第81話 鉱業都市バールスト
その日はマルトラータ・モルディナ主催の内輪の茶会が催されていた。招待客は彼女の派閥に属する生徒たちだ。
「試練の塔の事故については様々な流言飛語を耳にいたしましたわ。それで実際のところ、ウェルス・リセールの実力のほどは如何ですの?」
当時その場に居合わせた一年生に問い質す上級生。
「認識を改める必要があると思います。当初僕も奴の事を侮っていました。少しばかり魔法の素質に恵まれた運のいい平民程度に考えていたのです。けれどもあれは――アンタレスの群れを徒手空拳で蹂躙し、あまつさえ上位種のギガントアンタレスを単身討伐するとか……驚異的な戦闘力と言わざるを得ません」
「アンタレスという魔物がよく分かりませんわ。手強いのですか?」
首肯する一年生。
「聞くところによると、霊鉄級冒険者が複数で当たってようやく討伐できる魔物だそうです。ドーラ砂漠にいるという野生のアンタレスと試練の塔産のアンタレスが同じ討伐難易度なのかは分かりませんが」
「砂漠ステージというのも前例がありませんわね。塔の不具合なのかしら」
「箝口令が布かれているのか、学院側に問い合わせても調査中の一点張りです」
「それにしてもあの不埒者がそれほどの猛者だったとは。人は見かけによりませんわね。一見軟弱そうな書生でしたのに」
一年生たちが口々に懸念を述べた。
「マルトラータ様とウェルス・リセールの混沌の天秤……その、沙汰止みになさったほうがよろしいのでは」
「奴の強さは常軌を逸しています。無論、マルトラータ様が後れを取るとは思いませんが……」
「匹夫に勝利を収めたとしても世間は当然と見做します。何も得るものがありません。逆に万が一不覚を取るようなことがあれば、モルディナ公爵家の威信は失墜いたします。国王改選をひかえたこの時期、大きな痛手となりましょう」
上級生は後輩たちの心配を一笑に付した。
「話を聞く限り、確かにあの者は大きな魔力の持ち主なのでしょう。けれども魔法の真髄は精密な魔力操作にこそあるわ。魔力操作でマルトラータの右に出る者は在校生にはいないでしょう。心配には及びません。ねえ」
同意を求められた当の本人は曖昧に微笑む。だが、その心中は穏やかではなかった。
(アンタレスならわたくしにも倒せないことはないけれど……ギガントアンタレスはどう考えても無理ですわ。まさかあの男がそれほどの遣い手だったなんて。このまま混沌の天秤を挙行して無様に敗北することになったら……かと言って今更混沌の天秤を取り下げるなどという醜態を晒すわけにもまいりませんし。どうしよう……)
衆人環視のなか徽章交換を行ったのでもはや後には引けない。取り巻きたちがさかんに煽り立ててくる。
「平民風情がすこしばかり腕に覚えがあろうと物の数ではありませんわ」
「目に物見せてやりましょう。マルトラータ様」
「そ、そうですわね」
「それで、混沌の天秤の日取りはいつになさいます? 僭越ながらわたくし、学院への事務手続きをお引き受け致しますわ。マルトラータ様は勝負に専心なさって」
「そうだ。どうせなら大勢の観衆が入る大闘技場の使用を申請しませんか」
「なるほど! 公衆の面前でウェルス・リセールを叩きのめし、青き血筋と下賤な匹夫の違いを全学院に知らしめるという算段ですね!」
「それはようございます。名案ですわ。さっそくそのように手配いたします」
マルトラータの頬がひくついた。
(やめて! 余計なことなさらないで!)
