第84話 鎮魂岬
皇都の動静を探っていた天眼通の一隊が由々しき情報を持ち帰った。オークロードに進化を遂げたガルシアがこのほど皇帝に即位し、新たな国を立ち上げるという。国号はラーシャント朝オーク帝国。ラーシャントというのはガルシアの家名らしい。
帝都は暫定的にリスナルに定められたが、旧ラーシャント侯爵領の領都ガルムカントに新宮殿を造営中で、落成を待って遷都するようだ。
「反逆者が皇帝を僭称するとは世も末だな」
「放置するわけにもゆくまい。簒奪を黙認したと受け取られる恐れがある」
「やはりアーベルト殿下かメルヴァント殿下を二代魔皇として早急に擁立するべきでは?」
重臣たちが一斉にクッコロを見た。申し訳なさそうに挙手するクッコロ。
「ごめんなさい。アルちゃんの遺言あるのであたしは反対です。少なくとも二人が成人するまでは反対に回りますのでよろしく」
「ほう……魔法相は反対であられるか。失礼ながら、現在の情勢を理解しておられぬと見ゆる」
閣僚の何某が睨んできた。何某の隣席の男が小声で耳打ちしている。
「おい馬鹿やめろ! 魔法相に反駁するな。カリューグ平野の惨劇を忘れたのか。消されるぞ」
(あたしのこと何だと思ってんの……)
ゼノン宰相がクッコロに向き直った。
「クッコロ様は、国家が最も守るべきもの、国を率いるものが最もしてはならないことは何だとお考えでしょうか」
(しがない現役JK捉まえて急にそんなこと訊かれても……あたしは王様でも政治家でもないんですけど)
日本にいた頃流し読んだ公民の参考書にそれらしきことが書いてあったような気がする。国家の三要素だったか。地球の価値観が通用するか謎だが答えてみる。
「ええと、国家が最も守るべきものは主権と国民と領域でしょうかね。国を率いるものが最もしてはならないことは何だろ? 普通に売国とか利敵行為かなぁ」
(我ながら月並みな回答だなこりゃ)
ゼノン宰相が言った。
「我々はこう考えます。国家が最も守るべきものは威信であり、国を率いるものが最もしてはならないことは国家の威信を毀損する行為です」
「威信ですか」
「さようです。威信を失った国家は衰退し早晩瓦解します。このことを理解していない帝王や為政者のなんと多い事か。為政者が保身や私利私欲のために行動することは、実のところさして問題ではないのです。その行動の結果として国家の威信を毀損することこそが大問題な訳でして」
(日本の政治家とか外国に妥協しまくりの謝罪しまくりだったけどね。彼ら的には度し難い愚挙なんだろうな)
「なかなか含蓄のあるお話です」
「我々がガルシアの登極を容認しかねる理由、ご賢察いただけますかな」
「ええ、まぁ。それでもアーベルトとメルヴァントの件は賛成できませんよ?」
張りつめた沈黙。クッコロに敵意のこもった目を向ける者さえいた。
(案外と言ったら失礼かもだけど、気骨ある人多いんだな)
ゼノン宰相が重臣たちを宥めた。
「ひとまず気を静めよ各々がた。クッコロ様とて何も未来永劫両殿下の戴冠に反対しておられる訳ではない。いとけなき両殿下いずれかの性急な戴冠は、確かに問題を孕んでいるように私も思う。両殿下におかせられては御成人まで帝王学をじっくり修めていただき、しかる後に魔皇位を践祚していただくのが適切ではないか?」
「そのように悠長な構えで果たして国体が保てるのかね」
「そこは輔弼する我等老臣の仕事であろう」
「……ゼノン殿のお考えは理解した。宰相閣下の顔を立ててこの場は矛を収めよう」
別の重臣が言った。
「両殿下の早期擁立は断念するとして、魔皇国の威信を回復し尚且つガルシアの体面に痛撃を与える代案はないのか」
「ふむ。魔法相は何か腹案をお持ちですかな?」
