第87話 十二柱神殿とゼラール帝国
「まぁリカルドのことはどうでもいいよ。呪詛の解除法についてだったね」
「はい」
「術者の魔力が呪詛の対象者の魔力を凌駕してないとレジストされるから、クッコロに呪詛をかけられる存在は殆どいないと思うけど。誰か知り合いの解呪?」
「ええ。魔法学院の同級生なんですけど」
「ああ、魔法学院に入学したんだったね。ジルタークの消息は掴めたの?」
「今のところさっぱりで。ライセルトさんは心当たりありませんか」
「こっちが訊きたいくらいだよ。ここ何百年かでジルタークの決裁が必要な案件が山積しているのに。念話が通らないから、たぶん亜空間か絶対結界の中にひきこもってるよ。研究に没頭しているか魔力涵養のために休眠中か……大方そんなところじゃない?」
「リカルドさんもそうですけど、ギルメンの皆さん自由奔放ですよね」
「うちは皆時間にルーズなんだよ。何千年何万年と生きてるような連中だから、どいつもこいつも時間の感覚が麻痺してるしね」
「あたしもそんな長生きすることになるんでしょうか」
「たぶんね」
「うへぇ」
果てしなく続く老後を想像してげんなりする。ライセルトが横道に逸れた話題を軌道修正。
「話を戻そう。アカシックレコードを検索すれば解呪魔法があったはずだよ。ただうちのギルドメンバーやギルド従者に最適化された魔法の編み方だから、下界の人間には使えないだろうね。無理に使うと、おそらく精神が崩壊して廃人になるよ」
「どうしてリュストガルトの人には使えないんでしょう?」
「単純に魔力量の問題だね。私たちに比べて彼らの魔力回路の許容量が小さすぎるんだよ」
(シャーリィさん、魔法学院の首席合格者だったよね。そこそこ潜在魔力あるみたいだし、なんとかならないかな……いや、無理か。比較対象が観星ギルド関係者じゃな。となると、その解呪魔法とやらカスタマイズしたほう手っ取り早いか)
「解呪魔法をリュストガルトの一般人向けに最適化することってできます?」
「一朝一夕にはいかないだろうけれど、たっぷり時間をかければ可能かな。より安全な魔法を求めるなら、被験体もたっぷり必要だよ」
「被験体ですか……その辺は魔法の暗部ですね。実際、人命とか道義より魔法の探究優先する魔法使い多そうだし」
「倫理綱領とか策定する業界団体もないしね」
「魔法ギルドがあるじゃないですか」
鼻先で嗤うライセルト。
「言っちゃ悪いけど、あれは冒険者ギルドに吸収された残滓だよ。真に力ある魔法使いは一匹狼が多いよ。群れるのを嫌うからね」
「じゃあ観星ギルドは例外中の例外ですね。あたし以外の全員が伝説的な大魔法使いじゃないですか。まぁまだ知らない面子もいるけど。よくもまぁこれだけの秘密結社を発足させましたね」
「龍神という共通の敵がいたからね。結束せざるを得なかったのさ」
「より現実的な提案をさせてもらうと、十二柱神殿の高位神官に依頼するのがいいよ。呪詛の解除とか、彼等にとってはお誂え向きのメシの種だし」
「メシの種って……身も蓋もないっすね」
「十二柱神殿も幾星霜を閲していい感じに世俗の垢に塗れてきたからね。ここから見物してるぶんには面白いけど、設立に携わった身としては色々言いたいこともあるんだよ」
「え? 設立に携わったって?」
「ああ、クッコロは若いから知らないか。十二柱教団はうちのギルドで立ち上げたんだよ。龍神教に対抗するために、適当な神話と教義をでっち上げてね」
「えぇ……衝撃の事実なんですけど」
「教祖はヴァレル爺さんてことになってるよ。計画の発案者に面倒事を押し付けたとも言うけどね。――思い出してごらん。ヴァレルの爺さん聖職者の白ローブ纏ってたでしょ?」
「そういえば……」
「聞いたことない? 十二柱神殿初代大神官ヴァレリー」
「あー聞いたことあるかも」
前世の幼年学校時代、歴史講義で学んだ気がする。