授業の合間にオータムリヴァ領主館へと転移した。例によってアーベルトとメルヴァントへの授乳のためだ。
(このおっぱい経由の魔力授与っていつまで続ければいいのかな? 人間の授乳は一歳から二歳くらいって聞いた気がするけど)
廊下に出るとミリーナが待ち構えていた。すっかりメイド服姿が板に付いている。
「おかえりなさいませ、クッコロ様。ご来客です。ゼノン宰相閣下ならびに皇都商業ギルド長ロラン様が面会を求めておられます」
「あれま。何事だろ」
応接室で向き合うクッコロと二重鎮。ひとしきり時候の挨拶や近況報告などやりとりした後、ゼノンが切り出した。
「実は鉄の備蓄が心許なくなっております」
戦時下で様々な戦略物資の相場が高騰しているとは聞いている。ディアーヌやランタースのぼやき節がよく耳に入ってきた。
「国内の主要鉱山は竜骨山脈の近辺に集中しておりまして。あの一帯はオーク族やリカントロープ族の諸侯が押さえておるのです」
「ふむふむ」
「そこでバールストで鉄を買い付けようと計画しております」
バールストはダルシャール海沿岸の都市国家で、後背地に有数の鉱山を持つ。金属精錬が盛んな街らしい。
「バールスト――確か海商同盟の加盟国でしたっけ」
「はい。先方もノルトヴァール諸島を押さえる我等と関係を結びたがっておりますからな。まさに渡りに船で」
「折角海に囲まれておるのですから、海運を活用しない手はありませんな」
ロランが力説する。浮力と風力の恩恵を享受できる海運は、物資の長距離大量輸送において圧倒的なアドバンテージがあるのだという。
(転移魔法と空間収納のコンボの前では霞みそうだけど……これは言わぬが花かね)
「さしあたり現地に赴いて、取引相手を見定めたいのです。おそれながらクッコロ様に転移魔法をお願い致したく」
「かまいませんよ」
「助かります。孫のウェンティをお連れください。まだ半人前ですが、幼少の頃より商売の基本は仕込んであります」
「んじゃ観光のていを装いましょうか。ウェンティちゃんが物見遊山に来た大店のお嬢様。あたしが護衛の冒険者。メイド役でミリーナちゃんも連れてくか」
ダルシャール海沿岸地方は前世を通じても訪れた経験がないので楽しみだ。ラーヴェント大陸との南洋交易が盛んらしく、さぞかし珍しい物産や風習に溢れている事だろう。
(魔法学院の生活ってけっこうストレスフルだから、今回の旅行――もとい任務いい気分転換なりそう)
なにせ下賤な平民だの女子寮に忍び込んだ不届き者だのといった色眼鏡で見られている。ウェルス・リセールという仮面を被ってはいても、愉快な学院生活とは言いかねる。
ミリーナやウェンティと入念に架空経歴の摺り合わせを行った。相手は海千山千の商人たち。言葉尻を捉えられて辻褄が合わなくなっては事だ。
「木級の駆け出しが護衛じゃ不自然かな。金級のミリーナ先輩のほうが適任かもね」
「そうですね。メイド役はお屋敷のメイドから選抜しましょう。本職ですし上手く演じるでしょう」
「うんにゃ。あたしがやるよ、メイド役」
「そういえば以前、竜爪団との折衝でもメイドに扮しておられましたね」
「そうそう。リュートルさんを懐柔した実績もあるし」
苦笑するミリーナとウェンティ。
「分かりました。クッコロ様には御付きのメイド役をお願いします」
結界玉観測で転移扉を開き、バールストへ先行するクッコロ。城壁の陰や路地裏など人目につかない場所へ転移門の魔法陣を設置していく。
(こんなもんかな。ミリーナ先輩とウェンティちゃん迎えに行くか)
「さて、どの辺に転移しようかね」
「普通に入市税支払って城門から入りましょう。些細な事ですが、トラブルの芽は摘んでおくべきかと」
ウェンティがそう主張した。
「そだね。ケチるほど高い税金でもないし。んじゃ街の外に転移するよ」
入国審査順番待ちの最後尾に並んだ。既に役割演技は始まっている。
「お嬢様。お暑うございますね」
バールストの気候はオータムリヴァ島と大差ない感じだった。冒険者暮らしの長いミリーナはともかく、リスナル育ちのウェンティには堪える陽射しだろう。
