第88話 ブレン・ポルトからの使節
東方から中原へ腕のように伸びるブレン・ポルト公国領がリオール回廊と呼ばれている。この回廊の中央あたりにクッコロ魔法工務店施工による巨大要塞が出現して一月ほど経過した。あまりに短い工期での竣工に、事情を知らない旅人は蜃気楼か幻術の類いと噂しているらしい。
この要塞は奇を衒うこともなくリオール城と命名された。東進してきた魔将カルマリウスの軍団が陸続と入城し、現在リオール城に駐屯する魔皇国軍は五万人に達する。東方にルーツを持つサキュバス族には軽騎兵が多く、軍馬もかなりの数に上った。
これらの人馬は日々膨大な物資を消費する。水や食糧、武具に馬具は言わずもがな、被服、燃料、医薬品、文具、工具、家具、嗜好品など、軍需物資はありとあらゆる日用品に及んだ。
「兵舎も厩舎も足りん。城外の道普請は後回しにして、こちらに工兵と資材を回せ!」
「木材も石材も足りませんが」
「その辺の山で調達してこい!」
魔将グルファンは現在多忙を極めている。
魔皇国軍人は一般に前線志向が強く、後方の要職を軽視する傾向があった。憲兵総監と教練総監はかつてオーク族のガルシアが兼務していたが、現在は空席。グルファンに至っては、主計総監、工兵総監、造兵廠総監、軍医総監の四長官を兼務している。グルファンの手腕が抜きん出ており、余人をもって代えがたいのが大きな理由だ。彼を抜擢した先皇アルヴァントの慧眼は、おそらく後世で顕彰されることだろう。
ホブゴブリンの軍政官たちが書類片手に右往左往するさなか、カルマリウスが着陣の挨拶にやってきた。
「お疲れ様、グルファン」
「予定よりだいぶ早いね。受け入れ態勢がまだ整ってないよ」
「レグリーデ要塞跡地に集結して野営してたんだけどね。クッコロが来て、魔法で軍団ごと転移してくれたの」
「ああ、なるほど……」
遠い目をするグルファン。
「十日はかかる行程が一瞬だったわ。でたらめすぎて空恐ろしくなるわね。あれが味方のうちはいいけれど、敵に回ったらと思うと……」
「魔将ちゅう商売柄、どうしても最悪の事態を想定して兵棋演習やるからね。俺たちは」
「それにしても大きい城ね。城内で野戦演習できるんじゃないの?」
「測量の資料見て驚いたよ。レグリーデ要塞の十倍以上あるね、敷地面積」
「あの娘馬鹿じゃないの。広すぎて守りづらいわ」
「そう言ってやるなよ。オータムリヴァの城壁と同規模って発注したのこっちだし」
「リスナルの外廓内廓皇城みたいに三重城壁にしたら?」
「それもありだな。今すぐは無理だけど、余裕が出来たらおいおい手を入れるよ」
「ま、東方諸国を威嚇する効果はありそうだから、精々有効活用させてもらうわ」
「リオール城見たら大概の人間はおっ魂消るだろうね。短期間でこの巨城を拵える魔皇国の技術力や財力侮りがたしとか勝手に警戒してくれる訳だ」
「築城経費なんてほとんどかかってないでしょうに。精々クッコロの弁当代くらいでしょ」
一頻り情報交換したところで辞去しようと席を立つカルマリウス。
「あなたも忙しいでしょうから私はこれで失礼するわ。あまり根を詰めないでね」
「根を詰めるなと言われてもな。誰か俺が寝てる間に仕事やっつけてくれないもんかね」
「あなたに代わり得る人材が見当たらないのは我が軍の弱点ね。老婆心ながら、早めに後継者の育成に着手したほうがいいわよ。私老婆じゃないけどね」
「あんたも人の事は言えないだろ」
「うちにはマルセラスとリューゼルがいるから大丈夫。仮に私が戦場で斃れることがあっても、なんとかやっていくでしょ」
「そう安易に考えてるのはあんただけだと思うぞ」
「なんなら夜の癒し要員出そうか? いつでも声かけてね。うちはいい娘揃ってるわよ」
「後継者の育成ってそこからかい! 魔将ともあろう者がそんな置屋の女将みたいな……そういやあんたはサキュバス族長だったな。族長命令で俺みたいな不細工の相手させられる娘が気の毒だろ」
