第91話 烈姫シャールランテ・フォルダリア3
欺瞞情報には事実を織り交ぜた方がより真実味が増すとシャールランテが主張し、流布させる物語が練られていった。妊娠出産の事実をなかったことにするのではなく、妊娠したものの死産してシャールランテ姫はいたく傷心であるというストーリーラインが構築され、矛盾点が露呈しないよう摺り合わせを入念に行った。
「水子の墓所か供養塔的なものがあったほうがいいかもしれないわね」
「そこまでする必要がありますか」
「必要よ。我が母ながら、総統陛下は猜疑心の強い御方だもの」
「僕が手配しましょう。架空の存在とはいえ、一応僕の子供のことですから」
エミルが買って出た。
「あたしも出立の準備をします」
「そうね。あまり長居して人目についてもまずい。しばしのお別れね。モルディスのこと頼んだわよ、コリーナ」
「は。この身に代えましても若君をお守りいたします」
赤子を愛し気に撫でるシャールランテ。
「ごめんね。あなたを守るためにはこうするしかないの。将来、精悍な若者に育ったあなたに再会する日を楽しみにしているわ」
しばらくたったある日のこと。連邦首都のラガル伯爵から早馬が来た。ラガル伯は連邦政府の重臣の中でもシャールランテに好意的で、何くれとなく情報提供をしてくれる人物だった。
ラガル伯からの書状を食い入るように読み返し、エミルに差し出す。
「拝読します」
「帝国で反乱勃発ですって。首謀者は第七軍のザイル大将軍。皇宮が炎上し、宰相ネイテール侯はじめ多数の貴族が殺害されたらしいわ。皇帝ベルズ十五世は行方不明とあるわね」
「大事件じゃないですか。国際情勢が大きく動きそうですね」
「日付によると三週間前の出来事みたいだけれど。続報が気になるわ」
「こちらからも人を出して情報を集めてみます」
ぽつりぽつりと続報が入ってきた。ベルズ十五世は近衛騎士の手引きで地下水路から脱出し、現在帝都郊外の古砦に立て籠っているようだ。
「女帝ミューズ以来三千年続いた中原の覇者も風前の灯火ね」
「世界征服を目論む迷惑な国はさっさと滅べばよいのです。ザイルという男が新しい国を建てるのでしょうか」
「いきなり新国家は反発が大きいから避けるんじゃない。大軍を擁するアルネやメーベルトが黙ってないと思うわ。ザイルという男はクラース皇子の外戚らしいから、ゼラール帝室の威光を最大限利用してアルネやメーベルトらの懐柔を図るはず。失敗した場合、中原は群雄割拠の乱世に突入ね」
反乱勃発の第一報から一月が経った頃。ザイルの乱が鎮圧されたとの情報が舞い込んできた。
「誤報ではないの? ザイル軍は二十万、皇帝軍は二千に満たない寡兵と聞いていたけど」
絶望的な戦力差をどうやって覆したのか興味深い。
複数の情報筋から断片的な話が上がってきて、徐々に当時の状況が浮かび上がってきた。
「一人の近衛騎士がザイル軍本陣に突貫し、ザイル軍の大半を道連れに自爆……まるで三流吟遊詩人が創った出来の悪い叙事詩ね」
「連邦政府お抱えの魔法使いたちは、何らかの大魔法が行使されたと分析しているようですが。事実なのでしょうか」
「私も魔法分野はあまり明るくないけど、眉唾物だと思うわ。二十万の軍隊を殲滅する大魔法? 噂に名高いリグラトの宮廷魔法士団長や魔法学院長にだってそんな真似は不可能でしょうに。おそらく魔法兵器の類いを使ったんじゃないかしら」
「それはそれで脅威ですね。――姫殿下、こちらの報告書を御覧ください」
エミルが一綴りの資料を手渡してきた。
「これは……件の近衛騎士に言及しているのね。我が国の諜報員は仕事熱心だこと。でも死者に関心はないわ」
