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第85話 天秤傾きて


「あの……リセール卿」

「えっと、僕ですか?」

 振り返るとクラスメイトの令嬢が立っていた。名前はよく思い出せない。

「リセール卿なんて呼ばれたの初めてなんで誰の事かと思いましたよ」

 首を傾げるクラスメイト令嬢。

「家名をお持ちと言う事は、爵位持ちの家人か子孫なのでしょう?」

「うーん、一応そういうことになるのかなぁ」

 学院では吹聴していなかったはずだが、ノルトヴァール伯クッコロ・メイプルの弟という設定を捏造したので、あながち間違いではないだろう。

「それで、どういった御用件でしょう?」

 頬を染めて逡巡する様子のクラスメイト令嬢。

「先日は試練の塔で危ないところを助けていただきました。これを……文を認めましたので、後でお読みくださいませ」

 手紙を押し付けてそそくさと立ち去る令嬢。呆然と見送るウェルス。背後から声をかけられた。

「恋文とはまた古風ね」

「マリエッタ様。見ていらしたんですか」

「ウェルス君おもてになるのね。結構だこと」

 女子にもてはやされても困惑でしかない。ウェルス・リセールの中の人は女子なのだ。

(かと言って男子にモテるのも微妙な心境な訳だけど)

「こないだの試練の塔の授業で彼女の危地を救ったらしいです。所謂吊り橋効果ってやつですよ、きっと」

「吊り橋効果って何?」

「いえ僕も詳しくは知らないんですが、恐怖に起因する緊張感を恋愛感情と誤認することがあるらしいですよ」

「ふぅん、お国の格言なのかしら? 興味深い説だわ。あの子はネスティア子爵家の娘ね」

「そうなんですか?」

「お気の毒に。勇気を振り絞って告白を敢行したのだもの。名前くらいは憶えてさしあげなさいな」

「まだ告白と決まったわけでは……ひょっとしたら果たし状の類いかもしれませんよ」

「完全に否定できないところが君ならではね。噂は聞いているわよ。マルトラータ・モルディナ様と混沌の天秤を行うんですって?」

「さすがお耳が早いですね」

「彼女は強いわよ。十二歳の頃魔術士(ウィザード)に開闢した才媛で、次期リグラト国王の有力候補でもあるわ」

「うへぇやだな、そんな人と決闘するの。負けたら退学だし、勝てば勝ったで角が立ちそう」

「君に退学されては困るわ。シャーリィが嘆くもの。ということで勝ちにいきなさい」

「いいんですか? 平民で外国人の僕に肩入れしたら外聞が悪いんじゃ?」

「構わなくてよ。モルディナ家はわたくしたちサルーク閥の政敵ですもの」

「魔法学院の中でもそういうのあるんですねぇ、やっぱ」

「名目上世界に門戸を開いているとはいえ、地元貴族の子弟が在学生の多数派を占めるもの。果然生徒たちの人間模様はリグラト宮廷の縮図になるわ」

「なるへそ」

「マルトラータ様は才能豊かな方ではあるのだけれど、あの通り高慢なところがおありでね。社交界の評判は毀誉褒貶相半ばといったところかしら」

「貴族の方にありがちですね」

「君もはっきり言うわね。まぁそんな訳で、一度鼻っ柱をへし折られるのもあの方のためになると思うのよ。ウェルス君、期待しているわよ」

 ライバルの失点を企図してのものだろうか。この伯爵令嬢もなかなかに腹黒のようだ。


「ところで、今日授業が終わってからシャーリィの見舞いに行くのだけれど。君も来る?」

 マリエッタから思いがけない誘い。

「高貴な方の病褥に僕みたいなのがのこのこお邪魔したらまずいのでは」

 先日はウェルスの見舞いを渋っていたような気がする。どういう心境の変化だろう。

「ひどい怪我のせいか、彼女すっかりふさぎ込んでしまって。シャーリィには是が非でも立ち直ってもらわなくては困るの。お気に入りのウェルス君に会えば、少しは彼女の気鬱も晴れるのではないかと思ってね」

 シャーリィの家名を冠しているくらいだから、サルーク閥とやらの旗頭はシャーリィなのだろう。さしずめマリエッタは参謀格といったところか。

(そりゃトップ不在は困るだろうねぇ)

 お家事情最優先なところがなんとも貴族らしいと言えばらしい。それでも友人シャーリィ・サルークを心配する気持ちもまた確かに存在するのだろう。マリエッタの瞳は真摯な光を湛えていた。

