第78話 魔境
防塁に拠ることで雲霞のようなアンタレスの群れを凌いでいる。しかしそれも長くは続くまい。一ヶ所でも防塁が崩れればそこが蟻の一穴となって破綻するだろう。
それでも冷静に継戦重視の布陣を構築するシャーリィの手腕には脱帽だ。
(荒事と無縁な貴族のお嬢様かと思ったけどなかなかどうして。軍人の家系なのかな? ちゅうかあまり事態長引かれるのも困るんですけど……おっぱいの時間が)
そろそろ双子たちがぐずって、ケット・シーメイドたちが手を焼いているに違いない。
「居ても立ってもいられない。我々にも何か役目をください」
魔法でアンタレスを遠隔攻撃する同級生たちの背後で、逸る待機組がクラス役員に詰め寄っている。
「交代まで魔力を温存なさい。弾幕の平準化を企図してのことよ」
「くっ、分かりました」
「そのうち嫌でも出番が回ってくるわ」
魔法阻害リング未解除の者は隅の方で切歯扼腕している。肝心な時に貢献できない不甲斐なさ。彼らなりに思う所があるらしい。
「こんな時に指を咥えて見ている事しかできないなんて」
「わたくし生き残ったら毎日瞑想を頑張りますわ」
マリエッタがシャーリィに耳打ち。
「今のところ討伐数五体。わたくしたちの実力では殲滅は難しいわね」
「シルヴィさんのお話ですとかなり高レベルの魔物みたいですし、五匹斃せただけでも瞠目すべき戦果なのでしょうね。……やはり死傷者が出るのは避けられませんか」
「学院の責任問題になりそうね。それは後のお楽しみとして、さしあたりこの窮地を切り抜けないと。ダメージコントロール概論は齧ってる?」
「遺憾ながら素人ですわ」
「非情な決断してもらう場面もあるかもしれないから、覚悟だけはしておいてね」
防塁のほうで続けざまに悲鳴があがった。
「防塁破られました!」
「何が起きたの? 報告を」
「毒攻撃です。アンタレスが尻尾から毒液を噴霧し、被毒する者多数。弾幕の切れ目から陣地内に侵入されました」
「総員後退。白兵戦は避けて。衛生班は負傷者の手当てを」
爪を噛むマリエッタ。
「まずいわね、皆浮足立ってる。――何してるのシャーリィ」
「わたくしが陣頭に立ちますわ」
周囲のクラス役員たちが慌てて引きとめる。
「なりません! お下がりください!」
「現時点で最善と思われる手段を遂行するだけです。おどきなさい」
「高貴な御身が陣頭に立たずとも。まず平民の――」
「その先を言ったら軽蔑しますわよ」
その時一際大きなアンタレスが防塁を越えて姿を現した。並みの個体より二回りは大きい。そのあまりの禍々しさに萎縮する生徒たち。
「ギガントアンタレス……」
魔物知識のある誰やらが呟いた。
「もしかして上位種ですの?」
尻尾を擡げるギガントアンタレス。負傷者を治療中の衛生班に狙いを定めたようだ。シャーリィは震える心と体を鼓舞し、健気にもギガントアンタレスの前に立ちはだかって結界を張った。いつぞやウェルスに助けられた際目の当たりにした、刺客たちの毒矢を悉く防ぐ結界魔法。彼に触発されひそかに練習を重ねてきたのだ。
(人を守るための結界魔法。あれこそわたくしの目指す魔法だわ)
用足しに抜けるふりをして人目のない場所に行こうかと考えていたところ、前線の一角が騒がしくなった。見れば防塁が崩され、数十匹の大蠍が雪崩れ込んで来ている。
(あちゃー、防衛線破られたか。けどこの混乱はお誂え向きかも。――よいしょっと)
周囲を窺い同級生たちの注意が大蠍に向いていることを確認してトランスリングを外した。途端に砕け散る魔法阻害リング。条件を満たして解除されたというよりは、過負荷に耐えかねて壊れた感じだ。すかさずトランスリングを再装着。
(ドキドキ……誰にも変身見られてないよね。さっさと片付けて家に転移するか)
トランスリングの魔力消耗効果で、ウェルスはクッコロより弱体化していると思われる。