「大丈夫です。おかげさまで快適ですよ」
結界でこっそり紫外線軽減や熱交換を行っていることに気付いていたらしい。
「……何かしら?」
ミリーナが港のほうへ目を凝らした。罪人でも護送中なのか、檻車が何両も連なってやってくる。
「おそらく鉱山奴隷でしょう」
ウェンティが推測する。鉱山奴隷と言えば戦奴と並んで悲惨な末路を辿ることで有名だ。
檻車の一団を差配していた馬上の男が無遠慮な視線をこちらに向けてきた。
「今の男はエスタリスの奴隷商ガラントですね。ゴロツキたちを束ねる海王会の会頭で裏社会の大物です」
「ああ、あいつか。どこかで見た顔だと思ったよ」
去年エスタリスのカモメ亭で面談したことがある。
(あの時はアルちゃんも同席してたな。アルちゃんふざけていろいろ設定盛るもんだから、たいへんだったよ。懐かしいな……)
アルヴァントともっと遊んだり語らったりしておけばよかった。悔恨は未だに尽きない。
「こっちまで納品に来てるんだ。商売熱心なことで」
「鉱夫は過酷な重労働と聞きます。奴隷の需要が尽きることはないのでしょう。――クッコロ様はガラントと面識がおありなんですか?」
「前にちょっとね。会った時あたし覆面してたから、素顔は知らないはず」
(さっき城門の行列に並んでいた女冒険者、ケット・シー族だったな)
ケット・シー奴隷はつい最近も扱ったことがある。大枚をはたいてカモメ亭マスターのバルシーズから仕入れたのだが、グリード前総督を接待する酒宴の座興で死なせてしまった。
(あの時の剣奴の猫娘に似た顔立ちだったが、まぁ他人の空似だろうな。あの猫娘は死んでしまったし。……いや、案外血縁者ということもありうるか。なにせケット・シー族は珍しいからな)
ガラントは近くにいた子分へ命じた。
「おい。さっき城門にケット・シー族の女冒険者が並んでいただろう? そいつを尾けて滞在先を探り出せ」
「へい」
「ケット・シーは警戒心が強い。気取られるなよ」
大店のお嬢様という設定なので、最高級の宿屋に投宿することにした。
「ミッションは鉄の買い付けだっけ?」
「そのための情報収集と事前折衝ですね」
ミリーナが頭を掻く。
「冒険者案件だったら冒険者ギルドか酒場で情報収集なんですけどね。畑違いなのでなんとも」
「あたしも右に同じく。商売のことはよく分からないのでついて行きます。ウェンティお嬢様」
「冒険者案件とそんなに対応変わりませんよ。まずは商業ギルドに顔出して、それから目ぼしい商会に挨拶回りといった感じでしょうか。今日のところは街を観光しましょう」
街の広場で聞き込みをし、地元民一押しの食事処へ行ってみた。ドレスコードがあるような高級店ではなく、ごく庶民的な店のようだった。
若い娘三人連れとあってか、さっそく不心得な酔っ払いが絡んできた。
「あすこの卓見てみろよ。なかなかの上玉揃いだぜ。うへへへへ」
「ようお嬢ちゃんたち。俺たちと一緒に飲まねえか。奢ってやるぞ」
「とりまこっち来て酌しろや」
気風のよさそうな店の女将が窘める。
「ちょいとお客さん方。ここはそういう店じゃないよ。オイタすんなら帰んな」
「客に向かって舐めた口ききやがって。二度とここいらで商売できないようにしたろか? ああん?」
「あんたら出禁にするよ」
「なんだとババア!」
一連の遣り取りはクッコロの席の至近で展開されたので、やむを得ず仲裁に入る。
「まぁまぁ。皆さんちょっと落ち着きましょうよ」
「おいコラ、クソメイド! テメーどこの屋敷の召し使いだ。使用人風情がしゃしゃり出てくんな」
クッコロの額にピキピキと青筋が浮いた。デコピンの構え。
「ひぃ! お、お前たち早く失せろ! 死にたいのかっ!」
ミリーナが必死の形相で酔漢たちを追い散らす。ウェンティも蒼白になってクッコロに抱きついてきた。
「まぁまぁクッコロ様。ここはひとつ深呼吸しましょう! ね! ね!」
(……何なのこの扱い。納得いかん)




