第94話 烈姫シャールランテ・フォルダリア6
魅了と幻術を駆使して警備網を掻い潜り、監獄の探索を進めていく。厳つい獄卒たちも魅了にかかれば従順なもので、まさしく無人の境を行くが如しであった。獄吏の詰所らしき部屋で監獄の見取り図を入手。
「シャル様。ここを御覧ください。特別房と覚書が。この辺りの区画に要人が収監されているのではないでしょうか」
「ふむ。行ってみるか」
特別房は六つあったが、使用中は一つで他は空室だった。
「ラミルターナは見当らないわね」
「あの者に訊いてみましょう」
リューネが特別房唯一の収監者に声をかけた。
「そこの者。ちとものを訪ねたい。最近特別房に幼い女の子が収監されていたことはあるか」
弊衣蓬髪に伸び放題の髭。双眸ばかりが爛々と輝き、鉄格子の向こうからこちらを睨んでいる。
「そのほう耳が遠いのか? それとも大陸公用語を解さぬのか?」
「人にものを訊ねる態度ではないな。礼節をわきまえぬ蛮人に語る言葉はない」
激昂しかけるリューネを手で制す。
「連れが失礼した。名のある御方とお見受けする。差し支えなければ御尊名を伺いたい」
「……見たところ監獄の関係者でも囚人でもなさそうだな。侵入者か。脱獄の幇助か、口封じの暗殺か――大方そんなところだろう」
「御慧眼恐れ入るわ。申し遅れた。私の名はシャールランテ・フォルダリア。お見知りおき願いたい」
躊躇なく本名を名乗ったことに戸惑う班員たちだったが、意図があるのだろうと察して無言だった。
「ほう。よもや連邦の烈姫殿とかようなところで相まみえることになろうとは。縁とは不思議なものよ。私はレイドス・サルーク」
「サルークというと、リグラト選王十二公家の?」
「リグラト王国も選王十二公家も、もはや歴史書に記述される固有名詞でしかないがね」
「それはお互い様。うちの祖国も同じありさまだし。昔フォルド連邦という国があったらしいとか言われるようになるわね、そのうち」
レイドスが収監の経緯を語り始めた。対ゼラール帝国の戦況が悪化する中、リグラト王国では抗戦派と講和派が国論を二分して内紛状態にあったらしい。
これに付け込んだのが帝国第三軍のシュバル大将軍。シュバルは講和派への調略を進めるとともに、抗戦派への攻勢を強める。抗戦派の急先鋒だったレイドスは、講和派の政治工作によって排斥され、謂れなき戦争責任を問われて収監。現在に至るという訳だ。
「畢竟、政治は茶番劇に過ぎないということを痛感した」
「心中お察しするわ」
「さて、幼い子供の件だったかな。この房から姿は見えなかったが、斜向かい辺りの房で、よく子供が泣きじゃくっていた」
さもありなんだ。頑是ない幼児がこのような陰気な牢獄に閉じ込められればさぞ心細いことだろう。
「三週間くらい前かな。複数人の出入りする気配があって、以降泣き声がはたと途絶えた。おそらくどこかへ連れていかれたのだと思う」
「そう。情報提供感謝する」
「この特別房に収監される子供ということは、貴殿の御息女かな?」
「ええ。私の娘よ。情報の謝礼という訳ではないけれど、ここから脱獄するなら手を貸すわよ」
「お心遣い感謝する。だが、何年かの監獄暮らしで足腰がすっかり弱ってしまった。脱獄したところで追手からは逃げきれないだろう」
「リューネ。レイドス殿にポーションと身体強化の護符を」
「は」
「これは……貴重な魔法具を忝い」
「サービスで透明化の幻術もかけて差し上げるわ。効果は半日ほどだけれど、これで逃げやすくなるでしょう。あとはこの鉄格子ね」
通路で昏睡する看守たちの体を検めるリューネ。
「牢の鍵束は所持しておりませんね」
「おそらく獄吏詰所のいずれかで保管してあるのだろう。悠長に探していては発見されてしまう。私の事は放っておいて、御息女の探索に向かわれたほうがいい」
「ただの鉄じゃないわね、この鉄格子。微量に魔力を帯びている」
「この質感からして霊鉄鋼のようですね」
「特別房を謳うだけあって厳重だこと。私の剣の腕じゃあ切断は無理そうだわ」
「シャル様。私が試してみましょう」
班員の一人ネリーが抜剣。彼女は剣の腕を見込まれてシャールランテの班に配属された剣士だった。目を閉じて集中するネリー。魔力を纏って微光を発する剣身。気合一閃。硬質な金属音とともに床に転がる鉄棒。
「ほう……なかなかの手練れをお連れだな」
レイドスが深呼吸した。
「牢の中より空気が美味い気がする。鉄格子ひとつ隔てただけなのにな」
