第89話 烈姫シャールランテ・フォルダリア1
「国土の東をゴルト・リーアに併呑され、西からは魔皇国軍が進出中。軍主力はカリューグ平野で壊滅。官僚機構は公都ブレンガル陥落で崩壊。それもう国家として詰んでいるんじゃないの」
冷徹に事実を告げるカルマリウス。項垂れるヘイルゼー。
「事ここに至っては逃れ得ぬ運命と、我ら一同腹を括っております。ポルト家は東方に隠れなき武門の家柄。せめて死に花を咲かせようと愚考した次第。栄光のフォルド連邦再興の尖兵となり、カルマリウス閣下の馬前に死すのが最後の望みにございます」
「ちょ……よからぬことを指嗾されているような気がするんだけど。私は魔皇陛下の忠実な臣下。フォルド再興などという大それた野心を懐いたことはないわ。同僚の前で誤解を招く物言いはやめてちょうだい。私の立場が悪くなるじゃないの」
「閣下がお仕えしたアルヴァント陛下は幽明境を異にし、現在魔皇は空位ではありませんか」
「アルヴァント陛下の遺児がおわすわ。御兄妹いずれかが遠くない将来戴冠することになるでしょう。それを守護し補佐するのが私の役目」
「東方には閣下の蹶起を待ち望む者が数多く雌伏しております。フォルダリア家の血の宿命からは逃れられませんぞ」
カルマリウスの双眸が鋭くなる。
「黙れ。これ以上妄言を弄するなら斬る」
張りつめた空気。グルファンがテーブルベルを鳴らして室外に控える警備兵を招じ入れた。
「ひとまず休憩にしよう。ヘイルゼー将軍を別室にお連れせよ。丁重におもてなしするように」
「やれやれ。ガルシアやグリードが今もこちらの陣営に属していたら、小躍りしてあんたを失脚させる策動を始める案件だな」
「焦ったわ、グルファンが同席しているのにあんな話題持ち出すなんて。離間の計略かしら」
「俺の事なんか眼中にないんじゃないの。というか追い詰められて視野狭窄に陥っているとしか」
肩を竦めるカルマリウス。
「次にクッコロが来た時、便乗してオータムリヴァに出向くわ」
「東征に関してはあんたに全権があるんだし、あんたの裁量で決定してもいいと思うけど」
「実を言うとポルト家ってうちの遠縁なのよね。後で痛くもない腹探られるのもなんだし、あなたの言い草じゃないけど策動の芽は摘んでおきたいわ。という訳で宰相閣下に相談してくる」
「へえ。あのおっさん親戚なんだ」
「もちろん初対面だし名前も初耳だけどね。うちのおばあ様の連れ合いがポルト家の出らしいわ。今の今まで忘れかけてた情報なんだけど」
「あんたの祖母ちゅうとシャールランテ将軍か。てことはお祖父さんの実家がポルト家ということか」
「サキュバスには父とか祖父って意識が希薄なのよ。うちの種族は完全な母系社会だから、子種の提供者程度の認識だわ」
「うわぁ、男には肩身の狭い社会だねぇ。あ、男は生まれないんだっけ」
カルマリウスは一瞬微妙な表情をしたが、特に何も言わなかった。
時を遡ること三百五十年余。秋川楓の前世、クッコロ・ネイテールが存命であった時代。リムリア大陸東方に一人の女傑がいた。
「調練を重ねたよい動きをする。あれが名将アルネ率いるゼラール帝国第五軍か。【剣聖】メーベルトの第二軍と双璧をなす精鋭という評判も頷けるわね」
「姫殿下、あまり身を乗り出されますな。敵の斥候に発見されますぞ」
「大丈夫よ」
ふと上空へ遠眼鏡を向けるシャールランテ。
「あの敵陣上空で飛び回ってるワイバーンは何かしら?」
副官エミル・ポルトが答える。
「ゼラール近衛騎士による直掩でしょうね。飛竜交感適性持ちを集めて組織された一騎当千の部隊と聞いております。文字通り単騎で一千人を屠り得る凄腕揃いだとか」
「ふぅん。危険な連中ね。それは優先的に殺さないと」
当時未だ航空優勢という概念は存在しなかったが、この天才はワイバーン騎兵の戦場における有用性――即ち敵対した場合の危険性を直感的に察知した。
シャールランテは付き従う幕僚たちを見回し、一人の男に目を留めた。
「そこの魔法使い。そなた、名は何と申す」
「は。新任の参謀ドルティーバと申します。姫殿下」
「ドルティーバに命ず。あの近衛騎士どもを排除したい。彼らの動向を探り、逐一報告せよ」
「御意」
かなりの犠牲を払いつつも、暗殺術に長けたケット・シー族の刺客やドルティーバ子飼いの毒刃衆なる毒殺専門集団を駆使し、ゼラール近衛騎士を闇討ちしていった。
(騎士に対して心苦しいけど、そうも言っていられないわね……)
