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第82話 波瀾の一日


 バールスト滞在二日目。

「おはよー。今日の予定は?」

「おはようございますクッコロ様。今日は商業ギルドで聞き込みをしようかと」

「あたし別件で留守にしてもいいかな。必修科目の授業あってさ」

「ああ、そういえばセルメストの魔法学院に入学されたんでしたっけ」

 ウェンティの指摘に驚くミリーナ。

「その話本当だったんですね……冗談かと思ってました」

「まがりなりにも魔法省の魔法相なんて役職に就けてもらったしね。学院は魔法界隈の老舗らしいから、後学のために視察しておこうと思ってさ」

 というのは建前で、本音は学院創始者ジルタークへの関心だ。時空術師ワールゼンの消息に繋がる糸口を得られるのではないかという下心もある。ライセルト情報によると、ジルタークとワールゼンは観星ギルドメンバーの中でもとりわけ仲が良かったらしい。日がな酒を酌み交わし、歴史談議に花を咲かせることもしばしばであったそうな。

「御多忙なのにこの上学業ですか。過労で倒れちゃいますよ」

 肩を竦めるクッコロ。

「自由気儘に活動させてもらってるから言うほど苦痛でもないんだよ。おかげさまで体も頗る頑健だし」

「確かに。クッコロ様が過労でお倒れになる姿など想像できませんね」


 別行動となる二人の上空から結界玉を追尾させ、密かに警戒に当たる予定だ。緊急事態の際はすぐに駆け付けられるだろう。

「じゃあウェンティちゃんの護衛よろしくね」

「お任せください」

 ミリーナはかなり剣の腕を上げている。ドリュースと頻繁に模擬戦を行っているようだ。殺し合いをした因縁の相手らしいが和解したのだろうか。

「ミリーナちゃん最近剣術の鍛錬頑張ってたもんね。なんかドリュースさんといい感じみたいじゃん」

 試みに冷やかしてみると冷たい視線で一刀両断された。

「誰があんなクズ野郎と。笑えない冗談ですよ、クッコロ様」

「……サーセンした」



 必修科目の古代精霊魔法学を受講し、バールストの宿屋へ舞い戻る。

(二人が戻るまで市場でも覘いてみるか。ラーヴェント大陸物産展とかやってないかな。デパ地下じゃあるまいしやってるわけないか)

 魔法学院の男子制服からいそいそとメイド服へと着替える。勿論ウェルスからクッコロへ変身済みだ。


 珍しい食材や調味料や酒を眺めつつ市場をそぞろ歩く。ダルシャール海商同盟の加盟国だけあって、市場の品数も豊富だ。

(ジャコルの茶葉あるな。ベルズ陛下が好きだったやつだ。お、あっちはフィリーム産の黒糖酒。アルちゃん嗜んでたやつだ)

 不意に肩を掴まれた。

「お買い物中すまんねメイドさん。ちょいと顔貸してくんな。おっと、騒ぐのはナシだ。お仲間のお嬢様と護衛の猫獣人さんに不吉なことが降りかかるかもしれん」

 すかさず結界玉で二人の状況を確認。が、特段異常は見られない。彼女らの周囲にも不審人物の影は見当たらないようだが。

(ブラフか。あたしも安く見られたもんだ)

 警戒に値するほどの身ごなしの者はいないのでまったく眼中になかったが、十人ばかりの無頼漢に包囲されている。

(ミリーナちゃんとウェンティちゃんの事も把握してる口振りだったな。目的探ってみるか)

 クッコロは努めて怯えた様子を装った。

「ひぃ! なんですかあなたたちは。お巡り――じゃない衛兵さんを呼びますよ!」

「でけえ声出すんじゃねえ。黙ってついてこい」

 ドスの利いた声。別の男が猫撫で声で言った。

「なぁに、ちょっと話を訊きてえだけだ。用が済んだらすぐ帰してやるよ」


 倉庫のような建物に連れ込まれ、窓のない一室に軟禁される。猿轡をかまされ後ろ手に縛られたが抵抗はしなかった。この程度の拘束いつでも抜け出せるので、とりたてて恐怖も緊張感もない。が、ゴロツキたちの印象は違ったようだ。