「シャバの空気というやつかしらね」
「御息女の探索を手伝いたいところではあるが、今の衰弱した私では足手まといにしかならんだろう。何年も入浴していないので体臭もきつかろうしな。このまま麗しい淑女たちと行動を共にするのは気が引ける故、遠慮させてもらう」
「お構いなく。志だけありがたく頂いておくわ」
完璧な宮廷作法に則り一礼するレイドス。
「何から何まで感謝する。この御恩は終生忘れぬ。首尾よく御息女を助け出せることを祈っている」
「貴殿も御武運をね。サンディールから離脱できたら、リグラト王国再興を掲げて蹶起する気でしょう?」
「いやはや、お見通しか。たまさか拾った命だ。余生は悔いが残らぬよう生きてみようと思ってな」
このレイドス・サルークの十二代後胤にあたるのがシャーリィ・サルークである。
シャーリィが子供の頃、家宰バルナードに訊ねたことがあった。
「ねぇ爺や。どうしてうちの一族の女性はみんな似たような名前なの? シャルマータとかシャルティとか」
「それはですね、姫様の御先祖様――ゼラール帝国からの独立を主導した英雄王レイドス・サルーク陛下の遺訓によるそうですよ」
「英雄王レイドス・サルーク――レイドス広場に騎馬像が建ってる昔の王様だったかしら」
「さようでございます。なんでも、サンディール監獄に幽閉されていたレイドス陛下を助け出した女傑、シャールランテ将軍の名前に因むのだとか。シャールランテ将軍の恩義を子々孫々に伝えるための措置らしいです」
「ふぅん、そうなんだ。それでわたくしの名前もシャーリィなのね」
「なかなかの好漢でしたね」
「身体を清めて身なりを整えたらいい線いきそうだわ」
「確かに顔立ちは悪くなかったですね。髭を剃った顔を見てみたかったわ」
「私は髭があるほうが好みです」
「肝心なのは道具のほうよ。長い獄中生活で使い物にならなくなっていたら興醒めだし」
「あなたね、そういうのを皮算用というのよ」
班員たちもサキュバスだけあって刹那的な欲望に忠実なようだった。さっそく額を集めて品評会が行われている。リューネが注意した。
「ほらあなたたち、ここは敵地よ。気を引き締めなさい」
特別房の区画を後にし更に探索を進めていくと、拷問部屋を発見。絶叫が断続的に聞こえてくるので今まさに使用中らしい。覗き窓から中の様子を窺い顔を顰めるシャールランテ。
拷問を受けているのは十人の全裸の女。肩甲骨のあたりに生える退化した皮翼に細い尻尾。かつては美しかったであろう顔を恐怖と絶望に歪め、呻吟している。敷石の床には血溜まり。切断された指や耳、引っこ抜かれた歯や眼球が散乱していた。
若い班員が堪えきれず嘔吐。
「……これはひどい」
「同胞ですね。何人かは見知った顔です。ティル・ハース宮殿の女官たちでしょう。――シャル様、お待ちください。どうなさるおつもりですか」
切迫した制止。
「知れたこと。拷問官を皆殺しにしてあの者たちを助ける」
「あの出血、ヒーラーがいればともかく、ポーションだけでは無理です」
「……すまないわね。同胞を見殺しにすることはできないわ。助からないなら、せめて苦痛を終わらせてやりたいの」
「はぁ……致し方ありません」
魅了で恍惚となった拷問官たちを次々と斬り伏せる。拷問部屋の制圧は数秒で完了した。
直後、奥の鉄扉から真紅の槍を担いだ巨漢が現れた。筋骨隆々たる体つきにはそぐわない、しな垂れた仕草と舞台女優のような厚化粧。
「あらあら、性懲りもなくネズミが潜り込んだと聞いたけれど、なかなかの大物がいるわねぇ」
リューネが耳打ちしてきた。
「シュバル大将軍です。ご用心を」
「会いたかったわぁ、シャールランテ・フォルダリア」
「そうか。私は別に会いたくなかったが」
「うふふふふ。お馬鹿さんねぇ。処刑されるとも知らずにのこのこやってくるなんて」
大仰に溜息をつく。
「ベルズ十五世も物好きだな。このようなゲテモノを飼うとは」
シュバルの額に青筋が浮いた。煽り耐性は低いらしい。
「汚らわしい淫魔風情が……軽々しくアタシの陛下の御名を口にするんじゃないわよ! このアバズレが」
さり気なくシャールランテを守る位置取りをする班員たち。
「これはお仕置きが必要ねぇ。薄汚いネズミどもには勿体ないけれど、陛下から賜ったこのゲイ・ボルガの錆にしてあげるわ」
魅了を発動してシュバルの掣肘を試みる。
