第72話 混沌の天秤
日課であるアーベルトとメルヴァントへの授乳を済ませ、セルメストへ転移。
(だいぶ魔力吸われたな。こないだの入試も、あの子たちにおっぱいあげた後に受ければよかったよ)
魔力測定具のオーブを二つ壊してしまい、学院関係者に目を付けられた気がする。
(それはそうと、全寮制とか学園物ラノベみたいでテンション上がるんですけど。ふふふ――何かイベント発生したりしてね)
入試から波乱含みとなったがどうにか合格をもぎ取り、今日は入寮の日である。空間収納があるウェルスは至って軽装で寮舎へとやってきた。
(さて、あたしの部屋はどこかなっと。なんかみんな殺気立ってて、訊ける雰囲気じゃないな)
貴族子弟の入寮者が多いためか荷馬車と使用人数名を伴う者がほとんどで、ウェルスのように身一つでやってくる者は稀だった。寮の正門辺りは混雑し、あちこちで執事風の紳士と寮職員が押し問答している。窓口に寮監ぽい人物がいたので尋ねた。
「あの~、今年入学予定のクッコ――ウェルス・リセールです。これ、学院事務局から交付された合格証書になります。入寮の手続きお願いしたいんですが」
「あーん? クッコウェルス・リセール君?」
「いやいや、ウェルス・リセールです。ヒック」
吃逆アピールで言い間違いを糊塗する。
「御覧の通り新入生の入寮が重なってな、ちと立て込んでるんだ。すまんが案内板を頼りに、自分で部屋を探してくれ。ええと、ウェルス・リセールっと……君の部屋番号は東棟142号室だな」
「わかりました。ありがとうございます。ヒック」
「ほえ~しゅごい」
随所に彫刻や加飾が施された古風な寮舎内を、お上りさんよろしく見回しながら徘徊するウェルス。
「そこのあなた! 何をしているの!」
詰問口調の声が降ってきた。きつい顔立ちの美人が階段踊り場から見下ろしている。学院制服を着ているので寮生だろう。
(青のリボンタイ……上級生か)
「今日入寮した新入生なんですが、自室を探してたら迷ってしまいまして」
「案内板が読めないの? ここは女子寮。男子禁制ですわ!」
「? それが何か――あ」
(やば、今のあたし男だった……注意散漫になってたよ)
「マルトラータ様? 如何なさいまして」
階段を下りる動作に入りかけたところで声をかけられ、上を振り向いたのが仇となった。マルトラータなる上級生は足を踏み外し、階段から転落する。咄嗟に身体強化を展開し、マルトラータを抱きとめるウェルス。そのまま縺れて転倒。心ならずもマルトラータのたわわな胸に顔をうずめる体勢となったが、緊急事態の上女同士なので寛恕願いたいところだ。
「大丈夫ですか、先輩」
「ぶ、無礼者!」
したたかに頬をぶたれる。涙目で震えているマルトラータ嬢。
(デスヨネー……まぁ今は男の子だししゃあないか)
階段から降りてきた女生徒たち。悲鳴が上がる。
(まずいな。大事なる前に転移でずらかったほういいかな)
既に入試で派手にやらかしており、学院関係者には問題児のレッテルを貼られかけている。この上騒動を起こしては入学早々停学と言う事もありうる。
「きゃあ、男よ! 侵入者だわ。マルトラータ様に乱暴狼藉を」
「不埒者そこへ直れ! マルトラータ様からすぐに離れなさい!」
「すぐに衛士に通報を――」
マルトラータが慌てて止めた。
「お待ちになって。このようなこと、とても表沙汰には出来ないわ。ここぞとばかり口さがない者たちがあることないこと尾ひれを付け、おぞましい醜聞に仕立て上げるに違いありません。我が家の名誉に瑕がつきますわ」
「……ごもっともですわね」
眼光鋭くウェルスを睨み付けるマルトラータ。
「あなた、今年の新入生と申しましたわね。いいでしょう、学院の作法に則って制裁を加えてさしあげます」