「え? あたしですか」
ゼノンがクッコロに振ってきた。重臣たちに芽生えたクッコロへの不信感を払拭しろという彼なりの気遣いだろう。欲を言えば事前の根回しが欲しいところだが。
「アルちゃんのお葬式を盛大に執り行ってみたらどうでしょう」
「なるほど、国葬を挙行するのですな。確かに内戦やら外寇やらの対応に忙殺され、アルちゃ――ゴホン! 先皇陛下の葬儀がおざなりになっておりましたな」
(今あたしに釣られてアルちゃんて言いかけたな、ゼノンさん)
「それは妙案です。式部官にさっそく調査を命じましょう――と申して、資料はすべてリスナルの宮城か」
魔皇国では過去にラジール将軍やシャールランテ将軍といった創業期の功臣の国葬を行ったことがあるらしい。
「ならば往時の公文書は焼失したやもしれんな。古老たちの記憶を頼りに儀式の再現を試みるより他あるまい」
重臣会議が終わり居室に戻ると、発注していた乳母車が納品されていた。試運転がてら散歩に出かけることにする。
「お天気いいし、子供たち連れて鎮魂岬のほう行ってくるよ」
鎮魂岬はオータムリヴァ港のすぐ近傍にある岬だ。クッコロが簡素な霊廟を建て魔皇アルヴァントと皇配メーベルトの遺灰を埋葬したところ、いつしか鎮魂岬の名で呼ばれるようになった。
ちなみに遺灰の一部は二つのロケットペンダントに入れて保管してある。アーベルトとメルヴァントが成人した暁にお守りとして渡す予定だ。
「かしこまりました。では護衛の供回りをすぐに手配いたしますわ」
「必要ないよ。三人だけでお墓参りしてくる」
難色を示すディアーヌ。
「先般もアサシンギルドによる襲撃があったばかりですのよ。護衛なしは許容いたしかねますわ」
「護衛ならドリュースさんが年中無休で付いてるんじゃない? 姿は見えないし気配もないけどさ」
凄腕の元暗殺者という経歴は飾りではないようで、クッコロの感知をも掻い潜る技能は相当なものだ。
「あの者がいれば両殿下の安全は担保されそうですわね。なによりクッコロ様がおられますし」
「そうそう。たとえドラゴンが襲ってきても二人は必ず守ってみせるよ」
安心させようとリップサービスしたら微妙な顔をされた。そういえばディアーヌはドラゴンの一氏族だったか。
「ち、ちゅうわけでお散歩行ってくるね」
アーベルトとメルヴァントを乳母車に乗せ、野原の小道をのんびり歩く。乳母車は特注品で、日除けの傘や虫除けの蚊帳が備わっていた。
「こうやって三人だけでお外散歩するのは初めてだねぇ」
その辺で警戒に当たっているであろうドリュースはいない者として扱う。
「これが世に言う公園デビューってやつか。まぁ鎮魂岬は一般人いなさそうだけど。ふふふ。こうしてベビーカー押して歩くとこなんてママっぽくない?」
「あうあうあー」
「んまんまんま」
アーベルトとメルヴァントの同意(?)に気を良くするクッコロ。
「さ、着いた。お父さんとお母さんのお墓参りしましょうね」
石畳の参道を進んだ。木漏れ日が心地よい。やにわに立ち止まり、乳母車を背に庇う。
「その物騒な殺気を引っ込めてくれんかの。年寄りにはちと酷じゃ」
アルヴァントの真新しい墓標の前に筵を敷き、酒杯を呷るドワーフの老人がいた。
「ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ」
(あれ? このお爺ちゃん何処かで……)
「いちおう関係者と言えなくもない。亡き魔皇陛下を偲んで一献傾けていたところじゃ。ほれ」
老人がいかにもドワーフらしいずんぐりむっくりの手を伸ばしてきた。中指に嵌められた指輪に刻印されたアルヴァント魔皇国の紋章。
(もしかして感応の指輪? あたしのと同じやつだ。どゆこと?)