(多少出力上げちゃっても問題ないはず。ちゅうか出し惜しみして間違いあったらまずいしね)
という訳で体表面被膜結界を展開。身体強化を発動し徐々に出力を上げていく。
(やっぱ高出力帯は制御難しいな。20パーくらいで妥協しとくか)
さっそく駆除を開始。授乳のことで性急になっていたのか、戦闘力の秘匿にまで気が回らなかった。圧倒的な膂力でアンタレスの群れを殲滅していくウェルス。
「な、な、なんだアイツ」
「ありえない……霊鉄級が束になってようやく勝てる魔物だって聞いたのに」
「危ない!」
図体が大きいなりに知能も高いらしく、ウェルスが手強いと見るや連携してきた。数匹が鋏状の触肢でウェルスを抑え付け、更に数匹が尻尾を振りかざして毒針攻撃。しかし強靭な結界に阻まれウェルスの体には届かない。
触肢の拘束を引きちぎると手近な尻尾を掴み、縦横無尽に振り回してアンタレスたちを解体していった。
(いい具合に関節で千切れるな。この蠍けっこう討伐難易度高めだってさっき誰か言ってたし、甲殻売れるかな)
王都セルメストは冒険者ギルド総本部と魔法学院があるため、魔物素材の取引が盛んだと聞いたことがある。
(回収しといて、後でギルドの買い取り窓口に持ち込んでみるか。お肉は食べられるのかな?)
地球だと蠍料理もあるらしいが、この世界ではどうなのだろう。前世では食文化への関心が薄かったのでよく分からない。
(いちおうとっといて後で査定してもらおっと。万が一高級食材だったら勿体ないしね。まぁ食べられるとしても、適切に調理しなきゃゲテモノ扱いだろうなぁ。宗教的に忌避される食材かもしれないし)
皮算用に思いを馳せつつアンタレスを討伐していると、耳を劈く悲鳴。
(あの声はマリエッタさん。何かあったのかな)
悲鳴のした方へ駆け付ける。横たわるシャーリィとそれを後ろ手に庇うマリエッタの姿が目に入った。並外れて巨大なアンタレスが触肢を振りかぶり、令嬢二人を今まさに攻撃しようとしていた。
瞬時に距離を詰め、横合いから大型アンタレスを殴りつける。が反応され、一方の触肢で受け止められた。間髪入れず尻尾によるカウンター攻撃。三十ケルディほどもふっ飛ばされ防塁に激突。一瞬呼吸困難に陥る。
(いたた……)
すぐさま魔力波で全身を走査。数ヶ所の骨折と臓器からの出血が認められた。慌てて治癒魔法を構築。
(内臓破裂とかヤバすぎる。意識飛んでたら処置遅れてたかも)
体表面被膜結界と身体強化がなければ確実に死んでいただろう。ウェルスは大型アンタレスを睨み付けた。
(上位種かなアレ。雑魚とは一味違うってことか。20パーセントじゃさすがに舐めプだったか)
肌感覚だが、クッコロの20パーセントならば問題なく斃せていたと思われる。劣化性能のウェルスで討伐するには今少し出力を上げる必要がありそうだ。
(しゃあない、40パーくらいでいってみるか)
距離が開いたウェルスへの追撃が物ぐさだったのか、はたまた追撃の必要がないと判断したのか定かではないが、大型アンタレスの標的がシャーリィたちに移った。
(今更な気もするけど転移魔法は秘匿しとこ)
跳躍して大型アンタレスの背後に降り立ち、厄介な尻尾を掴まえると力任せに引きちぎる。狂乱状態で暴れ回る大型アンタレス。師匠ラディーグばりに拳骨に魔力を纏わせ、滅多打ちにした。やがてぐちゃぐちゃの肉塊となって沈黙する大型アンタレス。
(テレビならモザイクかかりそうな絵面だな……素材の価値だいぶ下がりそう。お、土の魔晶石じゃないコレ? これだけ回収しとこっと)
魔晶石を一通り集めた経験が生き、色合いと魔力の雰囲気でなんとなく判別できるようになった。
群れのボスが討伐されたことで臆したか、アンタレスたちは我先に遁走していった。
「シャーリィ! しっかりして! ――治癒魔法の心得ある人こちらに来て、早く!」
マリエッタの悲痛な声。