「クククク、恐怖で声も出せねえようだ」

「無理もねえ。屋敷勤めのおぼこメイドではな」

「そうやって従順にしてりゃあ後で可愛がってやるぜ。たっぷりな。ケケケケ」

 部屋の隅に香炉が置かれ、何やら謎めいた香が焚かれている。換気が不十分なためか、妖しげな煙はすぐに室内に充満した。口元を手巾で覆ったゴロツキたちは、クッコロを放置して部屋から出て行った。

(見るからにヤバそうな煙だな。あたしには効かないような気もするけど、まぁ冒険はやめとこう)

 体の周囲に結界を展開し、外の清浄な空気を転移魔法で取り寄せる。室内に漂う有害微粒子は後の検証のため空間収納に仕舞おうかと考えたが自重。拉致犯どもの疑念を招く恐れがある。

(さてと。あとはお薬キマった演技でもすりゃいいのかな。あたし女優になれるんじゃない? むふふ)


 しばらくするとゴロツキたちが戻ってきた。頬をぺちぺちと叩かれる。うーあーと呻吟するふりをしてみた。

「酩酊したか?」

「ああ。完璧にラリってやがる。ボスをお呼びしろ」


(こいつの差し金か)

 薄目で確認したところ案内され入室してきたのは奴隷商ガラントだった。床に転がるクッコロを見てゴロツキたちを怒鳴るガラント。

「先走りやがってこの馬鹿野郎ども! 気取られるなと念押ししたろうが。しかもケット・シーではなくメイドを攫うとか。雑な仕事しやがって」

「すすすすいやせん。猫獣人の女冒険者は腕が立ちそうでして。なかなか隙がその……」

(あたしやウェンティちゃんじゃなく、ミリーナちゃん目当て?)

 確かにケット・シー奴隷は珍重されると聞いた気がする。この誘拐は政治的な意図があるわけではなく、ごく皮相的な理由なのだろうか。

「攫っちまったもんはしょうがねえ。手駒として有効活用するしかあるまい。このメイドに隷属の呪紋を施す。魔法具準備しろ」

「へい」


(ちょ――)

 メイド服の胸元がはだけられ、呪術めいた儀式が施される。どさくさ紛れに乳房を揉んだ不届き者がおり、すんでのところで悲鳴を飲み込んだ。

(……後で憶えてろよ。あたしのおっぱい揉んでいい成人男性はベルズ陛下だけなんだからな。いや、ベルズ陛下は未成年だったけどさ)


「呪紋の刻印が出来ん……どうなっている?」

 ガラントの禿げあがった額に脂汗が浮かぶ。進捗が思わしくないらしい。

(隷属の呪紋は魔法の一種だって聞いたけど、ガラント氏は魔力微妙だし魔法使いじゃないよね。魔法具で術式構成してるのか。あの羽ペンと羊皮紙が魔法具っぽいな)

 ガラントが俄かに苦しみだした。喉を掻き毟り、床をのたうち回る。やがてクッコロの下に浮き出た魔法陣の光が雲散霧消。白目を剥き、口角から泡を吹いて痙攣するガラント。

「ボス! お気を確かに! おい医者だ、医者を呼べ!」

(あたしまだ何もしてないんですけど……あたしのせいじゃないよね? ま、人を呪わば穴二つって言うし自業自得かな)


 ガラントが担架でどこやらへ搬送され、残った子分どもが話し合っている。

「どうしちまったんだ。ボスが奴隷契約をしくじるなんて……魔法具の故障か?」

「この女どうするよ」

「俺たちの顔見られたしここの場所も知られた。気の毒だが始末するしかねえだろ。なに、旅行者が行方不明になるのはよくあるこった」

 ここで「可哀そうだから助けてやれ」とか「逃がしてやろう」という良心的な意見が出ればクッコロの心証もまた違っていたのだろうが。

「もったいねえな。どれ、せめてもの餞だ。地獄に送る前に天国を見せてやるか。俺様の道具でよ」

「お、いいすね。兄貴、俺もおこぼれに与りやす」

 畢竟、他者の尊厳を平然と踏みにじる言動が、彼らの死期を早めることとなった。


「人殺しまくってるあたしが言うのもなんだけど、命が軽い世界で嫌になっちゃうよ。洗濯ちゅうか、この服はもう廃棄かな」

 お気に入りのメイド服だったが、悪党どもの返り血や肉片があちこち付着して生臭い。

(さて。ガラント氏の件どうしよ。個人的にはそんなに遺恨ないんだけど)

