず働いた。
それでも、村の連中の親父を見る目はすこし違っていた。
ガキだった俺にはそれが何か阻害されているように感じて嫌だった。
それなのに、いつも村のために働く親父も好きになれなかった。
村の連中ともなんとなく合わない気がしていた俺は、17歳のとき親父への反抗心も有り、家から飛びだしてこの森に移った。
この森は親父の家よりも更に村から遠い、それでも豊かな森で、木の実やキノコ、芋とか山菜など食べる物には困らない。
大昔はこの辺りの森には化物がうじゃうじゃ居たというが、今ではそんなものも居なく静かですごしやすい。
一人で小屋を建て井戸も掘った。
親父からは木こりの技術、生きる術はおふくろから叩き込まれていたので、生活していくのは困らなかった。
それにこんな若造が切った木も村へ持って行くとそれなりの値段で引き取ってくれた。
まあ、後で聞いたのだが、それは親父が村の材木商に頼んでいてくれたかららしいが。
自給でき無いものはその金で買う、気楽で自由な生活だった。
嵐の夜一人で小屋に籠っていると、ガキの頃にお袋がよく話してくれた、伝説の木こりの話を思い出した。
その木こりは、木こりなのにこの世の誰よりも強く、この辺りにうじゃうじゃいた化物が束になってきても、チョイチョイッとやっつけていたらしい。
まあ、そんなのはおとぎ話だとは思うが、その男の血がお前にも流れていると言われると、ガキだった俺も何かすこし強くなった気がしたものだ。
そんな一人の気ままな生活が変わったのは19歳のときだった。
その日は森の奥に食べ物を採りに行った、すると娘が一人大怪我をして倒れていた。
19歳で半分世捨て人みたいな生活はしていたが、死にかかっている者を見捨てるほど心が貧しい人間でもなかったようだ。
三日三晩寝ずに看病した結果、その娘は危機を脱することができた。
暫くは俺のことも警戒している様だったが、俺に敵意がないことが分かると、少しずつ心開いてくれた。
その娘の傷が癒えるにはかなりの時間を要した。
俺はかいがいしく娘を世話してやった。
一見冷たそうにも見えるがかなりの美人だったその娘が、見た目と違い優しくて細やかな心遣いができる子だと、日にちが経つうちにわかった。
だが、どうせ怪我が治れば出て行くと思っていたので、あまり深い感情は持た無いようにと思った。
しかし、その娘は怪我が治っても小屋から出ていかなかった。
それから二人の友達以上恋人未満みたいな共同生活が始まった。
掃除や洗濯料理などその娘のお陰で俺の仕事はずっと楽になった。
人との関わりを避けていた俺だったが、何か満ち足りた日々だった。
そんな生活が2年続いて、俺は娘に求婚した。二年も一緒にいて今更と思うかも知れないが、物事にはやはりケジメというものが必要だ。
娘は笑顔で応えてくれた。
これで二人は正式な夫婦となった。
嫁さんが小屋に住む様になって、俺は少しづつ変わった気がする。
あまり話す事のなかった村の連中とも普通に話をするようになった。
その時村の連中が親父によそよそしかったのは、ある意味尊敬しているからだと言うのも分かった。
何年も帰ってなかった親父の家にも村の帰りに寄るようになった。
ただ、嫁さんは一緒に住み始めた頃から自分の事は人に話さ無いでくれと、言っていたので結婚するまで両親にも話してなかった。
だから嫁さんの服は男物ばかりだった。
結婚したことは流石に両親には報告した。
おふくろはすぐに嫁さんの顔を見せろとせがんだ、親父は「そうか」とだけ言った。
結婚したら夜の営みというものもしないといけない。
とはいえ、俺は嫁さんに出会うまで女性に興味なんてなかったから、その手の経験は全く無い。
木こりの技しか教えてくれなかった親父を少し恨んだりもした。
それでも、俺も男だからその時を迎えた。
ただ、その時嫁さんが、いろいろ告白してくれた。
自分は昔からこの森にいた大蛇族の生き残りで、人間とのハーフだって事。
大怪我をしたのは冒険者に襲われた事。
その時自分を守るために母親が殺された事。
確かに大変な事だが、そのときの俺にはそんなに驚くほどのことでは無かった。
嫁さんが普通の人間では無さそうなのは薄々感じていたし。
それよりも、嫁さんにベタ惚れしていた俺にはそんな事はどうでも良かった。
嫁さんとの新婚生活は幸せだった。
毎日が楽しくて充実していた。
ただ、子供が出来ない事が嫁さんの顔を暗くするのが、少し淋しかった。
でも、純潔の大蛇族だった嫁さんのお母さんが人間との間に子供が出来たから、俺と嫁さんにもきっと子供ができると信じていた。
嫁さんが、子供が出来たと告げたのは結婚して3年目22歳の年、寒い時期が終わる頃だった。
俺は有頂天になった。
ただ、嫁さんのお腹が大きくなるにつれ、少し不安を覚えた。
嫁さんが普通の女ならおふくろや村の女衆に相談もできるし、出産のことも任せられるのだが。
嫁さんは、そんな俺の心配をよそに、いつも大丈夫だからと言ってくれた。
暑い時期が始まる少し前、嫁さんが急に産気づいた、聞いていた話よりもかなり速い気がする。
嫁さんは大丈夫と言い、一人で産んだ。
生まれてきたもの見たときは流石に驚いた。
嫁さんは卵を産んだのだ。