(シャーリィさん重傷でも負ったのかな。うわ、酷い)
ウェルスの知る限り、シャーリィ・サルークは故アルヴァントにも比肩しうる美少女だ。その可憐な美貌が水疱と爛れによって見る影もない。
「ギガントアンタレスの毒霧を浴びてしまったの。ああ、何てことに……」
(蠍だから神経毒の類いかと思ったけど、糜爛性か。目もやられてるな。失明してなきゃいいけど。気管のほう曝露してたらまずそう)
未婚女子の顔が傷物になるのは死活問題だろう。まして大貴族令嬢ともなれば尚更だ。同級生のヒーラーたちが慌ただしく集まってきて、シャーリィの治療を開始した。
「水魔法得意な人どんどん水を出して! 毒を洗浄するんだ」
「シャーリィ様お気を確かに」
(残った毒素だけでも転移魔法で取り除いておくか)
尻尾の毒腺から採取した検体を、魔力波走査で念入りに探す。
(うーん、この謎高分子化合物ぽいけど……あんま残ってないよ。シャーリィさんの細胞とどんどん化学反応起こしてるっぽいな)
苦し気に呻くシャーリィ。
(佳人薄命って言うけど、あたしの知ってる美人さんみんな過酷な運命辿ってるような……なんとか助けてあげたいな。隙見てこっそりエリクシル使うか)
アンタレス騒動でそっちのけになっていたが、現在地を確認しなければならない。数百の結界玉を生成し、四方八方に飛ばした。
(リュストガルトじゃないなここ。やっぱダンジョン用に創られた亜空間か)
第一階層ゴール地点らしき魔法陣の位置は発見済みだ。一年生集団から離脱した軽はずみな連中の現在地も把握した。
発見時、離脱組は魔物に襲われている真っ最中だった。
(でっかいミミズ……あれが噂のサンドワームかな)
霊薬素材集めに奔走していた頃、魔晶石レベルの魔物の生息地を冒険者ギルドで調べたことがある。その際、魔物図鑑に載っていた記憶があった。
(アンタレスにサンドワーム、なかなかの魔境っぷりだねここ。放っとく訳にもいかないし助けるか)
近隣の結界玉を上空に集結させ、魔力を込めて円錐に成形。狙いを定めて一斉に射出。無数の穴を穿たれ、緑色の体液を撒き散らして悶えるサンドワーム。
(結界玉ミサイル、えぐい威力だな……亜光速まで加速したら、たぶんウェルス君の結界も貫かれそう。クッコロさんの強化結界でなんとか凌げる感じかね)
サンドワームを遥拝。
(急所知らないから無駄に苦しませちゃったな、ごめんよ。これだけ弱らせたら魔石核抜き取れるかな。よっと)
サンドワームの魔石核を手元に転移させた。先ほどの大型アンタレスと同じ土の魔晶石だった。
(砂漠フィールドらしいっちゃらしいのかな。アレク大森林のベヒモスん時は取り損ねたけど、狙ってない時に限ってたくさん取れたりするの何なん)
所持しておけば、そのうち役立つこともあるだろう。
「ウェルス君」
サンドワーム遠隔討伐中、背後にマリエッタが立っていた。
「シャーリィさんの容態は如何ですか?」
「正直芳しくないわ。今できる限りの手当ては施したのだけれど。一刻も早く試練の塔から出て学院の医務室に運びたいところね」
「ふむ。ホーエン先生に緊急連絡を取る手段は無いんですか?」
「無いわね。あの男……学院長の御友人か何か知らないけど、きっちり責任を追及してやるわ。シャーリィをこんな目に遭わせて……許さない」
ウェルスの体をまじまじと検めるマリエッタ。
「君こそ大丈夫なの? ギガントアンタレスとの戦闘で酷い怪我を負っていたように見えたのだけれど」
「ええ。僕のはほんの掠り傷ですよ」
「ウェルス君には感謝しているわ。先ほどは助けてくれてありがとう。まさかあれほどの実力を隠していたとはね」
「いや~火事場の馬鹿力ってやつですかね。自分でもビックリでして。ははは」
マリエッタの目が鋭くなった。
「ギガントアンタレスを単身で討伐するなんて、王国騎士団長や宮廷魔法士団長でも不可能だわ。……君は何者なの?」