「何を卑下しているのか意味不明だわ。グルファンみたいに有能な男の子種を欲しがる娘は多いと思うわよ。ご存知の通り、うちの種族は女しかいないからね。子孫を残すためには他種族の男から子種をもらわないといけないのよ」
「前から思ってたけど難儀な種族特性だよな。絶滅の危険と背中合わせじゃないか、それ」
「そうかしら。多様性を取り込んで種の生存確率を上げるという一点で、なかなか理に適った戦略だと思うけど」
「肝心のあんたが恋愛に無頓着らしいじゃないか。リューゼルさんが嘆いてたぞ。うちの将軍閣下は色気より食気で困ったものですってな」
「失礼ね。私だって意中の男くらいいるんですけど」
「口が滑って重要機密が漏れておりますぞ、将軍。戦争の駆け引きはお手の物でも、斯道は初心者のようだね」
「こんなご時世だもの。腰を据えて取り組めていないのよ。彼のことを色々聞きだそうにも、小生意気な姉がお茶を濁して妨害するし」
「もう恋路の邪魔もできないだろ。ロゼル将軍は亡くなったし」
怪訝そうなカルマリウス。
「何故ここでロゼルが出てくるの?」
「あれ? マルフィード君と進展したんじゃないの? 彼、あんたに気があるように見えたんだが」
「ふーん、そうなんだ」
(めげるなよ、マルフィード君。攻略目標は難攻不落だぞ)
心の中でハルピュイア族の僚友を激励するグルファン。
カルマリウス軍入城から三日後のこと。偵察中の小隊が、白旗を掲げたブレン・ポルト公国の使者を伴って帰還した。
「俺は忙しいっちゅうに。まぁ追い返す訳にもいかんか。誰か手隙の部将に応対させとけ」
「使者はブレン・ポルト公国将軍を名乗っておりますが」
ならば国際儀礼上カウンターパートのグルファンかカルマリウスが応対するべきか。ただ相手は魔皇国の内訌に乗じて卑劣な奇襲を仕掛けてきた交戦国。そこまで配慮する謂れはないのかもしれない。
「どうしたもんかな」
本来手順を踏むべき次官級協議をすっ飛ばし、将軍位にある者が直々にやってきたことがひっかかる。
「仕方ない。誰かカルマリウス将軍を呼んでこい。いや、俺が行って話した方が早いな」
突貫工事で仕上げた魔将専用宿舎を訪れるともぬけの殻。カルマリウス付きの従卒が残って掃除をしていたので問い質す。
「おい君。カルマリウス将軍はどちらにおいでか」
「は。兵舎に収容しきれない兵士が多数おりまして、将軍閣下はその者たちと野営を共にされております」
「彼女らしいな」
(こうやって寄り添う姿勢を示すことで兵の心を掌握していくんだろうな)
実際カルマリウス麾下軍団の結束は固い。カルマリウスのためならば死をも厭わぬ兵士も多いと聞く。
「何をやってるんだ、あんたは」
「見ての通りよ。畑を耕しているんだけど。実は最近野良仕事にはまっててね」
鍬を振るう手を止め、額の汗を拭うカルマリウス。端麗な美貌が泥塗れだ。部下が差し出した水筒を呷る。
「食卓を彩る新鮮な野菜が欲しくなったの。幾許でも兵糧の足しになるかと思って。まぁ収穫はずっと先になるけどね。いい野菜採れたらお裾分けするわ。――あ、建材の端材とか大鋸屑分けてもらったわよ」
大鋸屑は堆肥の材料になるのだという。未完塾だと却って作物の生育障害を引き起こすらしいが。ドヤ顔で蘊蓄を披露するカルマリウスを胡乱そうに見つめる。
「食通とは聞いてたけど、栽培から拘るんだね」
「実益を兼ねた趣味ね」
「天下の魔将が農民の真似事か……まぁ城内の遊休地なんて腐るほどあるから別に構わないけどさ」
グルファンは知る由もなかったが、カルマリウスが以前出会った命の恩人に触発されてのことだ。ガイルンの谷から転移で迷い込んだ摩訶不思議な里に隠れ住む、古の英雄アルネ元帥を名乗る農夫。あの謎めいた老人は今も達者でいるのだろうか。
「辺境駐屯の軍歴が長いせいか、うちの皆は開墾も得意なのよ。私もやり始めて気付いたけど、けっこう体の鍛錬になるのよこれ。グルファンも一緒に汗かかない? 書類仕事ばかりじゃ気が滅入るわよ」