マルトラータは胸に付けた魔法学院徽章を引きちぎってウェルスに差し出してきた。意味が分からず首を傾げる。
「? すみません。学院の作法に疎いもので……」
「あなたに『混沌の天秤』を申し込みます。承諾ならあなたの胸の徽章を寄越しなさい」
謎の学院用語が出てきて更に困惑。一昔前の日本には、ボタンを所望して告白の代償行為とする風習があったらしいが、これはそんな甘酸っぱいものではあるまい。もっと殺伐とした何かだ。
「あのう、混沌の天秤って何ですか?」
呆れた様子の女生徒たち。
「あなたそんなことも知らずに受験なさったの? 本当に新入生?」
「これだから下賤な平民は……無知蒙昧な下郎など入学させても、学院の伝統が穢れるだけですわ」
(言いたい放題だね。それにしても想像以上に身分制の桎梏やばいな……意識改革できるのコレ)
「胸の徽章は心臓に見立てていると聞きます。それを天秤にかけて白黒をつけるのですわ」
要は魔法勝負による決闘を表す隠語らしい。混沌というのは、学院の創立者で混沌術師と呼ばれるジルタークを指すとのことだ。
(なるほど、徽章交換で決闘の合意成立と見做されるのか)
地球にもその手の決闘作法があった気がする。マンガ知識なので考証のほどは定かでないが、手袋を投げつけるだったか。
(そりゃそうと、ジルタークさんの御尊名がここで登場か……観星ギルドのメンバーだってライセルトさん言ってたな。この学院のどこかにいるのかね?)
それらしい気配は近くに感じないが。
(うっかり敵対しないよう要注意だな)
「徽章交換を拒否した場合はどうなるんです?」
鼻で嗤うマルトラータ。
「あなたは自分の非を認めたことになり、この場合は退学でしょうね」
「なんちゅうか、理不尽ですね……」
「そうでもありませんわ。身の潔白を証明なさりたければ、混沌の天秤においてわたくしに勝利すればよろしいのです。それで四の五の言う者はいなくなります。単純明快な話でしてよ。まぁわたくしに勝つことが出来ればの話ですが」
「……わかりました。混沌の天秤とやら、お受けいたします」
ウェルスはマルトラータに倣って胸の徽章を外し、手渡した。
「結構。学院事務局に申請して認可が下り次第、日時と場所を書状にてお知らせしますわ」
「なかなか古風なんですね」
「余裕でいられるのも今のうちですわ。首を洗って待っていなさい」
「逃げるんじゃないわよ下郎」
「せいぜい残り少ない学院生活を楽しむがいい」
「遺書を書くのを忘れないようにね」
令嬢らしからぬ捨て台詞をのたまう女生徒たちに見送られ、女子寮を後にする。
「やれやれ……初っ端からトラブルメーカーぶりを遺憾なく発揮してるな、あたしもとい僕」
自嘲気味に呟くウェルス。寮監に指示された東棟142号室を漸く探し当てる。入室すると先客がいて挨拶してきた。
「初めまして。僕はテルミン。これからよろしく。よもや君がルームメイトになるとはね」
感じのよさそうな少年だ。
「僕の事をご存知なんですか?」
「ウェルス・リセール君だろ。既に君は同期の有名人だもの。いきなり注目の的になってるね」
「てへへ」
「ところで胸の徽章は付けといた方がいいよ。教師たちが煩いらしいから。……まさかとは思うけど、入学早々混沌の天秤をふっかけたとか?」
テルミンはなかなか目敏いようだ。彼の目を盗んで各地に転移するのは骨が折れるかもしれない。
「いや~ふっかけたというか、ふっかけられました」
忍び笑いを漏らすテルミン。
「武勇伝のページが絶賛加筆中とは恐れ入る。君から目が離せないな。で、相手はどんな人なんだい?」
「マルトラータさんて方ですね。青のリボンタイをされてたので三年生かと思います。貴族のお嬢様ぽい人です」
「モルディナ公爵令嬢か。いきなりとんでもない人に喧嘩売ったねぇ。ご愁傷様としか言えないな」