是が非でもゼラール帝国にはここで痛撃を与えておきたい。さもなければ手に負えなくなるという予感があった。
「次の攻略目標はトルーゼン城だ。城将は必ず討ち取れ」
「トルーゼン城? 確かアルネ大将軍が拠るレグリーデ要塞の支城のひとつですな。戦略的にさほど重要ではありませんが」
首を傾げる諸将にシャールランテは言った。
「城将が邪魔なのよ。近衛騎士はこの戦域から一人残らず駆除したい。私が直接城攻めの指揮を執るわ」
辺鄙な小城に連日連夜猛攻を仕掛ける二万のフォルド連邦軍。それでも尚トルーゼン城に拠る二千のゼラール帝国軍は頑強に抵抗し、籠城戦は三ヶ月に及んだ。
業を煮やしたシャールランテはドワーフ族の鉱夫を動員して城の地下に坑道を掘り進め、ついに城門の占拠に成功。雪崩れ込むスレイプニル重装騎兵によって飢えた城兵は蹂躙され、城将一人を残すのみとなる。
「月並みな台詞で不本意だが、死にたい奴からかかってこい」
「敵は一人、臆するな。首級をあげて手柄にせよ」
「ござんなれ」
シャールランテの馬前で武勲を上げたいと功名心にかられた者が多数打ちかかったが、死体の山を増やすばかりだった。
「馬鹿な……奴は鬼神か」
「近衛騎士とて人の子。いずれは精魂尽き果てて倒れよう。休む暇を与えるな」
「待て」
シャールランテが制止し前に進み出た。白銀の甲冑を血に染めた城将に語りかける。
「私はシャールランテ・フォルダリアという。貴殿の名は?」
「これはこれは。フォルドの姫将軍殿でしたか。俺はナーヴィンと申します。家名はご容赦ください。実家とは色々ありましてね。末期に名乗りたい気分じゃないもんで」
「見事な武勇。褒めてつかわす。一騎当千の看板に誇張はないようだな。我が軍の屈強なスレイプニル騎兵を歯牙にもかけぬとは」
「俺は単純なので、美しい女性に褒められると舞い上がってしまいそうです。実は最近懸想していた娘に振られましてね。失恋の腹いせに、一人でも多くの敵兵を冥府へ道連れにしてやろうと息巻いていたのですよ」
「面白い男だ。殺すには惜しいな。私に仕える気はないか」
「……魅力的な提案ですがやめておきます。同僚におっかない女騎士がおりましてね。奴の敵にだけは回りたくない」
「そうか。残念だ。ところで私も些か腕に覚えがある。先ほどから貴殿の戦いぶりを見て血が滾ってな。我が剣にて冥府の門を開いてやろう」
ざわめく側近たち。
「殿下! なりません! 高貴な御身が、このような死にぞこないの匹夫の相手をなさるなど」
「戦士を侮辱する発言は控えよ。フォルド武人の見識が問われようぞ」
ナーヴィンが哄笑した。
「名だたる敵将と一騎打ちとは願ってもない事。出征前に武神の神殿に寄進した御利益でしょうかね。俺もどうせなら、むさい男に斬られるよりあなたのような美女に斬られて冥府に旅立ちたい。ま、手加減はしませんがね」
「手負いのくせに言うではないか。皆の者、手出し無用」
「俺の見立てでは、これくらいのハンディキャップで釣り合いが取れましょう」
「舐めるな!」
激烈な剣の応酬が始まった。互いに秘術の限りを尽くし、必殺の剣技をぶつけ合う。固唾をのんで死合いの行方を見守るフォルド連邦軍将兵。
拮抗するかに見えた一騎打ちだが、僅かな一瞬シャールランテの動きが鈍った。ナーヴィンの血飛沫を利用した目潰し攻撃を食らったのだ。畳みかける蹴撃を食らってよろめき、柄頭を狙いすました巧妙な打撃によって剣を取り落とす。
(志半ばだけど是非もないわね。これほどの戦士の手にかかるならば本懐)
「……何を躊躇している。斬れ」
「せっかくの大将首。取りたいのは山々なんですが、俺にはどうも女が斬れないみたいで」
「おのれ、私を愚弄するか」
言いさした時、魔力で編まれた黒い槍が凄まじい速さで飛来し、ナーヴィンの胸甲を貫いた。ゼラール近衛騎士の制式鎧は質感からしてミスリル製と思われたが、高魔法耐性もお構いなしで突破する威力だ。血を吐いて膝を付くナーヴィン。
「……どうやらお前と一杯やる機会はもうなさそうだ。帝国を頼むぞ、友よ」
遺言らしき言葉を呟き、事切れる。
「……」
「姫殿下。御無事で何よりです」
「そのほう、ドルティーバと申したか。何故手出しした。一騎打ちに横槍を入れるなど――私の名誉が汚辱に塗れてしまったではないか」
「おそれながら。下らぬ感傷と存じます」
「な……」