「俺はいいよ。それよりお客さんだ。ブレン・ポルトから使者が来た。向こうさんそれなりの高官みたいだから、会見に同席してくれないか」
真新しい城館の客間。グルファンが入室しても使者は鼻にもひっかけない尊大な様子で座ったまま。が、次いで入室したカルマリウスを見るなり態度が一変。あたかも主君に拝謁する臣下のように平伏した。
「お初にお目にかかります。それがしはブレン・ポルト公国スレイプニル第二騎士団を預かるヘイルゼー・ポルトと申します。御覧の通り武骨者にて交渉事は不慣れ故、不調法の段あらば御寛恕を賜りたい。現在我が国では外交に携わる者が払底しておりましてな」
第一印象からして生粋の武人で、腹芸の得意なタイプではなさそうだ。そもそも人材枯渇を迂闊にも吐露するなど、専門教育を受けた外交官ならばありえない凡ミスだが。
(国の窮状をさらけ出すことに意味があるのか? 俺とカルマリウス将軍で露骨に態度が違うのも解せん。何か高度な情報戦が始まっているのか? うーむ……分からん。この場はカルマリウス将軍に任せるか)
グルファンの目配せに頷くカルマリウス。
「ご丁寧に痛み入る。私は魔将カルマリウス・フォルダリア。魔皇国東征軍の総司令官を務めている。ヘイルゼー殿、まずはお掛けください」
「は。失礼いたします」
(やたら遜ってるな、このおっさん)
「早速で恐縮だが、ご来訪の趣旨を伺いたい。我等も暇ではないのでね」
「さようですな。それがしも駆け引きなど不得手ですので単刀直入に申し上げます。我がブレン・ポルト公国はカルマリウス・フォルダリア閣下の軍門に降る事を申し入れたい」
この返答にはさしものカルマリウスも戸惑い気味だ。カルマリウスが押し黙ってしまったのでグルファンが問う。
「それは貴国――ブレン・ポルト公国が魔皇国に降伏するという理解でよろしいかな?」
途端に目くじら立てるヘイルゼー。
「控えよ下郎。将軍同士の話し合いに容喙するとは何事か。分を弁えよ」
(こりゃわざとっぽいな。会見の席に着いてる時点で俺の身分くらい百も承知だろうに)
ゴブリン族を忌み嫌う人間は多いと聞く。外交の席でこの態度はいただけないが、相手の心底さえ分かればあしらいようもあると気を取り直した。
「ヘイルゼー殿。彼は私と同格の魔将で、このリオール城の主将たるグルファンだ」
カルマリウスが取り成したので、ここは便乗しておく。
「えー申し遅れましたがグルファンです。いちおう魔将の末席に連なっております」
「……それは失敬。てっきりカルマリウス閣下の秘書官かとばかり」
「誤解があるようなので今一度闡明いたす。我がブレン・ポルト公国はカルマリウス・フォルダリア閣下を主君と仰ぎ、忠誠をお誓い申し上げたいと存ずる。元々我が国の国主を務める二つの一族――ブレン家とポルト家は、旧フォルド総統フォルダリア家の家臣だったのです。言うなれば元の鞘に収まりたいということですな」
「どうお返事してよいものやら……」
「先の国主シルヴァネス・ブレンは中原制覇の野心に駆られ、あろうことかカルマリウス様の軍勢に弓引く愚行を犯しました。げに不忠の極みにて敗死もやむなしでございます」
(シルヴァネスを糾弾するということは、ブレン家とポルト家の力関係が逆転したってことか?)
ここ何代かのブレン・ポルト公はブレン家出身であり、外務省の報告書でも政権交代の兆しは見られないという評価だったはずだ。
カルマリウスが訊いた。
「率直に伺うが、現在の貴国の国主はどなたなのか?」
「不肖の甥クライド・ポルトが暫定的にブレン・ポルト公を承継いたし、それがしが後見役を務めております」
「我々は、故シルヴァネス殿の御子息が公爵位を世襲したとの情報を得ていたのだが」
訥々と語るヘイルゼー。
「過日ゴルト・リーア大公国の侵攻により、公都ブレンガルが陥落……ブレン家の者は一人も余さず捕縛され、女子供に至るまで斬首されました。現状国土の東半分を彼奴らに併呑されております」
「なんですと?」