「公爵家の人ですか……そりゃまた大物だ」
「在院生屈指の実力者って噂だよ。ま、怪我しないよう頑張って」
天を仰ぐウェルス。
「やっと合格したってのに。試練が畳み掛けてくるとかどうなってますか。先が思いやられますよ」
自室の設備を一通り確認し終えると外出の支度をする。
「ウェルス君出かけるのかい?」
「小腹空きましたので、学生食堂の見学ちゅうか試食してこようかと思いまして。今後の食生活依存する訳ですから、早めにチェックしとこうかと」
「貴族子弟が多く通ってるから、あまり妙な物は提供してないと思うよ。貴族たちの寄付で資金も食材も潤沢なはずだし」
テルミンは平民のようだがなかなか情報通らしい。魔法学院に合格するくらいだし、高度な教育が受けられる富裕層の出なのかもしれない。親善がてら学食視察に誘ってみた。無知なウェルスが何かやらかす前に忠告をくれるかもしれない。
「僕はいいよ。図書館で調べ物があるのでね」
「じゃあ一人で行ってきます」
「意地悪な上級生に絡まれないようにね」
案内図片手に学生食堂へやってきた。
(水高の学食みたいなの想像してたけど、規模が段違いだね)
立食形式で、ビュッフェテーブルには山海の珍味が所狭しと並んでいる。リムリア大陸にはその日食べる物にも事欠く貧民が溢れているが、魔法学院は飢餓とは無縁の場所のようだ。
(年中無休で終日営業。学生は無料で食べ放題って、気を付けないと太りそう)
見様見真似で行列に並び、美しい料理をトレーに取り分けてゆく。窓際の空いている席に着き、いざ実食というところで声をかけられた。
「おい、そこの黒髪の。窓際のお前だお前。ちょっとこっち来い」
食事を邪魔されてイラッとしたがあまり波風を立てるのも如何なものかと思い、上級生たちが陣取るテーブルへ近寄った。
「何でしょう?」
「何でしょうじゃねーよ! テメーなに暢気にメシ食ってんだよ一年坊主が」
「いや、ここ食堂ですし……」
いきなり平手打ちを食らった。
「先輩に口答えすんじゃねえ! 生意気な野郎だ」
(えぇ……おじいちゃんにも殴られたこと――けっこうあるな)
祖父吉右衛門は昔気質の剣道家だったので、けっこう愛の鞭を貰った気がする。
(ルディート将軍の言説じゃないけど、今後の手出し躊躇するくらいがっつり報復したほういいのかな)
いっそ喧嘩上等で突き進み、魔法学院をシメてしまおうか。
(スケ番クッコロさん爆誕か。ちゅうかウェルスは男の子だったな。世瑠女巣斗苦殺會初代総長ウェルス・リセール。夜露死苦……ないわ)
胸倉をつかまれ、物思いから引き戻される。
「いいか、一年坊主はまず先輩の給仕だ。先輩の前ででけぇツラしてメシ食うとか言語道断。肝に銘じとけ!」
ウェルスとオラオラ上級生の間に割って入る何者か。
「長幼の序を説かれる前に、ご自身の言動が後輩からの尊敬に値するか省みられては? 先輩」
銀髪の美しい娘が上級生たちを睥睨する。
(あれ、この子確か)
「何だテメー。関係ねぇ奴ぁしゃしゃり出てくんな」
オラオラ上級生の仲間が袖を引いて耳打ち。青ざめてそそくさと退散する上級生たち。
「ありがとうございます。助かりました」
「むしろ助かったのはあの方々でしょうけれど」
「僕の記憶違いでなければ、ナントカ公爵家のお嬢様でしたよね?」
苦笑するシャーリィ。
「サルーク家ですわ。家柄などどうでもよいのです。その節は危ないところを救っていただきまして」
優雅なカーテシー。制服の緑のリボンタイが目に付いた。
「魔法学院の生徒さんだったんですね。ちゅうか僕と同期か」
「はい。再会できて嬉しく存じます。ウェルス・リセール様」
「夜露死苦――じゃなかったよろしくお願いします」
「? こちらこそ。どうぞよしなに」