「戦傷で左眼を失った女騎士と書いてあります。もしや、五年前にルーヤ山脈で遭遇した近衛騎士ではありませんか」
指摘を受けて興味が湧いた。
「なになに、名前はクッコロ・ネイテール。帝国宰相ファルトル・ネイテール侯爵の養女。享年二十三。肖像画が添付されてないから何とも言えないわね」
「若い隻眼の女騎士という特徴から確度は高いように思いましたが」
「いずれにせよこういう化け物じみた戦士が死んでくれたことは、連邦にとっての福音ね」
ザイルの乱の戦後処理と人心慰撫のため、アルネ元帥が帝都に呼び戻されたという情報が入った。彼の不在を狙って領土を奪還しようと、連邦軍は目下軍事作戦を展開中らしい。
「よせばいいのに。アルネの罠にはまって徒に兵馬を損耗するだけだと思うけど」
「同感です。アルネと対等に渡り合える将帥は姫殿下をおいて他におりません。連邦統帥府は一日も早く姫殿下の現役復帰を講ずるべきなのに」
「私はこのままずっと予備役がいいな。疲れるのよ、あの戦上手の相手は。会心の策を練っても悉く裏をかかれるし、入念に罠を張っても全て潰されて手玉に取られる……癪に障るったらありゃしない。同じ疲れるなら、床上手のあなた相手に乳繰り合っていたいわ」
「またそのようなお戯れを」
程なくして連邦軍が大敗を喫したという噂が流れてきた。連邦統帥府は躍起になって情報統制を敷いたようだが、戦死者がかなりの数にのぼり遺族の口に戸は立てられなかったもようだ。そして噂の伝播に寄与する商人たち。
「統帥府は商人たちの情報網を甘く見過ぎだわ。彼らも身代かけて戦ってるのだもの。舐めてかかったらしっぺ返し食らうの当然よ」
エミルが集計した主な戦死者リストを見て暗澹たる気分になる。サキュバス族随一の知将イザベル将軍や歴戦の猛将メルバート将軍などが討たれたようだ。
「兵はともかく前線指揮官が枯渇しつつあるわね。これは首都からの召喚も近いかしら」
シャールランテの予想通り、一ヶ月後ラハルトーレの使者としてドルティーバが下向してきた。
「姫殿下におかせられましてはご機嫌麗しゅう」
「麗しく見えるのか。死産の悲しみに打ちひしがれているのだが」
「まことに残念なことでありました。総統陛下におかれましても、お孫様との対面がかなわず痛惜に堪えぬご様子とお見受けいたします」
「出世したものだな、ドルティーバ卿。新参にもかかわらず母上の覚えがめでたいようで何よりだ」
総統ラハルトーレは気難しいことで知られ、頻繁に側近の首を挿げ替える。ドルティーバが数年間にわたり逆鱗に触れることなく伺候していることは稀有なことだった。
「浅学非才のこの身ですが、忝くも聖恩に浴しておりまする。――ところで親衛隊長のお姿が見当たりませんな」
警戒するシャールランテ。が、僅かな動揺も気取られる訳にはいかない。
「……コリーナは不忠行為があったので、罷免して暇を出した」
「なるほど。ケット・シーの性向は忘恩負義であると聞き及びます。放逐は賢明な御判断と存ずる」
「このような雑談をしに遥々来たのではあるまい。疾く用件を申せ。私は気分がすぐれぬ」
居ずまいを正すドルティーバ。
「首都へお戻りください、姫殿下。連邦三英雄のうち二人までもが討たれ、全軍に動揺が広がっております」
連邦三英雄とは、シャールランテ、イザベル、メルバートの三将軍を指す。九年前、第二次カルムリッテ会戦において帝国第四軍を撃滅し、モラト大将軍を敗死せしめたのがこの三将だった。連邦政府は国威発揚のためさかんに三英雄の武勲を喧伝したが、結果として帝国最強の第五軍を招き寄せることになったのだ。
瞑目して黙考。
「よかろう。準備をして一両日中に出立する。今少し惰眠を貪っていたかったが、連邦が滅びては元も子もないからな」