「教団の堕落ぶりが腹に据えかねたのか、よく歴代大神官の枕辺に立って小言を言ってたな、ヴァレル爺さん。その小言が神託と勘違いされてたから笑えるよ」
含み笑いをもらすライセルト。
「昔は龍神たちを崇める龍神教がリュストガルトの最大宗教だったんだよ。私たち観星ギルドにとってこれはとても都合が悪かった。宗教は侮れないからね。信者個々の力は微々たるものでも、信仰はそれを束ねて巨大な力を生むことがある」
「分かる気がします」
「龍神教は太古からの老舗宗教でね。民衆の間に盤石の支持基盤があった。あれこれ手を尽くして十二柱教の浸透を図ったけど、胡散臭い新興宗教に入信しようという物好きは少数派だったよ」
「さもありなんですね」
「ついでに教えるけど、この状況を打開するべくミューズがゼラール帝国を建てたのさ。布教計画を側面支援する目的でね。十二柱教を国教に指定して、各地にせっせと神殿を建立してたよ」
「……ゼラール帝国にまさかそんな建国秘話があったなんて」
「今は昔だよ。宗教対決も趨勢が決した感じだしね。なにせ龍神教徒が帰依する七体の龍神たちには、世界から消えてもらったしね」
(可愛いなりしててもやっぱ怖いな。怒らせないよう気を付けないと)
「そんな訳で十二柱神殿揺籃期には見習い神官たち集めて研修会を重ね、聖職者っぽい魔法いろいろ伝授したのよ。治癒とか解呪とか予知とかね。私たちはもう教団から手を引いたけど、三千年間で彼等なりに回復系魔法発展させたんじゃない? 少なくとも呪詛の分野に限れば、うちより知見を集積してるはずだよ」
「ふむ。神殿に潜入して調べてみようかな」
「必要ならヴァレル爺さんに頼んで御神託を呟いてもらうよ。おっと、ヴァレル爺さん当直明けで爆睡中か」
木の香かぐわしい新築の館。窓からは建設中の街の様子を展望できる。オーク兵監督の下、手枷足枷を嵌められた数多くの奴隷たちが土木工事に従事していた。倒れた奴隷には容赦なく鞭の折檻が降りそそぐ。
女奴隷の劈くような悲鳴が聞こえ、バルナスは眉を顰めた。老若男女の区別なく重労働を課しているようだ。
(ち、胸糞悪ィとこだぜ)
ここは旧ラーシャント侯爵領の中心都市ガルムカント。遠くない将来リスナルから政府機能が移管され、ラーシャント朝オーク帝国の帝都となるらしい。目下ガルムカント全域で、奴隷を平然と使い潰す突貫工事が進められていた。
「待たせてすまん」
講堂に三人の人物が入って来た。冒頭謝罪を述べるあたり、幾許かの配慮はあるようだ。
「初見の者もいるようなので、まずは名乗らせてもらう。私はリスナル冒険者ギルドのギルドマスターを務めるティゴットという。よしなに頼む。こちらにおわすはオーク帝国軍の重鎮グレッサー将軍閣下。閣下のお隣が帝国魔法顧問リーガント殿であられる」
(ギルマスの野郎、噂通りオーク族とズブズブって訳だ。あれがオーク皇帝ガルシアの片腕グレッサー将軍か。オーク軍が種族ごとハイオークに進化したって話、眉唾だと思ってたが……どうやら真実みてえだな。以前と潜在魔力がダンチじゃねえか)
グレッサーからリーガントへ視線を移す。前王朝アルヴァント魔皇国の憲兵隊長としてグレッサーは皇都民にもそれなりに認知されていたが、この魔法顧問は初めて見る顔だ。怖気が走る。すぐに視線を逸らした。
(こいつぁやべえ)
「経験豊富な諸君の事だ。既に察しているかもしれないが、特別指名依頼の為リスナル近隣に滞在中の二つ名持ち各位に御足労いただいた。まずは召喚に応じてくれたことを感謝する」
(道理で見覚えのあるツラが多いと思ったぜ。後ろの禿は確かリグラトの【狂槍】。向こうの総髪野郎はロンバールの【血鎖】か。極めつけに【殲滅人形】がいやがる。頼むからここで暴れ出さんでくれよ……)
西方最強の呼び声も高い神金級冒険者【殲滅人形】は、一見したところ可憐な少女だった。だが、その潜在魔力は明らかに別格だ。