「そういうことならお供します」

「では放課後わたくしのところへいらして下さいな」



(午後の魔法実技は休講で自習だっけ)

 講師のホーエン・ラーヴィルが試練の塔事故の監督責任を問われて謹慎中らしい。いかな治外法権の魔法学院とはいえ、公爵令嬢の負傷は隠蔽しえない不祥事なのだろう。

(大図書館でも覘いてみるか。まだ行ったことないし)

 青の月(アグネート)の魔法図書館は別格としても、魔法学院大図書館は世界有数の蔵書数を誇ると聞いた。

(アグネートみたいに検索機能あればいいんだけど。まぁ司書さんに訊けばいいか)

 以前魔皇宮殿の図書室を利用した時、本が分類されることなく乱雑に収蔵されていて、目当ての書物を探し出すのに難渋したことがある。

(アルちゃんとこの図書室がこの世界のデフォってことはないだろうけど。本に魔法でタグ刻字したら魔力波走査で検索かけられて便利なのにな)


 午後の講義の時間帯ということもあって大図書館は閑散としている。

 入館の際ウェルスが学生徽章を付けていなかったことから衛士と一悶着あった。貴重な魔術書(グリモア)魔律書(ガルドラボーク)が多数収蔵されており、警備が厳重なのだそうだ。

「実は斯々然々で、三年生の先輩と徽章を交換中でして」

「今年の新入生は豪胆だな。入学早々上級生に混沌の天秤を挑むとは」

「先輩から申し込まれたんですけどね」

「そういえばさっきも徽章落ちの入館者がいたよ。近頃の生徒は武闘派揃いなんだな」

 詰所で書類の頁を捲りつつ衛士が語った。

「へぇ。混沌の天秤って流行ってるんですかね」

 そういう殺伐とした風潮は御免こうむりたいのだが。

「一年二組ウェルス・リセール君――名簿を確認した。入館していいぞ。利用規約の説明は必要かね」

「いえ。手引書にざっと目を通しましたので大丈夫です」


 整然と連なる書架の列。狭間の通路を適当に彷徨う。古書が発する黴臭くも甘く渋い芳香が鼻腔をくすぐった。

(この匂い……前世の幼年学校とか日本の水高図書室思い出すよ。地球じゃ図書館の香りとかいう香水売ってるんだっけ。昔ネットで見かけたな)

 紙にせよインクにせよ革にせよ本の素材は有機化合物である場合が多く、経年で露出部分の成分が分解されて揮発し、あのどこか懐かしさを誘うアカデミックな香りを漂わすのだという。日本の父秋川恭太郎から聞いたところによると、古書の匂いから製本年代や保存法を解析する専門家もいるという話だ。

(そういや父さんと母さん元気してるかな。心配してるだろうな……)

 不意に両親の事を思い出してしまい郷愁に駆られた。かと言って現状日本に戻るすべはないので是非もない。観星ギルド執事長ローエルの情報では、時空魔法を究めたワールゼンならば異世界転移の知見を持っているかもしれないという。今のところそれが一筋の光明だった。

(ワールゼンさんの行方を知っていそうな人が魔法学院創始者ジルタークさんか……あたし的にはどっちもどっちだな。二人とも世捨て人の隠者で五十歩百歩じゃん。クリーガーのお爺ちゃん何か情報持ってないかな。ここの卒院生らしいし。次に会った時訊いてみよう)


 ワールゼンかジルタークの関連書籍でも置いてないかと書架に並ぶ書物の背表紙を流し見る。地球と装丁の様式が似た感じで助かる。

(む。誰かいる)

 本の探し物か、一人の女子生徒が脚立の天板に立ち書架上段を見回していた。

(おねえさんそんなふうに立ったら危ないよ。しかもその脚立キャスター付きだし。日本ならPL法案件待ったなしだな)

 一見したところキャスターにストッパー的な機構は見当たらない。女子生徒がウェルスに気付いた。案の定バランスを崩してよろめく。

「きゃあ!」

「危なっ」

 咄嗟に身体強化を発動して女子生徒を受け止める。所謂お姫様抱っこの体勢となり、女子生徒の顔を覗き込んで怪我の有無を尋ねた。

「大丈夫ですか……ええと、あなたは確かマルトラータ・モルディナ先輩」

「……またしてもあなたですか。ウェルス・リセール」

 よりにもよって面倒な人物と出会ってしまった。

(前にもこんなことあったな。女子寮の階段だっけ)