表面上ラハルトーレと和解したシャールランテは連邦軍総司令官に就任し、この後二十年にわたってゼラール帝国の名将アルネ元帥を相手に戦線を支え続けた。
この間大陸西方ではリグラト王国が降伏し、帝国に併合された。リグラト攻略に投入されていた第三軍や第六軍が東方戦線に加わり、帝国の圧力は格段に増すこととなる。
「帝国の連中は私の事を【姫将軍】だの【烈姫】だのと勇ましい通り名で呼ぶけれど、つまるところ情に脆い一人の女だったということね」
自嘲的な述懐。近頃のシャールランテは別人のように精彩を欠いていた。原因は明らかだった。長年彼女を補佐してきた副官エミル・ポルトが病床に伏したのだ。軍医の診立てでは、もう長くはないだろうとのこと。
「そんな心細そうな顔をなさいますな。美人が台無しですよ」
ベッドから枯れ枝のように痩せ衰えた腕を伸ばし、シャールランテの頬を撫でる。その手を掴んで頬ずり。
「あなた、髪に白いものが増えたわね。皴もこんなに深くなって。ついこないだまで眉目秀麗な青年だったのに」
「ついこないだとサキュバス族の感覚で仰せられましても」
エミルはシャールランテと同年代で五十歳前後のはずだが、病のためか実年齢よりかなり老け込んで見えた。
「姫殿下は出会った頃と少しも変わりませんね。十七歳と詐称しても通用しそうです」
「あなたの言う通り私はサキュバスだもの。この若さを維持したままあと何百年か生きるの。寿命が尽きる寸前、急激に老いさらばえて死ぬのよ」
「いつまでもあなたのお側にお仕えしていたかった。けれども僕は短命の人間。どう足掻いても先に逝くことになりそうです」
「私を一人残して逝くというの? 恋人の任務を放棄して? まだあなたを解任するつもりはないのだけれど」
苦笑するエミル。
「ならば恋人として最後の務めを果たし、任務に殉じましょう」
シャールランテの胸のふくらみを揉みしだく。戸惑うシャールランテ。
「ちょっと……ここでするの? さすがに体に障るわよ。本復したらいくらでも愛し合えるじゃない。今は安静にしていたほうがいいわ」
「自分の病状は心得ております。余命幾許もないことも」
「そういうこと言わないで」
「姫殿下は比類ない英雄で僕はごくありふれた凡夫ですが、誰よりも長くお側に仕えてきたのでよく分かる。貴女はとても孤独に弱い。人一倍寂しがり屋なのです」
「……エミルだから白状するけど、確かに否定はできないわね」
「大丈夫。秘密は墓場に持っていきますので。――そんな姫殿下に、孤独を紛らす僕の分身を残して逝きたいのです。全身全霊を込めた子種を貴女に注いで果てたい」
「……死ぬわよ」
「望むところです。腹上死は男の夢らしいですよ、姫殿下」
嘆息するシャールランテ。
「男って本当にしょうもない生き物ね。……痩せ衰えた今のあなたでは上手く出来ないでしょう。私が奉仕するわ」
「それは恐悦至極。いい冥途の土産になりそうです」
営みが終わって程なく、エミルは冥府へと旅立った。
「見事本懐を遂げたわね。末代までの語り草になるわよ、きっと」
横たわるエミルの瞼をそっと閉じてやる。
「お疲れ様エミル。ゆっくり休むといいわ。まったく、心を翻弄するのはサキュバス族の得意分野だってのに。よくもお株を奪ってくれたわね」
シャールランテの頬を伝うものがあった。それが汗なのか涙なのか、指摘する無粋な者はこの場に誰もいない。
シャールランテの懐妊が発覚したのはおよそ一月後のことだ。この時身籠った第二子が、フォルダリア家の系譜上シャールランテの第一子ということになった。名をラミルターナという。後年、カルマリウスの母となるのがこのラミルターナである。