(ラディーグの爺さんとメルダリアはいねえな。中原からとんずらしたか。メルダリアの奴、危険察知の嗅覚にゃ定評あったしな。まぁ賢明な判断てとこか。こりゃあ俺としたことがしくったかもな)
「これだけの面子を揃えるたぁどんなヤバい仕事なんだよ。場合によっちゃ俺ぁ降ろさせてもらうぞ」
巨漢の冒険者が発言した。業界通のバルナスも知らない男だったが、この場に呼ばれているということはどこぞの二つ名持ちなのだろう。
「今から説明する。冒険者諸君に例の資料を配布しろ」
ティゴットがギルド職員を促す。配布された資料の表紙には『極秘』の文字が押印されていた。頁を捲ってみると幾人かの姿絵が描かれていた。
「そこに描かれている姿絵は、諸君らに討伐してもらいたい標的どもの近影だ。遠見の鏡という魔法具に映した標的の姿を、肖像画家に模写させたものだ」
「ざっと目を通してみた……覚書にある標的とやらの名前は、旧魔皇国の将軍たちだと記憶しているが?」
頷くティゴット。
「指摘の通りだ」
「ならばお門違いな依頼だ。冒険者は政治的な紛争には関与しない。暗殺者を御所望ならアサシンギルドへの発注をお奨めする」
「誤解があるようだ。確かにこの者たちは魔皇国の残党だが、今や魔皇国などという国家は存在しない。彼等は山賊や海賊と同類の無頼の徒である。否、ダンジョンに巣食うゴブリンやコボルトと選ぶところのない野良魔族だ。当然、市民権はおろか如何なる法の庇護も存在しない。彼等を煮ようが焼こうが罪に問われることはない。逆に彼等を駆除することこそが、冒険者の責務ではないだろうか」
「牽強付会に過ぎるってもんだろ……」
だが食指を動かす者も出てくる。この場に集うのは高潔な騎士などではなく、荒事を生業とする戦闘狂の冒険者なのだ。
「ひっひっひっ、名うての魔将ども相手に殺し合いか。面白そうじゃねえか」
「クククク――当代屈指の驍勇と噂のカルマリウスやルディートとは、一度剣を交えてみたかったんだ。腕が鳴るぜ」
一人の冒険者が挙手。
「この最後の頁にある覆面の者は、何という魔族なんだ? 姿絵では人間の小娘に見えるが」
「その者は魔将でこそないが、魔皇アルヴァント晩年の寵臣で、今回の討伐依頼リストの最重要目標だ。種族は不明だが、人間でないことだけは確かだ。魔皇の腹心であったことを勘案し、尚且つ覆面を常用し日光を忌避しているところから、我々はヴァンパイア族ではないかと推測している。名は資料にある通りクッコロ・メイプルという」
「こ奴がクッコロ・メイプル……カリューグ平野で大魔法を行使し、ブレン・ポルト公国軍とバルシャーク侯国軍を鏖殺したという魔神娘か」
「なるほど。確かに人間ではありえんな。姿絵からも禍々しい妖気が伝わってくるようだ」
我が意を得たりとほくそ笑むティゴット。
「諸君。クッコロ・メイプルの首級を上げた者は莫大な報酬に加え、立身出世も思いのままだぞ」
(け、豚どもの国の爵位なんざ願い下げだ。魔法一発で数十万人の軍隊を消し飛ばす化け物相手に、俺たち人間にどうしろってんだ。こりゃあ土壇場でブッチ確定だな)
ふと妙な気配を感じ、講堂前方に陣取る浅葱色の髪の少女を盗み見るバルナス。関心のなさそうな無表情で資料を捲っていた【殲滅人形】がある頁で手を止め、食い入るように姿絵を凝視している。あるかなきかのアルカイックスマイル。
(そういやここにもいたな、一人で軍隊を殲滅できそうな怪物が。ま、怪物は怪物同士で殺し合ってくれよ)
オータムリヴァ島仮設領主館の執務室。
「へっぶしっ! へ……へ、へぶしっ!」
盛大なくしゃみを連発する魔法相。
「クッコロ様、お風邪を召されましたか?」
当番のケット・シー族メイドが洗濯したての手巾を差し出してきた。
「誰かあたしの噂してるんだよ」
「あら、フフフ――どこの殿方でしょうねぇ」
「あたしの故郷の言い伝えだと、くしゃみ二回は悪い噂らしいよ。くしゃみ三回が恋の噂だったっけな」
「あれま」