「あなた様は一介の騎士ではありません。いずれ連邦総統として国家を背負う御方です。ご自重いただかねば、強大なゼラール帝国の打倒など夢のまた夢に終わりますぞ」
新参の参謀ごときに反駁されるとは予想だにせず思考停止に陥る。権力者の不興を買えば微罪だろうが冤罪だろうが処刑される世界だ。
「歯に衣着せぬ物言いをする男だ。正鵠を射た意見だとは思うが、私の勘気をこうむることに恐れはないのか。私もさほど出来た人間ではないぞ」
そう言いつつ、既に感情を制御しているシャールランテ。
「儂はラハルトーレ陛下の直属となっております。が、姫殿下が目障りと仰せであれば、いつなりと致仕いたします」
「母上の直属とな? そのほうの目的は何だ」
「ゼラール帝国を滅ぼし、中原の帝都を灰燼に帰せしむことです」
「帝国に恨み骨髄という訳か。肉親を殺されでもしたのか?」
「当たらずと雖も遠からず、とでも申し上げておきましょう」
(この老人もかなり曲者ね。清濁併せ呑む度量がなければ連邦総統の後継者は務まらないか)
「……よかろう。引き続き参謀として侍ることを許す。私に意見があれば忌憚なく申すがいい」
トルーゼン城を引き払う際に命じる。
「敵将兵の骸は城内に埋葬せよ。城将の鎧は墓標として残してやれ」
「貴重なミスリル製の魔法鎧ですが」
「鹵獲はまかりならん。兵卒にも軍令を徹底させよ。これを以て勇士への餞とする」
後世トルーゼン城がアンデッドの巣窟になるなどとは夢にも思わぬシャールランテ。この時火葬を選択しなかったのは、近隣帝国軍への情報伝播に遅滞が生じるのを期待してのことだ。
カルムリッテ平原やルーヤ山脈一帯の村々から徴発を行うこととなり、シャールランテ麾下の軍団がこの任務に充てられた。トルーゼン城攻略の際、城将のゼラール近衛騎士と一騎打ちに及んだことが総統ラハルトーレの耳に入り、連邦統帥府で問題になったらしい。先陣から後詰めへと配置転換になり現在に至る訳だ。左遷というほどではないが、後方の雑務をこなして頭を冷やせという母の意向らしい。
「辺境の寒村ばかりなので、たいして物資は集まらないでしょうね」
副官エミルのにべもない指摘。
「帝国は中原から遥々遠征してきたのだもの。近隣の穀倉を空にして帝国方に兵站の負荷を強いる策だそうよ」
「所謂焦土作戦ですか。効果があるのでしょうか。中央平原の軍隊は、あまり占領地の略奪を嗜まぬと聞きましたが」
「敵将は百戦錬磨のアルネ。兵站の重要性など百も承知でしょうにね。ま、総司令部の参謀たちには彼等なりの考えがあるんでしょ」
エミルは幼馴染の学友で、気安く意見を述べ合える仲だった。自然、二人きりの時はシャールランテの口調も砕けたものとなっている。
「ナーヴィンは強かったわね。あの一騎打ちは私の負けだったわ」
「姫殿下が得手とされるのは弓と幻術。不得手な剣で近衛騎士といい勝負をしたのですから、誇ってしかるべきでは」
親衛隊長コリーナが指摘した。格闘術の腕を見込んで取り立てたケット・シーの少女だ。
「それを言うなら相手だってワイバーンに騎乗していなかったわ。ゼラール近衛騎士は総勢いかほどなの」
「百名ほどと聞いております」
「兵一千に相当する猛者が百人。その者どもを抑えるのに十万の大軍が必要になる訳だ。頭が痛くなるわね」
「加えてファルトル・ネイテール宰相、アルネ大将軍、メーベルト大将軍と文武の傑物が多士済々ですからね」
「我が連邦だけで帝国に当たるのは困難かもしれないわね。ゆくゆく西方のリグラトとの軍事同盟を真剣に考えなくては。母上に建議してみようかしら」
シャールランテは無自覚だったが、この当時こうした国際的な視野を持つ戦略家は稀有であった。
「リグラトも一枚岩ではないようですよ。国王改選のたび十二公家が血みどろの政争を繰り広げると書物に記されておりました」
エミルと戦略談義をしていたところ注進が入った。
「申し上げます! 敵斥候と思われる部隊と遭遇。交戦状態に入りました」
「敵の数、兵科は?」
「目測では五百ほど。装備から山岳猟兵と思われます」
「威力偵察にしては少ないな。グリフォン騎兵を飛ばして伏兵の有無を探れ」
「は」
ややあって続報。
「伏兵見当たらず」
「敵指揮官を視認。ゼラール近衛騎士のようです」
ほくそ笑むシャールランテ。
「小勢でのこのこ敵中深く分け入るとは粗忽者ね。好都合だわ。ここで討ち取るわよ。ナーヴィンのような手練れは減らしておくに限るわ」
エミルが眉を顰めた。
「一騎打ちはやめてくださいね」