 またしても邪険に扱われ、こちらの釈明など聞く耳持たないのだろうか。わななくマルトラータ。

(うわ、激おこだ。めっちゃ睨んでる)

「離して」

「あ。はい」

「……」

「お怪我はないようですし、僕はこれで失礼をば」

 気まずい沈黙に堪えかね退散しようとするウェルス。

「お待ちなさい。話があります」

「えーと、例の混沌の天秤の件でしょうか?」

「試練の塔の件伺いましたわ。たばかりましたわね、ウェルス・リセール」

「どういうことでしょう?」

「まぁ韜晦もまた一つの戦略。それを非難するつもりはありませんわ。あなたの実力を見抜けなかったのも、偏にわたくしの未熟さ故ですもの」

「はぁ」

 瞑目して気息を整えるマルトラータ。

「ここでたまさか遭遇したのもジルターク尊師のお導き。あなたとの混沌の天秤は余人を交えず、雑音を排して心置きなく執り行いたいと考えていたのです。いざ、大闘技場へ参りましょう」

「ええと、今からですか? 大闘技場……あそこ事前に使用申請とか出さなくて大丈夫なんでしょうか?」

「わたくしの顔でどうとでもなりますわ」

 頭の天辺から足の爪先までマルトラータの佇まいを観察。顔つきが先ほどとは明確に変わっていた。

(腹くくったなこの人。喉の痞えと一緒か。先送りしてもストレス溜まるだけだしな……ここでケリつけちゃうか)

 女騎士だった前世の性向を反映しているのか、覚悟を決めた人にはどうにも共感を覚えてしまうクッコロ。

「分かりました。決着付けましょう」

「望むところですわ」


 大闘技場で対峙するウェルスとマルトラータ。お誂え向きに無人だった。

「正直意外でした。衆人環視の中で僕を叩きのめして威信を示す方針かと思ってました」

 不快そうにウェルスを睨む。

「有り体に申しますと、素行調査をするうちあなたに怖気づいたのですわ。己の怯懦さにはらわたが煮えくり返る思いです。同時にあなたの異常な強さに興味を懐いてしまいました。とてもとても業腹です。あなたという壁を越えない事には、わたくし先に進める気がしませんわ」

(気位が高い人だと思ったけど、随分ぶっちゃけたな。上等。そういうの嫌いじゃないよ)

「中立の立会人が必要って聞きましたけど」

「立会人など邪魔なだけですわ」

 燃え盛る火炎球が幾つも出現し、マルトラータの周囲に滞空。ウェルスは体表面被膜結界を展開。

(炎系属性が得意ぽいな。なんとなくそんな気はしてたけど)

 マルトラータが振り上げた腕を下す。火炎球の群れがそれぞれ不規則な弾道を描いて襲いかかってきた。

 結界を張った拳骨で迎え撃つが、火炎球が雲散霧消することはなく、拳骨に纏わり付いて火勢を猛烈に強めた。

(熱ちち! 焼夷弾みたいで厄介だなコレ)

 燃焼部を更に結界で覆い密封。転移魔法で二酸化炭素を充填し消火を図る。

(消えない? 物理法則お構いなしかい。これだから魔法の火ってやつは……)

 自分のことは完全に棚に上げて愚痴るウェルス。

 体表面被膜結界と身体強化の出力を上げしばし回避に専念するが、火炎球の数が多いため捌き切れなくなってきた。やむなく転移扉を織り交ぜる。転移魔法と悟られぬようごく短距離の転移に留意した。

(たぶんラディーグ師匠ばりの縮地法に見えるはず)


(当たらない……どうなっていますの)

 模擬戦でマルトラータの火炎弾による飽和攻撃を凌いだ者など過去一人としていなかった。

(身体強化は魔力効率のいい魔法と聞きますが、あの水準の出力で長時間回避行動を続けるなんて……尋常な魔力量じゃありませんわ)

 どちらの魔力が先に尽きるか――勝負の行方はそこに帰結するだろう。


 三十分後。汗だくとなり肩で息するマルトラータが膝から崩れ落ちた。途端に消失する火炎球。

「憎らしいほど涼しい顔ですのね。あれだけ動き回って息ひとつ乱れないなんて……不条理ですわ」

「よく言われます」

「わたくしの負けですわ」


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