事前に話していてくれたら良かったのだけど、忘れていたらしい。
この卵を温めてやれば赤ちゃんが孵る、ただその赤ちゃんは大蛇の姿をしてると、嫁さんは申し訳なさそうに言った。
最初は驚いたが、この子はまぎれもない俺の子供。
そう思うとたとえ卵であろうと可愛いかった。
二人で卵を温めるのは俺たちの至福の時間となった。
この子の未来とか二人で想像する時間が愛しかった。
だが、この幸福な時間は突然終りを迎えた。
その日も嫁さんは一人で森の奥へ入って行った。
嫁さんは同居した頃から時々森に入った、その訳は結婚した後に聞いた。
嫁さんは時々大蛇の姿に戻らないと生理的にいろいろ不都合があるらしい。
ただ、大蛇に戻った時の姿は俺には見せたくないって言うので、俺は嫁さんの後を追うようなことはしなかった。
嫁さんとは手を振って別れ、俺は木を切りに森の別の方に入っていった。
その時何年かぶりに冒険者の一団を見かけた。
前はもう少し頻繁に見かけたものだが、この森に狩るべき化物がいなくなってからは滅多に見かけなくなっていた。
その時はさほど気にして無かったが、木を切ろうとした時、非常に良くない事が起こりそうな気がした。
俺は悪い予感を胸に、斧を握り締めて冒険者の後を追った。
追いついた時に目にしたもの。
冒険者が大蛇を寄ってたかって攻撃していた、大蛇は森のさらに奥へ逃げようと必死にもがいていた。
「止めろ」と叫んだ時、俺の頭の中で何かがプツンと切れた音が聴こえた。
我に戻ったとき、三人の冒険者は血まみれの骸となって転がっていた。
人を殺してしまったという余りの恐怖で、血まみれの斧はなかなか右手から離れなかった。
斧を地面に落とし、急いで大蛇に駆け寄った、大蛇がかなりの深手を負っているのはすぐに分かった。
大蛇の頭を両手で抱えあげると、「いつかこうなる気がしていた、ただ子供の顔を観られなかったのが心残り」と途切れと切れに俺に言った。
俺は、「子供の事は心配するな」とそれだけしか伝えられなかった。
大蛇は俺の腕の中でこと切れた。
俺は生まれて初めて泣いた。
俺に涙があるのかと改めて思えるほど泣いた。
おれの叫び声は森の中に響き続けた。
いくら泣いても死んだ者は帰って来ない。
俺は大蛇と冒険者の墓を作って弔った。
大蛇の墓には大きな石を据えて、泣きながら嫁さんの名前を刻んだ。
血まみれの斧を引きずり、小屋まで帰って井戸で手を洗おうとして、泥と血にまみれた手を見たとき、また恐怖に襲われた。
なぜただの木こりの俺が冒険者を倒せたのだろうか。
それは、今になっても理由は分からない、多分人に言っても信じてはもらえないだろう。
返り血を浴びた服は暖炉に放り込んで燃やしてしまった。
暫くは卵を温める事以外何もする気が起きなかった。
卵を温めながらドアを見ると、嫁さんが今にも笑って帰ってくるような気がした、だが嫁さんが帰ってくる事は二度と無かった。
嫁さんの遺品、と言っても服以外ははじめて会った時に持っていた小さなバックだけだが、その中から一冊のノートが出てきた。
そのノートには大蛇族の事、人間との間に子供を作った大蛇族の女が、どうやって子供を産み育てたかなどが事細かく書いてあった。
それは嫁さんの字では無かった、おそらく嫁さんの母親が嫁さんのために書き残していたんだろう。
これがあったから、嫁さんは自信を持って子供を産めたのだと思う。
ノートの続きには、森で木こりに助けられたこと、幸せな生活だったこと、子供が生まれたことが嫁さんの字で書いてあった。
俺は、これを読んでまた涙を流した。
寒くなる前に卵が孵った。
頭を出した大蛇は小さな瞳で俺を見ていた。
俺は「俺がお前の父親だ」と言い聞かせるように呟いた。
子育てはそれなりに大変だったが、俺の心のさえになった。
2歳になる頃身振り手振りで人間の姿に変化する事を教えた、自分自身変身した事ないのでこれは本当に大変だった。
それでも、その子は頭が良かったからか、ちゃんと人間の姿に変わってくれた。
その子はそれ以来二度と大蛇の姿に戻る事はなかった。
俺はその後はじめて息子を親父の家に連れて行った。
おふくろは喜んでくれた、ただ嫁さんが死んだのを聞いて、会って見たかったとポツリと言った。
親父にだけは本当のことを全て話した。
親父は聴き終わってから「そうか」とだけ言った。
おふくろは自分たちが育てようかとも言ったが、俺は断った。
この子の父親は俺なのだから。
男手一つの子育てはそれなりに大変だったが、充実していた。
晴れの日ばかりでは無かったが、辛くはなかった。
本当はおまえにも木こりになって欲しかったが、俺とは違って頭の出来がいいおまえは、村で会計士になるという。
顔も頭も良いのは嫁さんに似たからかなんだろう。
それでも、おまえには木こりの血が流れている事は忘れないで欲しい。
そう、伝説の木こりの血が。
あらすじにも書いた通り、恐怖院怨念様の「木こりのおっさんは森で平和に暮らしたい」にインスパイアされて書きました。
まだ、「木こりは森で平和に暮らしたい」は連載中なので、主人公たちがどうなるかは分かりませんが、きっと木こりは平和に森で暮らす事ができると思ってます。