 天眼通の調査では、ガラントはガルシアと結託している可能性が高くマークしているらしい。奴隷貿易はオーク軍の重要な資金源の一つだ。

(マルフィード隊長たちに任せとくか。あたしが介入するとややこしくなりそうだし)

 思わぬ道草を食ってしまった。買い物の続きを楽しみたいところだが、血塗れのこの姿ではそうもいかないだろう。

(宿に引き上げるか。その前にオータムリヴァで風呂と着替えだなこりゃ)



 オータムリヴァから宿屋近くに転移したところ、街の様子に違和感を覚えた。人々が浮足立ち、兵隊や冒険者たちが駆けずり回っている。

(何かあったのかな?)


「郊外の鉱山近くの森に大型魔獣が出たそうです」

 先に戻っていたミリーナが教えてくれた。関心が急降下。よくあることでとりたてて大騒ぎするようなことではないように思われる。この国にも軍や冒険者ギルドがあるだろうし、彼らがしかるべく対処するだろう。

「ふーん。それより夕食どうする? 西門の方に屋台いろいろ出店してたから行ってみない?」

 顔を見合わせるミリーナとウェンティ。二人は事態をより深刻に捉えているようだ。

「商業ギルドでは街にかなりの被害が出ると懸念しておりました。この情報は秘匿されていて、大半の市民は魔獣の脅威度を知りません。既に耳聡い商人は避難を始めているようです」

「そんな強力な魔獣出たのか。冒険者ギルド行ってみる?」

「今顔出すと強制依頼で徴集されますよ。(アルボー)級のクッコロ様は大丈夫かな。(アウル)級のあたしは確実に身柄拘束されますね」

 クッコロはバールスト上空の複数の結界玉から魔力波走査を行った。巨大な魔力反応を感知。

(いた。マジですか……)

 ケルベロス、アルラウネ、アイトヴァラス、ギガントアンタレス、サンドワーム――過去クッコロが戦ったどの大型魔獣と比べてさえ、遥かに巨大な気配。強いて挙げれば、かつてリスナル地下水路で遭遇した固有名称持ちのドラゴン・ジルティスと互角くらいか。

(ベヒモスじゃん。しかも三本角……ええと、レクスベヒーモスだっけ)

 いつだったかライセルトから受けた警告が脳裏をよぎる。


 『角三本ある個体は手出し厳禁ね。レクスベヒーモスって上位種でベヒモスとは別物だから。あなたなら狩れないこともないだろうけど、隕石招来(ミーティア)って厄介な魔法使うから、高確率で破局的な災害になるよ』


(観星ギルドのギルメンが手出し厳禁言うくらいだから、かなりヤバめなんだろな。そりゃ隕石降って来たら破局的な災害なるよね。問題は隕石招来(ミーティア)とやらの効果範囲だな)

 単身ならともかくミリーナとウェンティもいるので自重したほうがいいだろう。

(ま、触らぬ神に祟りなしだね――あ!)

「二人とも荷物まとめて。一旦オータムリヴァ島に避難しよ」

 怪訝そうな二人。

「軍が魔獣と一戦やるみたい。とばっちり来ないうちに逃げよ」

「まさか遠見の術ですか。クッコロ様は何でもありですね。どんな魔獣か判別できます?」

「ベヒモスの上位種でレクスベヒーモスって魔物みたい」

「え? そんなの人間の手に負えるんでしょうか……」

「たぶん無理じゃないかな。余計なことしてくれる。挑もうとしてる軍隊、装備不揃いだしバールストの正規兵じゃなさそう」

 ミリーナが指摘した。

「功名心に逸った傭兵か冒険者でしょうか」

「その線がありそうだね」

 ウェンティは残念そうだ。

「何人か街の有力者と顔つなぎできたんですが、是非もありませんね」

 宵の空に閃光が走り、すこし遅れて空気が鳴動した。地震のように宿屋の建物が小刻みに揺れた。

「……始まったみたいですね」

「もう全滅したぽい。三百人くらいいたのに瞬殺だよ。ダメだこりゃ。――む?」

「どうされました?」

「レクスベヒーモスのやつ、何か知らんけどこっち睨んでる。覗き見バレたのかな?」

 長居は無用か。クッコロは転移門を発動し、二人を連れてオータムリヴァへと跳んだ。


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