「無駄よぉ。この魔槍ゲイ・ボルガは、魔素の属性を中和して魔法構築を阻害する効果が付与されているの。行くわよ~」
シュバルが動いた。巨体に似合わぬ俊敏な動き。班員三名が瞬く間に胸を貫かれ、血を吐いて息絶えた。
「はぁ~気持ちイイ! 気分爽快! 男を誑かすサキュバスを駆除するのは最高に高揚するわ」
「ここは私が抑えます。シャル様は離脱を。リューネ殿、後を頼みます」
ネリーが斬りかかり、応戦するシュバル。
「あら、案外やるわねアナタ。うふふふふ、殺し甲斐があるわ~。キタキタ! みなぎってキタわ!」
「離しなさいリューネ! 三人がかりで殺るわよ。アレを排除しないと脱出は覚束ないわ」
「離しません! ネリーの覚悟を無下になさるおつもりですか」
「……」
血が滴るほど唇を噛みしめ、踵を返す。
「もうお帰りか、姫将軍。もてなしはこれからが佳境なのだが」
背後の出入り口を塞ぐ帝国兵の一団。その先頭に立つ短髪の女戦士。顔中に呪術めいたピアスを装着している。
「第六軍総司令、マルザーヌ大将軍……」
リューネが唸った。
「おもてなし痛み入るわ。亡国の公主一人に、帝国の大将軍が二人お出ましとは。すこし大仰じゃないの」
「うちの元帥閣下が貴殿を甚く買っていてな。これを聞きつけあそばされた大帝陛下が、是非会ってみたい生きたまま捕らえよと仰せだ。まったく無理難題を……宮仕えの苦衷、お察しいただけるとありがたい」
耳を劈く絶叫。振り返ると、ネリーが口から後頭部まで槍の穂先に貫かれ痙攣していた。無造作に放られ壁に激突。光を失いつつある目から涙が零れ落ち、動かなくなった。
「ちょっとマルザーヌ! アタシの獲物横取りしないでよ!」
「黙れ。勅命を忘れたのか、この狂犬め。――さて、姫将軍殿。物は相談だが、武器を捨て、投降いただけぬものか」
斃れたネリー他三名の班員たちに歩み寄り、跪いて死体を抱擁。
「姫将軍殿。御返答や如何に?」
「……武人の礼節をわきまえぬ者どもに降伏など論外ね」
嬉しそうに舌なめずりするシュバル。
「ほぅら御覧なさい。このアバズレ死に急いでるみたいだし、殺してやるのが慈悲ってものよ。首級にして陛下の御前に供しましょう」
「お主はすこし下がっていろ。――姫将軍殿。こうした真似は非常に不本意なのだが……」
配下の兵に顎をしゃくる。昏睡する幼女を抱きかかえた兵士が進み出た。幼女の喉元に剣を突き付けるマルザーヌ。
「ラミルターナ! おのれ、卑劣な……」
「もう一度だけ言う。武器を捨て、投降せよ。御息女を救う最後のチャンスと心得られたし」
激情が迸る目でしばしマルザーヌを睨みつけていたが、やがて力なく項垂れて剣を落とす。
「シャル様……」
「ごめんねリューネ。地獄まで付き合ってもらうわよ」
「はい。どこまでもお供いたします」
リューネもまた戦闘態勢を解き、シャールランテに倣って剣を捨てた。
「――殺すがいい。だが憶えておけ。私は悪霊となって必ずやゼラール帝国を地獄の業火につつんでやるぞ」
「拘束せよ。魔封じの手枷を使え」
「はッ」
マルザーヌの命令で帝国兵たちが動こうとしたその時。一人の少女がシャールランテを背後に庇うように佇んでいた。
(誰だ? いつの間に現れた? 気配を全く感じなかった)
「やれやれ、興醒めじゃの。大将軍の質も落ちたものじゃ。メーベルトのかつての同僚というから期待しておったが、このような下種では使い物にならんな」
金髪紅眼。齢の頃は十五歳前後か。同族の美女を見慣れたシャールランテでさえ、思わず見惚れるほどの美少女。
「……何者だ」
掠れる声で誰何するマルザーヌ。今までの余裕が雲散霧消し、明らかに緊張している。
少女が妖しく微笑んだ。
「死にゆく者が知る必要もあるまい」
「その娘も捕らえよ! 抵抗する場合は斬り捨ててかまわん」
少女から猛烈な妖気が漂いだす。彼女に襲いかかろうとしていた百人ほどの帝国兵が硬直。みるみるうちに色褪せ石灰の彫像のようなものに変貌。ほどなく崩れ去り、白い粉末の山となる。
いつの間に奪取したのか、少女の腕に抱かれるラミルターナ。少女は丁重にミルターナをシャールランテに手渡した。
「ほれ。そなたの娘御であろう。抱いてやるがよい。大丈夫、魔法で眠らされておるようじゃが怪我ひとつない。後ほど診てやろう」
「あ、ありがとうございます」
少女の抗いがたい威厳にうたれ、覚えず敬語になっていた。愕然とするシャールランテ。
(何なの、この娘は……)