アルヴァントから友好の印として譲られた感応の指輪と寸分違わぬ物のようだ。
「初めましてになるかのう。或いはその節はどうも、かの。儂はクリーガー、しがない魔法具屋じゃ。よもや過日セルメストの蚤の市で出会った書生の正体が、今を時めくノルトヴァール伯クッコロ・メイプル殿とはの」
クッコロは警戒を一段引き上げた。事と次第によってはこの老ドワーフの口を封じなければなるまい。
「……何故あたしがウェルス・リセールだとご存知なんです?」
鎌かけなら盛大な自爆だが、クッコロの性格からして老獪な年寄り相手に腹の探り合いをするのには向いていない。
「魔皇陛下から聞いたんじゃよ」
「じゃあ蚤の市で出会って魔晶石譲ってくれたのも、実はアルちゃんの指示だったとか?」
「いや、あれは偶然じゃ。あの時はまだウェルス君の正体がクッコロ・メイプル殿とは知らなんだしの」
(そりゃそうか。アルちゃんにトランスリングのこと教えたの、クリーガーさんと出会った後だもんね)
そうなるとこの老人は、断片的な情報を繋ぎ合わせてウェルスの正体がクッコロだという事実に辿り着いたわけだ。なかなか推理力に長けていそうだ。
「ところでそちらにおわすのが魔皇陛下の忘れ形見、アーベルト皇子殿下とメルヴァント皇女殿下かのう」
「……お爺ちゃん何者? アルちゃんとの関係は?」
アルヴァントから感応の指輪を託された者なら少なくとも敵ではあるまいが。
「これはしたり。お察しの通り魔法具屋クリーガーは世を忍ぶ仮の姿。魔皇国諜報機関を束ねる魔将ファンタム――それが儂の正体じゃ」
「ファンタム……重臣の皆さん口を揃えて正体不明の謎の魔将って仰ってましたけど。それがあなただって言うんですか」
頷くクリーガー改めファンタム。
「儂やトレントのクノッチは十二魔将の中でも特殊な立ち位置でな。生前の魔皇陛下より密勅をたまわり、極秘任務に従事しておったのじゃ」
乳母車の前で恭しく拝跪するファンタム。
「アーベルト殿下、メルヴァント殿下。お初に御意を得ます。ファンタムの爺でございます。遅ればせながら本日、母君アルヴァント陛下の墓参に参上仕りました」
「えー、オモテヲアゲヨー」
「は」
時代劇風にそれっぽい台詞を言ってみた。棒読みは御愛嬌だ。
「ファンタムさんは、この子たちの側に付くってことでいいのかな?」
「申すまでもありませんな。亡きアルヴァント陛下の御恩顧に報いたく存じます」
「そういうことなら大歓迎ですよ」
「御覧の通り老骨です故お役に立てるか心配しておりますわい。聞くところによると天眼通なる情報機関を立ち上げられたとか。彼等はなかなか優秀なようで。儂はお払い箱かもしれませんな。ほっほっほ」
諜報機関の長官だけあって事情通のようだ。
「何かの極秘任務で活動されてたんですよね? アルちゃん亡くなったからその任務は無効になるの?」
「儂としては続行を推奨いたす。将来魔皇国の国益に適うと考えておる」
「じゃあ現状維持でいいのでは? ただゼノンさんに報告は上げたほうがいいと思いますよ」
ファンタムは首を振った。
「それは出来ぬ相談じゃ。魔皇陛下の箝口令での。これは宰相殿のためでもある。秘密を知る者は少ないほうがよいのじゃ」
「ふむ、そういうもんですか。じゃあ魔将クノッチさんとは連絡が取れる?」
「彼女もまた魔皇陛下より感応の指輪を下賜されておる。会うのは至難じゃが、連絡を取ることは可能じゃろう」
(彼女とな。魔将クノッチさんは女性か)
「クノッチさんの極秘任務とファンタムさんの極秘任務は関連してる?」
「根の部分ではおそらく関連しておる。推測の域を出んがな。クノッチの任務はエルフ国を対象としたもの。儂の任務はリグラト王国を対象としたものじゃ。リグラトというかセルメスト魔法学院じゃな」
「口が滑ってますよファンタムさん。いいんですか、そんな重要なヒントあたしに漏らしちゃって」
「構わんよ。クッコロ殿もまた陛下より感応の指輪を貰ったんじゃろ」
「むむむ、どんな極秘任務なんだろ。気になる……」
「ほっほっほ、そのうち分かる日も来るじゃろ」
「そういえばファンタムさんと言うかクリーガーさんは、学院長やホーエン先生と魔法学院の同期なんですって?」
「どこでその情報を? ああ、ウェルス君が絶賛潜入中じゃったな。……もしや貴殿も陛下の密命をおびて極秘任務を?」
「いやまぁ、あたしの場合はたまたまで」
真相は行き当たりばったりで各所に首を突っ込んでいる訳だが黙っておく。理由は定かでないがファンタムは感心した様子で、頻りと頷いていた。
「なるほど。さすがは魔皇陛下と言うべきか。返す返すも志半ばでお隠れあそばされたのが悔やまれる。ガルシアの愚か者め」




